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実社会と同様、ネットで決して絶えることがないのが誹謗中傷だ。 2月上旬には、お笑いタレント・スマイリーキクチ氏を誹謗中傷/脅迫する書き込みをしていたとして、中野警察署が男女18人を書類送検するというニュースがネットで話題になった。スマイリーキクチ氏によれば、こうした嫌がらせはインターネットの掲示板で事実無根のウワサを作られた10年ほど前から続いており、2008年1月に開設した自身のブログにも悪意のあるコメントが投稿されていたという(詳細はスマイリーキクチ氏のブログを参照)。 匿名の誹謗中傷でこれだけの人数が摘発されるというのは、過去、日本ではあまりなかったこと。この事件はネット社会の何を表しているのだろうか。ジャーナリストの津田大介氏に話を聞いた。 安易な誹謗中傷への警告
── ネットではさまざまな場所で誹謗中傷の文章を見かけます。なぜ今回は書類送検されたのでしょうか? 津田 いろいろ思うところはありますが、この摘発が妥当だったかどうかでいえば、仕方のない部分はあるんでしょう。事実無根の中傷を繰り返していたわけですから。 インターネットは全体で見れば有益な情報やサービスが多いですが、一部には度を超した中傷や殺害予告といった、警察が動かざるを得なくなるような悪質な書き込みがあるのも事実です。 今回、警視庁は「同じようなネット上の中傷はたくさんあり、こういうことをすれば警察に摘発されるんだと警告する目的もある」というコメントを発表していました。実際に行動することで、匿名でも取り締まられる可能性があると注意したのでしょう。 今回は、「2ちゃんねる」のような匿名掲示板ではなく、本人が管理するブログのコメント欄に書き込んでいたということも大きなポイントになったと思います。本人の公式ブログはファンも見ている公然の場所です。そうしたファンに対して事実無根の情報を書き込んでいたことになる。書き込まれた本人がそれに対して「毅然と対応します」と言っている時点で、摘発されたのは当然なのかなと感じました。
「名誉毀損」か、それとも「表現の自由」か
── 誹謗中傷とは逆で、本当のことだと思ってネットに書いたら名誉毀損で訴えられたというケースもあると思います。 津田 ネットにおける「表現の自由」は、とても難しいテーマなんです。 1月31日にも、ネット上の書き込みが名誉毀損にあたるかどうかを争った裁判が東京高等裁判所で開かれました。 名誉毀損の裁判では、「事実の公共性」「目的の公益性」「真実性の証明」などが争点となります。この裁判は、昨年2月の1審にて「ネットの書き込みは利用者が互いに反論可能」「情報の信頼性が低いと一般的に受け止められている」として無罪判決が出ていました。先に挙げた争点のうち、ネットの個人利用者については「真実性の証明」の基準を緩和したわけです。 それが高裁では一審の考え方を否定し、被告の名誉毀損を認めて有罪という判決を出しています。 何が言いたいかといえば、この裁判は、名誉毀損において、放送や新聞、雑誌といった一般的なマスメディアと、インターネットの書き込みを同じ基準で扱うのかどうかという話につながってくるんです。 マスメディアによる言論には、少なくとも名目上、事実を報道する公共性とその言論に対する責任がセットになっています。だから名誉毀損の裁判で公共性が低いと判断されれば、メディアが負けることもある。 一方、インターネットは、情報発信があまりに手軽なため、書き込みをしている個人が公共性や責任を自覚しているかどうかという問題があります。環境的要因が違う両者を、果たして同じ基準で扱っていいのか。それは今後、さまざまな場所で議論をしていくべきでしょう。 とはいえ、「表現の自由」は無秩序に誹謗中傷してもいいということではありませんし、ある程度のガイドラインができるまでは個別、具体的に判断をしていくしかないのでしょう。 今回の裁判は、スマイリーキクチ氏の摘発とは違って、一部乱暴な表現もありましたが、雑誌記事並みとは言わないまでも被告の調査に基づく一定の事実が示されていました。 もし企業を告発する書き込みすべてに厳しい基準を適用し、名誉毀損として処理していると、真実性を伴った内部告発や、明らかになっている情報を元に発表した個人の否定的考察なども、杓子定規的に名誉毀損とされてしまう可能性も出てきます。 