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李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請

芹沢昇雄2009/03/04
埼玉県平和資料館が年表表記で「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き替えた問題で元従軍慰安婦の李容洙さんが来日、同館を訪れ抗議と表記の復元を申し入れた。しかし、館は譲らず関係機関に李さんの来館とその要望を伝えると回答しただけであった。李さんはその後の講演でこれまでの辛い人生を語り、自分は責任追及に来たのではなく、韓国に「過ちは許すが忘れない」という言葉があるように、歴史を隠さず事実をしっかり後世に伝えて欲しいのですと訴えた。
埼玉 戦争 NA
 06年6月、「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はいかなった」との上田知事の県議会答弁を受け(館長は「館の自己判断」と否定)、東松山市の埼玉県平和資料館が年表表記の「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き替えたことで、米下院でも証言した元従軍慰安婦とされた李容洙さんが3月1日、同館を訪れ文書で「要望書」を手渡し抗議と共に表記を復元するよう申し入れた。

李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請 | 『隠蔽箇所』を指摘する李容洙さん(県平和資料館で筆者写す)
『隠蔽箇所』を指摘する李容洙さん(県平和資料館で筆者写す)
 この問題の発端は知事の議会答弁から始まり、館はその直後に「運営協議会」(第三者機関)に提案したが、当初、書換えに賛成の意見はなく女性委員からは女性の立場から「『いわゆる』という言葉などを入れてでも残して欲しい」との発言もあったが、その後、何度かの「運営協議会」を経て最終的に館の判断で書き替えた。

 「上田知事の歴史認識を問う県民連絡会」や「埼玉県平和資料館を考える会」などが、「単なる『慰安婦』で強制の事実があった事が伝わらない」と元の表現に戻すよう再三申し入れや面談をしてきた。

 しかし、館は「慰安婦の表現には強制の事実も含む」との解釈を譲らず今日に至っている。今回、改めてご本人の証言と声を館に訴えるため李容洙さんが来日し、自ら拉致の体験とその苦しかった人生を語り、表記を復元するよう強く訴えた。「なぜ、高齢の私が韓国から来てお願いしなくてはならないのか」とも訴えた。

 しかし、館は譲らず休憩後、館から「運営協議会に李容洙さんの来館とその要望、運営協議会での発言要請があった事を伝える」との回答があった。

李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請 | 「このように首を絞められ、日本兵に拉致された」と説明する李容洙さん(県平和資料館で)
「このように首を絞められ、日本兵に拉致された」と説明する李容洙さん(県平和資料館で)
 
 その後、同市内の「市民活動センター」に移り、「3・1独立宣言90周年 『従軍慰安婦』問題を問う3・1市民集会」が開かれ147人が参加し、「県資料館」での面談報告や、李容洙さんの講演(証言)があった。

 当時15歳だった李容洙さんは80歳になり、日本兵に拉致された当時の話しから始まり、日本兵の乗った船底に他の女性たちと詰め込まれ、1946年に帰国するまでの生活や、その後、現在に至るまでの苦しい辛い人生を証言した。

 韓国には「過ちは許すが忘れない」という言葉があり、李容洙さんは責任追及に来たのではなく、その歴史を隠さず事実をしっかり後世に伝えて欲しいと訴えた。


(記者私見)
 李容洙さんは抗議や責任追及に来たのではなく、「事実を隠さず教訓として生かすために、後世に伝えて欲しい」と県資料館を訪れた。しかし、同席した私は館側の態度に憤りと共に、日本人として情けなく恥ずかしく思った。

李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請 | (左から)副館長、通訳、宍戸信敏館長、学芸員
(左から)副館長、通訳、宍戸信敏館長、学芸員
 市民団体側が「広辞苑」の表記や和田春樹(東大名誉教授)、吉見義明(中央大学教授)、西野瑠美子(WAM館長)の各氏も「従軍慰安婦」と「慰安婦」は違うと主張しうると指摘しても、「私たちはそう思わない」と鉄面皮であった。田母神・元空幕長が先の戦争を「侵略戦争とは濡れ衣」と公然と発言しても実質処分無しであった。

 李容洙さんは「過ちは許すが忘れない」と言ったが、中国にも「前事之忘 後事之師」(前の事を忘れず、後の教えとせよ)と言う言葉がある。

 敗戦40周年のドイツのヴァイツゼッカー元大統領の国会演説、『問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけがりません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。』との言葉を、この国はしっかり噛みしめるべきである。

