人里に近い森の中。 森といっても雑木林に近い。 人間の生活圏と隣接している場所では、食べ物に限らず人間の作ったものや捨てたものが多く手に入るので、 ここを根城にしているゆっくりたちは多かった。 もちろん人間たちに見つかって殺される仲間は少なくないが、同時に野生動物や天敵の捕食種に襲われることも少ない。 特に、過去にこの人里は鼠の害に悩まされて、徹底的な鼠の駆除を行ったために、鼠が居なくなった代わりに ゆっくりたちがその位置に収まっているというわけだった。 もっとも、ゆっくりと鼠とでは体の大きさが違う。 住処となる穴ぐらも、鼠のものをそのまま使うことはできない。 よって、ゆっくりたちは自分の巣穴、「おうち」を作るのに結構な工夫と苦心をしていた。 「ゆーしょ、ゆーしょ!」 この赤まりさもそうした個体の一匹だ。 人間のゴミ捨て場まで出かけていって、揚げ芋菓子の袋を見つけて来て運んでいる。 赤ゆっくりの大きさからすれば、袋の素材は軽いとはいえ結構な大きさであり、 人間で言うなら大き目のビニールマットを畳まないで運ぶのと同じような負担がかかる。 加えて、赤ゆっくりには体力も無い。 それを、ゴミ捨て場から雑木林までの長い距離を口で引っ張ってきたのだ。 「おうち」にするためである。 どうしたものか、この赤まりさには親という物が無かった。 両親の少なくとも片方がまりさ種であるという事はわかる。 だが、赤まりさ本人には両親の記憶が無かった。 茎から生れ落ちたものか、親の体内から飛び出してきたものか、初めて外の世界を認識したときには 地面にぶつかって弾み、ころころ転がっていたような気がする。 だが、転がるのを止まって、ゆっくり辺りを見回して、「ゆっくちしていっちぇね!」と叫んだ時には、 周りには親の姿も姉妹の姿も仲間の姿も全く無かった。 ただ、じぶんが「まりさ」である事と、ゆっくりすることと、ゆっくりプレイス(おうち)と、お母さんという 存在の事だけはっきり記憶を持っていた。 この記憶が種の本能によるものか、親から受け継いだ餡子に刻まれていたものか、赤まりさには判別が付かない。 また、その差なんていうのもわかりはしない。 本来自分はそれを手に入れ享受するべきだし、誰かが与えてくれるものだ、そう思っていた。 すくなくとも、お母さんというのは、生まれてすぐ、最初に与えられてしかるべきものだろう。 自分は母親から生まれたという認識はあったし、一番最初の「ゆっくりしていってね!」も、母親に向けて呼びかけたものだ。 ちゃんと言えたかな? お母さん、褒めてくれるかな? しかし、そうした期待とは裏腹に、誰も誕生直後の赤まりさに「ゆっくりしていってね!」と返してくれるものは居なかった。 赤まりさの心に例えようの無い、飢餓感のような寂しさが襲った。 どうして誰も、言葉を返してくれないんだろう。 どうしてお母さんの姿が見えないんだろう。 赤まりさにその理由など解るはずも無い。 解るのは、自分が欲しいと思ったもの、与えられると思ったものは、与えられなかったと言う事だった。 こうして赤まりさの誕生はじめての「ゆっくりしていってね」は、赤まりさが初めて見る世界の冷たい地面の上で、 誰にも届くことなく、風に吸い込まれていった。 以来、この赤まりさは本能が求めるゆっくりを、ひたすらに追い求めるようになった。 それは人間の赤ん坊が母親の乳を求めるのと同じくらい、当然の欲求だった。 赤まりさの行動は、誰に教えられたわけでもない、本能からくる行動だった。 お腹が空いたからご飯を探し、寂しいからお母さんを探し、ゆっくりしたいから、ゆっくりプレイスを探し… 善にも悪にも染まっていない、純粋な赤ゆっくりの欲求だった。 