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航空史探検博物館機名別索引

 

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  必読日替わりメモ

特設メモ  呉市海事歴史科学館への公開質問状  CDへ収録済み 日替わりメモ545番参照

ヒコーキ雲に対するご意見、必読日替わりメモのご感想や質問回答をメール( sa@axisz.jp 冒頭にkをつける)でお寄せください。

勝手なお願い : インターネット航空雑誌ヒコーキ雲の更新作業は早朝半眠状態の時に行うことが多くミス多発です。気付いての修正がありますので数時間後にもう一度見ていただくようお願いします。 佐伯邦昭
 
日替わりメモ090303

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A8319 航空史探検博物館 長崎県大村市 森園公園に展示してあったシコルスキーHSS-2

○ 太刀洗と大刀洗

 大村市の森園公園は長崎空港へ渡る箕島大橋のたもとにあります。シコルシキーHSS-2の展示は30年ぐらい前ということですから、長崎空港の供用開始(1975年)以後になりますが、円形の立派なコンクリート地盤の上で、5枚ローター展張し、その先端をワイヤーで地面に固定しているなど、丁寧な展示になっています。

 なぜ短期間で撤去してしまったのでしょうか。この写真提供者は、長崎県は離島の急患輸送等でHSS-2/2A/2B全シリーズに大変お世話になっているのに、大村航空基地を始め保存展示機がひとつも無いことを嘆いています。Googl Earthでみると、円形コンクリートが残っているようですので、お隣の大村航空基地さんは、せめて用廃SH-60を展示してあげたら如何なものでしょうか。


お願い : 某県の某ホテルのロビーにあるパソコンで、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲がセキュリティソフトにより軍事サイトと識別され、有害サイトとして見ることができなくしてあるという連絡を頂きました。そこは基地に近く自衛官の宿泊も多いそうです。何をもって軍事サイトとし、何をもって有害というのか見当もつきません。時折、良識常識の範囲内で自衛隊の処置にかみついたりしていますが、その程度のことで基地司令がビビっているようでは全くお笑いです。まあ、真相はわかりませんが、こういう形(隊員や国民にモノを見させなくすること)が進むのは決していいことではありませんし、できればくい止めておきたいと存じます。同じことを経験されましたら、ホテル名などお知らせくださるようお願いします。当方へは匿名で結構です。

 

日替わりメモ090302

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HOME [表紙絵012] 冬枯れの防府飛行場30エンドにて 古谷之助

○ 太刀洗と大刀洗

  図書室T45を見た方が、福岡県筑前町役場へ注文して「証言 大刀洗飛行場」を取り寄せました。その読後感は別にしまして、この方から「太刀洗とばかり思っていたのに、大刀洗飛行場となっている、何故か? 鉄道の駅名は太刀洗ではないか?」という疑問が寄せられました。

 そうです。太刀洗が正しいのです。一夜漬けの勉強ですが、九州の地で後醍醐天皇の南朝を奉じた菊池武光が血糊のついた太刀(タチ)を川で洗ったから、その川が太刀洗川となり、その地が太刀洗と称されるようになったのです。

 下って明治の市制町村制公布にあたり、太刀洗村の申請を官報が大刀洗村と誤記してしまったために、公にこれが定着したということです。村・町名も学校までも大刀洗で統一していますから、地元で育った人には何ら違和感がないのでしょう。「証言 大刀洗飛行場」に収められている当時の昭和18年発行の身分証明書も大刀洗陸軍飛行学校となっています。当然ながら陸軍も従ったのです。

 しかし、この方のように「太刀洗とばかり思っていた」大人は多いいと思います。戦前戦後の書籍でも多くは太刀洗飛行場です。恐らく常識の範囲で使ってしまった誤りでしょう。ただ、軽便鉄道(今の甘木鉄道)の駅名が本来の太刀洗を名乗っていますから、どうも話しがややこしいです。

 辞書ではタチは太刀であり、大刀ではありません。大をタと読ませる単語はなく、唯一の例外が大刀洗として存在しているに過ぎないのです。官報編集者はダイトーアライ村とでも思ったのでしょうか、明治のお役人にしては非常に珍しい誤謬だと思いますね。


 その昔、飲んだくれの鼻つまみ新聞記者が輪転機の前で寝そべっていて、刷り上ってきた1枚目を目にしたら大見出しに「天井から出火」が「天丼から出火」となっていた、彼はだまって活版の丼の中の点をナイフで削って再び眠り込んだという小説がありました。げに、点があるのとないとでは大違いというお話しまで。

 

日替わりメモ090301

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○ 続 蛟龍600/JL-600飛行艇について  

 

 中国航空工業成果展覧会でパネルに 画かれていた「蛟龍600/JL-600」飛行艇のイメージ図 です。左の新舟700は、2008年7月に1号機が奥凱航空有限公司(Okay Airways)へ引き渡された中国国産初のコミューター機新舟60を大型化した後継機と思われます。
 JL-600の
全長は35メートルくらいでしょうか、新明和US-2と同クラスと想像されます。

 「水轟五型/SH-5」飛行艇についてのより詳しい情報

 昨日は、「中国海軍航空隊が飛行艇の訓練飛行を実施し、複雑な気象条件下での飛行艇の作戦能力が徐々に高まりつつある 」という解放軍報記事を紹介しましたが、それはどうもカモフラージュの宣伝臭いものではないかと思われます。Sさんから更に次の情報が寄せられました。

 SH-5現在海軍北海艦隊の本拠である「青島」に配属され、機(量産機は機製造のみ)で一個飛行団に編成されています。この飛行艇に関して、機体の腐食や機器類のトラブル頻発などによって、海軍内では不評であり、よって海軍はJL-600の開発に興味を示していません。中国航空工業集団は、JL-600民間機として財政部に開発費用を申請現在審査中ということです。

 SH-5の写真は、次のサイトで見ることができます。いずれもBBS飛揚軍事論壇より

@ SH-5の離水シーン
http://www.fyjs.cn/bbs/htm_data/27/0901/171320.html 
A 同じくSH-5の離水シーン、08年年末に行われた救難演習の時撮ったものということです
http://www.fyjs.cn/bbs/htm_data/27/0901/171343.html
 SH-53試作機 http://www.fyjs.cn/bbs/htm_data/27/0901/170780.html
 この機体はもともと湖北のテスト現場(製造は哈爾浜ですが、組み立てとテストは湖北荊門で)に置かれ、98年頃は写真の場所に移されました
 この場所は中国航空工業第一集団昆明西山療養院(注)すが、敷地不動産会社に売却されたため、機体スクラップされる危機にありました。しかし、写真発表後飛揚軍事論壇管理の一人が北京中国航空博覧館と連絡を取り、博覧館は機体の現状確認と受け入れ意向を表明したということです。古い機体なので保存はかなり難しいことと思いますが、できる限手入れをして保存してほしいです。
 注)中国航空工業集団は1999年に第一集団と第二集団に分かれた、08年には再び一つに戻った


○ SH-5の離水シーンを見て  かつおさんからメール

 SH-5の離水シーン興味深く拝見。目を引くのは飛行艇としては珍しいほど艇体が浅いこと。ニ式大艇はプロペラの水叩き防止のため当初設計より機体高さを1mも嵩上げして水面から離しているし、ソ連のベリエフBe−4などは主翼をガル形にしてまで水面との距離を稼いでいるのに、SH−5は全く逆行で、浅い艇体に加え主翼に下半角をつけています。
 ベリエフBe−4については下記サイト参照
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/BerievBe-12.htm
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/be10-killu-axx.htm

 ニ式艇は武装荷重31tの場合喫水は約120〜30cmですが、SH−5はムービーや陸上放置写真の見比べ推測では喫水約2mと見ました。これではプロペラ損傷は免れないと思いますが、US−1Aそっくりの波消し装置で旨く逃げているのでしょうか?

