前原誠司の「直球勝負」(28)
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いわゆる従軍慰安婦問題について
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第二次世界大戦終了後60年余り経って、また従軍慰安婦の問題が政治・外交の焦点として浮上してきた。去る1月31日、アメリカ連邦議会の下院外交委員会に、民主党のマイケル・ホンダ下院議員ら超党派の議員らが、従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議案を提出した。決議案の内容は、
(1)日本政府の公式謝罪と歴史認識の受け入れ
(2)謝罪形式は首相の公式謝罪
(3)慰安婦問題に関する教育の強化
などから成っている。実は、このような決議案は1996年から過去8回出されており、今まではすべて廃案となっている。また、この決議を主導しているホンダ議員は、カリフォルニア州議会議員だった頃から、同様の決議案を提出しており、まさに筋金入りでこの問題に取り組んできた政治家だ。これは、日系3世であるホンダ議員の選挙区事情によるものが大きい。カリフォルニアのホンダ議員の選挙区は中国系アメリカ人、韓国系アメリカ人が多数居住し、日本の歴史問題に関する陳情、ロビーイングを熱心に行っていると聞く。昨年、日本が国連安全保障理事会の常任理事国入りを各国に働きかけを行っているとき、反対運動をネット上などで展開したメンバーとも重なるとも言われている。もちろん、ホンダ議員の思想信条もあるだろうが、選挙区事情が大きいのではないだろうか。
幾つかのことを確認しなければならない。一つは、いかなる決議であろうとも、外国の議会が仮に採択をしたからといって、日本がこれに従う必要性は全くない。内政干渉は毅然とはねつけ、日本が主体的に判断を下すことが肝要だ。二つめは、決議案の中には誤った表現があり、その点はきちんと指摘をすべきである。例えば決議案には「世界に『慰安婦』として知られている若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性的奴隷化した歴史的な責任」「日本国政府による強制的軍売春である『慰安婦』制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、性的暴力が含まれるかつて例のないものであり、身体の損傷、死亡、結果としての自殺を伴う20世紀最大の人身売買事案の一つであった」などと書かれているが、決めつけと事実誤認、誇張が見受けられる。間違いなどを指摘しなければ、それ自体を黙認したと思われかねない。言うべきことはしっかりと伝えなければならない。
ただ、私は過剰に反応することにも慎重であるべきだと考える。アメリカは、日本社会以上に人権に対して敏感だ。例えば、安倍総理が狭義の強制性、つまり官憲や軍による強制連行はなかったと答えたことについて、アメリカの新聞各社は一斉に批判を加えている。新聞各社の見出しを列挙してみよう。
「否定が日本の元性奴隷の傷口を再び開く」(ニューヨーク・タイムズ3月8日付)
「日本人にかけているのは、後悔という気持ちである」(ロサンジェルス・タイムズ3月8日付)
「誇り高き国家に恥を招いた安倍首相」(シアトル・タイムズ3月8日付)
私はアメリカの新聞論調がすべて正しいと言っているのではない。正しいか、正しくないかではなく、安倍首相の発言は、アメリカではこのように捉えられているという認識が必要なのである。私のアメリカの友人はこうも言っていた。「拉致問題の日本のスタンスを理解し、支持している人ほど、『強制性』を否定しようとする日本の議論に批判的だ」。つまり、「人権問題」というカテゴリーでは、こだわるポイントは同じだと言うのである。
確かに、私も強制性を狭義か広義かと議論することに、あまり意味を見出すことは出来ない。官憲や軍による強制連行を裏付ける資料は発見されていないが、多くの女性が甘言や偽りによって慰安所に連れてこられ、慰安婦として強制的に「仕事」をさせられ、管理下におかれて自由はなかったことは、1990年代初めに防衛研究所で見つかった膨大な資料が証明している。人間としての尊厳が傷つけられ、一生癒えることのない傷を、心と体に負ったのである。
私は最低限でも「河野談話」は踏襲されるべきだと考える。本来なら、総理の談話として、誠意ある謝罪をすべきであった。そして、「アジア女性平和基金」というNGOからではなく、戦後処理は終ってはいるが特例として、日本国政府が直接、見舞金を支払う決断をすべきであったとも考える。直接ではなく間接的に行っていることが、本当に謝罪をしているのかという疑念を生み出している、あるいは、その疑念を呼び起こす口実を与えている。
今後、慰安婦問題のみならず、南京に関する映画も次々と計画されていると聞く。狭義の強制性ばかりにこだわるのではなく、今までの謝罪は本物であったことを、謙虚に、そして辛抱強く説き続けることが、求められている。
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