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新田版「騒動のあらすじ」の嘘と反論の予告

●015-06.6.9 新田版「騒動のあらすじ」の嘘と反論の予告

 これまでも述べてきたが、新田ブログにはあまりにも嘘や事実に反することが多い。デタラメな内容だが、何も知らない読者がそれによって誤導されかねない状況にある。6月6日の新田ブログには、「騒動のあらすじ」なるものが掲載された。新田氏の情報操作作戦は峠を越えたようなので、これから全面的に反論を展開することをここに予告しておく。
 本日は、手始めに、「騒動のあらすじ」なる文章のうち、<1.前史としての「教科書改訂問題」>と、<2.宮崎事務局長更迭問題>に書かれていることについて、その嘘を明らかにする。

■岡崎氏による部分修正の事実経過
 <1.前史としての「教科書改訂問題」>に書かれていることは、扶桑社の教科書編集担当者である真部栄一氏の話をもとにした歪曲である。まず、新田氏は、「改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導したのは藤岡信勝氏でした」と書いているが、そんなことはない。岡崎久彦氏は「新しい歴史教科書をつくる会」の名付け親であり、監修者に加わっていただくことは合意されていたことだ。

 次いで新田氏は、次のように書く。
 【岡崎氏の改定案の大部分が西尾氏の執筆箇所だったため、扶桑社の編集者は後から問題になることを大変心配し、その旨を藤岡氏に伝えました。すると、藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂された」と怒り出した、というのが真相のようです。】

 新田氏は事情も知らず、伝聞をもとに知ったかぶりをして書いているが、事実は次の通りである。まず、私は『改訂版 新しい歴史教科書』の代表執筆者であり、最終的に教科書の内容を全体として統一したものにする権限を与えられていた。初版の教科書では西尾氏がその立場だったので、西尾氏主導で大幅な書き換えや草稿の差し替えが行われた。それはそれで構わない。最終的には誰か一人に権限を与えなければ、統一性のある本は出来上がらない。私自身が、改訂版の作成過程で西尾氏や他の執筆者が執筆した部分を大幅に書き換えている。その際、いちいち初版の執筆者に了解をとることは一切していない。教科書編集とはそういうものである。どの教科書会社でも草稿が原型を留めないほど書き換えられることなどざらである。

 岡崎氏にはペリー来航以後の外交史をチェックしていただくことをお願いした。複数の担当者が執筆した外交史の部分を通読して検討すれば、前後の不整合や、記述の粗密、事実の誤りなどが発見される可能性がある。事実、外交史の専門家の立場から、岡崎氏にはかなりの修正箇所のご指摘をいただいた。それは決して西尾氏執筆の箇所だけに留まるものではない。もちろん、修正案を採用するかどうかは代表執筆者である私の判断であり責任である。私は編集方針として、旧版が反米的であったから親米的に路線を変えようとしたわけではなく、教科書の記述をより史実に忠実な、正確なものにしようとしただけである。そういう立場から考えて、岡崎氏の指摘は納得できたので採用させていただいた、という次第である。それによって教科書はよりよいものになったと私は確信している。
 
 先に述べた通り、私は教科書の改訂に当たって、初版の執筆者にいちいち了解を求めることはしていない。しかし、西尾氏の執筆箇所の修正に関しては、その一部について、もめごとになるかもしれないという懸念はあった。そこで、「西尾氏の了解を取る」という話になっていたかもしれない。結果として私はそれをしなかったので、西尾氏には申し訳ないという気持ちはある。しかし、一方で、原文の修正は代表執筆者の権限であるという意識が私にあったことも確かである。結果として言えば、私は西尾氏に事前の了解を求めないでよかったかも知れないと思っている。もし、そうしていれば、その時点で私たちの教科書は完成する前にもっと紛糾し、空中分解していた可能性もあるからである。

 改めて言う。教科書は集団執筆による作品であり、学習指導要領や文科省の検定による制約など、著者の意に沿わないところは無数に発生し得るような著作物である。全体の統一や整合性という点でも、草稿の部分的な書き換えはあり得る。その点は、担当執筆者に目をつぶっていただかなければならない局面がある。教科書を個人の思想の表現としての著作物と考えられては困る。個人の思想は、一般の著書でいくらでも表現できる。家永三郎が教科書検定を思想・表現の自由の侵害であり憲法違反であるとして訴訟を起こしたが、彼の思想は一般書籍でいくらでも表現できたし、事実そうしていたのである。それと同じことである。

 もちろん、教科書執筆者・監修者集団の中に様々な歴史観の持ち主がおり、個々の歴史事象についての評価も、場合によっては著しく異なることはあり得る。私自身、初版の制作段階から、微妙な綱渡りで切り抜けなければならない局面に何度も直面した。組織としてのつくる会そのものも同じ問題を抱えていた。多くの場合、私は調整役だった。双方から攻撃された。しかし、私が調整役を放棄したら、その時点で会が空中分解しただろうと思われる場面が何度もあった。そして、多くの場合、後では私が悪者にされている。私は教科書改善運動を呼びかけた立場だから、仕方のないことである。それは一身に背負わなければならない。西尾氏が調整役をしたケースも、もちろん無数にある。西尾氏も氏の人生においては異例とも思われる忍耐をされたケースがたくさんあることを私はよく知っている。そうした苦労を何も知らない新田氏が、党派的目的のために、いけしゃあしゃあと私や西尾氏をあらん限りの言葉を連ねて批判するのは許し難い傲慢である。

