死は、わたしたちにとって何物でもない。と言うのは、善いものも悪いものも、すべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである。したがって、死が私たちにとって何物でもないことを正しく認識すれば、その認識は、この可死的な生を、かえって楽しいものとしてくれる。と言うのは、その認識が、この生に対して限りない時間をつけ加えるからではなく、不死へのむなしい願いを取り除くからだ。
死はわたしたちに無関係である。なぜなら、わたしたちの存在するかぎり、死は現に存在せず、死が現に存在するときは、もはやわたしたちは存在しないのだから。
エピクロス
『快楽主義の哲学 (文春文庫)』澁澤龍彦
フィクションとノンフィクションを分けることに意味などあるだろうか。そんなものに意味のある世界であるなら私には必要がないのだと、理解してくれる人は少ない。常に夢の中にいるような精神状態を理解してくれる人はとても少ない。だけれど私の世界で、フィクションとノンフィクションの境目は曖昧なものとしてしか存在していない。曖昧でも存在しているそのことに意味があるのだろうか。だけれど私の中にある境界線は日々、その位置を変える。フィクションもノンフィクションも、そのどちらもが私で、そのどちらもが私ではないのだ。
特技 :夢を見ること。
属性 :文学乙女(not 少女)
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