「ゆー! まりしゃのおうちだよ! ここはまりしゃのおうちだよ! ゆっくちちていっちぇね! ゆっくち!」 雑木林の中の、自分が気に入った場所に運んできた袋を置いて、その中に潜り込む。 この世界からすると外来の素材でできた菓子の袋は、内側が銀紙のように輝いていて、とても綺麗だと赤まりさは思った。 これなら、こんなに素敵な袋なら、きっと「ゆっくりプレイス」にふさわしいおうちになるに違いない。 袋の大きさも、赤まりさが潜り込むにはちょうどいい大きさだと思った。 それに、この素材は水を弾く。 雨よけにはちょうどいい、うってつけのおうちの材料と言えた。 「ゆー、まりしゃねみゅたきゅなってきちゃったよ… ゆっくりねんねすりゅよ… ゆぅ… ゆぅ…」 すっかりおうちを気に入り、安心したのとここまでおうちを運んできた疲れに身を任せて赤まりさは小さな寝息を立てて眠り始めた。 が、そのおうちが突然ガサガサと鳴り、震えだす。 「ゆゅっ!? にゃに? にゃんなのー? まりしゃこわいよー!」 安眠を中断させられ、突然の事にパニックになる赤まりさ。 ふと、おうちの床が斜めに持ち上がったように傾き、赤まりさは「ゆー!」と悲鳴を上げながら転がっておうちの外に出された。 「ゆっ!? おかしじゃなくて あかちゃんがでてきたぜ!」 「まりさとおなじなかまのあかちゃんだぜ!」 赤まりさが振り返って見上げると、そこにはまりさ種の成体が二匹いて、片方が「おうち」の袋の尻のほうを加えていた。 呆然として声も無く見つめていると、まりさ二匹は袋を振って、まだ何か出てこないか試していた。 「ゆゅ! そりぇはまりしゃのおうちだよ!」 「ゆ! やっぱりもうなにもでてこないんだぜ! おかしだとおもったのに!」 「ゆー、ざんねんだぜ おかしがたべられるとおもったのにだぜ」 どうやらこのまりさ達は、赤まりさがおうちにしていた菓子の袋を見て、お菓子が入っているものと思って拾い上げたらしい。 だが、出てきたのは赤ちゃんまりさだけだったので、当てが外れて残念がっていた。 「だいたい こんなところににんげんが、おかしをおいていくはずはないんだぜ!」 「ゆー! だまされたんだぜ!」 「まりしゃのおうち! かえしちぇね! ゆっくちちないじぇ、はやくかえしちぇね!」 「…うるさいんだぜ」 騙したもなにも、勝手に勘違いしたのは二匹の方なのだが、まりさ達は足元で「おうちかえして!」とぴょんぴょん 跳ねながら必死に叫ぶ赤まりさを鬱陶しげに、また憎憎しげに睨み付けた。 「まりさ、もしかしたらこいつが、ぜんぶたべちゃったのかもしれないんだぜ!」 「そういえばそうかもだぜ! こいつ、ちびのくせにひとりじめするなんて、ひどいげすなんだぜ!」 「げすには”せいさい”するんだぜ! ゆっ!」 「ゆぅー!? いぢゃいよー! にゃにしゅるのぉぉぉぉ!」 「げらげら、ちびがひとりじめするからわるいんだぜ!」 「おかしをとったばつなんだぜ」 それは言いがかりというより、八つ当たりのために適当な理由をつけたに過ぎなかった。 成体まりさの体当たりを受けて、赤まりさは思い切り吹き飛ばされて転がる。 吹き飛ばしたほうのまりさたちは、それを見て愉快そうに笑った。 だが、体の軽さが幸いして、大した怪我は無かった。 だが、それが逆に次の不幸を呼ぶ。 「もうおこっちゃよ! まりしゃにいじわりゅしゅるまりしゃはゆっくちし」 「ゆっ! なまいきだぜ!」 「ゆぶぅっ!!」 赤まりさは成体まりさに体当たりをして反撃しようとした。 だが、最初から勝てる勝負なんかではない。 