さて、いずれにせよ、西尾氏が問題にしている岡崎氏による部分修正の件は、最終責任が代表執筆者である私にあることは自明であり、そのことから逃げるつもりは毛頭ない。西尾氏には何とか了解していただきたいとは思うものの、西尾氏が改訂版には責任が持てないと言い、それを会を去る理由の一つにされるのなら、仕方のないことである。責任の取り方は人それぞれである。私としては、「西尾氏はご自身の納得のいく教科書をつくられるのなら、改訂版の代表執筆者を降りるべきではなかった」と申し上げるしかない。岡崎氏による教科書部分修正の事実経過は、以上の通りである。

■新田氏によるスリカエ
 問題は、新田氏の次の記述である。
 【その西尾氏の怒りは、岡崎氏が『中央公論』などで「今度の教科書は反米的な面が消えて大変よくなった」旨を書かれたことによって増幅され、理不尽なことに、長年教科書を担当してきた扶桑社の編集者である真部栄一氏へと向かい、次に、採択への影響を考えて、間に入って西尾氏を押さえた宮崎正治事務局長へと振り向けられることになって行きました。】

 この新田氏の記述では、事情を知らないまま、知り得たわずかな事実をもとに強引に因果関係としてつなぎ合わせたため、明らかな矛盾が生じている。

第一に、西尾氏が真部氏に怒ったのは、岡崎氏の修正が原因だったわけではない。そんな因果関係は全く存在しない。現に、『SAPIO』掲載の文章で西尾氏は、「それが扶桑社の意向なのか、その背後に何があるのかが分からない」と書いているではないか。真部氏が元兇だと西尾氏が認識し、それが真部氏への怒りの原因だとすれば、西尾氏は間違いなくそう書いたはずだ。(実際は「背後」には何もなく、事実経過は上述の通りであった。)

 では、西尾氏の真部氏に対する怒りの原因は何だったのか。それは、改訂版の編集過程で真部氏が『新しい歴史教科書』を東京書籍なみの教科書にしようとしていると西尾氏が認識したことにある。それ以外にも個人間のトラブルがあったかも知れないが、少なくとも公的に教科書編集に関わる限りでは、西尾氏が真部氏によって教科書の思想性が限りなく薄められると危機感を持ったことが原因である。当時、西尾氏はこのことを部外者を含めてかなり広く訴えて問題にしたし、すでに著書にも書いていることである。
 
 第二に、西尾氏は採択期間中にも岡崎氏への批判を公表するという構えを見せたが、遠藤副会長も私も、「採択への影響を考えて」、「西尾氏を押さえた」。新田氏によれば宮崎氏も同じ行動をとったそうだが、多くの人が西尾氏を押さえたというのが事実であって、西尾氏の怒りが宮崎氏にだけ向かったというのはあり得ない話である。西尾氏が宮崎更迭を考え始めたことと、この件は何の論理的つながりもないことである。

 そもそも、なぜ宮崎氏の更迭を考え始めたかについて、西尾氏自身がすでにブログその他に大量に書いているではないか。そこに書かれていることは、宮崎氏の事務局長としての適格性である。新田ストーリーでは、この論点は見事に消失する仕掛けになっている。そして、新田氏が設定した因果関係の証明に使われている論理が「理不尽なことに」という言葉である。笑ってしまう。

 では、なぜ、新田氏は、かくも不可思議なストーリーをこしらえなければならなかったのだろうか。もしも宮崎更迭問題を今回の内紛の起点に据えると、「宮崎氏は本当に事務局長として、その能力が適格であったのかなかったのか」について、検討しなくてはならなくなる。ところが、新田氏は、1月16日の理事会の後で、「宮崎氏は事務局長の器ではないな」と八木氏に漏らしていたのだから、彼も、宮崎氏擁護論には限界があると認識しているのである。そこで、あの奇妙な因果関係をこじつけたというわけである。

■「鈴木氏が事務局長職を狙っていた」という嘘
 さらに、<2.宮崎事務局長更迭問題>のパートでは、藤岡がつくる会を「共産党のような戦える組織に改めたい」と語ったことになっている。私の共産党党籍に関する謀略文書をつくり多数派工作にまで使った八木グループにふさわしいデマだが、もちろん私はこんなばかばかしいことを言ったことはないし、そもそも私は共産党をそれほど戦える組織だとは思っていない。ただ、共産党に限らず左翼の扶桑社教科書攻撃にかけるエネルギーの大きさは正確に認識しておかなければならない。
 
