太陽光発電が駄目だとしたら、かわりにどうすればいいか? 代替策は?
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太陽光発電について、あれこれと批判してきた。では、太陽光発電が駄目だとしたら、かわりにどうすればいいか?
代替策として思い浮かぶのは、原発だ。では、原発にすればいいか?
そう思うかもしれないが、それは短期的には解決策にならない。というのは、原発の建設には、長い時間がかかるからだ。一つぐらいならともかく、一国の電力を2割ぐらい増やすとしたら、かなり大規模な原発増設が必要となる。それは短期的には無理だ。10年ぐらいはかかるだろう。
では、どうすればいいか?
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これについては一応、次のように提案したい。(現時点での暫定案)
・ 長期的には原発
・ 短期的には化石燃料(特に石炭)
以下、個別に説明する。
(1) 長期的には原発
これは特に問題あるまい。「反原発」というイデオロギーを別とすれば、あまり大きな問題はない。ま、細かなことを言えば、廃棄物処理とか、放射能漏れの危険性とか、いろいろと危惧すべきことはある。しかしそれらは長期的には解決可能な範囲にある。少なくとも、「石油だけに頼って電力不足になる」という最悪の政策よりはマシだ。
というわけで、太陽光発電のコストダウンが現実化していない現時点では、「太陽光発電のコストが大幅に下がる」という見果てぬ夢を信じるよりは、原発に頼るという確実な政策を推進するべきだろう。
( ※ なお、仮に「太陽光発電で」という方針を取ったなら、前々項 で述べたようになる。つまり、「晴れた日には電力があるが、曇った日には停電」だ。……「日本殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」)
(2) 短期的には化石燃料 (特に石炭)
原発に頼るにしても、今すぐ原発ができるわけではない。(冒頭に述べたとおり。)
そこで、短期的な対策としては、どうするか?
「短期的には、化石燃料(特に石炭)に頼ればいい」
と私は考える。(暫定案だが。)
これには、温暖化ガスの論者から、反対論が来るだろう。しかし、そんなのは気にすることはない。
第1に、「炭酸ガスによる地球温暖化」という説は、きわめて疑わしい。実際、近年は寒冷化の傾向にある。( → 該当項目 )
第2に、「化石燃料(特に石炭)に頼る」といっても、原発ができるまでのつなぎにすぎない。10年〜30年程度の稼働にすぎない。その後は、完全に廃棄される。跡形もなく発電所は消えてしまう。とすれば、炭酸ガスの排出量増加は、10年〜30年程度の効果があるだけで、その後は排出が皆無になる。だったら、「一時しのぎ」の案としては、この案で十分だ。
[ 付記1 ]
以上は、暫定案だ。「これが絶対的に正しい」というわけではない。というのは、「化石燃料(特に石炭)に頼る」という案は、いろいろとマイナス点もあるので、「これが最善」と言えないし、他にも代替案があるかもしれないからだ。
特に、太陽光発電で画期的な技術革新があれば、そちらの方が優先されるだろう。現状では、太陽光発電で画期的な技術革新がまだないようだから、とりあえず、本項の案を出しただけだ。
今後の技術開発の推移に応じて、事態は流動的である。
[ 付記2 ]
石炭発電は、技術的には可能性ないし実用性が最も高い。以下の通り。
(1) なるほど、現状では、石炭は十分な量があるとは言えない。近年では需要増加により、価格の上昇が見られる。しかし、品質の悪い石炭ならば、ものすごく大量にある。需要に対しては無限とも思えるほど、大量に石炭がある。
(2) 大量に石炭があるが、低品質なので、現状では利用が難しい。しかるに近年、低品質の石炭を高品質に改質する方法(石炭を天ぷらにする方法)が開発された。これにより、石炭の供給不足の問題は、一挙に解決する見込み。
→ 一般情報 ,公式情報 ,最新情報
(3) それでまだ、「石油よりも多くの炭酸ガスを発生する」という難点は残る。とはいえ、これは、大きな難点とはならない。(上記。)
(4) 問題が残るとしたら、たった一つ。「石炭は炭酸ガスを大量に発生するから悪だ」という環境保護派の妨害だ。……この件は、翌日分で。
[ 補説 ]
短期的な石炭発電ではなく、長期的な原発について述べよう。
長期的には、原発に頼るしかあるまい(それがベストだというよりはそれしかない)、というのが現状だと思える。(……太陽光発電の技術開発がなされていない、という前提の上では。)
ま、それに対しては、賛否両論があるだろう。ここでは、議論の余地がある。私としては「原発」という立場を取りたいが、それに対して否定的な立場も尊重する。(原発の危険性は私も十分に認識している。それなしで済ませることができるならば、それに越したことはない。)