 離水シーンは風の殆どない静止水面ですが、深く沈み込んだこの低い機体では、強風で波立つ水面では到底無理でしょう。少数生産で終わっているのはそれなりのワケがあってのことでしょう。

 

佐伯から : 蛟龍という文字を見ると、日本人は特殊潜航艇を思い出してしまいますが、民間型として開発申請をしているとは! 蛟龍は龍と雉の交配で生まれたものだそうですからそれでいいのか。

 なお、2009年度からの研究項目パネル全体を掲げておきます。ジェット戦闘機、大型ターボプロップ輸送機、中型汎用機などに交じって、バッカニアの再来みたいな水上機も計画されているようです。中国政府がこれらをどのように進めていくのか知りませんが、すくなくとも川崎と三菱で三種類の開発しかやっていない我が国からみるとやっぱりうかうかしておれないですね!

日曜日の放談 
 景気回復の特効薬は、軍事産業に資金を大量投入することだという(亜流かもしれませんが)ことを唱える人がいます。確かに軍事産業の裾野は工商学農のあらゆる分野にわたって中小零細企業に至るまで広大です。

 そのうえ、米空陸軍に撤退して頂いて自衛隊が日本を守る 即ち 膨大な駐留経費負担金を自衛隊に回すことができたら、経済効果からしても、基地周辺の人々の感情からしても、これは一考の余地ありと考えましたが、東太平洋の安定が崩れるのかな?よく分かりません。

 軍事はともかくとして、政府は今こそ三菱MRJを国家プロジェクトの柱に位置づけて、開発と販売体制を強力に支援する時です。トヨタ1社で疲弊してしまった中京経済に活を入れてやりましょうや。それが、日本の国際的地位を押し上げる特効薬になること必定ですけどねえ。 
                                                   日曜日の放談陳謝

 

日替わりメモ090228

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○ 蛟龍ー600/JL-600飛行艇について  Sさんからメール

 昨年、北京で開かれた50年間中国航空工業成果展覧会の2009年度からの研究項目パネルに「蛟龍ー600/JL-600」という飛行艇のイメージ図が出されました。
 
 簡単に言うと、20年前に製造された「水轟五型/SH-5」飛行艇に、T字型尾翼をつけるというものです。

 それに関連して215日に中国航空工業集団が珠海(香港の西)に航空機の設計・組立工場を建設すると発表しました。総額30億人民元のこの事業は、4年内に「蛟龍ー600/JL-600」の初飛行を実現させる計画だということです。また、解放軍報が、中国海軍航空隊が実施した飛行艇の訓練飛行を紹介し、その写真(プロペラ式でエンジンは4発、垂直尾翼が2枚)から水轟五型/SH-5とみられています。中国軍関係者によると、新しい軍事大綱の要求を満たすべく、複雑な気象条件下での飛行艇の作戦能力が徐々に高まりつつあるということです。

 なお、私見ですが「蛟龍ー600/JL-600」の計画には疑問が残ります。なぜなら、もともとSH-5の製造は哈爾浜飛機製造公司が行いましたが、4機を生産した後に製造ラインを廃棄していますし、4年内に白紙から初飛行までというのは無茶な話と思うからです。

佐伯から : 2枚の垂直尾翼を1枚にして、T型水平尾翼をつけるというだけなら話しとしては簡単ですが、新しく工場を立ち上げて新規設計ということになると、新明和US-2をコピーするにしてもかなりの時間を要するでしょう
。US-1Aの近代化プロジェクトでもスタートしてから試作1号機の初飛行まで5年かかっています。(もっとも、この間贈収賄事件で参加企業の富士が三菱へ替わるというごたごたのロスがありました)

 蛟龍ー600/JL-600で一番注目したいのは、機首の波消しです。菊原技師苦心の考案である波消し用チャインは特許をとってあるのでしょうか。 

 いずれにしても、中国が飛行艇に重きを置きはじめたのは確かなようです。あるいは世界の飛行艇潮流に変化が出てくるかもしれません。新明和はうかうかできませんね。個人的には、US-1 US-2を民間機に変更して、新明和工業が救難艇や消防艇として広く海外へ売り込むことができるようにしてやりたいです。もちろん国内での運用は海上自衛隊から海上保安庁へ移管です。

 

日替わりメモ090227

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○ 富士LM-1/2について 

 090225に写真を載せたLM-2 21051の経歴を見ると、LM-1 21016がLM-2に改造される前に陸上自衛隊土浦駐屯地に展示されていたらしいです。(下郷資料:JGSDF土浦dpy,63-03-30LM-2に改造)

 とすると、LM1/2系の展示はないとしていた090224番 )のは誤りになりますが、展示機=用途廃止機という固定観念からいくと、LM-2 21051は用廃機を改造して動くようにしたという非常に珍しいケースになります。その事実を裏付けるためには土浦駐屯地での展示写真を是非とも発掘して頂きたいです

 そのほか、LMの関連リストを見ていると、なにかと興味がわいてくるシリーズです。

 何よりも一昨年紹介したアメリカでLM-1が現役で飛んでいるというのが興味のトップです。 「N468 ニュースフラッシュ468 アメリカで飛んでいる富士LM-1」を一時復活して掲載しましたので、改めてご覧ください。

 また、富士重工業での初号機(c/n LM1-1)は民間登録JA3098として同社でのテストの後、個人を経て愛知県江南市にあった中日本航空技術専門学校で日光号となり、更に アメリカへ返還されて1998年にN6334Zとなっています。これら渡米組は6機に及び、いずれもLM1/FUJI NIKKOとして健在みたいです。メンターの部品と互換性があるというのがあちらでの長生きの理由のように思えます。

 同じく2号機(c/n LM1-2)は、富士重工業社有機として、JA3105(LM-1)からJA3119(KM-1)、更にJA3725(KM-2B)と改造を重ね、1984年まで28年間にわたって海上自衛隊航空学生訓練機への貴重な踏み台になっています。

 その他、隊員に盗まれて行方不明になったのものなど、エルエムはイロイロに通じますなあ!

 

日替わりメモ090225

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○ 090224 富士LM-2とライバルの競争 について  伊藤憲一さんからメール

 (1) 陸自LMについて

 確かに保存機はないようですね。手元に用途廃止後と思われる機体を撮った写真がありました。1982年10月24日霞目駐屯地祭です。LM−2(21051/NE記号)で、霞目が最終所属と思われます。
 時期
的に微妙ですが、自由に触れさせていたことから考えると用途廃止後だったのでしょうか。


                                        HOME 表紙絵011に拡大写真

 この後、霞目に保存展示されることもなく、たまたま、駐屯地祭だけでの展示だったと思われます。LMは米国から域外調達という形で供与されましたので、用途廃止後は手続き上米国に返還され、国内に残さない形をとったのでしょうか、よくわかりません。

佐伯から : 21051は、LM-1(21016)のコンチネンタル225馬力をライカミング340馬力に付け変えた改造第1号機です。資料によると用途廃止は1983年3月18日となっているので、この1982霞目駐屯地祭の展示よりも後になりますが、実質的にはおっしゃるように用廃状態にあったようですね。

 (2) ライバルの競争 について

 学生の時に、通常授業でない飛行機に関する特別講義があるということで聴講したことがあります。空自の次期超音速練習機が三菱T−2に決まり、量産機の生産が佳境中の1970年代後半の時代でした。

 富士重工から講師が来られたのですが、何と、T−38の模型を手に一生懸命講義されていました。そして、講義の中でさりげなく「三菱のT−2やMU−2は補助翼がなく、横操縦はスポイラーを使って行うので確かにキレがいいが、(気流が悪い時に?)安定性がよくない。」の様なことも言っていたようでした。

 たしか、次期超音速練習機に富士重工はT−38ベースを提案していた記憶があったので、このT−38の模型とスポイラーの話に思わずにやりとしてしまいました。一緒に聞いていた聴講生はこの事をわかるかな〜と思いながら。

佐伯から :  ライバル会社の大変興味あるお話しをありがとうございました。富士は、三菱の政治力に負けたのだと思いますが、結果として、T-2は既に完全消滅しましたが、T-38系はいまだに練習機として使われ、空自の航空学生も卒業後アメリカでAT-38Cの訓練をうけているなどをみると、当時の選択さて?
 