逆に体当たりを受けて、さっきよりも強く吹き飛ばされる。 そして今度の地面にぶつかった衝撃は、赤まりさの虚弱な体にはダメージが大きかった。 「らんぼうはやめてね! ほんきだしたらちびまりさがまりさにかなうわけないんだぜ!」 「おお、こわいこわい ぼうりょくにうったえるなんて」 全身打撲の激痛に声も出せず地面にはいつくばって震えている赤まりさを蔑み、あざ笑う成体まりさ達。 ひとしきり笑ったり言葉でなぶったあと、お菓子を諦め切れない二匹はまだ袋をあれやこれや 弄繰り回していたが、そのうち、まりさたちは袋の奥のほうにいくつかお菓子のカスが残っているのを見つけた。 振っても袋の内側にくっついている細かいカスは落ちてこないのはわかっていたので、舌で舐め取ろうとするが、届かない。 そこで、二匹が取った行動は 「ゆ! いいことおもいついたぜ! ふくろをさいてひらけば、したをのばさなくてもとどくんだぜ!」 「さすがまりさ、あたまいいんだぜ!」 そう言って二匹で袋の口をくわえて、左右に引っ張り始める。 それをみた赤まりさは、動けないまま大粒の涙を流し、泣き叫び始めた。 「やめちぇね! まりしゃのおうちこわしゃないじぇね! やめちぇ! やめちぇよぉぉぉぉぉ!! おねぎゃいだがりゃやめじぇぇぇぇぇぇ!! おにぇがいじまじゅぅぅぅぅぅぅ!!」 しかし、赤まりさの懇願も虚しく、ビリビリ、という音を立てて袋は裂かれ、一枚の長方形状に開かれた。 「ぺーろぺーろ、しあわせー」 「うめぇ! これめっちぇうめ!」 幸せそうに開いた袋の内側のお菓子のカスを舐めまくるまりさたち。 そして、赤まりさの心は決壊した。 「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛! まりしゃのおうぢがぁぁぁぁぁぁぁ!! まりしゃのぉぉぉぉぉぉ! まりしゃのゆっくちぷれいしゅがぁぁぁぁぁぁぁ!! ゆぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーん!! まりしゃのおうぢぃぃぃぃぃ!!」 数分後、袋を舐め終えた成体まりさ二匹は泣き続ける赤まりさを放置してどこかへ去っていった。 残りカスとはいえ、美味しいお菓子を味わったまりさたちの頭の中では、自分達が痛めつけた赤まりさの事など とっくに排除されていたし、そうでなくても、この二匹には赤まりさなどどうでもいい存在でしかなかった。 赤まりさの事を気に留めるくらいなら、赤まりさが袋を自分のおうちだと言った時点で、 謝るなりなんなりするだろうし、赤まりさが親も無くこんな所にいるのを疑問に思っただろう。 だが…この二匹に限らず、なのだが…ゆっくりたちは赤まりさに対して優しくは無かった。 母性が強いれいむ種や、同じまりさ種はゆっくり達の中でも数が多いので、赤まりさはこれまでにも何度も出会ったことがある。 雑木林の中には多くのゆっくりたちが生息しているので、遭遇頻度も高い。 なにより赤まりさ自身が、母親を求めて、あちこち積極的に歩き回った。 しかし、赤まりさに出会ったどんな個体も、「母性」も「仲間意識」も、一欠けらも赤まりさにくれるような事は無かった。 多くのゆっくりたちは、自分自身、あるいは自分の家族、姉妹、子供達と一緒に生きていくのが精一杯であり、 とても赤まりさを助ける余裕なんか無かった。 人里近い雑木林は、ゆっくりたちにとって必ずしも棲みやすい場所とは言いがたかったのである。 あれは自分の「おかあしゃん」ないかと思ってまりさ種の家族連れに近づいてゆく事は何度もあった。 