【時系列】
埼玉・上田知事「従軍慰安婦はいなかった」と議会答弁
埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議
米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」
埼玉県平和資料館・南京大虐殺「隠蔽」のなか、運営協議会開催
「従軍慰安婦」から「慰安婦」に書き換え 埼玉県平和資料館
「慰安婦」書き換えの埼玉県立平和資料館長と面談
埼玉県平和資料館「慰安婦表記」問題、復元に「否」
「従軍慰安婦書き換え問題」で市民が埼玉県平和資料館に申し入れ

※写真はクリックで拡大します。
李容洙さんが『従軍慰安婦』隠蔽の資料館に復元を要請 | 会場いっぱいの「集会参加者」
会場いっぱいの「集会参加者」

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[41916] 未だに強制連行に固執してる人がいるとは・・・
名前:新井秦基
日時:2009/03/04 17:59
> オランダ領インドネシア、スマランではオランダ人少女達が母親達
>の猛烈な抵抗にも係わらず、日本軍によって「強制連行」されています。
>戦後、オランダ領インドネシアにおける軍事裁判で日本軍の将校一人は
>死刑になり、其の他の兵士達も戦犯として判決が下っています。


いわゆるスマラン事件ですね。
今後異なる証拠が出てくれば別ですけど、これは恐らく事実です。
従軍慰安婦否定派でも、この事件自体を否定する人はまずいません。


但し、重要なことを三つ指摘しておきます。


第一に、日本軍の組織的な犯行ではないということです。
以前、朝鮮学校の生徒が集団的な強姦事件を犯したことがありあますが、
これが朝鮮学校及び朝鮮人全体の犯罪として扱われないことと同じ話で
す。道義的な責任は別として、個人でやったのか組織的にやったのかは
キチンと峻別しなければなりません。


第二に、朝鮮人の慰安婦とは無関係と言うことです。
朝鮮人の従軍慰安婦問題を論じていると、スマラン事件を証拠として提示
してくる人が多いのですが、個々の事件はそれぞれに検討すべきであり、
スマラン事件があったから朝鮮人従軍慰安婦の強制連行も事実だという論
理展開にはなりません。北朝鮮が数人の拉致を自白したからといって、全
ての北朝鮮の反抗と思しき行方不明者を北朝鮮の犯罪と決め付けていいわ
けではないのと同じです。
逆に言うと、スマラン事件くらいしかキチンと立証できていないというこ
とでもあるのですが。


第三に、「母親達の猛烈な抵抗にも係らず」との指摘に関してです。
当然の話なんですが、軍隊が一般人の娘さんを誘拐しようものならば、猛
烈な抵抗にあうはずです。wikipediaによると、スマラン事件の被害者は3
5人だそうですが、この人数でも家族による抵抗が明らかになっています。
一方で、朝鮮人従軍慰安婦に関してこのような抵抗運動があったことは私
は聞いたことがありません。菅田さんは聞いたことがありますか?
 朝鮮人従軍慰安婦は、スマラン事件なんか比べ物にならないほどの規模の
はずです。吉見義明教授によれば、確か8万人以上と言っていた記憶があり
ますが。これだけ大規模な強制連行があれば、個々の抵抗運動はもちろんの
こと、全土的な反対運動に発展してもおかしくありませんというかならなけ
ればおかしいです。それとも朝鮮人は娘が強制連行されても大人しく黙って
いる情けない民族なんですか?バカにするのもいい加減にしてください。
これは済洲島のご老人が実際に発言されていたことですが、「朝鮮人女性の
拉致があったら島を挙げて抵抗して守る。バカにしないでくれ」とのことで
した。
 朝鮮人の中には独立を目指してテロを行っていた者も多数いました。彼ら
の耳にだって入らないわけがないでしょう。「同胞女性を慰み者にするウェ
ノムを叩き潰せ」という運動に発展しないのは何故なんでしょうか。


 百歩譲って、日本統治時代は従軍慰安婦のことを黙っていたことはよしと
しても、日韓国交正常化の時に話題にならないのは何故なのでしょうか。韓
国は日本から金を引き出したかったのであって、従軍慰安婦の強制連行が事
実ならばいいネタになります。「一人当たり○○円として、8万人居たのだ
から○○億円よこせ」となるはずでしょう。