 

日替わりメモ090224

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A3304  航空史探検博物館 埼玉県所沢市 所沢航空発祥記念館の川崎KAL-2の空自時代の写真を追加
RS-4 調査研究コーナー特集 国産旅客機 YS-11特集 [5]  各地の展示機情報を再編集 

○ ライバルの競争試作

 川崎KAL-2が航空自衛隊ナンバー40-1555を付けて活躍していた時代の写真を頂きましたので、所沢航空発祥記念館の同機経歴の中に入れておきました。空自時代は、バンパイアなどと同じ銀色の塗装のようにみえますが、陸自に引渡されてからはオリーブドラブに塗られています。しかし、所沢では陸自には珍しく紺 白 青のスマートなストライプの塗装で天井に吊り下げられていますが、いつ、どこで誰の発想なのか知りたいところです。

 川崎KAL-2は、KAL-1を頑丈につくり替えてちょっとした曲技飛行もできるようにした連絡機ですが、競争試作で富士LM-1に負けてしまいました。理由は、LM-1が富士重工業がライセンス生産していたメンターの部品を大量に転用しているので信頼できるということでした。それが陸上自衛隊独自の決定なのか、アメリカ政府の強制があったのかはわかりませんが、川崎にしてみれば煮え湯を飲まされた思いだったでしょうね。

 土井技師が再び航空生産に復帰して喜びのうちに設計したKAL-1とKAL-2は明らかに飛燕の流れを汲んでいてわるい飛行機ではありません。
 対する富士LM-1は、中島航空機の流れというよりもビーチクラフトモデルといいたいようなものです。1950年代の日本航空産業で勝ち抜くためにはそれもやむをえなかったと思います。

 LM-1とKAL-2をライバルとして比較検討した論文はあるのでしょうか。古い雑誌をチェックしてみる必要があります。KAL-2の実機が所沢に健在であるのに対して、27機作られたLM-1が北宇都宮駐屯地にエンジンとプロペラしか残っていないというのも不可解です。

 なお、所沢航空記念館に写真を追加したついでに、同市のYS-11関連で国産旅客機 YS-11特集 [5]  各地の展示機情報を再編集しておきました。

 

日替わりメモ090222

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N600 ニュースフラッシュ600 嘉手納基地のF-22ラプターなど

○ ニュースフラッシュの続き番号が600番

 600番になったからといってお祝いというわけではありません。2004年1月から通し番号を付けて発表してきたニュースフラッシュが5年間で600テーマに達したというだけのことです。

 もともと、日本におけるダグラスDC-3研究としてはじめたホームページですが、閲覧者が増えるにつれていろいろとニュース性のある写真その他を送って頂くようになり、それらの発表手段として航空史探検博物館、ニュースフラッシュ欄、調査研究コーナー欄、思い出欄などが形成されてきたものです。日本におけるダグラスDC-3研究という表題をインターネット航空雑誌ヒコーキ雲と変えて体裁を一新したのもそのためです。速報性を備えるニュースフラッシュ欄はその中の重要な柱に成長してきました。

 ただ、他のサイトを見ていて、例えば新鋭機が飛来したり、マーキングが変わったりするとそのニュースを取り上げたいなと思うこともありますし、誰も送ってこないのかと残念に思うこともあります。
 しかし、アマチュアサイドの雑誌編集の限界を越えることはできません。当方へ送ってくださったものだけで満足すべきです。いかなるサイトといえどもすべてのニュースを網羅することなどはあり得ませんから、お互いが補完し合うということでよろしいのでしょう。

 そんな意味で、受動的編集のニュースフラッシュながらネット社会に一定の地歩を占めていることはまちがいないと信じています。それも、情報をお寄せくださった皆さんのお陰です。感謝申し上げるとともに、これからもよき発表手段として十分に活用してくださるようお願いします。 

 なお、送られた画像は、あるがままを基本とはするものの、力不足ながら一応の調査と、見易くするため或いは強調するために取捨選択やグラフィック処理を施します。その点、ご了承いただきたいと存じます。

 

日替わりメモ090221

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○ 090218郵便事故に思う  Fさんからメール

 郵便にご立腹のご様子です。紛失しても仕方ない、というわけではありませんが、できるだけ郵便を使わないよいにしよう、とのご意見は、多くの方が見られているヒコーキ雲の影響力を十分に意識されてのことでしょう。ただ、私は逆に郵便局には大変お世話になったことがありますから、少し味方をさせて下さい。
 我が国の郵便制度は世界に冠たるものだと思っています。
 私の経験では、例えばメキシコ在住の頃、毎月郵便局扱いで家内に本やその他のものを送ってもらっていましたが、よく紛失事件がありました。追跡サービスがあるので調べてもらうと、日本→アメリカ経由でメキシコまでは順調に届いてから行方不明ということがしばしばでした。
 届いたとしても、メキシコ国内に入ってから、日本→アメリカ→メキシコ到着までの二倍、ひどいときは三倍かかっていました。挙句の果ては、問合せを何度もして、○○局にあるのが分かったから取りに来い、です。
 前島密の作った我が国郵便制度は基本的にはそうではない、と言い切ってよいでしょう。もちろん100%ではありませんが‥。ただ、佐伯さんが受けたようなミスがあった場合、ほぼ間違いなく上部組織ほど冷淡でたらい回しにするのは、世のお役所に共通するものと思います。


佐伯から : 「前島密の作った我が国の郵便制度は世界に冠たるもの」という認識に全く異議はありません。そのとおりであるし、わたし自身この世に生を受けて以来今日まで、満洲で過ごした5年間も含めて大変にお世話になって参りました。(満洲の郵政制度は名を変えただけで日本と共通であり、私の父は、奉天近郊の陸軍第918部隊に付属する局の局長でした。)

 たしかに、私が送ったゆうメール行方不明事件はレアケースでしょう。この程度の被害は送り手と受け手が甘受すべきものかもしれません。レアケースに一々腹を立てて郵便局を使わないようにしようというのは真面目に働いている大多数の一線職員を侮辱するものであったかもしれません。
 
 日本郵政グループの社長は次のように宣言しています。(ホームページのトップメッセージから)

  日本郵政グループを「安心と信頼」の最高ブランドとして確立し、すべてのお客さまから「本当に民営化して良かった」と心から喜んでいただけるよう、日本郵政グループの力を結集し、一丸となって新たな歴史を切り拓く挑戦に取り組んでまいります。

 そう、「安心と信頼」です。前島密の作った我が国の郵便制度そのものが「安心と信頼」でした。何も民営化したからといって強調するようなことでもないのです。

 昨日の衆議院総務委員会を傍聴しておりましたら、東京赤坂にある500坪の更地を5億円でオリックス関連の会社に売ったという事実が提起され、郵政会社の役員がしどろもどろの答弁を繰り返していました。買った土地には、銀行が約50億円の根抵当を設定しているといいますし、現在、道路を挟んで前にある30坪の老朽ビル付き土地(これは郵政に関係なし)が3億円で売り出されているそうです。

 郵政が売った土地単価は坪100万円、近傍の土地が老朽ビル付きで坪1000万円、土地の形状とかいろいろ条件は違うにしても、銀行が坪1000万の価値ありとして根抵当をつけているのですから、これが嘘か本当かは知りませんが、聞いていて全くあきれる話しです。事実なら背任罪が成り立ちます。

 もちろん、国営時代にも高級官僚がこのようなことをしていなかったとは言えませんので、民営会社だけを決めつける訳にないきませんが、すくなくとも株主たる国民すべてが1通の普通郵便、千円の預貯金といえども安心と信頼のもとに預けられるような部門にこそ、経営の全力を投入して貰いたいものであります。

