三島由紀夫が「随一の文章家」とまで絶賛したのは、岡山市出身の小説家・随筆家の内田百〓だった。
「洗煉(れん)の極、ニュアンスの極、しかも少しも繊弱なところのない、墨痕あざやかな文章といふもののお手本」と評された百〓は、今年が生誕百二十年に当たる。
芸術院会員に推されたが「イヤダカラ、イヤダ」という理由で辞退した偏屈ぶりはつとに有名。たくまざるユーモアの中に人生の深淵(えん)をのぞかせる独特の文学世界に熱狂的ファンも多い。
その名を冠して、岡山県などが主催してきた「岡山・吉備の国『内田百〓文学賞』」が、財政難のあおりを受けて消滅のピンチにあると本紙が報じていた。高まる顕彰ムードに水を差すようで、何とも寂しい限りだ。
賞が創設されたのは一九九〇年。「岡山」を舞台や題材にした作品という条件で、長編小説と随筆を隔年で全国公募してきた。審査員には阿川弘之、小川洋子の各氏らが名を連ねる。これまでの応募作は二千編を超え、今年が十回目の選考になるはずだった。
自治体が主催する文学賞の運営は厳しさを増しているが、継続することで知名度も高まり、全国へ情報発信できるメリットは大きい。地域アピールに加え文化風土を醸成する効果も秘めるだけに、何とか復活の道をと願わずにはおれない。
※〓は門がまえの中に月