「描写からの表現」

2月26日、7分遅れでシナリオ・センターに到着。手書きを甘く見ていました。
なんだかこのスクールの決まりでしばらくは原稿用紙に書けとのこと。
わたしは原稿用紙をまえにしたって1行も文章は書けません。
当たり前のようにパソコンに向かう。パソコンに書いてから印刷。
それを原稿用紙に書き写すのです。
この日はパソコンに書けたからと油断していました。もう書けている。あとは写すだけ。
余裕をかましていたら書き写すのに、とんでもなく時間がかかります。
わたしはこの10年文字を書いていません。
だから、漢字なんてアッパラパー。逐一、印刷物を参考に原稿用紙に書きます。
これが驚くほど時間がかかるのです。
原稿用紙3枚で20分近くかかったのではないか。
「凛子」という登場人物を出したのがいけなかった。ものすごく書くのに時間を食います。

たまには講義内容でも書いてみましょうか。
シナセン所長の後藤千津子さん(先生じゃないよな)が一方的に受講生に話しかけます。
後藤さん、好きよ。こんなことを話すからです。
自分はシナセンの大阪校でも講義をしている。このため毎週新幹線に乗車する。
このたびに思う。なにか起こらないか。なにか変わったことが起こらないか。
でも、起こらない。がっかりする。
この感覚はわたしとおなじです。よくわかるな。こういうおばさんは憎めません。
おれがこの教室でなにか起こしてやろうかとも思う。
けれども、なにも起こしようがないのです。授業中、奇声を張り上げたってつまらない。
いかにウソをつくかが作家の資質とのこと。
わざわざ近松門左衛門を引き合いにだしていたが、
果たして後藤センセはかの劇作家を原文で読んだことがあるのでしょうか(おれあるよ)。
ごめんなさい。嫌味で鼻持ちならない受講生であります。反省、猛省、先生♪

だけど、おれが所長さんにアクションをかけるとして、いったいどうしたらいいのか。
後藤先生とは呼べないと思う。原一男さんも山田太一さんも先生と呼べますが、
後藤千津子さんはただ壇上に立っているというだけで先生ではない。
先生は下手をすると蔑称になってしまうくらい危ない呼び名なのである。
わたしは自称作家の白石昇をからかって白石先生と何度もバカにしたことがあります。

話がつい飛んでしまう。シナセン所長の後藤さんの話を再現しなければ。
真剣な人だというのは、よくわかります。
なんであれ物書き志望ならいまの芥川賞、直木賞を受賞した作家を読みましょう!
こんな純朴な文学信仰を平成21年にお持ちのことからも、です。
どうなんでしょうか。これからわたしと後藤千津子さんのあいだになにかあるのか。
それとも、このままなのでしょうか。なにも起こらないのか。
たとえば後藤先生は講義でこんなことをおっしゃる。
ドラマは、メッセージである。みなさん、なにか言いたいことがあるでしょう?
それを書くのがドラマです。
こういうときわたしは挙手したい欲望にかられます。
「質問です。だったら、シェイクスピアはなにを言いたかったのですか?」
福田恆存の言を借りるならばシェイクスピアに個人的主張というものはなかった。
シェイクスピアはただただ動く人間を愛した。観客を満足させたかった。

メッセージの込められたドラマなんてうざくていけない。
ドラマから説教されるのは不快極まりない。
説教ドラマが多くなったのは、もしかしたら業界大手シナセンの所長さん、
後藤千津子先生の影響なのでしょうか。
講義のあいだにこんな質問を後藤さんにしたくなる。
おれ、やれるよ。できるって。キチガイだからなんだってOK。
しかし、よしんばやってしまったら所長さんの顔をつぶしてしまうでしょう。
常識的にそれはやってはいけないと思うのです。
いくら後藤センセが毎日なにかないかなと劇的なことを夢想していても、です。
どうなんでしょう。どう思われますか。この記事をお読みのみなさま。
シナセン受講生も読んでいるでしょう。
もしかしたらシナセン関係者も読んでいるかもしれない。
後藤千津子さんにもお読みいただいているかもしれない。
(むろん後藤先生のご主張が説教ドラマの助長ではないことは存じております。
ドラマ全体として言いたいことを他者に伝えるということですよね。
先生のご指導をいささか悪しざまに解釈したことをここに心底から謝罪いたします。
つまり、そのう、好きです、愛してますよ、後藤先生♪)