 
 自衛隊カレンダーの未着事件から、ヒコーキには直接関係のない部門へと飛躍してしまいました。土曜日の放談としてお許し下さい。なお、衆・参議院の会議は、パソコンで常時見ることができます。
 NHKが中継すると視聴者を過剰に意識した質問答弁や汚い野次が飛び交いますが、NHK中継のない委員会では政策をじっくりと提起しあう場面が多く、我等が選んだ議員がどれだけ勉強しているかがよく分かります。また、テレビや新聞が都合のいい部分だけを切り取って報道しているのを見抜くこともできますよ。

 

日替わりメモ090220

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○  タクトシステムについて

 図書室45へ転記 

 

日替わりメモ090219

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T45 図書室45 書 評 九州における航空戦争記録 二冊  ”証言 大刀洗飛行場” ”第21海軍航空廠の記録”  

○  書 評

 今朝のニ冊は、新本ではありません。縁あって入手したもので、特に大刀洗飛行場の方はまだ販売されているかどうかは調べていません。

 特に紹介したいと思ったのは、こういうローカル出版が中央紙誌では殆ど紹介されることがないにも拘わらず、内容においてプロ作家の既成フィルターを通していない生の情報を得られるからです。平木氏のように指摘しても未だに大きな誤りを正さない作家の本よりも、泥臭くてもこっちの方が余程資料的価値があります。

 ただし、純粋培養の航空史という訳ではなく、鎮魂の意義や悲劇を繰り返さないための警鐘も出版の大きな目的であることはたしかであり、厳粛な気持ちも生まれます。
 それに関連して、先日BS2で放映された黒澤明監督の昭和19年制作「いちばん美しい」を思い出します。評論家が、黒澤映画のトップにあげたり、「くもり空に青空をみるような思い」と評したとおりの素晴らしい映画でした。

 挺身隊の女子学生が藤沢の光学器械工場で働いている物語ですが、戦意高揚のえげつないシーンが完全に隠されているのに、戦争末期に勝利を信じて健気に働く少女の姿をとても美しく描いています。彼女らが磨くレンズが航空機に搭載され、あるいは地上に於いて敵機発見の役にたつのでしょうが、そういう航空史的興味などはるかに超越した感動がありました。こういうのが芸術なのですね。

 

日替わりメモ090218

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A3101 航空史探検博物館 栃木県宇都宮市 思い出 陸上自衛隊北宇都宮駐屯地開設35周年記念特別塗装機

○  特別塗装機

 陸上自衛隊北宇都宮駐屯地は、航空学校分校が開設されてから去年が35周年の節目で5月18日の記念行事にはLR-2、UH-1、OH-6に特別塗装を施して祝いました。その特別塗装機だけをピックアップして思い出としました。桜の花びらを丹念に散りばめたイロコイスの華やかな姿などご覧ください。

 ニュースフラッシュは、ニュースとして寄せて頂いても1か月程度で削除してしまうので、以後、このような形で航空祭等での特色ある風景を各飛行場のページに思い出として残していきたいと存じます。


○ 郵便事故

 先月、自衛隊のカレンダーを差し上げますということで、希望してきた方々に送りました。ところが、その中の岐阜県郡上八幡郵便局から配達されるべき「ゆうメール」が届きませんで、期待していた相手先に気の毒なことになってしまいました。

 郡上八幡郵便局が広島市から大阪または名古屋経由で岐阜市、そして郡上市へのルートなど種々調査してくれたらしいのですが、結局、発送から1か月目になって郵便事業会社から「見つかりませんでした。原因不明です。」という詫状がきて、一件落着にさせられてしまいました。

 長さ1メートルもある円筒形の物を紛失するなどとはとても考えられず、途中で盗まれたか、何かと一緒に忘れられている可能性が大きいと思うので、どうも納得がいきません。民営化前は郵政監察局というのがあって捜査員の目で内部を調べる権限もあったのでしょうが、今は、本社へ通告しても、地方の担当局へ連絡するの一点張りで、責任感のかけらも感じられません。郡上八幡局の担当職員の努力には感謝しているもの、本社サイドの役立たず職責には非常に腹が立つとともに、以後できるだけ郵便局を使わないようにすべきだと思っている次第です。

 

日替わりメモ090217

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A6314 航空史探検博物館 岡山市 レジャーランド国際にダグラスDC-4を展示していた

○ また歴史発掘

 岡山市内のレジャー施設にDC-4らしき機体が写っている航空写真が発見されました。「らしき」とはいうものの、宝塚ファミリーランドと高松市屋島の店舗での写真からたどってみると、100%日航のダグラスDC-4榛名号に違いないと思われます。

 航空史探検博物館にはじめて宝塚ファミリーランドの写真を出してから5年、伊丹(事故)→宝塚→岡山→高松とかっての消息が判明したわけですが、宝塚―高松の経過年数は20年の長きにわたります。とすると、探せばまた別の場所が出てくるのかもしれませんし、最も知りたい高松以降から完全消滅まで、或いはまだどこかに一部残っているというような情報が浮かんでくるかもしれません。

 ウエブマッピングシステムから見つけてくれたTachibanaさん、ありがとうございました。そして、新たな歴史発掘を大いに期待しましょう。

 

日替わりメモ090216

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HOME [表紙絵010] しぶいですねえ! ノースアメリカンSNJの修復作業 1999年小月基地
A6509  航空史探検博物館 山口県下関市 海上自衛隊小月航空基地でのノースアメリカンSNJの修復状況

展示途中での解体修理

 表紙と小月のページに出したSNJは、何ともしぶい印象です。まさに玄人好みのショット。と同時にまた何とも不思議な風景でもあります。用廃から34年も経っている老いたる練習機の翼や車輪やエンジンカバーをはずしてまるでオーバーホールをしているみたいです。単なる化粧直しなら修理ハンガーの前へ持ってきてバラすこともないでしょうから、この際徹底的に修復しておこう、そして、KM-2の水平対向エンジンしか知らない航空学生に星型エンジンを勉強させてやろうという基地司令の親心、うまくいけば、滑走くらいはできるかもという下心があったかどうか、そこまでは考えすぎかな。

 主脚の下にコンクリートブロックを2枚重ねているのもしぶいですね。一部塗装を落としながらナンバーや海上自衛隊の書体を保存しようとしているらしいのもいいです。業者にやらせたのか、教官と学生がやったのか、いずれにしても、老いたる展示機を保有する各自衛隊は参考にして貰いたい。

 なお、このSNJ作業の隣では、KM-2の6282がプロペラや翼端をはずされた姿で写っており、それは、常設展示をKM-2最終生産機の6292と交替させるために、撤去解体をしていたものと思われます。
 

○ 続 スーパーチャージャー(過給機)のインペラー(羽根車)について

 しぶい・玄人好みといえば、昨日発表のスーパーチャージャーについて、オールドマニアの皆さんから「やっぱり、こういうのを見るとほっとする」という声を頂きました。同時に、記述の間違いも指摘されています。当方としては、故きを温ねて新しきを知る、その声援がとてもうれしいです。
 小月のSNJのエンジンもP&W R-1340ワスプ 空冷星型9気筒で、スーパーチャージャーは1段1速です。某県某所のインペラーもR-1340の可能性なきにしもあらずです。


090130 0210番の早朝のダッシュに関連して 

 社内規律も何も無視して、人がどう迷惑をしようがいい写真が撮れれば結構というマニアの風上にも置けないルール無視野郎に多くのヒコーキマニアが憤慨しましたが、鉄っちゃんの世界はそんなものじゃないんですね。土曜日に千葉県で走ったC-57は線路上から立退かない馬鹿のために停まらざるを得なかったり、この写真のようなことをする社会の鼻つまみ馬鹿野郎まで居たそうです。
 ヒコーキ屋さん達よ、ルールを守っている姿を鉄っちゃんに見せてやろうではありませんか。

 

日替わりメモ090215

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A4202  航空史探検博物館 石川県小松市 石川県立航空プラザ に富士T-3展示
R96 調査研究コーナー96  スーパーチャージャー(過給機)のインペラー(羽根車)について

