< 難キ連事務局から> |
★「難キ連、って何ですか?」とはよく聞かれる質問です。難民・移住労働者問題キリスト教連絡会難キ連とは…? 難民・移住労働者問題に取り組むキリスト教関係者のネットワーク。1989年 難民船の西日本への漂着をめぐる排外キャンペーンのさなかに、この問題との取り組みを、市民レベルだけでなく、教会に広げ深めたいと願って発足しました。 活動についてのご質問等は 難キ連事務局までお問い合わせください。 また、難キ連ニュースレター「となりびと」 33号を無料で配布いたします。お気軽に事務局へお申し込みください。 難キ連事務局 TEL (03)3207−7801 FAX (03)3207−7803 携帯 090−6012−8252 EMAIL:nankirensato@jcom.home.ne.jp |
事務局 デスク
2009年3月4日 月曜日
春を目前にして異常なまでの寒さ、2月はじめインフルエンザを患って以来、頻脈で救急点滴を受けたり、今朝から寒気と喉の痛み、なんとも心細い健康状態の身には堪える寒さです。雪が降りしきる昨日夕刻、カトリックオープンハウスのKシスターより留守電が入っている事に気が付きました。早速、聞いてみると、難キ連で相談を受け、居住地域が群馬県と言う事でお願いした難民のケースの事でした。スリランカ難民の女性が、東京のとある警察で任意で取調べを受けていると言う事、場合によっては収容もありうる、との担当刑事の話になす術もなく、とにかく本人の携帯に電話をしてみてください、と言った内容でした。Kシスターに早速電話をして詳細を確認、本人の携帯電話に掛けてみたところ、すぐ本人が出て、入管出頭の帰途職務質問で提示したパスポートの在留期限が切れていた事でつかまった、家には病気で寝ている子供がいる、早く返すように頼んでくれ、と涙交じりの声で訴える。担当刑事の方に代わってもらって、本人は難民申請をしている事、しかし不認定になり異議申し立てを行おうとしていることを話し、なぜ捕らえられたのか聞きましたところ、パスポートのビザの期限が切れている事からオーバースティの疑いで任意の取り調べであり、入管と今連絡を取っているところ、との事。
「彼女に関しては難キ連も相談を受けた上でカトリックオーオープンセンターが現在相談対応をしています。仮滞在許可と言う制度もあり、本人がそれを受けていないか確認してほしい。とにかく人道的に善処してほしい」旨お願いいたしました。担当刑事も丁寧な対応でシンハラ語の通訳も頼んで、今からインタビューをするところで、入管とも連絡を取り、今、どのような状況にあるかを確認した上で人道的に対処を心がけています、しかし、収容もないとは言い切れません。との回答を得ました。とにかく、病気の子供が言葉もわからず自宅で待っている事を考慮してくれるよう再三お願いして電話を置きました。11時半過ぎ、Kシスターよりまた留守電が入っており「無事に開放されて自宅に戻ったと連絡を受けました。同行の同国人男性は留め置かれているとの事です」。ホット致しました。迫害から逃れ日本に庇護を求めてやってきた難民も、日本の難民認定は極端に少なく、第3国へ出国したリ人道配慮の在留特別許可が出る難民はまだ幸運で、多くはなかなか人道的配慮を認められず、不認定によりオーバースティとひとくくりにされ収容されるのです。入管収容,被収容者面会は多くの難民申請者も収容されているところから正確な聞き取りが必要と始められ、10年になります。しかし、このところ、余りに忙しく、牛久市にある入管センターには、多くの難民からの面会要請があるにもかかわらず、なかなか面会にいけない状態にあります。急増する難民の状況も楽観できない状況にあるのです。
さて、3月1日の事務局便りに早速ご意見を頂戴しました。多くの方々がオーバースティの子供達の救済支援に対し、賛否は別にして関心を持ってくださることをありがたいと思っております。早速、返信のメールを差し上げておりますが、下記に貼り付け致しました。
(メール返信内容を皆さんに共有いただきたく貼り付けるのですが技術的な問題と思うのですがアップできませんでした。次号のニュースレター等で紹介させていただきます)
叫びを聞く
渡辺 英俊
「寄留者を虐待したり、圧迫してはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」
(レビ 22章20)
私の伝道所で、10数年にわたって礼拝を共にしてきた外国籍のメンバー一家が、
入管の「摘発」を受け、退去強制されました。上の子どもが小学校6年、
卒業寸前という時期になってのことです。下の子は生後3週間で父親が収容され、
