エドウィン・モーゼス&AMG 300SL GULLWING V8-6.0 |
ディーゼルSクラスを買った1983年、かれはヘルシンキで開かれた第1回世界陸上の400メートル・ハードルで、みごとチャンピオンになった。翌1984年のオリンピック・ロサンジェルス大会では、選手宣誓の大役を与えられ、緊張のあまり途中でことばを詰まらせるという話題もつくった。 「しかし、このガルウィングは本当にビューティフルだ」 エドウィン・モーゼスさんはそういって、クルマの横に立ち、カメラに向いてポーズをつくった。史上最強の400メートル・ハードラーのモーゼスさんは、出場したレースで107連勝し、1976年のモントリオールと1984年のロサンジェルスの2つのオリンピックで金メダルを獲得、1983年と1987年の世界陸上でチャンピオンとなり、1988年のソウル・オリンピックでは銅メダルをとった。じつに12年の長きにわたって、世界の頂点に立ちつづけたたぐいまれなアスリートである。そのいっぽうでまた、政府や民間企業から奨励金をもらったり、レースで賞金を得たり、コマーシャルに出て報酬をもらったりしてもオリンピック参加資格を失わないように規則を変えさせ、ドーピング禁止の運動も起こした。たんに超一流の運動選手だっただけでなく、アマチュア競技における制度改革の旗手としても顕著な業績を残している。さらに付言すれば、トラック競技を引退したのちの1990年には、ボブスレーのワールド・カップで銅メダルも獲得しており、スキューバ・ダイビングが得意で、単発飛行機のプライヴェート・パイロット・ライセンスも所持する。運動以外では1994年にペパーダイン大学からMBA(経営学修士)の称号を得ているし、もともとはマーティン・ルーサー・キング師の母校で黒人系エリート大学として名高い名門、モアハウスで物理学と産業工学を修めた学士である。多彩=多才の人だ。 そしてもうひとつ、1999年に設立されたスポーツを通して世界の恵まれない子どもを援助する財団、「ローレウス・スポーツ・フォー・グッド」の運営機関である「ローレウス・ワールド・スポーツ・アカデミー」の会長を2000年からつとめている。こんかいのモーゼスさんへの取材は、ダイムラー・ベンツとともにローレウス財団の創業メンバー企業となったリッシュモン・グループの時計メーカー、IWCの仲介で実現した。
もう走らない
生身で見るモーゼスさんは、52歳とはとてもおもえないぐらい若々しい。189cmの身長に、体重は20年前とおなじ82kg。モアハウス時代は、その超人的なワークアウトぶりから「サイボーグ」というあだ名をもらっていたが、いまはワークアウトもジョギングもしていない。 「空港では、だれよりも早足で歩いているけどね」といって笑わせたあと、選手時代に地球一周ぶん以上の2万7000マイル(4万3000km)を走ってしまったから、もう走らないのだという。それに、「僕にとって走ることは、グラディエーター・スポーツ。レクリエーショナルなスポーツではないし、もはやホビーでもないから、もう走らない。ウェイト・トレーニングも理学療法も選手時代に一生ぶん以上やってしまったから」だ。グラディエーターとは古代ローマの剣闘士のことで、つまりモーゼスさんにとってはあるときから、走ることは真剣勝負以外ではありえなくなったのである。 では、どうやっていまなお運動選手のような体形を維持しているのかというと、「ダイエット」と即答した。「食べるものはいつもじぶんでつくっている。ジャンク・フードやフライしたものは食べない。塩もたくさん使わない。新鮮なものだけ食べる。たくさんの野菜、ほんのわずかなミート、ほとんどシーフード。チキンとラムはときどき食べる。そういう食生活を30年つづけている」 世のダイエット法には全部通じているという。しかし、長年の経験からいまのやりかたがじぶんには最適と確信している。大食しないことが大事だという。 「選手時代の経験で、なにを食べると身体のパフォーマンスが上がり、逆になにを食べるとパフォーマンスが下がるか、自然にわかるようになった。たとえば、ビーフステーキをひと切れ食べると、次の2日間、代謝がめっきり悪くなった。ミルクをたくさん飲むと、胃や腸にガスがたまる。そういうときは感情のコントロールもむずかしくなった」
甘い生活は苦い
うかつな食事で失敗したことがある。1976年、弱冠20歳にしてモントリオール・オリンピックで金メダルをとり、選手として上り坂を駆け上っていた1977年8月26日のことだ。ベルリンで開かれた競技会で、かれはドイツのハラルド・シュミット選手に苦杯をなめた。 「あのときはベルリンのメルセデス・ベンツのディーラーシップを宿舎にしていたんだけど、そこにはプールがあって、練習場に行くべきときに、プールサイドでケーキを食べてシャンペンを飲んでいた。運転手付きのロール・ロイスでトラック入りしたけど、遅刻までした。甘い生活が苦かった、ということさ。負けるべくして負けたんだ」 次の週、デュッセルドルフでの競技会にはケーキとシャンペンを断って臨み、シュミット選手を15メートル引き離して優勝している。「プールとシャンペンには懲りた」というモーゼスさん、いずれ最強のダイエット本を書くつもりだという。 目下、もっとも熱心にやっているのは、ローレウスの財団の仕事。紛争や差別や貧困の犠牲になっている子どもたちに、スポーツ体験のおもしろさをわかってもらうチャンスを与える財団のプロジェクトは、世界20の国や地域で、46も行われている。スポーツは政治にも利用されるけれど、世界をよくすることにも利用できる、とモーゼスさんはいう。 「僕は趣味として走っていた無名の選手だった。でも、ヴィジョンを持って一所懸命にやった。一日も休まずに練習をつづけた。ヴァイオリニストでもドクターでも一所懸命に努力すれば、精神と身体の能力はかならず上がっていく。スポーツはそれをわからせてくれる、とおもう」 スポーツ、やりたくなってきた。 |
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