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太陽光発電は日中に発電量が最大になる。一方、電力需要も、日中に需要が最大になる。だから、太陽光発電は、ピーク電力対策として最適だ、……という説がある。
(原発は発電量が常に一定であるが、それよりも昼間電力の高い太陽光発電の方が好ましい、という趣旨。)
→ 産総研の解説(図つき)
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上の説(俗説)は、正しいか?
私なりに見解を示せば、次の通り。
「理屈としては、間違っていない。だが、話の筋がピンボケであるせいで、話の趣旨は基本的に成立しない」
理由は、次の (1)(2) だ。
(1) 需要と供給
夏のピーク時需要は非常に大きい。そのせいで電力不足が起こる危険性がある。だから、そのために、何としても対処が必要だ。(さもないと停電などが起こって大問題となる。)しかし、そうだとしても、供給を増やす必要はない。逆に、需要を減らせばいいのだ。
つまり、夏はみんなでバカンスを取ればいいのだ。自動車工場なども、半月ぐらいは休めばいい。これが最善だ。最もエコになる。
一方、太陽光発電の設備をどんどん大量につくるなんて、無駄である。夏の1カ月間ぐらいのために、11カ月は必要もない太陽光発電を大量に作るなんて、無駄の見本である。全然、エコになっていない。
この件は、前に詳しく解説した。
→ ピーク電力対策
( ※ 特に、将来的にバカンスが普及したら、夏場のための太陽光発電による電力は、ただの無駄になってしまう。いくらたっぷりと発電しても、工場が休みで、人々が海外や田舎に行ってしまえば、電力は余るだけだ。ちっともエコにならない。不必要な太陽電池なんて、初めから作らない方がマシだ。)
(2) 電気自動車
「夜間電力の需要がない」というのが、冒頭の俗説の前提だ。なるほど、現状では、その前提は成立する。
しかし、将来はどうか? 電気自動車の充電、燃料電池車などの水素の生産の電力、……など、さまざまな電力需要が莫大に発生する。そして、それは、夜間電力でまかなわれるはずだ。
つまり、将来は、夜間電力の需要が莫大に増える。とすれば、「昼間だけにピーク電力がある」という問題は消失する。そうなったら、夜間であろうが日中であろうが、とにかく、発電量があればいいのだ。特に発電が日中である必要はない。
なお、深夜の発電コストは、原発ならば、ほぼゼロである。というのは、現状では、大量の深夜電力が無駄に廃棄されているからだ。捨てるものを使うだけで済むから、コストはゼロ。(しかも最高のエコ。無から有を生み出す。)
したがって、原発の深夜電力に対抗するためには、太陽光発電はコストゼロで(しかも使用資源量ゼロで)発電する必要がある。そして、太陽光発電がコストゼロで発電できないのであれば、原発の深夜電力を使う方がずっとエコなのだ。(経済的にも環境的にもエコである。 economical, ecological.)