送還されたときには生後2ヶ月でした。まじめに働いて、いくつもの技術の認定を受けており、
住民税も自分から申告して払ってきました。子どもが中学生になったら在留特別許可の申請をして、
安心して暮らせるようにしてあげようと準備を重ねていたのが、無になりました。
子どもの権利条約は、締約国のすべての公的・私的機関の活動は、
「児童の最善の利益をはかることが第1義的に考慮されなければならない」と規定しています。
また、子どもの教育を受ける権利を認めています。もし「違法」を咎められるのなら、
国際条約を法として守っていない政府の違法が咎められなければならないでしょう。
また、入管法上の在留資格がないまま日本に住んでいたことが違法と咎められるのなら、
海外からの労働力に依存して成り立ってきた日本の経済の現実に合わない「法」を放置してきた、
政府の不作為の罪こそ問われるべきでしょう。この国は、政府の怠慢や政策の誤りのしわ寄せを、
最も弱い立場の当事者に負わせて苦しめ、咎めなくてもだれにも迷惑をかけていない
「違法」を咎めるために、税金と労力を無駄遣いしているのです。
今、アメリカ発の世界不況のあおりで、派遣労働者の首切りが大きな社会問題になっています。
日本人の労働者の失業が大きくなってメディアが騒ぎ始めましたが、外国籍の労働者、
とくに1989〜90年に一挙に導入されて以後年々増えてきた日系ラテンアメリカ人労働者は、
来日の初めから「派遣労働者」として雇用されてきたのです。
日本の自動車産業が輸出の主力として日本経済の「繁栄」を引っぱってきた陰には、
不安定な雇用条件の下で懸命に働いてきた、外国籍労働者の力があったのです。
ところが、ひとたび「不況」の声がかかると、真っ先に切り捨てられる派遣労働者の、
その最先端で外国籍の派遣労働者が大量首切りを受けているのです。
解雇されると家族で住んでいた社宅から追い出されるために、野宿に追いやられ、
幼児が凍死したというニュースさえ伝わってきます。
この国の社会の冷たさは、真っ先に最も弱い立場の人びとの上に降りかかります。
この人びとの叫びが、教会の耳に届いているでしょうか。
「知りません。わたしが彼らの番人でしょうか」(創世記4:9)というカインのせりふを、
教会は愛用してきたのではないでしょうか。
「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」(マタイ25:45)
というのは、今、教会に語りかけられている神の言葉ではないでしょうか。
(わたなべ・ひでとし : 日本キリスト教団なか伝道所牧師・移住労働者と連帯する全国ネットワーク共同代表・難キ連運営委員)
2009年3月1日 日曜日
日本基督教団代々木上原教会の皆さんによって立ち上げられた難キ連サポーターズのウェブサイトに、昨年12月にお願いいたしましたオーバースティのフィリピン人家族の署名依頼につきまして、2000筆のご署名を頂戴する一方で、多くのご批判も拝受いたしました。
難キ連サポーターズの皆さんには、コンサートの散らし作成、またニュースレターの発送のお手伝いを戴き、毎年春のマーマレード作り販売売り上げの教会学校の皆さんからの献金など、物心両面からご支援いただいております。しかし、様々なご批判に苦慮されていると御知らせ戴き、早速、難キ連のスタンスをお送りいたしました。以下は、難キ連サポーターズウェブサイト管理人M様へお送りしたメール全文です。
M様、
いつもご支援、お働きに心から感謝いたしております。ニュースレターの発送、コンサートへのご来場誠に有難うございました。
さて、アルバレスさんご一家への署名のご協力へのお願いが、Mさんやサポーターズの皆さんにも、ご心痛と対応へのご苦労をおかけしております事をメール拝読し、大変申し訳なく思って心を痛めております。
12月に、署名をお願いいたしまして、12月21日には同じような状況にある子供達のために支援団体が情報を交換と言う事でキリスト教会館に集まりましたが、その折にカルデロンさん一家、そして私どもが支援しているアルバレス一家が顔を合わせました。また、大阪、神奈川、と予想以上の家族が集まりました。(この集会につきましてはTBSニュースでも報道)
しかし、彼らへの支援につきましては難キ連のメールにもご批判を頂戴しましたし、またカルデロンさんの弁護士、渡辺彰吾先生のところへも
批判のメールが殺到しているそうです。
>
批判の要旨はこういう事です。
> 1.不法就労者は犯罪者なのだから、法に従って処分されるのは当然。
>
2.「かわいそうな子ども」を前面に出して同情を買おうとするやり方は問題のすり替えだ。
> 3.
