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日本植民地時代の宮殿設計図を公開

写真提供=韓国学中央研究院
 日本による植民地時代に建築された宮殿内の建物や家屋の設計図の原本が多数公開された。

 韓国学中央研究院・蔵書閣は26日、統監部や朝鮮総督府の直接・間接の統制を受けていた宮内府と宮内大臣の管理に属する李王職で制作した建築図面174種を集めた『近代建築図面集』を出版した。同資料の一般公開は今回が初めて。

 図面は宮殿(122種)、儀礼(19種)、家屋(33種)と三つのキーワードで分類されている。宮殿関連の図面は、昌徳宮、昌慶宮、景福宮、徳寿宮の宮殿が新築または改築された1906年から1936年の間に作成された。同研究院のユン・ジンヨン研究員は、「日本による植民地時代に進められた宮殿の改造事業の過程や棄損・変形過程を確認することができる貴重な資料だ」と語った。

 全図面の83%は昌徳宮に関するものだ。昌徳宮の仁政殿周辺の行閣を複廊から殿閣形態に直し、周囲に廊下を新設して謁見所を建築した。皇帝・純宗の寝殿だった大造殿が1917年に火事で焼失し、その場に西洋式寝殿の内殿洋館を建築しようとした際の設計図も含まれている。

 昌慶宮全体の平面図では、昌慶宮を動物園や植物園、博物館の3領域に改造しようとしていた統監部の計画を確認することができる。帝室博物館、昌徳宮図書庫の図面では、近代式の西欧建築物を確認することができる。ユン研究員は「徳寿宮関連の図面のうち全体平面図は、現存する徳寿宮の平面図の中で最も古いもので、殿閣の名称が全て明記されていることから、徳寿宮復元事業の重要な資料になる」と話した。

ホ・ユンヒ記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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