だが、その度に「うちにはよけいなこをいれるよゆうはないよ!」と追い出された。 時には 「おかあさんがいない、へんなこだね! みんなおかあさんがいるのにね!」 「きっとすてられたんだよ、おお、すてごすてご」 「ゆっくりできないできそないのおちこぼれだから、すてられたんじゃないかしら!」 等、悪し様に言われることもあった。 その度に、赤まりさの心は刃物で餡子を抉られるような痛みと寂しさを自身に訴えた。 それは、むしさんを食べても、はっぱさんを食べても、時たま拾う、美味しい人間のご飯を食べても満たされない飢餓感を赤まりさにもたらした。 飢えを覚えるたびに、赤まりさは 「ゆっぐぢじちゃいよぉぉぉぉぉぉぉ!」 と一人孤独に泣き叫んだ。 だが誰も、赤まりさを顧みるようなことは無かった。 「ゆ! ゆ! まりしゃのおうちつくりゅよ!」 泣きはらし、ふやけた目の周りが乾く間も待たず、赤まりさは次のおうちを作り始めていた。 先ほどの家も同様だが、赤まりさには「材料を組み立てて家を作る」ような知恵も力も無い。 出来合いの、家にできそうなゴミなどを運んできて、その中に入るだけなのだ。 時には、他のゴミも運んできて、「おうち」の中に敷き詰めたり内装として使うこともある。 ガラクタを「いしゅ」「てーぶりゅ」と名づけて家具のように配置することもあった。 だが、一度に運べる量には限界があり、雑木林と人間のゴミ捨て場を何度も往復するのは赤ゆっくりには重労働で、さらに危険も伴った。 赤まりさは今のところ、命を落とすような目にはあったことが無かったが、しかしそうまで苦労して、おうちを作り、 そしてそれが報われたなんて事は、今まで一度も無かった。 「こんじょはこれをまりしゃのおうちにしゅるよ!」 赤まりさが選んだのは買い物時の包装などに使われる、外来のポリビニル製品の薄い袋である。 半透明で軽くて、内部はなかなかに保温性があり、加えて水にも強そうだった。 それに、軽くて運びやすい。 赤まりさは喜び勇んでそれを雑木林へと運んでいった。 そして再び、ゴミ捨て場へ。 おうちに敷き詰めるやわらかい紙くずや、古い布団の中身、綿や羽毛なんかを加える。 やっぱり軽いので、赤まりさの足取りも軽かった。 負担が少なくていい。 おうちを失ったばかりでは、重いものを運ぶような気力が無い。 今おうちを作っているのだって、新しいおうちによって、さっきの悲しみを忘れ去るためのものだ。 何かをしていれば、何かすることがあれば、別の何かを忘れていられる。 ゆっくりぷれいす、赤まりさだけの「おうち」という目標があるから、赤まりさは涙を拭って立ち上がることができるのだ。 今度のおうちはどんな風にしよう。 前のおうちは、内装をどんな風に使用かと考える暇も無く壊されてしまった。 今度は、床にあったかいわたを敷いて、「いしゅ」や「てーぶりゅ」を置いて、全部完成させてから 「まりしゃのおうちだよ!」と宣言しよう。 そうしたら、こんどこそゆっくりできるおうちが… しかし、着いてみるとおうちの姿がどこにも無かった。 「ゆぐ…まりしゃのおうち…どごいっぢゃっだの…? おうちしゃん…」 また誰かに取られてしまったんだろうか? 胸が張り裂けそうな思いとともに、涙がにじんでくる。 それでも、涙を零してしまうのをぐっと堪えて、おうちがその辺に無いか、探してみる。 誰かに取られて持っていかれたのでなければ、その辺にあるかもしれない。 誰かが見つけて、いったん拾った後「ゆっ! これはただのごみだね! いらないよ!」と捨てていったのかもしれない。 