さて、このパートでもっともあくどい誹謗を受けているのが鈴木尚之氏である。新田氏の途方もない嘘は、私が書くよりも当の鈴木氏が発言して訂正した方がよい。以下は、鈴木氏に依頼して書いていただいた文章である。

 《本来、事務局にいる者は、理事間のやりとりに立ち入るべきではないと思っている。しかし、新田氏が私に関してあまりにひどい嘘と歪曲を書いており、「嘘も百ぺん言えば」ということになると困るので、あえて重要な部分だけ書くことにした。

 全体的なことを言えば、新田氏は、色々なことを書いて肝心の焦点をそらそうとしているのだと思う。

 八木氏や新田氏たちが理事会を去らなければならなかったのは、①党歴虚偽文書を使って藤岡氏を貶める行為を実際に行っていたこと、②西尾氏宅に送りつけた4通の脅迫ファックスの出所が八木氏たちであったこと、の重要な二点について全く釈明できなかったことが原因なのだが、新田氏はこの点を意識的に小さな問題にしようとしている様だ。中でも八木氏自身が公安調査庁の名を騙って、「藤岡氏は平成13年まで共産党員であった」と言いふらしていたことは間違いなく、「聞かれたから思わず言ってしまった」などという言い逃れが通るはずがない。これほど卑劣なことはない。

 これを頬被りしてやりすごそうとするなら、これは保守派言論人として、八木氏一生の傷となってしまうだろう。私は、その点を大変心配して八木氏に何度も忠告したのだが、藤岡氏の党歴情報が間違っていたのは、公安調査庁が悪いというような言い逃れをして、とうとう私の忠告に耳を貸さなかったのは残念なことであった。新田氏は八木氏をかばおうとしているのかもしれないが、結果として八木氏の足を引っ張っていることに気づかないのだろうか?

 また、私(鈴木)について言及している部分については、完全なピント外れだ。新田氏の文章を読んだが、新田氏はつまみ食いの天才の様だ。この文章の中で、八木氏の言として、私を貶めるようなことを書いているが、多分八木氏はこんなことは言っていないはずだ。

 私(鈴木)は、かつて宮崎氏を事務局長に推挙してきたのだし、「つくる会」を離れていた立場だったのだから、宮崎氏に対してどうこう言う立場にはなかった。ただ、昨年私立中学対策で一時「つくる会」の応援に入ったときに、月に一、二度、事務局の若手と安い居酒屋で一杯飲み交わすことがあった。そのときに、宮崎氏から「若い人を誘って飲みに行くことはやめてくれ。若い人の気持ちが鈴木さんの方にみんな傾いてしまう。それでは事務局長としての権威がなくなってしまう」と言われたことがあった。

 これに対して私は、「特定の者を誘っているわけではない。そのときに仕事が終わった都合のいい人を誘って、つくる会運動のことについて語り合っているだけなのだから、事務局長の立場がなくなってしまうということはあり得ないことだ」とこたえ、そのことを八木さんに話したことはあったが、宮崎氏を貶めるようなことは一言も言ったことがない。ただ、八木氏に、こんなことを言う宮崎氏は少しおかしいね、と言ったことはある。ただそれだけのことである。

 「事務局長の職を狙っていた」と言うに及んでは、全く話が逆だ。去年の秋から、八木氏は宮崎氏についての不足をあれこれ言い、私(鈴木)に事務局長として事務局に入って欲しいと言っていたが、私は事情が許さないので断り続けていたということが事実である。だから、八木氏がこんなことを言うはずがない。

 新田氏は自分に都合のよいことを勝手に言っているだけだ。私を悪者にしないと彼のストーリーがなりたたないのであろう。私はつくる会の分裂が左翼をよろこばせることになるので、分裂を防ぐために全力を尽くしてきた。このことは八木氏が一番よく知っていることである。

上記①②の2つの事件が西尾氏によって『SAPIO』誌上で公表されてしまった以上、この問題に決着をつけない限り、八木氏は今後何も出来なくなるという重大事に気づくべきだ。私は彼を惜しむが故にあえてこう言いたい。》


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[政策・思想]つくる会内紛――卜伝悟空先生、必死の反撃も、新田先生に即日返り討ちに遭っていた。(The Perfect Blog 2006-06-09 23:42)

http://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2006-06-09 藤岡信勝先生は、富士見いおた氏を超えた。正論大賞に続いて、最優秀自作自演男優賞が確定。 >教科書は集団執筆による作品であり、(中略)草稿の部分的な書き換えはあり得る。 &g…[続く]

★新田均は「コメント欄アラシ」かもよ....。(★マチコの日記ー「こんな女に誰がした…。」★ 2006-06-09 10:26)

●論争相手のブログのコメント欄に、しつこく「訂正・謝罪」要求を書きこみ続ける新田均センセイは、「大丈夫」だろうか。しかもこの大センセイは、電話音声の録音テープや会議の録音テープを持っているらしく、さかんにそれを公開する用意があると脅迫している。なんだか、共産党と草加学界の「お笑い…[続く]

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