不法入国した人々を日本に在留させることが、なぜ人権を守ることになるのか、背景の説明がない。
>
Tさんにも大変お世話になりまして発送いたしました難キ連ニュースレター35号をメール添付させていただきましたが、ご寄稿いただきました
日本基督教団なか伝道所牧師で移住労働者と連帯する全国ネットワーク「移住連」共同代表の渡辺英俊先生の「叫びを聞く」が、御批判の要旨の1〜3への難キ連としてのスタンスを一番如実に著してくださっていると考えております。
編集後記では字数の関係で多くは掲載できなかったのですが掲載できなかった難キ連の考えを以下にまとめました。また長くなりますがその下に渡辺先生のご寄稿を貼り付けました。サポーターズのサイトにご掲載頂ければ幸いです。私どもは現行の「出入国管理法ならびに難民認定法」の改正を求めております。今回のカルデロンさん一家に発した子供の問題は現在の日本の外国人を受け容れる法律が如何にあるべきかを国民全てが考える機会になってほしいと願っております。
<以下難キ連の回答>
1月14日、カルデロン一家に、2月13日までの再度の仮放免許可が出された入管の判定について報道されました。
@ フィリピンで親子三人暮らすか
A ノリコちゃんを残して両親が帰国するか
どちらにしても、日本で生まれ、日本語しか話せない13歳の少女と家族に対して厳しい選択肢が示唆されました。
2月27日には、上記のどちらかを選び、帰国日を決めた上で3月9日に出頭しなければ家族全員を強制収容すると入管は言い渡しました。
難キ連では、カルデロン一家と殆ど同じ経緯と状況の中、ノリコちゃんと全く同じ境遇にある二人の子供を持つAさん一家の署名依頼を各MLに送信して2週間で240通(1200筆)の協力を戴きましたが
「親の不法行為を見て育つのは子供にとって最大の不幸です。 人の子の親として良心があるのなら、
一日も早くこのような不法滞在をやめて帰国して、子供を立派なフィリピン人として育てるべきです。
こんな不法行為でまんまと日本に滞在できるようになれば、子供はこれからも犯罪はやったもん勝ちと言う恐ろしい倫理観を身に付けてしまいます。この両親は成人してから日本へ来ても、日本語を身に付けたのです。 子供が帰国してタガログ語を覚えるのは簡単ですね。
早く違法行為をやめるように忠告するのが、善良な市民の務めです。」
といったご意見も戴きました。しかし、多くの送還された母国語が儘ならない子供達が
母国で、家族離散や学業の中断、授業についていけない、など過酷な試練に耐えていることを神奈川県「信愛塾」の追跡調査報告で著し、昨年朝日新聞に5回にわたって特集記事で掲載されていますが、子供に「仮の住まい」と言う事はないと研究者からの指摘もあります。
生まれ育ったところ(日本)が親にとっては仮の住まいであっても子供にとっては仮の住まいではありません。
「罪を憎んで人を憎まず」といった言葉がありますが私達がノリコちゃんの両親、そしてAさん一家はじめ、同様のケースの子供達の両親の「超過滞在」という入管法違反という罪に思いを馳せると、彼等の罪で傷ついた人も損害を被った人もいないのです。むしろ、低賃金で黙々と働く彼らは不法といわれようと、企業の貴重な労働力であり、
実際このような労働力が日本の企業から完全に失われてしまえば成り立たなくなる企業が出るとの見方もあります。また、彼らも低い賃金の中から税金を納めている納税者でもあり、彼らを(人を)憎みようも無く、彼等には(人として)憎むべき罪が見当たらないのです。
日本の法律「出入国管理法及び難民認定法」の書類上の罪でしかありません。むしろ、真面目に働きながら十数年にわたり日本に住んでも居住権が認められず、いつも送還と収容に怯えながら暮らさなければなりません。現在、移民法について政界経済界で論議されておりますが
今回のノリコちゃん初め、多くのオーバースティの子供達の教育を受ける権利と、やがて否応無くやってくる多民族多文化共生社会が誰にとっても居心地の良い社会になるよう、日本の、外国人受け容れの法律がどうあるべきかについて、私達日本人がもっと深く考える機会になってほしいと思います。多くの子供達の未来をつぶさない結論を入管が出してくださる事を強く望んでおります。
