鳥取県出身のハンセン病元患者の故高杉美智子さん=仮名=が、病によって引き離された子供への思いをつづった随筆や俳句を基に、朗読グループ「沙羅(さら)の会」が県内を中心に朗読会を続けている。国立療養所長島愛生園(岡山県)の元看護師で同会代表の上田政子さん(82)=松江市=は「高杉さんはずっと日記をつけており、歴史上貴重なもの」と話している。
「長男は『母ちゃんどこへも行かないで』と涙をこぼしていました。私はその場に崩れそうになる思いに耐え、必死にすがる長男の手を無残に引き離さなくてはならなかった」。19日、出雲市で開かれた「国際ソロプチミスト出雲」主催の朗読会。脚本「沙羅の花のように」をメンバーが、音楽や写真を交えて「我が子を育てることさえできない病」と向き合う高杉さんの姿を朗読した。
高杉さんは1936年、25歳で結婚。42年に長男、44年に次男を出産した。同年にハンセン病を発病し、45年9月に離婚。長男は友達に「こんなとこに出たらいけんぞ、帰れ、帰れ」と雪すくいでたたかれ、泣き叫んだ。「病の私がいては幼い者の心をいじけさせてしまう。子供のもとにいてはならないとの思いが脳裏を駆け巡るのであった」。
旅支度をした高杉さんのそばで「母ちゃん、いたいたでもいいよ。どこへも行ったらいやだ」と泣く長男。「メリンスの着物のひざをつかむ手の指を1本ずつはがして立ち上がり、家を出ました」
45年10月、愛生園に一緒に連れてきた次男は子供寮に入り、いつでも会えるわけではなかった。「しっかりと抱きしめたい。別れて以来一度も触れたことがない。けれど許されない」。8年後、次男は愛生園を離れた。
高杉さんは俳句会に参加し、子供を思い俳句を詠んだ。句会には旅立つ日に着た、メリンスの着物で出席し「『母ちゃんの句が入選したよ』と心につぶやいてはひざをなでた」。高杉さんは95年に86歳で亡くなった。【御園生枝里】
毎日新聞 2009年2月25日 地方版