富士T-3の展示機

 一昨年の岐阜基地航空祭で、航空実験団のマークを描いたT-3用廃機3機が展示され、以後、2機が美保基地とかかみがはら博物館へ引き取られ、残る1機は淡路島のミツ精機へという情報を聞いたような気がしていたのですが、何と石川県立航空プラザへ非常にきれいな姿で展示されていました。Arizonaさん,ありがとうございました。

 とすると、ミツ精機には? (同社ホームページの展示機情報は空白です)


○  
スーパーチャージャー(過給機)のインペラー(羽根車)について

 最近のレシプロ小型機のエンジンには、過給機がついているのでしょうか。ジェット時代になって航空エンジンにおけるスーパーチャージャーとか過給 機とかが死語に近くなってきたような感じがしないでもありません。 

 また、過給機という単語自体が難しい(馴染めない)航空用語であると佐伯は思っています。航空エンジンが日本に入ってきた当時に誰が過給機と翻訳したのでしょうか。
 
昭和18年に航空士官学校教授が編纂した航空事典に原語が次のように載っています。
     ドイツ語 vorverdichter (佐伯の直訳 前で濃縮する機械)
     ドイツ語 ladepumpu (佐伯の直訳 通風ポンプ)
     ドイツ語 gabläse (送風機)
    英語    blower (送風機)
    英語    supercharger
 (佐伯の直訳 超送風機
    仏語    commpresseur (圧縮機)
 
どうも、vorverdichter又superchargerを苦心の末に過給機とこじつけたように思うのですが、「給機」はいいとしても「過」が何とかならんもんですかねえ。気化器の次にくるものですから「燃料増速機」や「増給機」なんて如何でしょうか

 お勉強はこのくらいにして、調査研究コーナーで紹介するインペラー(羽根車)は 空冷星型エンジンの遠心式過給機の部品です。第二次大戦から戦後相当期間まで活躍したエンジンから取り外されたものでしょう。羽根の数が19枚と少ないので、2段式過給機の1段目の羽根車かもしれません。単体を現物で見るのは珍しいです。

 そういうことで、 参考としてR-1830エンジンのスーパーチャージャーとキャブレ―タ―の解説を付けておきました。インターネット航空雑誌ヒコーキ雲開始前に手掛けていた日本におけるダグラスDC-3技術編の中から復活させ ました。8年前に、専門家に教えて貰いながら発表したもので汗顔の至りですが、R-1830エンジンは、 エンジン史において古典としての価値をもっており、時に振り返ってみるのも必要なことと思っている次第です。

 

日替わりメモ090213

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A3662 航空史探検博物館 東京都大田区 ANAグループ安全教育センターの展示機 ベル47D-1
A7411 航空史探検博物館 高知市 思い出 1966年川崎ベル47G-2で遊覧飛行

ベル47

  ヘリコプターといえばベル47、ベルといえばヘリコプターを指すというように一世を風靡したベル47シリーズのD型とG型が登場しました。

 D型は、ANAが交通博物館から引き取ったもの、G型は、高知市内上空一周の遊覧飛行の思い出です。DとGの簡単な見分けはエンジンの後ろにある燃料タンクです。D型はタンク1本を横に据え付けて容量は29ガロン、G型はタンク2本を並列に据え付けて容量が43ガロンです。エンジンもフランクリンからライカミングに替っています。
 47シリーズは、川崎ベルG3B-KH4になって性能が更に向上し、レシプロヘリコプターの大ベストセラーとなりました。小柄な体に似合わない大きなパタパタ音を響かせていた当時がなつかしいですね。

 今話題の映画、「チェ ゲバラ39歳 別れの手紙」のラストで、処刑されたゲバラの遺体をCIAのベル47にくくりつけて運ぶシーンがあり、どうも川崎製のKH4のように見えました。監督は、ゲバラが死んだ1967年にCIAが持っていたヘリコプターなら、ベル47のどんな形式であろうとベルはベルよということでしょうが、ヒコーキファン(狂人)としてはちょっと! 今頃の映画館は入れ替え制になってしまって、もう一度確認しようと思ったら切符を買い直さなければならないので、あきらめ! 誰か確認してくれませんかね。


○ 座布団10枚

 昨日書いたダブル国籍のハンターについて、米軍の治外法権ぶりと日本政府への皮肉に「座布団10枚」の声が掛りました。ありがとうございます。喜んで頂きましょう。

 とはいうものの、こういう意見があちこちから上がる独立国日本であってほしいですね。

 と威張っておりましたら、そのニュースフラッシュ記事で左右を間違えて書いた箇所が4つもありました。これは、すべて佐伯のミスです。早朝半眠状態という言い訳に加えてもう一つの欠陥を白状致します。私の軍国少年時代には、「マエエー ススメ」の号令の次には「ヒダリミギ ヒダリミギ」と調子をとられました。右利きの私はつい右足から出てしまい、それがヒダリミギのトラウマ(注)になって、いまだに左右を間違えるのです。対向車のない道路では、いつも今ヒダリを走っているなと確認しなければなりません。そんなことでインターネット航空雑誌ヒコーキ雲の中に左右の間違いが多く潜んでいると思いますので、見付け次第知らせてください。

(注) トラウマとは、精神的外傷を意味するギリシャ語

 

日替わりメモ090212

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N599 ニュースフラッシュ599 2009/02/11 カナダナンバーに戻した?厚木のハンター
N598 ニュースフラッシュ598 2009/02/11 浜松広報館アンサンブルコンサート

治外法権

 にがうりさんのレポートとGO! NAVYさんのニュースによりますと、昨日厚木で飛んだホーカー ハンターは、胴体の右側にカナダ民間登録記号、左側にアメリカ民間登録記号を付けています。厚木の米海軍はやりたい放題なのかと思ってしまいます。
 想像ですが、いくら軍事目的であっても、もし本国で飛んだら航空局から軍へ厳重な抗議が行くのではないでしょうか。

 日本の航空局が手を出せない協定になっているのかどうかは知りません。しかし、NナンバーやCナンバー機がわが国の航空法を一顧だにせず、遂にはダブル国籍で飛ぶという治外法権ぶりは如何なものでしょうか。当局の意見を聞きたいです。

 航空法第144条
 第57条(国籍等の表示義務)の規定による表示をせず、又は虚偽の表示をして、航空機を航空の用に供したときは、1年以下の懲役または50万円以下の罰金に処する。

 米国大使館もしくは在日米軍司令部がここを見ているなら、日本の国内法に準じた(尊重した)行動をとるように基地へ指示していただきたい。こんなことを主張するのはインターネット航空雑誌ヒコーキ雲だけであって、日本のお役所などには全く期待がもてないですから。

 

日替わりメモ090211

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百年に一度の不況

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲には広告収入がありませんので、幸いにして不況の影響を顕著には受けていません。無料でサイトを借りている人や広告収入に依存して制作しているサイトはどうなのでしょうか。メディアが紙から電波へ、テレビからインターネットへとシフトしつつある間はネットが落ち込むことはないかもしれません。しかし、パソコンと携帯電話の販売台数が減少に転じたことからも、これまでのようにアクセス数が右肩上がりの増加ということは、よほど話題のあるサイトを除いては無理でしょうね。

 それ以上に深刻なのは紙媒体です。アメリカでは伝統ある新聞社が次々に破たん状況に陥っていますし、TIMEやNEWSWEEKなども広告減と部数減にさらされているそうです。恐らく日本でも同じでしょう。

 航空雑誌界は健在ですか? 昔からご常連のJALなど大手航空会社と三菱など大手メーカーの広告出稿に影響は出ていませんか? カメラや模型メーカーは如何ですか? 
 広告が欲しいために提灯記事を書いていてはだめですよ。内容で勝負です。紙質やカラー印刷を落としてでも真面目な本を適正価格で売るというものが出てくれば、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲が全面的に応援しますから。


失われた10年
 日本を、合衆国の51番目の州くらいに思っているらしいオバマ大統領が「1990年代、日本では十分に大胆かつ迅速な行動をとらなかったため、経済成長を遂げられず、90年代は失われた10年と呼ばれるようになった。」と言いました。(訳は読売新聞)