2009年2月14日 土曜日
インフルエンザの蔓延の波をもろにかぶってしまって2週間、思いがけず、快復が遅くようやく事務局デスクに復帰いたしました。
さて、2月8日日曜日、日本基督教団王子教会で開催いたしました難キ連ファミリアコンサートへの御協力誠に有難うございました。
2008年12月7日 日曜日
ご協力を宜しくお願い申し上げます。
<署名お願い>
法務大臣 殿
東京入国管理局局長
殿
嘆 願 書
1、フィリピン国籍のアルバレス・ニーロ・トレンティーノ 一家を日本に住まわせてください。
2、アルバレス・ラニエルちゃんに日本で教育を受けさせてください。
夫 アルバレス ニーロ トレンティーノ、妻 アルバレス レラニー カバノス、
長女 アルバレス ラニエル カバノス 13歳、長男 アルバレス ジェロームルク カバノス4歳
このご家族は、1990年代に夫も妻も事実とは異なった記載のパスポートにより不法入国し、その後オーバーステイになりました。最近、テレビの報道などでご存知かと思いますが、国外退去を迫れられ在留資格を求めているカルデロン・ノリコちゃんご一家とまったく同じケースです。
アルバレス一家も十数年にわたり、群馬県高崎市で勤勉な労働者として堅実な家庭生活を営み、地域との関係も円満に保って参りました。
アルバレス夫妻はオーバーステイを潔しとせず、ラニエルちゃんの就学にあたって平成14年に入管に自主出頭し、在留特別許可の申請をしました。しかし、平成18年2月2日に「不法入国」との理由で在特は認められず退去強制令が出されました。同時に仮放免も許可されましたが同年5月30日、家族全員が入管出頭を命ぜられて出頭したところ、父親ニーロさんだけが収容され、妻子は仮放免の継続となりました。約1年5ヶ月にわたる収容を経てニーロさんは仮放免許可を得て家族の元に戻りましたが、つつましく家族4人で営んできた平和な家庭から突然父親を目の前で収容された日のことは、ラニエルちゃんの脳裏に焼きついて、現在もトラウマになっています。確かに、ニーロさんレラニーさんの不法入国不法滞在は日本の法律上許されることではありません。しかし、ラニエルちゃんとジェロームルク君には何の罪もありません。彼らは日本で生まれ日本語しか話せません。特に中学2年生のラニエルちゃんが帰国を強いられ送還されれば、母国語で学業をすべてやり直さなければならず、彼女の教育を受ける権利、将来への希望もまったく損なわれてしまいます。
母レラニーさんは、実にしっかりとしたしつけを子供たちに施しており、ラニエルちゃん、ジェロームルク君も礼儀正しく、夫婦共に律儀で滑らかな日本語を話し、日本社会に円満に溶け込んできた様子が伺われます。カトリック高崎教会にも出席を続けてニーロさん、ラニエルちゃんは聖歌隊の奉仕も行ってきました。ラニエルちゃんは学校でコーラスのリーダーになるなど、学業に励み、将来は日本で医療従事者になりたいという夢を持っています。
アルバレスさん一家4人が合法的に日本に滞在して生活できるように、どうか在留特別許可を与えてくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
氏 名
住 所
取りまとめ先:難民・移住労働者問題キリスト教連絡会事務局 佐藤(締め切り 2008年12月20日)
〒169−0051 東京都新宿区西早稲田2−3−18−24 日本キリスト教協議会気付
FAX 03−3207−7803、e-mail:
nankirensato@jcom.home.ne.jp
10月7日 火曜日 くもり
前回の日本語講座10月5日は、ボランティアの先生方と待ちぼうけ。いつも顔を見せるAさん、Bさんも顔を見せません。
おりしも、人権支援団体のCさんからメール。日本語講座へのお問い合わせを頂きました。
Cさんへ返信です。
4月9日 火曜日 雨
