今では、毎日、元気で事務所へ通勤している。せっかく戴いた命だから大事にしようと思う。しかし、今までに、何回も死にかけてきた。
2歳の時、道から川に落ちたが水が浅く、泥の上に座る形で泣いていたという。5歳の時、頭にコマの心棒がささったが命に別状がなかった。浮き袋の空気が抜けて、横須賀の海岸でおぼれかけたが、従兄に助けられた。
最大の危機は、戦争中に、蒲田(東京)の自宅の庭で、アメリカの艦載機に銃撃されたが、僅か10cmそれて弾が頭の上の松の枝に当たって命拾いした。
昭和20年5月24日の夜、なんと私の誕生日に、蒲田・大森に米軍機が周辺部から中心にむかって、焼夷弾を雨のようにまき散らし、銃撃を加えたが、隣組(大戦中に作られた地域組織)10軒で男性は私ひとり、女性達を励まして火の中を脱出し、私の組の人達は池上本門寺の裏の畑まで、なんとか全員を無事に移動させることに成功した。
このあとも、運が悪いように思える時でも、どういうわけか、助けられて今日まで生き延びてきた。私の運は、根本のところでは強いのか、と、ここまできて想うようになってきた。空襲のほかにも、そう思えることがいろいろあったからだ。(つづく)
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