 大胆かつ迅速な行動をとらなかったのは誰でしょうか。

 党内の総すかんを喰らって退陣した海部首相の後を継いだ宮沢喜一総理です。安竹宮のニューリーダーの一人として期待されましたが、打ち出す政策をことごとく竹下派につぶされて、プラザ合意後の円高是正に大胆かつ迅速な行動たるべき有効な手立てを講じることができませんでした。
 竹下派が権力闘争で宮沢つぶしに走ったのは陰の原因があります。宮沢大先生は東大卒を強く鼻に掛け、東大以外の人とは対等に話しをせず、竹下氏に対しても「あの頃の早稲田は無試験で入れたよなあ」などと軽蔑したという、歴史の陰に女ありじゃないが、歴史の陰に学歴差別ありで、不信任可決という失脚の道をたどりました。

 しかし、その能力は一頭地抜いていました。その後の小渕、森内閣に請われて大蔵大臣に就任します。しかし、大胆な政策も時既に遅し、後年、アメリカ大統領から失われた10年と失政の引き合いに出されることになったのであります。

 ヒコーキマニアとしてみた宮沢さんの功績  副総理時代に政府専用機の導入を閣議決定

                                             建国の日の雑談  終わり

 

日替わりメモ090210

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A8815 航空史探検博物館 沖縄県宮古島市 日本の風景 宮古空港

宮古空港

 12年前に建てられた宮古空港のターミナルビルの外観は独特ですね。那覇市の松山喜治一級建築士が設計したそうで、あれが伝統の沖縄様式というのか聞いてみたいです。赤瓦で葺いた屋根を多層にして大きな窓を設けているのは太陽光を十分に取り入れるためかと思いますが、その三角形の組み合わせが、なぜかお城のようにどっしりとしています。管制塔の屋根までが似たスタイルなのです。

 宮古島がオリックス球団のキャンプ地になって、増えた観光客に異国へきたような感じを与えるのではないでしょうか。下地島へ旅客機の訓練を見に行くマニアさんは、経由空港の宮古でじっくりと見学してきてください。


090130番の早朝のダッシュに関連して

 090130番ではサイト名を明らかにしませんでしたが、責任上、そのサイトに転載の断りを実名で投稿しておきました。そうしたら、驚くべき意見が開陳されました。54歳のその人は文面からして航空関係の組織の中堅だと思います。分別ある大人がこれでは、日本人の道徳も何もお先真っ暗です。

 

日替わりメモ090209

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RS-1  調査研究コーナー特集記事 日本におけるダグラスDC-3研究  G海上自衛隊 9021 1959/12/10小牧基地の写真

海上自衛隊R4D 9021 1959/12/10 小牧基地の写真

 昨日のT1F2(T-1A)と同じ日に空自小牧基地で写されたもので、かなり露出不足ですが、海自への供与後に鹿屋教育航空隊での訓練というよりも輸送機としてあちこちへ飛んでいたらしいことを示すものとして採用しました。

誇 り
 日本におけるダグラスDC-3研究の写真が海自R4Dを含めて140枚余に達しました。飛ぶ姿を見なくなってから40年、現役時代の写真を集めるのはもう不可能と思っていても、どこからか出てきます。その呼び水としてダグラスDC-3研究が陰に陽に役立っていることは論を俟ちません。
 今後、仮にプロ作家がダグラスDC-3を手掛けるにしても「日本におけるダグラスDC-3研究」
を参考にせざるを得ないと思います。なぜならば既刊書籍には随分と誤りがあり、当方が皆さんのご協力で正確な史実に近ずける努力をしているからです。およそ80ないし90パーセントは達成されたと自負しています。

 写真等提供者の皆さん、どうぞ
「日本におけるダグラスDC-3研究 」を誇りにしてください。そして「日本におけるダグラスDC-3研究 」を超えるものがあるかどうか、ご自身の目で検証して頂きたいと存じます。

似たような話で、或る人から、去年発行された2冊のヒコーキ回顧本の中にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲から取材している箇所が見られるとのお知らせがありました。本屋で立ち読みしてみると、確かに航空史探検博物館を見ているなと思われる記述が散見されました。もちろん、当方への断りはありません。参考文献にも書いてありません。
 プロと出版社が盗用(まがい)するまでに成長したインターネット航空雑誌ヒコーキ雲として、これも誇りにしようではありませんか。


○ 続々 自衛隊の対応について

・ T.N.さんから 続伸のメール

 毎朝PCを立ち上げ一番にヒコーキ雲を見るのを楽しみにしています。昨日のヤマトンチュさんの意見は 、佐伯さんにとってはかなり応える内容ではなかったかと思います。その意見を掲載される度量の深さと公平さに敬意を表します。ただ、ヤマトンチュさんの意見には小生も同感です。
 
 今回の佐伯さんの意見は、F−15Jの件と掲示板の件は内容が違うと思いますいます。
A F−15Jのラダーに対する疑問
  こういう疑問を持つことは大切なことで、写真を見てそういうことに気がつき、どうして?と思うことは佐伯さんの若さだと思いますいます。さらに自分に納得がいくまで、疑問を持ち続けることはさらに重要でしょう。
 ただ、今回の防衛省側の対応がそっけなく感じるのは、相手は油圧操縦システムをよく知っている人で、それを知らない人にどの程度の説明をしていいか理解できないからでしょう。
 質問も左右のラダーが別の方向を向いているのが、疑問なのか翼バサミがないと、動翼がばたついて、機体のヒンジに影響するのではないか?ということなのか、より具体的に表現する必要があると思います。
B 航空祭の説明板
  この件も記載内容の明らかな間違いを指摘しても、対応が悪い。あちこちの基地で同じ飛行機の説明が違っているのに防衛省としてまとめていく姿勢がみられないことへの不満の二点かと思います。
 Aは個人的な疑問であり、Bは国民に正しく情報を伝える防衛省の姿勢ということで大きな意味があると思います。いずれにしても、納税者である国民の意見に真摯に答える義務があると思います。「重箱の隅」がどの程度からそう言われるのか難しいところではありますが、小生は世の中全体がアバウトになりつつあるように思います。
 自転車のチェーンがさび付いてキシキシ異音をたてているのに平気で走っている人がいかに多いか。小生は自転車が泣いていると思います。最低限のメンテナンスもできない人は、左側通行を知らない人と同様自転車に乗るべき資格はないと思います。

・ 佐伯ファンさんから メール

 昨日のメールに「誹謗中傷的とも思える記述内容も見受けられる」とありますが、言い過ぎではないでしょうか。
 敢えていうなら、冷笑に近い表現はあります。防衛省と朝雲新聞社の関係などは、近頃話題の高級官僚の天下りあっせんを皮肉る意味もあるのかなと笑ってしまいました。その辺が佐伯さんらしい。短歌の紹介もいいです。 これからも佐伯流筆法に磨きをかけてください。

佐伯から : 謹んで拝読しました。私の考えは昨日書いたとおりであります。

 

日替わりメモ090208

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RS-2 調査研究コーナー特集記事 富士T-1A/B研究  95-5803 59/12/10  小牧基地の写真

○ T1F2(T-1A) 3号機の初期の写真
 富士T1F2の3号機
95-5803は、記録によれば1959年3月に航空自衛隊へ引き渡されました。その年の12月にF-86Dなどの取材で小牧基地を訪れた戸田さんが、たまたま岐阜飛行場の拡張工事中のため小牧へ来ていた実験航空隊の3号機を撮影しました。貴重な写真です。

 水平尾翼の下面から胴体にびっしりとボーテックスジェネレーターが打たれています。尾翼のバフェッティング防止対策として取り付けられているノースアメリカンF-86Dの尾部そっくりです。 世傑114富士T-1によれば、内藤子生技術部長が映画超音ジェット機で昇降舵に発生する衝撃波による舵の逆効きからヒントを得て、水平尾翼の後退角(35.5°)を主翼(25°)よりも大きくして衝撃波の発生を遅らせたということですが、このボーテックスジェネレーターについては解説が見当たりません。測定の結果 は必要なしと判断されたものと思います。 6号機までの量産試験機でさまざまな試行錯誤が行われていた一例でしょう。


