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田議員襲撃:騒動の発端、「東義大事件」とは

89年、警察官7人が殉職

 与党ハンナラ党の田麗玉(チョン・ヨオク)議員が、民主化実践家族運動協議会(民家協)の会員らから暴行を受けた。金大中(キム・デジュン)政権下の2002年、民主化運動補償審議委員会が「釜山・東義大事件」の関係者を民主化運動関係者と決定したことについて、再審議を求める「民主化運動関係者補償法改正案」を国会に提出しようとしたためだ。東義大事件とは、1989年5月3日、釜山市の東義大キャンパスで学生らに拉致・監禁された戦闘警察隊(機動隊)員を救出しようとした警察官7人が、学生らが投げた火炎瓶がもとで死亡した事件だ。

 当時、同大の学生らは不正入試について真相究明を求めるデモを繰り広げていたが、5月1日のメーデーと重なったことで、火炎瓶を使った過激なデモに発展した。

 そして2日、学生らは戦闘警察隊員5人を拉致、中央図書館に監禁した。この戦闘警察隊員を救出するため、警察官600人が図書館の7階に進入したところ、学生らがまいた石油やシンナーに火炎瓶の火が引火し、瞬く間に燃え広がり、警察官7人が死亡、10人が重い火傷(やけど)を負った。

 この事件で、現場で逮捕されたデモ隊のうち31人が、特殊公務執行妨害・同致死罪で懲役2年から無期懲役の判決を受けた。学生運動が過激な暴力デモに発展した最悪の惨事として、この事件は記録されている。

 ところが、金大中政権末期の2002年5月、民主化運動補償審議委員会(以下、補償委)はこの事件の関係者46人を「民主化運動関係者」と認定し、有罪判決を受けた者も含め、一人当たり平均2500万ウォン(現在のレートで約159万円)の補償金まで支給した。

 これに対し、事件で亡くなった警察官の遺族たちは激しく反発し、「加害者の名誉を保障することにより、遺族の名誉を傷つけた」として、補償委の決定を無効とするよう求める憲法訴訟を起こしたが、憲法裁は「遺族は補償委の決定で人格権や名誉権を侵害された直接当事者ではない」として棄却した。その後、遺族たちと保守系団体が引き続き再審議を求めてきたが、補償委は法律の規定を盾に拒否した。

 こうした中、田麗玉議員は今月に入り、東義大事件に関する補償委の決定について「果たして適正な判断だったのか、再度検討し直す必要がある」として、関連法の改正を進めてきた。

 田議員の改正案は、特定の事件についての補償委の審議が終わった後でも、1回に限って職権で再審議ができるようにし、その時効は10年としている。この改正案が国会で成立すれば、金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権下で補償委が下したすべての決定について、再審議が可能となる。

崔宰赫(チェ・ジェヒョク)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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