「人間一生、誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして苦を見て暮らすは愚かなることなり。この事は悪しく聞いては害になることゆえ、若き衆などについに語らぬ奥の手なり」」(「葉隠入門」四十一:再び、エピキュリアニズム)
「皆、人、気短きゆえに、大事を成らず仕損じる事あり。いつまでもいつまでもとさえ思えば、しかも早く成るものなり。時節が降り来るものなり。今、15年先を考え見候へ。さても世間、違うべし。未来記など言うも、あまり替わりたる事あるまじ。今時御用立つ衆、15年過ぎれば1人も無し」(「葉隠入門」四十八:時間の効用)
「人に意見をして疵を直すというは、大切なる事にして、もっとも大慈悲にして、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。大方は人の好かぬ、言いにくき事を言うが親切のように思い、それを受けねば力に及ばざる事と言うなり。何の益にも立たず。ただいたづらに、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸晴らしに言うまでなり。そもそも意見というは、まずその人の受け入れるか受け入れないかの気を良く見分け、入魂になり、当方の言葉を平素から信用して貰うように仕え、次第に好きの道などより引き入れ、言い方様々に工夫し、時節を考え、文通や雑談などの折に我が身の上の悪事を申し出し、言い外して思い当たるようにするか、またはまず良き処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く水を飲むように受け合わせて、疵を直すが意見なり。されば殊の外、しにくきものなり」(「葉隠入門」三:デリカシー)
「談合事などは、まず一人と示し合い、その後聞くべき人々を集め、一決すべし。さもなければ、恨み出来るなり。また大事の相談は、関係なき人、世外の人などに潜かに批判させたるが良し。贔屓無きゆえ、良く理が見ゆるなり」(「葉隠入門」三十九:会議の方法)
「人事を言うは、大なる失なり。誉むるも、似合わぬ事なり。とかく我が丈を良く知り、我が修行を精出し、口を慎みたるが良し」(「葉隠入門」四十四:エゴティズム)
「主人にも、家老・年寄にも、ちと隔心に思われねば、大業は成らず。何気も無く腰に付けられては、働かれぬ者なり。この心持ち、これある事の由」(「葉隠入門」四十三:威)
「古来の勇士は、大方そげ者なり。そげ廻り候気情故、気力尽くして、勇気あり」
「ある人いわく、『意地は内にあると、外にあるとの二つなり。外にも内にも無き者は、益に立たず。例えば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、ぬぐいて納めるが良し。外にばかりありて、白刃を常に振り回す者には、人が寄りつかず、一味の者無き者なり。内にばかり納め置けば、錆も付き刀も鈍り、人が思いこなすものなり』と」(「葉隠入門」四十七:意地)
「不仕合わせの時、草臥るる者は、益に立たざるなり」(「葉隠入門」三十一:逆境)
「武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死に狂ひの覚悟が肝要なり」」(「葉隠入門」三十六:武勇)
「『武士道は死狂ひなり。一人の殺害を、数十人してもしかぬるもの』。本気にては大業はならず。気違ひになりて、死狂ひするまでなり。また武士道おいて分別出来れば、はや後るるなり。忠も孝も入らず、武士道においては死狂ひなり。この内に、忠孝はおのずから籠もるべし」(「葉隠入門」140ページ」
「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身に成りている時は、武道に自由を得、一生越度無く、家職を仕果すべきなり」(「葉隠入門」二:決断)
(云う→言う、よし→良しなどや、一部句読点等、最小限のNOBU独自変更あり)
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「そげ者」は「ちと隔心に思われ」てますが、「応援はうるさいくらいの方が良いんだよ」という「大業」に向かって「忠孝」を果たす為、好いた事=ニッポンのサッカーに向かって、辛うじてちっぽけな「意地」を奮っていきたいと思っています。
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えー、今日は本業が繁忙だったがゆえ、三島由紀夫「葉隠入門」は読み切れませんでした。が、面白い。この山本常朝という方は、1658年、現佐賀=鍋島藩に生まれた方で、その著書を愛し続けた方が玉音放送=終戦時に20才だった三島由紀夫氏。(大西鐵之祐先生は終戦時に29才。中学校の恩師は15才?我が父=17才)自分は全共闘世代というのは、ほとんど全く肌では判らないのですが、これまですっぽり抜けていた「三島由紀夫」という存在の端緒に触れたのがまず面白かったですし、江戸時代草々期を生きた山本常朝さんと現代の我々の共通点の多さにも触れられて面白い真っ最中です!なるほど、全共闘世代と三島由紀夫と山本常朝いうくだりが新鮮でなりません。自分は「最後まで生きた」大西鐵之祐先生こそを人生の目標にして、三島由紀夫さんはその「鏡」の一部だと眺めるように心がけているつもりなんですが、確かに三島由紀夫さんの文体は自分には非常に引力が強いようです。明日には完読出来るでしょう。楽しみです。
http://search.goo.ne.jp/web.jsp?MT=%E8%91%89%E9%9A%A0&STYPE=web&IE=UTF-8&from=gootop&x=81&y=15
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えーと、カンファレンス前で、ほんの最小限だけのレスだけですみません…。まずコピペ荒らし君には大きく反応はしません。ただし偽NOBUは怒りを一番買い易い。あと
>S席でうるさいほどの応援したいのなら、試合前にみんなの前にきて「みんなで応援しましょう!ご協力お願いします」って言ってみたらいいんじゃないか?
の件はそれこそ、談合事などは、まず一人と示し合い、その後聞くべき人々を集め、一決すべし。さもなければ、恨み出来るなり
に当たると思っていますので、このあたりをカンファレンスでは一番楽しみにしています。最後に上武大の監督&選手のみなさん、あの会話で自分はこれからも我が修行を精出しそうです。(えー、花粉症など体調今イチ。今日はもう困憊気味…)
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追記
最初エピキュリアニズム→エピキュアリズムと誤記しました。dfさん、KEANEさん、ごめんなさい…
追記Ⅱ
あ!大隈重信公って、佐賀藩出身だった!な、なるほど…超ヤベ~!スミマセン…
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