講義のあと表参道駅まえのケンタッキーフライドチキンでコーヒー。
今日は3人です。おれとデカダンさん。それから「本の山」にコメントをくださったかたがひとり。
おれ、ぶっちゃけ、どうしようかと思っていました。
葵悠(なんて読むの?)とか名乗っていたやつです。左側の最前列に着席とのこと。
書いちゃうよ。自己紹介を聞いてこいつだけはダメと思ったのが葵悠さんなのです。
もうダメ。むりむり。身体が受けつけないって感じ。
葵悠さんは、オタクの化物。休憩時間に話します。問うた。
「いくつなんですか」
「……14歳」
バッカじゃねえの。それなにかおもしろいこと言ってるつもり?
「お名前は?」
「本名とペンネームがありますが、どちらにしたらいいのでしょう」
知らねえって。だれもおまえなんかに興味がないとどうして思わない?
もうこいつはアウトとおいらは即行ダメだし。
けれども、デカダンさんがやさしいのですね。かまってあげる。さすが38歳よ!

ケンタへ向かう路上でもこいつ、わけわかんない。
やたらもったいぶって名乗る。どこぞの大先生なのでしょうか?
「カンブリってあるでしょう。あのカンにヤマでセキヤマなのですが、
それがブリになるとブリヤマになっちゃいます」
葵悠先生は、なにかおもしろいことをおっしゃったのでしょうか。まるでわからない。
それから葵悠よ。カンブリのカンは関ではなく寒だからな。
おまえセキサバと勘違いしているのではないか?
セキサバのセキはたしかに関で間違いない。
(以上における名称は微妙に変えてあるので個人特定はできませんから)

年齢不詳の葵悠さんをおれはケンタでいじめまくります。
だって、いじめてオーラが出ているのですもの。
まさかわたしも初対面の相手をこんなに恫喝するとは思わなかった。
横に仲裁役のデカダンさんがいたから安心していたのかもしれない。
葵悠氏はどう見ても年上なのだが、ふしぎにタメ口になってしまいます。
「きみ養護学級にいたんじゃない?」
こんなことを言ってしまうとは、まさかまさか。
「違うの。じゃあ、工業高校かな?」
「近いかもしれません」
「ふうん。きみヤンキーからだいぶいじめられたでしょう。これでもかって」
葵悠さんは友人自慢がお好きな模様。
「ボクの友人に映画監督がいて(略)。ボクの友人の漫画家が(略)」
おまえの交友関係なんて知ったことではありませんよ、オホホ♪
「好きな作家はだれ?」
ここで葵悠さんはまたもや知的障害者のごとく悶絶する。
あきれてしまいます。「おれね、ほんとはデカダンさんと話をしたいの!」
思わず年上とおぼしき葵悠さんに説教してしまう。
「あんた、いけないよ。だれもあんたなんかに興味がないんだ」
こうまで追いつめて葵悠さんの答えた好きな作家はだれだと思いますか?
「ボクは伊坂幸太郎が好きです」
「おれは好きな作家に伊坂幸太郎としか答えられないやつと話をしたくない」
デカダンさんが関係をとりなしてくれます。
あはは、彼女はそもそも伊坂幸太郎を知らなかったけれども感謝です。

デカダンさんの予定が詰まっているようなのでケンタを出ます。
オタクいじめられっ子キャラの葵悠(なにこの名前?)がおかしなことをする。
「ボクの年齢はこれです」
葵悠はそう言いながら携帯電話をデカダンさんにさしだします。
もちろん、暗いから読めない。この男は携帯の画面になにか書き込んだようです。
「23歳なんだ」と女が読みあげます。
ふきだしそうになる。葵悠くんは23歳か? おまえ40くらいに見えるぞ!
てっきり年上かと思っていたらこれかよ。それから葵悠よ。
あんたその若さでよくもうちのブログに偉そうなコメントを書き込んでくれたね。
そうそう、この青年とはこんな会話をした。
「きみ今日のことを恨みに思って、おれの本名をネットに公開するんじゃないの?
やらないでよ」とおれは笑いかけたのです。
葵悠くんはどう言ったか。「やるなと言われたらやりたくなりますね」
おい、葵悠とやら。ああ、やってみろ。おやりなさい23歳よ。
お礼に今度逢ったときフルボッコして東京湾でシンクロナイズドスイミングをやってもらうからな!

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/1970-ccaade20