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言わせていただく
「させていただく」と言う人が増えている。耳障りなので使わないよう気を付けていたはずなのに、私自身つい使ってしまったことがある。そう言いたくなってしまう理由は何だろうか。
「させていただく」は自分の行動について使われるが、ほとんどの場合、謙譲語を使うべき状況で使われている。以下に主な動詞をまとめた。
通常 | 謙譲 | 使役 | 使役 + 受益 | 使役 + 受益 + 謙譲
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する | いたす | させる | させてもらう | させていただく
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食べる | いただく | 食べさせる | 食べさせてもらう | 食べさせていただく
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行く | 参る | 行かせる | 行かせてもらう | 行かせていただく
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言う | 申す | 言わせる | 言わせてもらう | 言わせていただく
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「させていただく」、「食べさせていただく」などの表現は単純な「する」、「食べる」とはかなり異なる。使役の「させる」と受益の「もらう」があり、相手の意志に関わらず自分のために実行する決意が感じられる。この不遜な言葉使いは、話者が本来表したいだろう謙譲と一致しない。我々が「させていただく」を聞いたときに不快になるのは、話し手の語法と意図に齟齬があるためである。試しに「させていただきます」を聞いたら「させてもらいます」に置き換えてみると良い。聞き手を無視した少し失礼な表現になるはずだ。ただし、相手の許可を得る場合や、相手の意志に反して何かを実行するときに使う「させていただく」はもちろん問題ない。「何と言おうと、やらせていただきます」と言うのはおかしくない。
似た表現に「お〜する」があるが、これは単純な謙譲ではない。話し手が聞き手に何らかの利益を与える行動にしか使えないのだ。例えば、ある日本語学習者が教師に送った手紙に、「夏休み、故郷でお泳ぎしました」と書いてあったという。この文が奇妙なのは、話し手が泳ぐことが聞き手の利益にならないからである。一方、「お歳暮をお送りしました」というのは良い。送る行為が聞き手の利益になっているからだ。このように「お〜する」は単なる謙譲ではないので使うのに注意を要する。
さて、不快に感じているにも関わらず私が「させていただく」を使ってしまったのは、「始める」に対してである。「これから会議を始めます」を謙譲表現にしたかったのだが、すぐに出てこなくてつい「これから会議を始めさせていただきます」と言ってしまった。確かに「始める」に対応する謙譲語は存在しない。もちろん「お始めします」も不自然だ。私も会議に参加するから利益供与という感じはないからだ。ややあって「開始いたします」という言い回しに思い至った。「始める」ではなく「開始する」なら、「開始いたします」とすぐ謙譲表現に変換できる。同様に、「終わる」は「終了いたします」と、「伝える」は「連絡いたします」と言える。この言い換えには和語の動詞を漢語で置き換える語彙力が必要である。一方、「させていただく」を使えば、違和感はあるものの機械的に変換できる。どんな動詞でも「させていただく」を付けることができるからだ。従って語彙力が低い人ほど「させていただく」を多用すると予想できる。
そして実際、一般の日本人の漢語力は低下していると思う。我々にできることは、漢語力を鍛えるか、謙譲の意味の「させていただく」を受け容れるかである。私は当然、前者を選択するべきだと考える。「させていただく」は本来、純粋に謙譲だけを表す表現ではないからだ。その違いを無視することは、日本語に対する感性を曇らせることに他ならない。第一、長たらしくて情報の密度が下がる。
無論、言語学を少しでも学んだ者なら、言語は必ず変化するものであり、正しい言語というのは存在しないと知っている。しかし変化の方向性は、言語使用者が主体的に選べるのである。
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