最終的には「ネット上の表現の自由をどこまで認めるか」という話になると思います。ただ、いざ規制をかける場合でも、極端な事例や事件をきっかけに基準が作られてしまうというのは違和感を覚えます。 ── そもそもインターネットには出所不明な話が多すぎて、いまいち信頼を置けないという意見もあります。 津田 結局は世代やその人ネットリテラシーでまったく変わってくるので、「ネットの情報はこういうものだ」と言い切ることも難しい。「テレビや新聞は嘘ばかりだけど、ネットなら本当のことが書いてある」と思っている人もいれば、まったく逆の認識を持っている人もいる。 しかし、リアルの世界……例えば、テレビの公開収録で観客席から「あいつは人殺しだ!」って言って回ったら、何らかのペナルティーは免れませんよね。そういう基準がネットにも持ち込まれつつあるし、昨年起きた秋葉原殺傷事件で殺害予告が厳しく取り締まられるようになったことも影響としてあるように思います。 今まではある種、見逃されていたネットに対して世間の目が変わってきたし、悪質な書き込みをした人間を摘発することを認める社会的なコンセンサスもできあがりつつあるんでしょう。今回、書類送検された人々は「まさか自分が」という気持ちかもしれませんが。 「一線」を超える人は取り締まるしかない
── ウェブサービスの仕組みやインターフェースで誹謗中傷を抑制することはできないんでしょうか? 津田 誹謗中傷が起こること自体は、どうしようもないでしょう。監視体制を強化したり、インターフェースを改良するなどで一時的に減らすことは可能かもしれませんが、それは対症療法にしかならない。 誹謗中傷の投稿者には、相手の反応が面白いからという愉快犯もいるだろうし、噂を信じて真実性を検証せずに「あの社会悪を野放しにしてはおけない」と正義感に基づいて書き込みをしている人もいる。非難した相手がその文章をネットで見る可能性を想像できずに、カジュアルに露悪的な言葉を使う人もいます。 何をしたら誹謗中傷で捕まるのか、表現の自由はどこまで守られるのか──。それは一朝一夕に解答が出るものではありません。だからこそ、民間の当事者同士で解決できる「ADR」(裁判外紛争処理機関)的な場が求められていると思います。 先日発足した「安心ネットづくり」促進協議会や、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)などが発展して、そうした機能を持つようになり、民間レベルで解決できるようになればそれに越したことはないと思いますが……。 ── この流れでは、法規制の強化も見えてきそうです。 津田 表現の自由やメディアのあり方など、センシティブな要素をたくさん抱えている問題だからこそ、安易な規制よりも先にやるべきことがあると僕は思います。 そもそも今回の事件のように、現行法でも摘発することは可能なわけですから、ネットの言論だけ特別に立法する必要があるのかという話もある。むしろ、誹謗中傷が起こった際の情報開示プロセスをどうするのかというところを議論した方が建設的だと思います。 法規制を強めたところで、誹謗中傷を完全になくすことは不可能でしょう。人生に絶望して自暴自棄になっているような人の行為と、単にリテラシー不足でうっかりおかしな書き込みをしてしまった人が同一の基準で罰せられるのも不幸な事態だと思います。 もちろんどこかに「一線」は引く必要がある。その線を越えようとする人は、今回のように取り締まっていくしかないんでしょうね。 筆者紹介──津田大介
インターネットやビジネス誌を中心に、幅広いジャンルの記事を執筆するジャーナリスト。音楽配信、ファイル交換ソフト、 CCCDなどのデジタル著作権問題などに造詣が深い。「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」や「インターネット先進ユーザーの会」(MiAU)といった団体の発起人としても知られる。近著に、小寺信良氏との共著 で「CONTENT'S FUTURE」。自身のウェブサイトは「音楽配信メモ」。
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