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水辺のルネサンス(1)淀川シジミ、漁復活へかける2009/03/04配信
2月中旬の淀川下流部、新淀川河口。小型漁船のかごに山積みされた直径約10センチメートルの玉を、大阪市漁業協同組合(大阪市)の組合員2人が川の中に投げ入れる。玉の正体は乳酸菌、酵母菌、光合成細菌といった有用微生物群(EM)を含んだ通称「元気玉」だ。 ●勝負の年に 培養槽で増やしたEMの原液を水で薄め、ぬか、もみ殻、糖みつなどを加えて発酵させ、泥で固める。乾燥させると表面はぱさぱさして、ジャガイモのようになる。狙いは「淀川シジミ」の復活。元気玉は1カ月以上、川底に滞留。玉の中の微生物がヘドロなどの汚泥を分解し、シジミの生育に適した砂地がよみがえる。 「今年は2年前のようにスーパーに出荷するだけでなく、直接販売もできるぐらいの漁獲量に戻したい」。投入作業を見つめながら、2004年からシジミ復活作戦を仕切ってきた北村光弘漁場環境委員長(40)は力を込める。今年は1度頓挫したシジミ復活を再び軌道に乗せる勝負の年だ。 1950年代までは新淀川の川幅は狭く、砂州や干潟が多かった。北村委員長の実兄、北村英一郎代表理事組合長(45)は「シジミは沿岸の住民が潮干狩りに出かけて食べていた」と話す。護岸工事や地盤沈下による砂州の縮小と、生活排水が流れ込んでヘドロが積もったことで、シジミの生息環境は悪化。65年に96トンだった漁獲量が81年には2トンに激減した。 シジミの名産地、島根県の宍道湖産稚貝を放流しても効果が見られず「川底の質そのものを変える」(北村組合長)ことに。03年にカキの漁獲量を増やすためEMダンゴを漁場に放り込んだ岡山県の漁協から、ヘドロがなくなる効果が出たことを聞きつけた。 釣り堀用プールをEM培養施設に改造。EMダンゴに「元気玉」と名付け、04年から毎月投入を続けた。福祉作業所や幼稚園などにも元気玉づくりを依頼。ペガサス住之江作業所(大阪市)の四方るみ子理事長(42)は「簡単な作業で環境に貢献でき、作業員もやる気満々だった」。
06年の漁獲量は118トンに。07年1月には砂地の地点が27カ所中17カ所に増えた。「潮干狩りのイベントなどで岸に家族連れが並んでいるのを見るとうれしかった」(北村委員長)。復活作戦は順調のように見えた。 ●貝毒でピンチ しかし、同年4月にシジミから国の規制値を超えるまひ性貝毒を検出。一時漁を休止し、貝毒を持ったシジミを増やさないため元気玉投入もやめた。すると、生命力の強いホトトギス貝が急激に繁殖したのと対照的に08年のシジミの漁獲量は約20トンで、復活前の水準に逆戻りした。 貝毒がないことを確認し復活作戦が再開したのは08年末。09年に合計約10万個の元気玉を隔月で投入し漁獲量を100トン程度にまで戻すのが目標だ。経費は市漁協が負担、北村委員長は「しんどいが漁場の環境を良くしていくのは我々の責任」と言い切る。 ペガサス作業所も改めて元気玉の製作を請け負う。「景気後退で障害者向けの仕事が減っているだけにありがたい」(四方理事長)。社会貢献としての役割も定着し始めた。 新淀川は海水が流入する汽水域で、潮の流れ次第で塩分濃度や水質が変化する。人の力だけでは環境改善に限界があるが、北村委員長は「シジミ漁だけで生計が立てられる漁師も現れるぐらいの、年間1000トン程度の漁獲量にするのが目標」と話す。シジミが大量に取れる豊かな漁場が再生してこそ「魚庭」の復活と言えるからだ。 (編集委員 一丸忠靖) ◎アユ取れる水準に回復 ▼淀川の水質と環境 淀川の水質は戦後、流域の人口増加に伴う生活排水量が増加したことに伴い、中流から新淀川など下流にかけて水質の悪化が進んだ。河川がきれいなほど値が低いBOD(生物化学的酸素要求量)で見ると、桂川、木津川と合流する地点で、1978年には浄水しなければ工業用水にも使用できない基準値の1リットル当たり5.0ミリグラムを超えていた。 下水道の普及などにより生活排水の流入が徐々に減少。91年以降は同地点で水道水に適格とされる3.0ミリグラムをクリアしており、2007年の計測値は2.0ミリグラムで、アユが取れる水準にまで回復している。 市漁協がシジミを復活させようとしている新淀川は明治時代に完成した。江戸時代までの淀川は下流で主に大川、中津川、神崎川の3つに蛇行しながら流れ、頻繁に大洪水を引き起こしていた。洪水防止のため1896年(明治29年)に内務省土木局が短時間で大量の水を処理できる新しい水路をつくる淀川改良工事を開始、1911年に完工した。
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