それはそれで、自分の「おうち」にしようと思ったものをゴミ扱いされた事として、とてもとても悲しいことなのだが。 …実際に、目の前で「おうち」をそんな風に捨てられてしまった経験も、あった。 当然の事ながら赤まりさは、大きな声で思い切り泣いた。 「あっちゃ! あっちゃよ! まりしゃのおうちしゃん! …ゆぅ」 数十分後、ふとした事から赤まりさはおうちを見つけた。 ただしそれは、赤まりさにはけして届くことのできない木の枝の上に引っかかっていた。 ポリビニル製の袋はとても軽く、ちょっとした風が雑木林の中を通り抜けたときに舞い上がって、木に引っかかってしまったのだ。 実際のところはそんな高い位置でもない。 成体のゆっくりで、木登りが得意な個体、あるいはジャンプが得意な個体なら、苦労せず届く高さだ。 だが、赤まりさにとっては絶望的な高さだった。 赤まりさは袋に向かって何十回もジャンプしたり、「おうちしゃん! ゆっくちおちてきちぇね!」と呼びかけたりしたが、 おうちが落ちてくるようなことは無かった。 そうして1時間もたつころ、どうやってもこの「おうち」は二度と戻ってくることは無いというのを認識した赤まりさは 「ゆーん! ゆぅーん! ゆぅぅぅぅぅぅぅぅん゛!! まりしゃのおうぢぃぃぃぃぃぃぃ!!」 先ほど泣いたときと同じくらい、大粒の涙を流し、泣き叫んだ。 その日一日、赤まりさは泣き続け、乾いた体が水分を欲するころに泣き止んで、水を飲みに行き、 水を飲んで少し心を落ち着け、二時間ばかり眠ったあと、またおうちの事を思い出して泣いた。 だんだんと冬も近くなっていったその日、赤まりさは偶然「おうち」にできそうな、小さな穴ぐらを木の根元に見つけた。 それは、どこかのゆっくりの家族が巣に使っていたものだったが、今は空っぽで、誰もいなかった。 巣の中はそんな大きいわけでもなく、小さいほうではあり、ここを出て行った家族はおそらく子供が増えるか、 成長して手狭になったので、もっと快適なおうちへとお引越しをしたのだろう。 だが、赤まりさ一匹にとってはとても広く、そして誰かが使っていただけあって、清潔で、済み安そうなおうちだった。 赤まりさは慎重にその穴ぐらの中を見て回り、本当に誰の物でもなさそうなのを確認すると、 「ゆ…」 と涙を一筋零してから、ぴょん、と思い切り跳ねた 「ここ…ここは… ここはまりしゃのおうちだよ! まりしゃのゆっくちぷれいしゅだよ!」 ようやく、誰にも取られない、無くならない、飛んで行ったりしない、崩れない、壊れない、「まりしゃのおうち」を手に入れた。 そう思って、はじめて赤まりさの心の飢えが和らいでいく気がし始めた。 まだご飯は食べていなかったけど、むーちゃむーちゃしてなかったけど、「ちあわせしぇぇぇぇぇ〜」だった。 その喜びは唐突に破られた。 「ゆっ! ここはすてきなおうちだね! れいむたちのゆっくりぷれいすにするよ!」 「あれ! ちいさいまりさがいるよ! ここはれいむたちのおうちだから、ゆっくりしないででてってね!」 …家を取られることなんか、雑木林の中では珍しくも無い。 赤まりさは取られなかった事の方が、無い。 「ここはまりしゃのおうちじゃよぉぉぉぉぉ! おうぢとりゃにゃいでぇぇぇぇぇ!! まりじゃのおうぢぃぃぃぃぃぃ!! ゆあぁぁぁぁぁぁぁん!!」 まりさのおうち宣言から1分もしないうちに、赤まりさはれいむの一家全員から叩きのめされて、おうちから放り出された。 どんなに泣いても懇願しても、自分のおうちだと主張しても、聞き入れてはくれなかった。 そしてボロボロになった赤まりさは、大声で泣きながら這って手に入れたばかりの「おうち」から去った。 