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飯島愛さん:2200人別れ

 昨年12月に肺炎のため亡くなった元タレント飯島愛さん(本名大久保松恵、享年36)のお別れの会が1日、東京プリンスホテル(港区)で行われた。一般の参列者を含め約2200人が故人をしのんだ。発起人として奔走した中山秀征(41)は「愛ちゃん、みんないっぱい集まってくれました」と涙。多忙なスケジュールを調整して、島田紳助(52)、「SMAP」の中居正広(36)らも駆け付けた。

 タレントや関係者約700人、ファン約1500人が飯島さんとの別れを惜しんだ。終了後、取材に応じた中山は「これだけの人に来てもらい、飯島愛が歩んできた道の大きさが分かってもらえた」と声を振り絞った。

 生前好きだったカサブランカ800本、桜の花などで彩られた祭壇の中央でほほ笑む遺影は04年4月、雑誌「婦人公論」(中央公論新社)の表紙用に篠山紀信氏(68)が撮影した1枚。参列者は思い思いに献花し合掌した。

 島田は、この日午後からレギュラー番組の収録があったため、前日28日まで出席が未定だった。関係者の配慮で、7番目だった弔辞の順番を2番目にしたものの終了まで滞在。弔辞では「妹分のくせに女性関係を注意された」などと思い出にふけった。その後も報道陣の取材に対応。15年前、飯島さんが島田の自宅を訪れファクスを取り付けたエピソードを明かし「昨年新しいのを買いに行ったら、その1週間後に亡くなった。いまだに取り換えられない」と涙で顔をくしゃくしゃにした。

 TBS「サンデージャポン」の生放送を終えて駆けつけたテリー伊藤(59)は、一般参列者に交じって献花。「(飯島さんを)あまり英雄視しないでほしい。本当にダメな人だった。こんなにたくさんの人を悲しませて…。いたら怒りますよ」と行き場のない悔しさをぶちまけた。

 お別れの会は、飯島さんが“芸能界の兄貴分”として慕っていた中山が今年1月半ばから遺族らと相談して計画。中山の音頭に志村けん(59)、島田ら大物タレントらが発起人として名を連ね、その輪は広がっていった。

 中山は弔辞で「美人薄命とは言いますが、本当にその通り。あなたは日本の(マリリン)モンローです。また会おう」と歯を食いしばってあいさつ。一般参列者の献花は午後2時に締め切られたものの、2階の会場から1階まで続いた列は途絶えることはなかった。(スポニチ)

2009年3月2日

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