『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマン監督が、再びニコール・キッドマン主演で作った大作映画。この映画を形容する言葉としては、オーストラリア版『風と共に去りぬ』という一語で済んでしまうと思う。男勝りなヒロインがいて、風来坊のヒーローがいて、女は別の男と結婚していたが夫は殺され、ヒロインはヒーローと結ばれるが、気の強さが禍してふたりは別れてしまう。『風と共に去りぬ』は南北戦争が背景になっていたが、『オーストラリア』で描かれる戦争は第二次世界大戦。オーストラリア北部ダーウィンの町に、日本軍が攻めてくる。そんなことからこれを「反日映画だ!」と仰る方もいるようだけど、これは『風と共に去りぬ』のアトランタ炎上に匹敵するスペクタクルがやりたかっただけだろう。ちなみに日本軍の爆撃機は町を牛耳る悪徳資産家の支配を終わらせ、主人公たちを開放する救世主の役割も担っている。
映画は1939年のオーストラリアから始まるが、『風と共に去りぬ』はこの年に作られた作品であり、劇中で引用されている『オズの魔法使』も同じくこの年に作られている。この映画は他にもアメリカの西部劇映画に強い影響を受けており、広大な牧草地に散っている牛を集めて出荷するため追っていくキャトルドライブは西部劇の世界(例えば1948年の『赤い河』など)そのものだ。1939年は西部劇映画史上空前の名作『駅馬車』が作られた年でもある。『オーストラリア』は同時代のハリウッド映画を通して、イギリスから渡ってきた貴族の女がオーストラリアで生きていく姿を描くという、少々回りくどい構成になっているわけだ。しかしハリウッド映画という映画の世界の共通言語を媒介にすることで、オーストラリアの歴史が世界共通語で語られることになる。
物語はニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンによる『風と共に去りぬ』的なドラマチック・ラブストーリー部分と、『オズの魔法使』を下敷きにしたアボリジニ少年の成長物語とが組み合わされている。この映画が『風と共に去りぬ』の単なる亜流や焼き直しになっていないのは後者があるからだが、少年が帰るべき「おうち」をキッドマン&ジャックマンのカップルの暮らす牧場とはせず、先祖が過ごしたオーストラリアの荒野にしているのが痛快。少年にとって白人たちの文明社会は「オズの魔法の国」であって、自分が暮らすべき家はそこにないのだ。
アボリジニと白人の混血児たちを親から引き離して隔離教育するオーストラリアの政策を、非人間的なものだと非難するのはたやすい。しかしその批判者自身が、ともすればアボリジニの子供たちの保護者になってしまうという矛盾。それをこの映画はいともあっさりと、主人公たちのいる文明社会自体を「魔法の国」という虚構の存在に置き換えてしまうことで、保護/被保護、差別/被差別といった関係性事態を無効化させてしまうのです。
(原題:Australia)
DVD:オーストラリア 関連DVD:バズ・ラーマン監督 関連DVD:ニコール・キッドマン 関連DVD:ヒュー・ジャックマン |