夕暮れが近く、凍て付くような風が肌を刺す。 赤まりさは人里のほうへ歩いていた。 人間のおうちは沢山あった。 雑木林にはゆっくりのおうちが沢山あった。 沢山あるのに、赤まりさにはおうちが無かった。 人間には親子連れがいた。 雑木林にも家族連れのゆっくりが沢山いた。 むしろ、一人きりのゆっくりというのは少なかった。 赤まりさは一人きりで、家族なんてものは生まれたときからみたことが無かった。 人間達は美味しいものを食べていた。 ゴミ捨て場には時々それが落ちている事があった。 ゆっくりたちも、むしさんや、はっぱさんや、きのみや、人間たちの食べ物のおこぼれを食べて、ゆっくりしていた。 赤まりさは、食べても食べてもゆっくりできなかった。 ゆっくりできる何かが足りなかった。 人間の子供が、自分の母親に「お母さん」と呼びかけているのを見たことがあった。 二人で手を繋いで人間のおうちに帰っていくのをゴミ捨て場から見た。 ゆっくりの家族が、「おうち」の中で親子ですーりすーりしているのを盗み見たことがあった。 自分には、「おかあしゃん」はいなかったし、おうちの中で「おかあしゃん」とゆっくりしたことも無かった。 まりしゃは「おうち」が欲しかった。 自分にはどうして母親も「おうち」も無いのかわからない。 皆は生まれたときから持っているのが当然だった。 「おうち」の中で「おかあしゃん」とゆっくりするのがゆっくりだと思った。 だから、「おうち」が欲しかった。 まりしゃにはよく解らなかったが、「おうち」と「おかあしゃん」と「ゆっくり」はほぼ等号で結ばれているものとして認識していた。 「おうちがありぇば、おかあしゃんと、ゆっくちできりゅよ…」 別におうちがあったところで、まりしゃには母親などいないのだから「おかあしゃんとゆっくち」なんてできる筈は無い。 だが、まりしゃにはそんな事はわかるはずもない。 わかりたくも無い。 言って欲しくも無い。 ただ、「おうち」があれば、他の欲しいものも全部手に入ると信じて毎日生きて、おうちを何度も作って、 奪われて、また何度も作って、何度も奪われて、繰り返すだけだ。 「おうち」が欲しい。 まりしゃだけの、誰にも取られない、おかあしゃんとゆっくちできりゅ「おうち」が。 まりしゃはふと気付くと、人間の家の一つの庭先に入り込んでいた。 玄関の戸が少しだけ開いている。 その戸の隙間から、暖かそうな屋内の灯りが漏れている。 まりしゃは、誘われるようにその戸の隙間へと向かっていた。 人間の家の中はとても広く、暖かく、いい匂いがして、やわらかい敷物がしいてあった。 まりしゃはふわふわした高揚感を覚え、家の中を見て回った。 人間の家の中には、ゴミ捨て場で見た事のあるものも、無いものも沢山あった。 そしてゴミ捨て場で見たときよりも、ずっと小奇麗で素敵に見えた。 食べ物やお菓子らしきものも、あったが、まりしゃには届かない位置にあった。 まりしゃからみた玩具や宝物にできそうないろんな小物も沢山あった。 これが人間のおうち。 素敵なものが沢山あるおうち。 まりしゃがずっと欲しいと思っていた、こんな風なものが欲しいと思っていた、素敵なおうち。 とてもとてもゆっくりできそうな、ゆっくりプレイスだ。 まりしゃは一通り家の中を見て回ったあと、居間の中心に落ち着き、座った。 ここに座っていると、自分がこの部屋の、家の主になったような気分がした。 自分がこの中で一番偉くて、全てを支配していて、あらゆるものが自分の所有物であるような錯覚を覚えた。 そうだ、ここが…まりしゃの欲しかった、ゆっくりプレイスなんだ。 まりしゃのおうちなんだ。 