ただし、どうしても容認しがたい主張もある。次のことだ。
「現状程度の原発だけは維持する」
これは、現実的ではあるが、論理的ではない。
・ 原発が危険であるならば、原発を全廃するべきだ。
・ 原発が危険でないならば、原発を推進するべきだ。
論理的には、この二者択一である。一方、次の主張は、論理的に破綻している。
・ 原発は危険であるが、現状の原発は容認する。
こんなのはただの「現状維持」という案にすぎない。良し悪しを離れて、単に「現状を維持する」というだけだ。現実的ではあるが、論理的には滅茶苦茶だ。
「原発は危険であり、容認できない」
という立場を取る人がいるなら、それはそれで尊重できる。しかし、その場合、現状においても、原発を全廃するべきだろう。
その場合、当然、あちこちで停電などの騒ぎが起きかねない。したがって、全世帯に、電力使用の制限装置を設置する。その結果、次のことが起こる。
・ 夏期のクーラー使用はほぼ全面禁止
・ 冬季の暖房用の電力使用は全面禁止
・ 家庭用調理器のための電力使用も全面禁止
・ 大型テレビの電力使用も全面禁止
その結果、許容されるのは、パソコンと照明ぐらいだ。このくらいだけは、絶対必要だろうから。
一般店舗でも同様だ。
・ 店舗の過剰な照明も禁止。
・ 店舗のクーラー利用も禁止。
残るのは、工業用や医療用の電力だ。そちらが優先される。スーパーやコンビニの電力使用は半減するようにしてもらう。自販機も全面撤去だ。
要するに、産業用の電力が優先されるので、個人レベルでは、文明生活は、諦めてもらう。ついでに、自動車の利用も、大幅に制限する。ガソリンは省エネを推進するために、リッターあたり 1000円ぐらいにする。国家的に超耐乏生活を推進する。「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンで、国民全員に窮乏生活を強要する。
本気でエコをするなら、そのくらいの覚悟が必要だ。そして、それができないのであれば、「エコのために」という名分を唱えないでほしい。電力を浪費しながら「原発反対」なんて唱えないでほしい。そんなのは自分勝手すぎる。
ついでに言えば、以上のような耐乏生活は、別に不可能ではない。40年ぐらい前は、それが普通だった。クーラーもなかったし、カラーテレビもなかった。また、(現代価格に直して)ガソリンはリッターあたり 1000円ぐらいしたし、自動車は 1000万円ぐらいした。(当時の所得水準は月収2万円程度だから。)これだけ高額だったから、ガソリンも自動車も消費量はわずかだった。そういう時代に戻ればいい。(文明生活の放棄。)
「エコのために原発反対」と唱えるのはいいが、そのためには、窮乏生活を耐える覚悟をしてほしい。それもできないくせに、「エコのために原発反対」と唱えるなんて、偽善にすぎない。「自分はつらいことは何一つしたくないが、自分以外の他人に不便をかけさせて、自分が善行をした気分になりたい」というだけだ。エセ・エコ。
2009年02月23日
◆ 太陽光発電 以外では?
posted by 管理人 at 19:35
| Comment(2)
| エネルギー・環境2
> それなしで済ませることができるならば、
> それに越したことはない。
だからこそ「現状程度の原発だけは維持する」というのは『論理的には滅茶苦茶』とまでは言い切れないと思います。
全廃と推進の二者択一ができないからこそ、苦し紛れかもしれないが「現状維持」(またはそれに近い状態)という選択肢もあり得るのではないでしょうか。
そもそも、管理人さんだって、「危険性を認識」しつつ増設を主張していらっしゃいます。「長期的には解決可能な範囲」という不確定な予測の下に。
結局、必要性と危険性との駆け引きで落とし所を探っているのが現状だと思います。
あとは放射能漏れ対策、廃棄物処理、耐用超過廃炉時の方法などの技術革新が待たれます。
ま、現実にそうなるだろう、ということはわかります。ただ、本項では「苦し紛れだ」という点を強調しています。(そこがポイント。)
仮に「現状維持」を主張するのであれば、「増設」と同じことになるかもしれません。政府がどんどん増設して、そのあとで「現状維持」を主張すれば、結果は同じ。
なお、原発は耐用年数がありますから、「現状維持」は長期的には不可能です。耐用年数の来たころに、「原発新設」か「原発廃止・電力半減」か、二者択一です。
そのとき「原発廃止」を取ったら、国民は「電力半減」に耐えられるか? あるいは、「曇りの日には停電」に耐えられるか?
24日の「原発とエコ」を参照。
http://openblog.meblog.biz/article/1422699.html