更に百歩譲って韓国政府が黙っていたとしても、韓国の一般国民が黙ってる
はずはありません。まさか、自分の娘が誘拐されているのに、それも全国各
地で数万人規模で誘拐されてるのに気付かないんですか?そんなバカな。
日韓基本条約締結時には、政府に対して国民から色々な要望やら反発やらが
来てますよ。その中には、「政府は従軍慰安婦のことを黙殺しようとしてい
るようだが、我々は許さないぞ」という声があって然るべきです。しかし、
そんな声は一つも聞いたことがありません。


譲りに譲ってもう百歩譲ります。
従軍慰安婦問題が大きな話題となったのは、1990年代初頭、朝日新聞社
が一大キャンペーンをはり始めてからの話です。このキャンペーンを担当し
たのは、当時韓国特派員だった植村隆記者です。彼の記事によると、「日本
軍は朝鮮人女性を挺身隊と言う名目で大量に強制連行し、従軍慰安婦として
日本兵の性欲処理にあたらせた」とされます。しかしながら、挺身隊という
名目で朝鮮人女性を慰安婦にした事実は全く確認されていませんし、両者は
完全に別物です(なお、韓国ではこの記事が元で、挺身隊=従軍慰安婦と認
識されています。翻訳するときも同様であり両者は完全に同じものとして扱
われています)。韓国ではこの記事に触発されて大騒ぎになっていますが、
わざわざ外国の新聞社に指摘されないと、自分の娘や自国民が誘拐されてい
るのも気付かないほど朝鮮人はバカなんですか?そんなわけないでしょう。
横田恵さんや蓮池さんたちだって、マスコミや左翼政治家が無視し続けてき
た事実はありますが、ずーっと探し続けられてきました。朝鮮人従軍慰安婦
にはこのような事実はありません。


・・・と、譲りすぎましたが、単に「従軍慰安婦の強制連行の証拠がない」と言っ
てるわけではなくて、強制連行を事実と仮定した場合に、矛盾点や疑問点など
が多すぎるんですよ。もちろん、李容洙さん自身の証言がコロコロ変わって
信用できないという点もあるんですけど、それよりも全体的な整合性がない
んですよ。


この点、北朝鮮による拉致問題の場合は整合性があります。
日本海側で発生している。身近に朝鮮総連関係者がいる。身寄りがない。一
人で歩いていた。脱北者が証言している。当人から手紙が届いた。不審船が
多数目撃されている。
色々と証拠やら証言やらを集めてみると、一本の糸で繋がります。「ああこ
ういうことか」と納得できる。しかも、後からドンドンそれを補強する証拠
が出てくるわけです。
そういった「一本の糸で繋がる」ということが、従軍慰安婦問題の場合はな
いんですよ。「糸が繋がっていることは重要じゃない」とか「この糸は繋が
っていないが別の糸は繋がっている」とか妙な言い訳ばかり。


じゃあ、従軍慰安婦問題とは何だったのか。
シンプルに答えを提示します。


元々朝鮮にはキーセンという職業がありましたが、これは長らく中国の属国
だった朝鮮が美女を中国に献上したのがルーツです。日本で言うと芸者が比
較的近いでしょうか。旧日本軍が日本兵の性欲処理のためにこれを利用した。
従軍慰安婦問題の真実と言うのはこれだけの話です。
それを朝日新聞がイデオロギー目的から強制連行という話を作り上げ、一大
キャンペーンをはり、韓国人・朝鮮人をあおり国際問題に仕立て上げた、と
いうのが実態です。勝手な作り話ですから、上記の指摘の通り、あちこちで
綻びが生じ全体的な整合性がありません。
そして、イデオロギーに固執している人たちが未だに「強制連行は問題じゃ
ない」とか「スマラン事件があったので朝鮮人強制連行も事実だ」と別の事
件を持ち出したりして悪あがきしているというのが実態です。



> サンフランシスコ条約で、日本は全ての軍事裁判の結果を受け入れ
>ると表明し、国際社会に復帰したのですから、「オランダ人少女を強制
>連行し、従軍慰安婦にした」という事実は今の日本政府が認めている事
>なんですよ。そうでなければ、サンフランシスコ条約は一部は受け入れな
>いと政府は国民に信を問い、それを声明を出せば良いのでは。そうなれば
>日本国民全体が歴史的物笑いになり、国際社会から軽蔑されても仕方がな
>いでしょう。