「お、ゆっくりじゃないか。 ちび助が入りこんでやがる…誰だよ玄関開けっ放しにしたの」 人間の声がして、まりしゃは振り返った。 とても背の高い人間だった。 まりしゃを見下ろして、とてもうざったそうな表情をしていた。 まりしゃの脳裏に、おうちを引き裂かれたことが、おうちを風に飛ばされたことが、おうちを奪われ叩き出されたことが、ありありと蘇った。 沢山沢山泣き叫んだことが蘇った。 何度も何度もおうちを作ろうとしたことが蘇った。 自分以外の全てが、自分が欲しかったもの全部持っているのを、遠くから眺めている光景が蘇った。 あのゴミ捨て場で、おうちの材料を懸命に探している自分の姿が蘇った。 その瞬間、まりしゃは叫んでいた。 「…ここは、ここはまりしゃのみちゅけたおうちだよ! ゆっくちできにゃいおにいしゃんはさしゃとでちぇってね!」 同時に、まりしゃの両目から大粒の涙が零れ落ちた。 涙で滲む視界に、こちらへと伸びてくる人間の大きな手が一杯に広がった。 まりしゃの心は既に、悲しい思いで溢れかえりそうだった。 悲しみはまりしゃの心を内側から傷つけ、その痛みは人間の手から逃げるようとしても動けないほどだった。 まりしゃは、掴み上げられた人間の手の中で「ああ、またおうちを奪われるんだ」と思った。 どんなにゆっくりできそうなおうちを見つけても、必ず他の誰かに奪われるか、無くしてしまう。 それでもまりしゃには、この広くて暖かくてゆっくりできる、ゆっくりプレイスを、取られると判っていても けして自分のものには出来ないと判っていても、自分のものだと叫ばずに入られなかった。 ずっと欲しいと思い続けたものを、それを目の前にして諦めなければいけないなんて 幼いまりしゃには耐えられるものでは無いのだ。 そしてまりしゃは涙をとめどなく流しながらも、また今までのように痛めつけられておうちを追い出されるのを ただじっと震えて待っていた。 しかし、人間はすぐにまりしゃを外に放り投げたり、あるいは叩き潰したりするような事はせずに まりしゃを自分の顔の高さまで持ち上げた。 「ちび助のくせにいっちょまえにおうち宣言かよ…だから野良のゆっくりってのは。 野良猫やカラスよりたちが悪ぃな。 おい、親はどこだ? どこに上がりこんでる? どこで荒らしてる? 台所で食い物を探してるのか? 寝室でグースカ寝てるのか?」 人間の問いかけたその言葉はまりしゃにとって意表を突いたものだった。 思わず、まりしゃは泣くのをやめた。 その人間は、まりしゃが赤ゆっくり一匹で家の中に侵入してきたとは考えもせず、親のゆっくりに つれられて上がりこんできた物とでも思ったのだろう。 しかし… 「ゆっ…まりしゃは…おかあしゃんはいにゃいよ…! でも、おうちでおかあしゃんとゆっくちすりゅよ…おうちで…まりしゃのおうちで…! おうちがありぇば、おうちがありぇば、おかあしゃんと、ゆっくちできりゅよ…! ここはまりしゃのおうちだよ! だりぇにもわたしゃないよ! もうだれにもとりゃれにゃいよ! おにいしゃんはさっしゃとでてっちぇね!」 まりしゃは、もう一度両目からボロボロとありったけの涙をこぼしながら、宣言した。 それは小さなまりさの、精一杯の意地だった。 譲れない最後の砦だった。 まりしゃには、「おうち」は拠り所なのだ。 もうこれ以上、奪われる悲しみも手に入らない辛さも味わいたくはない。 まりしゃからおうちを奪うのはいつも、まりしゃより強い存在だった。 だからもう、おうちを奪おうとする強い相手に立ち向かってゆくのなんて怖くもなかった それによって命を落とす事になったとしても、諦めてしまえば先にまりしゃの心が張り裂けて死ぬだろう。 