○ 続 090207自衛隊の対応について  メール到着順

・ T.N.さんから

 油圧サーボで動く動翼は風でばたつくことはありません。油のダンピング効果で徐々には動きますが、ヒンジに影響を与えるような一気に動くことはありません。したがって、フレンドシップなどの人力のみで動くものとは基本的に違います。人力操縦機に装備されている動翼をロックするためのガストロックが油圧で作動する動翼にはありません。とい言うより必要がないからです。

 F15Jのラダーが左右反対に動くのも同じ方向に動くのも、風任せです。左右のラダーが機械的にリンクされていなければ、不思議なことではありません。主翼のエルロンが左翼も右翼も下がっている場合もあります。人力操縦機では考えられない現象ですが。

・ H.O.さんから

 090207の日替わりメモ読みました。自分の考えとしては、自衛隊の対応は市役所や民間会社と同じだな、です。佐伯さんの自衛隊の対応3分類は、良く分かります。
 私もサラリーマンであり、会社では管理部門のスタッフとして働いています。3に近い対応を心がけていますが、対応が苦しい事案や、またかよ!と感じる事案は、2に近くなってしまいますね。社内なので誠実に対応しないと、後が面倒になりますが。
 自衛隊も、いろいろ大変でしょうが広報の方には国民側に立っての対応を望みます。看板他の間違いが、現場の士気低下でないことを祈ります。

・ ヤマトンチュさんから

 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲はなかなか興味深い記載が多いので楽しませてもらっています。自衛隊の指摘事項のことで個人的に思ったことを書かせてもらいます。

 間違っていることや疑問点について問うということは全く問題無いとは思いますが、その内容が非常に細かいですね。

 全国民レベルに対しての簡単な説明なので、多少の間違い(誤差)程度なら一般人より少し知識があると思っている私の場合なら笑ってすませる範囲です。佐伯さんにとっては許せない範囲なのでしょうね。

 それよりも、書き込みを読んでいると何となく間違い探しというか、重箱の隅を・・・というイメージがあり、あまりよい印象を受けません。しかも、何度も問い合わせていますね。 一度問い合わせた後の反応をみればだいたいそれで相手の出方がわかるような気がしますが。

 また、そのやり取りについての書き込みです。 相手の反応が良くないからといってそれの批判を書き込むのはどうかと思います。相手(この場合は自衛隊ですが)にもそれなりの理由があると思いますし、質問に対してその回答内容を記入する程度にしたほうがよいのではとも思います。誹謗中傷的とも思える記述内容も見受けられます。

  それからF-15のラダーの件ですが、その点に関しては私も仕事柄ある程度は知っています。結論から言わせてもらえば回答どうりで心配無用です。YS-11など昔の人力の機体なら損傷防止のために通称「翼挟み」という物で固定しますが、油圧アクチュエーターが付いている機体では、それがダンパーの役割をしていて、多少の風では全く影響ありません。

水平に取り付いているエルロン、エレベーター、スタビライザー等の場合は自重で下がる方向に時間とともに動きますが、垂直に取り付いているラダーの場合は通常なら風の影響で片側に向く場合が多いのですが、風が無い時にはケースバイケースで傾くことがあり、左右逆に傾いても全く不思議な現象では無いと思います。

エンジンを停止している状態では、油圧がかかっていないためと停止時にロック機構などもありませんからあのようになります。手で押しても動きます。油圧がなくなっても、シリンダー内には油が残っていてますから、ゆらゆらゆれることはありません。手で押しても、ぐ〜っと力をいれないと動きません。フラップも同じです。垂れ下がるのも、じわーっとゆっくりと下がっていきます。風でばたばた動くことはありません。

(では、誰かが力で押してこのようにしたのですか? 手を広げて歓迎の意を表したのですか? 佐伯)

 

佐伯から : ご三人の意見、ありがたく且つ反省しながら読みました。 ヤマトンチュさんの「誹謗中傷的」というお言葉は謙虚に受け止めなければならないと思っています。ただ「重箱の隅」については、たかが説明板の小さなミスと笑って通り過ぎるという心境にならない人も多いのです。例えば090206番のT.T.さんの北部方面飛行隊指摘の投稿などの例でわかります。私もその一人です。

 自分のお金で作って自分だけが見るのならいい加減な記述でも結構です。しかし、国民に広く公開するという前提では常に緊張感をもって周到な検討を行うべきであり、気付いた誤りは直ちに正すべきです。それが広報というものの基礎中の基礎ではないでしょうか。多少のミスは許されるというのなら官公庁でも企業でも広報は成り立ちません。

 航空機の事故原因の中には、常識では考えられなかった、信じられないような小さな重箱の隅が金属疲労や腐食につながっていたというようなことが報じられます。広報にも通じることだと思います。

 

 以上、かたいことを申しあげて大変失礼しました。お口直しに昨日のNHK教育テレビでやっていた全国短歌大会での茨城県の女性の句を紹介しておきます。

   国道の 左右にながく 基地みえて カーナビ画面の 空白つづく

 
お嬢さんの結婚式のために沖縄へ行き、嘉手納基地を通り過ぎる時に浮かんだそうです。
 声に出して読んでください。カーナビ以下の文句が実にいいし、意味深ですね。皆さんにも経験がありませんか。  

 

日替わりメモ090207

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○  自衛隊の対応について
 
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲開設以来自衛隊へ航空関係の質問を多々行ってきましたが、お相手の対応は3段階レベルに分類できます。
 3=正面から真面目に回答 
 2=肩透かし、逃げ、認識不足の回答 
 1=無視
 さて、今回の新田原基地渉外室と美保基地広報班は、残念ながら下記のとおりランク2マイナスとせざるを得ない結果になりました。下記を公表するにあたっては全文を両基地へ送りましたが、事実に反するとか公表は困るとかの応答は7日朝現在届いておりません。

 

 航空自衛隊からの答え この程度のものでしょうか

 先月以来この欄で問題にしてきた新田原基地でF-15Jの方向舵が左右反対に向いていた謎と「間違いだらけの説明板Z15」で取り上げたYS-11P(輸送機型)の説明板が美保と新田原で数値が違う問題などについて、一度目の回答では納得できなかったので、再度質問し、催促を重ねてやっと最終の答えをもらいました。しかし、両基地広報の答えは、とてもここに全文を披露できるようなものではありません。失礼ながら、この程度のレベルでしか国民に説明できないのかと情けなく思います。

@ F-15Jの方向舵が左右反対に向いている謎について
 新田原基地の最終回答は、油圧を落とした後に、何らかの原因でそうなったのであろうが、風で動いたとしても機体には何らの影響もないので心配無用、詳しく調査する必要はありませんと切り捨てられました。

A YS-11Pの前に置いた説明板が美保と新田原で数値が異なることについて
 新田原からは回答なし。美保からは、あれは新田原で作ったものだからあっちへ聞いてくれとのこと。美保の方の説明板で総重量14.6t(23.5tが正しい)という間違やその他の数値の大きな違いについては説明なしです。

B YS-11P(輸送機型)の乗員の数と職名について
 美保からは、任務によって仕様や従事する乗員は変化することもあり、国防上、任務上、内容は答えられないとのことです。

C 日本航空機製造(日航製造)を日本航空機と書いていることについて
 両基地とも回答なしです。

D 説明板全体について
 美保においては、航空自衛隊ホームページや自衛隊装備年鑑等によって説明板の内容を検討させるということです。


 ちょっと開いた口がふさがりませんね。@については、風でふらふら動くようなら、ストッパーを挟むとか何とかしないとヒンジの疲労が進むのではないかと素人の心配が余計につのりますが、心配無用と切り捨てられたら、素人の立場ではもう質問する気が萎えてしまいます。

 A、Bについては、去年の美保と新田原に同じ#158が展示され、その前に置かれた説明板の数値が両基地で違うというのは結果として国民を愚弄した行為なのに、指摘を受けてもまだ気がついていないようです。説明板1枚でも国民の税金で作るのだという意識が欠けている証拠だとみます。

 YS-11P(輸送機型)の乗員の数や職名に関しては「操縦士、副操縦士、航法士、通信士、空中輸送員で5人」とこれは当方の推定ですが、この程度のことが国防上答えられないのでしょうか。別に作戦上の秘密バリエーションを答えて貰う必要はないのです。

 C、Dについても常識の範囲の問題ですが、装備年鑑のデータを根拠にするというのも奇妙な話です。航空自衛隊が航空自衛隊航空機の説明板に部外の図書からデータを求めるなんてねえ。
 朝雲新聞社が防衛庁から直接資料を得ているから正確と思うのは自由ですよ。しかし自衛隊が「朝雲新聞社へ聞け」とタライ回しするようなものだと思いませんか?