この件は、前に詳しく述べたとおり。
→ 水素生産のペテン【 追記2 】
結論
「ピーク電力対策のために太陽光発電が有効だ」という説は、妥当ではない。それは、理屈としては間違っていないが、たいして意味がない。たしかに太陽光発電は有効だが、それよりもっと有効なことをする方がいいのだ。
[ 付記1 ]
一般的に言おう。
ある問題に対して、解決策 A,B がある。
・ Aは少し有効でコストが莫大にかかる。
・ Bはとても有効でコストがかからない。
そのうち、どちらを取るか? もちろん、頭がまともであれば、Bを取るべきだ。
しかし、太陽光発電の推進者は、Aを取る。なぜか? 連中は、頭がまともではないからだ。「太陽光発電はすばらしい」と信じているので、自分の信じているもの以外のものは目に見えなくなっているからだ。
一般に、宗教に凝り固まった信者は、その宗教以外を信じることはできなくなってしまう。「太陽光発電」教の信者も、そうだ。信じるものの美点だけを数え上げて、他のものの美点をまったく見失ってしまっている。
[ 付記2 ]
要するに、ピーク時電力を持ち出して太陽光発電を推進するのは、一種の詐欺商法である。
この手の詐欺商法は、薬物販売ではしばしばなされる。
「この薬を飲むと、病気が治りますよ。有効ですよ。だから、1粒十万円を払ってください」
なるほど、「その薬が有効だ」というのは、間違いではない。その意味では、嘘は付いていない。しかし、もっと有効な(または同程度に有効な)方法が、他にもあるのだ。しかも、その方が、ずっと安価だ。
なのに、「効果があるのはこれだけ」と思わせて、たっぷりと金をちょうだいする。それでいて、「ほら、効果があったから、私は嘘をついていません」とうそぶく。
こういうペテン的な論理を駆使しているのが、太陽光発電の推進者だ。悪質の極み。「たしかに効果があります」と言いながら、国民の金を莫大に奪い取る。
( ※ この手の詐欺商法は、世の中に結構まかり通っている。薬物販売や、美容などでは、けっこう多い。女性や高齢者で引っかかる人は多い。……太陽光発電に限っては、男性がいっぱい引っかかる。「自分は善良だ」と自惚れている男性が。)
[ 付記3 ]
本項では、「何かを信じすぎることで、思考が盲目になる」という話をした。そういうことを、太陽光発電の信者を例にとって、例示した。
【 補説 】
ピーク時電力の話というのは、実を言うと、もともと理屈になっていないのである。なぜなら、
「太陽光発電は、雨が降れば(曇りになれば)、ろくに発電できなくなる」
という特性をもつからだ。
産総研のデータでは、「日中の発電量が高い」というデータを示しているが、それは、
「もし晴れていれば」
という前提が付く。その前提は成立しないことがしばしばある。……なのに、そういう事実を無視して、「毎日晴れである」という虚構を前提として、ピーク時電力の数値を持ち出しても、ただのご都合主義にすぎない。
これもまた、詐欺的な論理。論理のペテン。
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《 注記 》
太陽光発電のような不安定な電力は、基幹的な電力とはなりえない。
「晴れたら電気がありますが、曇ったら停電します」
なんてことになったら、一国の生産活動は崩壊してしまう。
それを避けるために、曇りでも十分な発電量を得るように、太陽光発電パネルを大量に敷設するとしたら、必要量の何倍も大量に敷設する必要がある。その分、コストはアップする。
だから、太陽光発電が大々的に普及するとしたら、コストは現状の1割以下にまで下がる必要があるだろう。それにはあと百年ぐらいかかるかもしれない。
( ※ 夢見るのはいいが、夢を現実と混同するようでは、気違い同然。)
手塚治虫は、物事の光と陰をよく理解していた。
それに引き替え、太陽光発電派の能天気なこと。「毎日毎日、晴れなんだ」と思っているようだ。あまりにもおめでたすぎる。彼らに
「鉄腕アトムを読め」
と教えてあげてください。
( まるでオタクみたいな言い分だが。…… (^^); )
「太陽光発電のような不安定な」発電を家庭用に用いる場合、
バッファー=蓄電可能な電池が必要と思われる。
現在の家庭用のそれはどうなっているのだろうか。
電池無しで、太陽光発電が自家消費を上回る場合、
余りは買電しているのだろうか?
電池に関してはこのブログでも指摘されている通り経年劣化の問題がある。
又、一地域の電力を考えれば、その様な膨大な電力を貯える電池は無い。
従って「基幹的な電力とはなりえない」。
太陽光電池(風力なども同じ)の発電量に応じて
基幹的な発電をこまめに制御するシステムが必要と成るはずだ。
発電は最大需要を満たす必要があるのだ。
平均需要を満たせば良いものではない。
お天気(風でも波でも同じ)まかせの発電の経時的変化はどうだろうか。
その様なデータを太陽光発電を推奨する者は持っているのだろうか。
例によって、エコ、省エネ、環境に優しいと云う呪文を唱えれば
現実性の無視や嘘がまかり通る状況は何とかしなければならない。
マスコミは馬鹿か。
どこかから賄賂を貰って扇動しているのか。
そうとしか考えられない主張が多すぎる。