人間は、手の中で泣きながら睨みつけてくるまりしゃを戸惑うような、あるいは奇妙なものでも 眺めるような表情という反応を見せた後、無言でその辺にあったダンボールの小さな空箱のなかに まりしゃを放り投げて床の上に置き、放置すると部屋を出て行った。 箱に入れられたまりしゃは転がり、相変わらず泣きながらゆっぐゆっぐとしゃくりあげている間に 人間は自分の家を隅々まで確認し、侵入されたり荒らされた形跡も、また他に入り込んでいるゆっくりの 姿も無いのを見届けると戻ってきて、箱の中のまりしゃを見下ろしながら思案していた。 「本当にちび助一匹だけかよ、めんどくせえ…」 そう呟くと、棚から清潔そうなタオルを一枚取り出してきて、一旦まりしゃを箱から出し、 箱の底にタオルを敷くとまたまりしゃを箱の中に今度はそっと丁寧に入れた。 まりしゃはその間ずっと泣きながら震えていた。 これから自分がどうなるのかなんて、全くわからなかったが、虐められた後に 外に放り出されるんだろう、そしてまたおうちを失くすんだろうと思い、柔らかいタオルの上でまた泣いた。 そうして泣いているうちにやがて疲れ果て、うとうとし始めると、まりしゃは自分でも気付かないうちに眠っていた。 人間はまりしゃが眠るまでそっと見届けた後、思案するような表情をしながら頭を掻いた。 「同じ迷子なら子猫でも入ってきてくれりゃあ、まだ可愛げがあるものを…ったくよお…」 そうこうするうちに、家の玄関の方で音と帰宅を告げる声がしたのをその人間は聞いた。 家族が帰って来たのだろう。 人間は、また面倒くさいことになる、と思った。 「兄ちゃん、なにこれ? ゆっくり?」 「うわー、小さい! ゆっくりの赤ちゃんだあ!」 「兄ちゃんこれ拾ってきたの? 飼うの? 育てるの?」 「うるせえなあ、落ち着けよ…勝手に入ってきたんだよ」 「あらめんこい。 眠っているの? ゆっくりもこんなに小さいならほんとめんこいのにねえ」 「なんだあ、こりゃあ『まりさ』だな。 シゲ坊お前これ飼うのけぇ?」 「ちげーよ、なんでそういう事なってんだよ」 「飼うならちゃんと世話しねぇとダメだぞぉ」 「飼わねえって! 誰かがまた玄関の戸開けっ放しにしてたからこいつが入ってきたんだよ」 「えー、兄ちゃんこの子飼わないの? 飼おうよー! かわいいよー」 「兄ちゃん捨てんならオレ貰ってもいい?」 「誰が捨てるって話したよ!? やらねーよおめーにやるとすぐ死なせっからダメだダメ!」 「じゃあやっぱり飼うんでねーか、いいかー、ゆっくりは猫と同じで家につくからな、 途中でなげんでねーぞ? 最後まで面倒みんだぞ?」 「なんで俺が面倒みることなってんだよ!」 「うちで生き物の世話させられんの、シゲルしかおらんしねえ。 トシやユッコじゃ弄繰り回して死なせてしまうっしょ? それにシゲルが拾ってきたんならシゲルが世話すんのが当然だねえ」 「だから拾ってきたんじゃ…あーもういいよ俺がこいつの世話するよ!」 「兄ちゃん、ユッコもこの子触りたーいー! 触っていいでしょ?」 「寝てんだから触って起こすなよ…我慢しろ」 「やーだー触るー! 兄ちゃんばっかずるいー!」 大小の人間たちのそんあ会話を子守唄に、まりしゃは生まれて初めて柔らかく暖かい寝床でまどろんでいた。 頬をふやかしていた涙の泣き跡はやがて乾き、目が覚める頃には消えているのだろう。 そして、まりしゃの入れられているダンボール箱には、黒いペンの字で『まりさのおうち』と書かれる事になった。 その後のまりしゃがおうちを手に入れて幸せになれたのかどうかは、想像に任せる。