☆いよいよ日本語講座が再開します。これまで難キ連事務局デスクに在って、多くの難民申請者に接し、日本語を話そうとする彼らの訴えたい事がうまく伝わらないもどかしさを共に感じてきました。現在、多くの日本語講座も開講され、現に、難民支援協会による日本語講座も開講されています。しかし、様々な事情でそれらの講座に出席できない、難民申請者、特に仮放免中の難民申請者に何とか、正しい日本語習得の機会を…という思いがかない、ようやく再開です。2005年、韓国のNGOを訪問して一番驚いたのは、難民や移住労働者への言語習得から多言語による相談サービスまで、言語に関する対応が手厚くなされていた事です。すでに日本の難民を含む外国人労働者の受け入れより数歩先に進んでいる韓国の外国人受け容れのあり方に目を見張りましたが、コミュニケーションを図る道具でもある言語への対応は、例えば、当事者の家まで訪問して韓国語を教えるなど、まさに人間が人間を受け容れる、ということを目の当りにしました。不完全な日本語による、トラブルはあちこちで耳にします。マンツーマンに近い形のクラスが一人でも多くの仮放免難民の心の拠り所になればと願っております。
☆去る、3月14日、第4回難キ連チャリティコンサートが開催されました。今回のトップページにも写真を掲載、少し報告を載せてありますが
開催関係者の皆様に心から御礼申し上げます。なお、チラシ掲載の地図が解りにくく、教会は駅より3分ほどの距離にもかかわらず、大雨の中、何十分も歩いて探された方もいらっしゃった事を伺いました。誠に申し訳ございませんでした。
心からお詫び申し上げます。以下、簡単にご報告申し上げます。
第3回までお借りしていた日本聖公会東京教区聖アンデレ教会に先約があり、会場探しが難航、開催が危ぶまれましたが、今年に入りようやくカトリック目黒教会のご厚意により、聖堂をお借りできてコンサートが実現したのです。荒天にもかかわらず大勢の皆様においで戴き、聖堂に響き渡る荘厳なまでのアルパやケーナの響きを共有できました事を心から感謝いたしております。第一部は、パラグアイの紺碧の空と花咲き乱れるアスンシオンの街を思わせる軽快な演奏が続き、第二部はビルマ難民青年の証言に始まり、続いて、アルパソロ「巡礼」の演奏と共に「聖フランチェスコの祈り」が日本語、英語により唱えられ会場が心を一つにして祈りました。アルパ奏者として長年、病院コンサートや後進の指導と地道な活動を続け、ますます円熟味をますルシアさんのアルパ演奏に続き、ぴったり息の合ったトリオ+フルート奏者高橋マサヒロさんにより奏でられたケーナの二重奏を含むフォルクローレは、聖堂いっぱいに響き渡り、イースターを迎えようとしている教会を祝福しているような厳粛な気持ちにさえなりました。一部二部通して、はるかアンデスの風が会場を吹き渡っているかのような錯覚を覚える春の宵となりました。証言した難民青年も、昨年末に10数年にわたり仮放免と収容を繰り返す難民生活の末、心筋梗塞の緊急手術で命拾いをしたイラン革命時のパーレビ王直属の軍属だった誇り高い難民紳士も、連れだって訪れた難民や外国人労働者の方々も感動に包まれて会場を後にしました。
音楽は言葉の壁を超えて、人を元気にする不思議な力が潜んでいるといつも思っておりますが、ルシアさんの手により醸し出されるアルパの響きはまさに神様が演奏者の手を通して多くの人に癒しと励ましを与え、
意欲を引き出して明日の力を与えてくれるような気が致しました。 難キ連コンサートの開催目的は、難民や移住労働者支援活動資金のための収益のみならず、迫害を逃れ、庇護を求めてやって来た日本で、在留資格を与えられず、不安と孤独と貧困に喘ぐ難民や外国人労働者の方々の心の癒し、そして在日難民問題に対する一般市民の意識喚起にあります。毎回会場で回収させて頂くアンケートには、少しずつ問題意識の広がりが見られるのも嬉しいことです。
末筆ながら、レオ・シューマカ神父様はじめカトリック目黒教会の皆様、そしてカトリック東京国際センター有川様、真神シスター様、難キ連ボランティアの皆様に、そして風雨の中、会場に足を運んでくださった皆様に心から感謝申し上げます。皆様のご健康を心からお祈りいたします。ありがとうございました。