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2009年03月01日
0藤津亮太のテレビとアニメの時代 ][ 第4回 個性的な日本テレビとNETの戦略 ]
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第4回 個性的な日本テレビとNETの戦略

藤津亮太

 まず第3回の補足から。
 前回「フジテレビはもともと開局以来、『母と子のフジテレビ』というキャッチフレーズに局の方針を置いていた。このフレーズがどのように出来たか、『タイムテーブルからみたフジテレビ35年史』を見ても説明をする記述はなかった」と書いた。
 これについてライターの小川びい氏より、ポニーキャニオンの「フジテレビ開局50周年記念 ドラマDVD発売WEBサイト」やフジテレビ元専務の村上七郎による『ロングラン』の回想録に言及があると指摘があった。

 そのWEBサイトには以下のような記述があった。
「開局からまもなく、あの有名なキャッチフレーズが生まれる。 そう、『母と子のフジテレビ』である。 発案者は、当時の編成部長の村上七郎氏。氏はニッポン放送時代、『婦人専門局』という編成方針を掲げて成功した実績があり、その路線を再び狙ったものと思 われる。先発局に追いつくには、『プロレスの日本テレビ』や『ドラマのTBS』に匹敵する、何か強烈なイメージを植えつけないといけないからである。」( http://www.ponycanyon.co.jp/fujitv50th/soken/

 ではこの方針はいつ打ち出されたのか。
 また、最近出版された『『鉄腕アトム』の時代 映像産業の攻防』(古田尚輝、世界思想社)は、フジテレビが開局3年目の1962年12月に出した「昭和38年度編成3大方針」を、「母と子のフジテレビ」路線のスタートとしている。
 この三大方針とは、1、お茶の間路線、2、番組の質的向上、3、企画の独自性の三本柱。このうちのお茶の間路線のキャッチフレーズが「母と子のフジテレビ」と名付けられたようだ。同書は、お茶の間路線と企画の独自性の両方することで、『鉄腕アトム』の放送が実現したとしている。
 ちなみに、同書は60年代のテレビ、映画、アニメーション産業を大きく俯瞰する貴重な視点の本なのだが、『鉄腕アトム』の広告代理店を「宣弘社」としたり(実際は萬年社)、いくつかの媒体で既に言及されている『アトム』放送までの経緯について、明言を避けた中途半端な記述をしていたりと、細部に解せないところが少々残念であった。

 さて今回は70年代前半の日本テレビとNET(現在のテレビ朝日)に注目したい。以下、日本テレビとNETが、その年に放送した新作アニメをリストにしてみた。また、参考として輸入アニメと特撮番組も併記した。

■'71年
【日本テレビ】(6本)
『いじわるばあさん』『タイガーマスク』『巨人の星』『アニメンタリー決断』『ルパン三世』『天才バカボン』
※『スーパーマン』
【NET】(3本)
『魔法のマコちゃん』『さるとびエっちゃん』『アパッチ野球軍』
※『仮面ライダー』『電子鳥人Uバード』

■'72年
【日本テレビ】(5本)
 『月光仮面』『新おばけのQ太郎』『天才バカボン』『アストロガンガー』『おんぶおばけ』
※『超人バロム・1』『サンダーマスク』
【NET】(2本)
『魔法使いチャッピー』『デビルマン』
※『ドボチョン一家の幽霊旅行』『変身忍者嵐』『仮面ライダー』『レインボーマン』『人造人間キカイダー』

■'73年
【日本テレビ】(4本)
 『ドラえもん』『おんぶおばけ』『侍ジャイアンツ』『冒険コロボックル』
※『流星人間ゾーン』『ファイヤーマン』『レッドバロン』
【NET】(7本)
 『バビル2世』『ジャングル黒べえ』『ミクロイドS』『ミラクル少女リミットちゃん』『空手バカ一代』『エースをねらえ!』『キューティーハニー』
※『ジャンボーグA』『レインボーマン』『キカイダー01』『イナズマン』『ダイヤモンド・アイ』『ジャンボーグA』『仮面ライダーV3』『キカイダー01』