朝鮮人従軍慰安婦の問題は、サンフランシスコ講和条約に含まれておりません。



> オランダ人女性については強制連行をしたが、韓国人、中国人など
>他のアジア諸国では「強制連行をしないでただ従軍慰安婦という拘束
>して戦場を強制的に連れ回し、慰安所において兵隊の性欲処理に従事
>させ、逃げることも許さなかった」
> と言う事実の中にいくつ強制という文字が入れられると思うのですか?
>連行時に強制を表す公文書の存在がなくとも、元従軍慰安婦女性の証言
>を真面目に聞けば、強制連行を具体的に証拠立てる公文書の存在がなく
>とも、強制連行の事実は歴史的事実なのです。


既に指摘したとおり、公文書の存在は問題にしておりません。
「被害者」の証言及び強制連行を事実と仮定した場合の全体的な整合性が
ないことが問題です。



> オランダの軍司裁判判決などの記録文書はもう公開されています。
>強制というのは手段の種類に係わらず、拘束して日本軍兵士の性欲処
>理行為を強制させ、それを拒否することが出来なかった事全体を言う
>べきなのです。


繰り返しますが、スマラン事件はスマラン事件です。
朝鮮人従軍慰安婦の強制連行を立証するものではありません。


以上、非常に長くなりましたが、従軍慰安婦問題の強制連行を主張する人た
ちがこれ以上出てこないように止めを刺してみました。
異論があればどうぞ。最後までお付き合いします。
但し、感情論に訴えたり、別の事件を持ち出したり、無理な論理展開はお控
えください。


最後に、朝鮮系日本人のプロレスラー前田日明氏の言葉を送ります。


>(従軍慰安婦問題に関して)俺は、やむをえなかったというのも、
>一方では確かなことだったという気がするんですよ。当時、東北の
>農村なんか本当に貧しかったわけでしょう。日本の娘も遊郭に売ら
>れれることは珍しくなかった。それは朝鮮半島も同じだった。そう
>いう現実を前にして「親には考を尽くす」という価値観のなか、親
>がそうしたのか、子供がみずからそうしたのか、それはもうさまざ
>まだったろうけれども、逃れられない運命のようなものに、人も国
>家も翻弄されたというのが実相だったんじゃないかと思うんです。
>確かにその舞台が戦場と言うことで、いっそう悲惨になったのは間
>違いないけれど。 (別冊正論より)
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[41911] 慰安婦はいなかった。従軍慰安婦だけが本当の存在だった。
名前:菅田一郎
日時:2009/03/04 16:48
 どうやら、埼玉県では第2次世界大戦の事ど何もご存じない人ばかりなのでしょうかね。


 従軍しない慰安婦の存在?私は寡聞にして知らないので何方か例示していただければ有り難いと思います。いた可能性については否定しませんので。


 問題は日本軍とともに行動し、戦場を連れ回されアジア大陸各地に設置された「慰安所」に拘束され、兵士の性欲処理業を強制された女性達は確実にいたという事です。


 従軍看護婦もいましたが、ただの看護婦もいます。しかし、物事の本質をみるには、実際に、言葉の上だけでなく、どういう事実であるかと言うことから定義付けを行い、固有の言い方については合理的な根拠についても理解する必要があります。


 慰安所に拘束された人イコール別名従軍慰安婦として最初に定着していれば慰安婦だけでその本質性を表す言葉として用いられても良いかと思います。慰安婦という言葉は第2次世界大戦で日本がアジア各国の女性達に科した、極度に残酷な戦争犯罪であるという本質性が明瞭に意味されればあえて従軍慰安婦という言葉は生まれなかったかも知れません。


 しかし、歴史はそうではありません。千田夏光の小説の題名にまで使われた「従軍慰安婦」という言葉が戦後早くも使われて、それ自体「従軍慰安婦」の早期の定着を証明していると思われます。「従軍慰安婦」と聞けば元兵士達はすぐにわかり、「慰安婦」と聞けば「従軍慰安婦」の事以外思い浮かばなかったはずです。


 「従軍慰安婦」という言葉で特別に従軍しない「慰安婦」の存在をあえて考える兵士はいたとは思えません。兵士達は「慰安婦」と言えば戦場に作られた慰安所に拘束された慰安婦の事であると理解されたと思います。それを固有名詞として日本では従軍慰安婦と言うようになったと思います。


 もう一つ考えます。外国人女性、特に朝鮮半島出身者女性が「従軍慰安婦」の多数を占めている事に注目しなければなりません。彼女たちは連行されて拘束された場所は戦場であり、相手は兵士で性欲処理の対価は軍票であったり戦場でしか使われないチケットの様なものであり、日本や中国の通貨でもなく、又、彼女たちの行為は、当時においても一般的性産業における性産業行為とは著しく大きな差があります。


