KTV講師:杉本真一
坂田謙司教授(産業社会学部)
今日は放送全体の問題、コンプライアンス(法令遵守)ということについて勉強します。最終的に番組企画を考えているが、番組を作るにあたってそのために何を考えなければいけないのか。お話を聞きます。コンプライアンス推進室・考査部長の杉本真一さんです。
杉本:
みなさんはわが社の不祥事である「発掘 あるある大事典II」納豆ダイエット(2007年1月放送)の捏造問題はご存じですね。この捏造事件については、外部調査委員会の手で「調査報告書」が作成され、いま関西テレビのホームページで公開されています。捏造がなぜ起こってしまったのか?調査報告書を読んでいくとわかります。なぜ分別のある優秀なディレクターが捏造してしまったのか?そこに追い詰められていくプロセスが、たとえは良くないかもしれませんが、サスペンスみたいに読んでいけます。
関西テレビは民間放送連盟をおよそ1年半にわたり除名されました。捏造をやったことは彼個人だが、現実に捏造を生んでしまうような環境を見逃していた。そのことは関西テレビの責任だったからです。
その時に調査委員会がこっぴどく私達をお叱りになりました。「それぞれの人がそれぞれのちゃんとした仕事をしていないではないか。経営も経営だし、現場の人間も現場の人間だ」と。私も考査部長としてチェックする立場で捏造に気付けなかった。不作為といいます。為すべきことをしないのを不作為といいます。
みなが各々為すべきことをしなかった。その不作為の罪を、調査委員会報告書では「当事者意識、あるいは当事者性の欠落」といっています。
たとえば民放連放送基準第一条には「人命を軽視するような取扱いはしない。殺人あるいは自殺、心中、安楽死などを番組で取り上げる必要があっても、これを肯定したり賛美したり、あるいは興味本位に取り扱うことを避け、表現にも注意しなければならない」とあります。(ケーススタディビデオ視聴後、当該事例が放送基準以上に違反していると思うか、そうは思わないかを参加学生に聞く)。
違反していると答えた方が11人中10人で、そうは思わない人が1人でしたね。この事例はあるバラエティ番組で、青木ヶ原樹海の自殺者の痕跡を扱った内容です。結論から言いますと、放送中止にした番組の部分です。皆さんの判断と同じ判断を考査部長としてその時現場の責任者に伝え、彼は削除に同意してくれました。
しかし、この番組内容が放送直前の考査まで完成品として上がってきたことに背筋が寒くなりました。何か現場で大変なことが起きている。企画書もあって、会議も打ち合わせもしてもロケにも出て、編集もして、誰もおかしいといわず、ディスカッションもなかった。これが不作為の罪です。
バラエティ番組でも社会問題である「自殺者」を取り上げたいという気持ちは分かります。しかし「年間自殺者が3万人」というテーマを、ホラー演出の「潜入モノ」にしていいのでしょうか。自殺者を身内に持った人の多くは、自殺の申告はしません。診断書も死因は心不全です。統計の3万人をはるかに超える数。その人の周囲には家族や知人が大勢います。放送で扱う場合はその人たちの存在を「想い遣る」心、想像力が必要です。
格差社会が広がる大変な時代に、皆さんは学生から実人生に今向かおうとされていますね。人間は壊れやすく、だから支え合わなければならない。自殺や病理の問題をまじめに考えようとしたらこんな表現にはならなかったと思います。
捏造を孕む番組や思慮浅い番組が、制作され放送されてしまう組織のありようをどう変革したらいいか?ひとつの方法は「べからず帳」をつくり内部統制をする。もう一つはいい悪いは自分で考える。誰かがルールを決めてくれなくても自分の心の中で自律し自浄していく。それには心に根差した根拠がなければならない。決まり事も大事ですが、マニュアルに合わせてどうかではなくて、その時の確かなルールは自分の中に持つ。それを内部的自由と言ってみましょう。
さらに、自分の確信に基づく内部的自由で考えたことと違うことを、逆に会社があるいは大学や教授がやれと言ってきたらどうしますか?
内部統制と内部的自由の真ん中にあるのはやっぱり自己責任。責任は自分でとるということ。ですが「自己責任」という言葉はやっかいです。
社会に出たときに問われる自律の問題、内部的自由の問題と、世間の大人たちが言う「責任転嫁を意図した自己責任論」とは微妙に違うということを少し覚えていて下さい。
いまテレビ=マスメディアにかかわっている人間は、マスメディアはマス・マーケティングですから、「多数派」と思われる指向に向かいがちです。しかし少数者と思われている人が実は「普遍」的価値を発信しておられることはよくあることです。社会的少数者、社会的弱者とされる人の声に耳を傾ける姿勢を忘れないほうがいい。先ほどの事例の企画意図に少しはあったのかもしれませんが、それぞれの「青木ヶ原」に向かう人たちが少数者ではない時代です。非正規雇用者もネットカフェ難民も、求職難の時代に旅立つ皆さんはこれから社会問題としてお考えになることでしょう。誰かが助けあって誰もが死ななくて済むような社会にしなければいけない。
ご自身も含めて「人が生きていること」について、その人の人生を想像する。職業としてメディアを目指されるとき、そうした想像力=想いやる力があればいいですね。