■'74年
【日本テレビ】(3本)
『侍ジャイアンツ』『柔道賛歌』『宇宙戦艦ヤマト』
※『マッハバロン』
【NET】(5本)
『魔女っ子メグちゃん』『空手バカ一代』『新・みなしごハッチ』『カリメロ』『ジムボタン』
※『イナズマンF』『仮面ライダーX』『がんばれ!!ロボコン』

■'75年
【日本テレビ】(2本)
『ガンバの冒険』『元祖・天才バカボン』
【NET】(9本)
『魔女っ子メグちゃん』『カリメロ』『少年徳川家康』『勇者ライディーン』『はじめ人間ギャートルズ』『アンデスの少年ぺぺロの冒険』『みつばちマーヤの冒険』『宇宙の騎士テッカマン』『一休さん』
※『コンドールマン』『アクマイザー3』

 まず目を引くのは、'73年にNETが子供向け番組を大量に編成していること。
 これはおそらくこの年の11月にNETが、教育専門局から総合局へと変わったことと関係があるはずだ。
もともとNETは'57年、日本経済新聞社・東映・旺文社などの出資により、日本教育テレビとしてスタート。当初は、教育番組専門局ということで、教育・教養番組でほとんど編成するという縛りの中でスタートしたものの、経営的に苦戦。次第にアニメや外国映画を「子供の情操教育のため」「外国文化の紹介」という名目で放送するようになっていった。
 こうした外的な条件だけでなく、出資企業に映画会社の東映を持ち、さらに東映はその傘下に東映動画(現・東映アニメーション)を持つという、内的な条件が加わったことにより、NETはフジテレビに次ぐアニメの強いチャンネルとなったのだろう。
 そして正式に教育番組専門局の看板を下ろし、総合局となる情勢に合わせて、アニメを含む子供向け番組を強化したのが'73年の編成だったに違いない。'73年秋の改編では、TBSの『8時だョ!全員集合』対策として、土曜19時からの2時間を特撮番組3階建て+アニメという編成にしており、この子供番組の積極的登用にNETらしさがあるといえる。
 そして翌'74年に特撮番組が大幅に減り、アニメも微減しているのは、第二次怪獣ブームの終焉と、'73年秋のオイルショックの響が重なった結果であろう。
 一方日本テレビは、放送本数こそ少ないが、かなり個性的な番組を並べている。これには二つの理由が考えられる。
 一つは日本テレビのプロデューサー吉川斌が、先進的な企画に感心があったということがあるだろう。『ガンバの冒険』のDVD-BOXなどに特典としてつけられた書籍『メイキング オブ ガンバの冒険』には、児童文学原作という異色の企画をまず吉川斌プロデューサーに持っていったという記述がある(「総論 テレビアニメの冒険者たち」原口正宏)。
 もう一つの理由は、系列の準キー局であるよみうりテレビもまた、積極的にアニメを製作していたということだ。この時期の作品だと『冒険コロボックル』『タイガーマスク』『巨人の星』『ルパン三世』『宇宙戦艦ヤマト』『天才バカボン』などがよみうりテレビからの作品となっている。現在でも広く知られてる息の長いタイトルが、この時期、よみうりテレビから送り出されているというのはなかなか興味深い事実といえる。このあたり、誰かキーパーソンがいたのか、興味深い点である。

 前回と今回で'70年代前半のTVとアニメの状況をざっと俯瞰した。
 その上で実感するのは、'70年代前半を通じて、第二次怪獣ブームとアニメにより「19時台はアニメを含む子供番組」というイメージが強固に完成された、ということだ。
 そしてこのようなアニメとTVの関係は今後10年余りつづき、'80年代後半から次第にほころびていくことになる。

[筆者の紹介] 藤津亮太 (ふじつ・りょうた)
1968年生まれ。アニメ評論家。編集者などを経て、2000年よりフリーに。著書に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)。編著に『ガンダムの現場から』(キネマ旬報社)など。アニメ雑誌、そのほか各種媒体で執筆中。

ブログ:藤津亮太の 「只今徐行運転中」 http://blog.livedoor.jp/personap21/

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posted by animeanime at 2009.03.01
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