 日本軍の犯した戦争行為が原因であり、また、その独特で他とは比較にならない業務については固有の名前で呼ぶべきであり、戦争とは切り離せない言葉で呼ぶべきだと思います。それは戦争被害者でもある彼女たちにとってては今では固有のそして特別な戦争犯罪被害を意味する物でなければならないのです。彼女たちのプライドにも係わることだと思います。


 さらに、慰安婦はいたが従軍慰安婦はいなかったという発言はただの暴論を通り越して、インテリジェンスの大幅な欠如を思わずにはおれません。慰安婦達の従軍行為は取り消すことの出来ない事実です。兵士達が前線から返ってきたとき、列をなして慰安所の前に並ぶという姿はおぞましいという人もいるかと思われますが、これは立派な戦闘行為だと見なければなりません。


 何故なら、慰安所設置がそもそも日本軍の軍紀が乱れきって現地の女性に対する強姦が後を絶たないと言うことを理由の一つとしていたからです。戦争遂行目的で設置された施設で性労働を強要された女性達には正に「従軍慰安婦」と呼称するべきです。


 もう一つ言えば彼女らは戦争犯罪被害者なのです。この事自体争いはないはずです。日本での多くの裁判の判決がそれを示しています。彼女らの被害を認めていながら判決は公訴時効や国家無問責の論理を持ち出して具体的な賠償の責任を否定しています。


 こういう事実が日本を益々世界から軽蔑される存在にしているにも係わらず従軍慰安婦どころか慰安婦という呼び換えによって存在自体を否定しようという自治体が日本にはあるという事にもなりかねません。日本は各国から従軍慰安婦に対する謝罪を求められており、それに、答えていません。自治体や資料館だったらむしろ逆の行為をとるべきなのに、いったい何を考えているのでしょう。
[返信する]
[41908] それは
名前:菅田一郎
日時:2009/03/04 15:34
新井さん
 芹沢さんとのやりとりはともかく、従軍慰安婦達の主張する強制連行に関しては、それを具体的に示す公文書などの存在はまだ見つかっていない。

 という事を貴方が恣意的に解していませんか?


 オランダ領インドネシア、スマランではオランダ人少女達が母親達の猛烈な抵抗にも係わらず、日本軍によって「強制連行」されています。戦後、オランダ領インドネシアにおける軍事裁判で日本軍の将校一人は死刑になり、其の他の兵士達も戦犯として判決が下っています。


 サンフランシスコ条約で、日本は全ての軍事裁判の結果を受け入れると表明し、国際社会に復帰したのですから、「オランダ人少女を強制連行し、従軍慰安婦にした」という事実は今の日本政府が認めている事なんですよ。そうでなければ、サンフランシスコ条約は一部は受け入れないと政府は国民に信を問い、それを声明を出せば良いのでは。そうなれば日本国民全体が歴史的物笑いになり、国際社会から軽蔑されても仕方がないでしょう。


 オランダ人女性については強制連行をしたが、韓国人、中国人など他のアジア諸国では「強制連行をしないでただ従軍慰安婦という拘束して戦場を強制的に連れ回し、慰安所において兵隊の性欲処理に従事させ、逃げることも許さなかった」


 と言う事実の中にいくつ強制という文字が入れられると思うのですか?連行時に強制を表す公文書の存在がなくとも、元従軍慰安婦女性の証言を真面目に聞けば、強制連行を具体的に証拠立てる公文書の存在がなくとも、強制連行の事実は歴史的事実なのです。


 オランダの軍司裁判判決などの記録文書はもう公開されています。強制というのは手段の種類に係わらず、拘束して日本軍兵士の性欲処理行為を強制させ、それを拒否することが出来なかった事全体を言うべきなのです。


芹沢さん
 勝手に発言させて戴きましたが、今でもまだそういう問題が起きるとは日本人として恥ずべき事で残念です。


 


[返信する]
[41898] 強制は問題じゃないと言ったり強制が問題なんだと言ったり
名前:新井秦基
日時:2009/03/04 11:19
>「上田知事の歴史認識を問う県民連絡会」や「埼玉県平和資
>料館を考える会」などが、「単なる『慰安婦』で強制の事実
>があった事が伝わらない」と元の表現に戻すよう再三申し入
>れや面談をしてきた。


いつぞやの芹澤さんとのやりとりで、「従軍慰安婦の強制連行は確かに存在しない。だけどそれが問題なのではない」という言質を引き出した記憶があるんですけど。


[返信する]

3月1日〜7日 

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