 もっとも航空自衛隊ホームページのYS-11の主要スペックにエンジンの「離昇馬力3,60ehp/1基」なんていうミスもあって、本家が信頼できないですから、各基地がおかしくなるのも無理はありませんけど。

 

なお、1月28日に佐伯が両基地司令に発したメールは、下記のとおりです。

○  言いたくはありませんが‥
  誇るべき国産機であるYS-11の前に立てられた説明板の「幼稚」な記述のことです。佐伯は5年前の新田原航空祭へ行った時に気付いていたのですが、去年の航空祭でもやはり同じものが立てられているのを知りました。美保基地も同じ。小さなことでもいつまでも放置されていると我慢ができなくなります。
 幼稚かどうかは見る人によって違うので決めつけはしませんが、YS-11の要員或いは説明板を管理する隊員が1人として気付かない、或いは気付いても改めないという怠慢についてです。 
 言いたくはありませんが、敢えて両基地の司令官に申し上げておきます。民間機総退役の頃から国民的人気となったYS-11ですから、ゲゲゲの鬼太郎で人々を喜ばすだけでなく、機体本来の説明にも十分に気を遣って頂きたいと。
 そう言えば、新田原の広報は、F-15の停止時のラダーについての質問に、何度催促しても返事をくれませんね。市民相手にせずの思想でしょうか。
 新田原基地 米沢空将補のインターネットご挨拶から
 この基地、地域が我々に何をしてくれるかではなくて、我々がこの基地、地域のために何ができるかを常に、考えながら行動してまいります。
 
地域とは必ずしも基地周辺だけではなく日本国民すべてをさすものと考えますが違いますか?


 この件に関して、閲覧諸氏の感想やご意見をお寄せください。これからの対応の参考にさせていただきます。匿名で結構です。

 

日替わりメモ090206

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HOME  [表紙絵009] のんびり感あふれるの米海軍SNJ着陸進入 1967年頃大阪国際空港にて
N597 ニュースフラッシュ597 フォッカー50のさよならフライトとエンブラエル170の就航記念フライトを掛け持ち

○ 表紙絵 のんびり感あふれるの米海軍SNJ着陸進入 1967年頃大阪国際空港にて

 新明和への連絡で飛来したのでしょうか、脚を降ろし、独特のフラップを一杯に下げて進入しています。機内ではパイロットが一番緊張する場面ですから「のんびり感あふれる」などと言ってはいけないのですが、やはりレシプロエンジン機のノスタルジアを感じさせる写真です。NAVYのノースアメリカンSNJ(T-6)というのも日本国内では珍しいように思います。


○  終わりと初めの掛け持ち

 土曜日、日曜日とうまい巡りあわせになった定期路線のF-50のさよならフライトとE-170の初フライトの切符は早々と完売でした。しかし、エアーセントラルの場合は、運よく搭乗できた人も、乗れないでせめてセントレアでの到着便を写そうと待っていた人も悪天候に泣きましたね。でも、翌朝には一日遅れの最終便が無事飛びまして何とか格好だけはついたようです。

 その最終便を投げうって仙台から新幹線乗り継ぎで名古屋空港へ駆け付け、J-Airの就航記念式典を取材して松山行きに乗り込んだというツワモノには恐れ入りました。時刻表を調べて決断する時間的余裕は10分ほどだったといいますから、ハロースクエアさんは、欠航などを何度も経験している常習犯(失礼)に違いないですね。年に1〜2回しか飛行機に乗らない田舎者ではこうはいきませんよ。

 ところで、一日遅れの最終便(臨時便)まで待たされたお客さんは、ホテル代を出してもらったのでしょうか。田舎者には大変気になることで‥。


○ 陸上自衛隊表記の間違い  T.T.さんからメール

 初めまして、元陸上自衛隊航空隊員です。いつも興味深く拝見しています。記載内容に2点間違いがあると思われるのでお知らせします。 

@ ニュースフラッシュ559 平成20年度 防衛庁航空観閲式   
  防衛庁ではなく防衛省です。

A 調査研究コーナー R95 陸上自衛隊のセスナL-19 11001号機N(北部方面航空隊本部付)について
  撮影の1980年当時は北部方面航空隊本部付隊は編成されていません。北部方面航空隊本部付隊に改変されたのは1994年ですので北部方面航空隊隷下の北部方面飛行隊が正しいです。

佐伯から : T.T.さん ありがとうございました。早速修正しました。これからもお気付きをどしどし知らせてください。

 

日替わりメモ090205

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A5501 航空史探検博物館 大阪府豊中市 思い出 1957年頃の新明和興業伊丹工場

○  新明和興業株式会社伊丹工場

  オールドファンには懐かしい写真を頂きました。新明和興業の伊丹工場が操業開始して3年目くらいの工場エプロンにいる飛行機です。ロッキードPV-2ハープーン(次期対潜哨戒機P2V-7ネプチューンの訓練用に供与されたと言われている)、グラマングースの海軍型であるJRF-5、海自に3機しかいなかったシコルスキーS-51それにUS ARMYのバイアセッキ(バートル)H-21など‥。

 1957(昭和32)年頃は、まだ米軍管理下の伊丹基地ですが、写真を見ますとなんとなくのんびりした空気が漂っているみたいです。カメラをかまえても咎められることはなかったのでしょう。
 また、新聞社の小型機などは八尾飛行場をベースとしており、八尾もある程度自由に入れましたので、そういう撮影機会に恵まれた両飛行場の環境の中で多くのマニアが育ち、KAPC(関西航空機写真クラブ)や彩雲会などがいきいきと活動できたわけです。A5504にほぼ同じ頃の八尾飛行場風景を載せていますので、比較してみてください。

 なお、新明和工業の「工業」は、当時は「興業」でしたのでお間違いのないように。

 伊丹は、米軍がITAMI AIR BASEと呼称したため、今でも愛称は伊丹空港ですが、1958年日本へ返還されてからは大阪空港、翌1959年に大阪国際空港と改称され、羽田と並ぶ国際空港として発展します。
 近々、1960年代の華々しい頃にKAPCの会員が写した民間機や新明和の軍用機などを発表したいと思っています。

 

日替わりメモ090204

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A6519 航空史探検博物館 山口県下関市長府 功山寺 航空界 洋装界 佐村福槌君夫妻乃碑

○  航空界 洋装界 佐村福槌君夫妻乃碑

 A6519へ転記


○ OKUBOさんにお礼 
 オランダ製(ルフトハンザのA321)プラモデルとJALやJASの機内配布模型キット、それに船の科学館の二式大型飛行艇ガイドブックの小包を、昨日ありがたく受領しました。
 その中に思いがけずウイスキーのヴィンテージ陶製ボトル! 皆さん、どこの航空会社が配ったものかわかりますね。
 OKUBOさんは「飲むも良し 見るも良し 随意に処分せよ」とのご沙汰ですが、飲み助の吾輩に我慢できる訳もなく、底の蓋を開けて、まろやかなる味を試飲いたしました。午前6時前の今も少しなめております。例の全身にアルコールが回ってだるくなる気配がきております。
 ありがとうございました。メールを扱っておられないので、この場を借りて到着のお知らせと御礼まで。

   

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