このブログは桜井淳水戸事務所と桜井淳カリフォルニア事務所の(1)業務内容(2)桜井淳個人情報(3)米国での活動内容(4)専門家養成のための学術セミナー開催案内等を掲載するHP代わりの硬いブログです。スタッフが交替で最新情報の更新や新項の追加をしています。 各項を順序よく読むと(a)事務所業務内容紹介(b)桜井所長学歴(c)哲学(d)著書(e)学術セミナー(f)米国での活動内容等、情報の価値が分かります。ここに記載した情報の信頼性は、他のいかなる組織・団体・文献・電子情報よりも、格段に高く、すべての判断基準になります。情報の信頼性については両事務所のスタッフがすべて責任を負います。著作権・情報のオリジナリティを確保するため、本ブログの内容のコピー・事実関係の引用・電子媒体へのリンク等は、すべて禁止します。不正行為を確認した場合には米国感覚で法的手続きを行います。事務所への連絡・メッセージは、各項の欄外のメールマークをクリックすれば、わかるように、アメーバ会員に手続きすれば、誰でも、自由にできます。ただし、送信者の身元は、サイバーエージェントによって管理されています。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2009-02-26 19:05:31 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 19-

テーマ:ブログ
2009-02-26 17:45:38 stanford2008の投稿

桜井淳所長から親しい友人のX先生へのメール-礎に神学を設けた場合のこれまでの学問の形式的体系化-

テーマ:ブログ
2009-02-26 17:08:05 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 18-

テーマ:ブログ
2009-02-26 00:57:16 stanford2008の投稿

このブログの成立条件-学術的報告のみ 2-

テーマ:ブログ

2008年12月9日に「このブログの成立条件-学術的報告のみ-」と題する短いメッセージを更新しました。しかし、桜井淳所長の考え方(2009年1月15日から本格的に採り入れた神学倫理に基づきレベルの高い本質的な議論)と事務所の方針を基に、なお、きびしく律する必要が生じたため、内容を次のように改正します。


このブログの成立条件は、以下のとおりです、


(1)三つの事務所主催の学術セミナーと桜井淳所長の講演内容等の学術的報告(スタッフは、桜井所長と異なり一般人で、守るべきプライバシーがあるため、個人情報は、出さない方針です、また、事務所の経営内容等の差し障りのある情報は、出さない方針です)、


(2)コメントは、受け付けていませんが、右下欄のメール(会員のみ)から、自由に意見等を述べることができます、


(3)アメンバー読者は受け付けていません(「アメンバー限定記事」が表示されることもありますが、それは作成中の記事です)、


(4)リンクは、禁止しており、不正リンクした場合には、法的手続きを行います(事務所の判断・許可のない情報・リンクは、営業妨害と受け止め、警察等への告発等、厳正に対処します)、


(5)もし、桜井所長の基本理念が正確に表現されていない記載がある場合には、今後も、再検討して(最終的には桜井所長がリストアップ)、削除する方針です(ただし、いまのところ、"水戸"の外部ボランティア協力者がまとめた十数編の記事については、そのままになっています)、


(6)今後、大学等との共同研究内容の概要、大学での講義内容の概要、学術セミナー開催案内、学術的講演内容の概要、哲学についての認識、等の話題だけにします、


(7)今後、桜井所長が東大大学院人文社会系研究科での勉強と研究にできるだけ時間を利用できるようにするため、直接関係する記事の作成依頼と更新については、月に数回しか行いません(事務所全体としての記事更新も意識的にそのくらいの頻度に留める方針です)、


(8)なお、"水戸"の外部ボランティア協力者がまとめたUSA版は、昨年末から暫定的に公開されていますが、まだ、工事中であり、三分の一くらいの完成度です。

2009-02-18 22:36:27 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院人文社会系研究科のH先生への手紙 -神学研究の方法 17-

テーマ:ブログ

H先生



仏教の創始者は、いわゆる、釈迦ですが、この釈迦というのは、氏名ではなく、生まれたのがインドの北東のネパールという小さな国の釈迦族(しかも、王子として生まれる)であったため、そのように、ただ、漠然と表現しているだけで、本当の氏名は、ゴータマ・シッダグールタです。小さな国でも、王子ですから、普通のひとに比べれば、大変、贅沢な、恵まれた生活をしておりました。釈迦は、普通に、16歳で、結婚して、子供がひとりおりました。しかし、何が原因か分かりませんが、29歳(19歳の時という説もあります、たとえば、『梅原猛著作集第9巻-三人の祖師-』(小学館、2002))の時、ある日、突然、奥さんと子供を捨てて、出家してしまいました。王子として、恵まれた生活を送っていたのでしょうが、世の中の貧しく、恵まれないひとたちの生活等を見て、世の中の矛盾を感じて、それで、むなしくなり、耐えられず、出家してしまったのでしょう。出家して6年間、悟りを開くために、苦行に苦行を続けました。しかし、なかなか悟りが開けませんでした。ある日、菩提樹の下で瞑想している時、そこで初めて悟りを開いたと言われております。釈迦が35歳の時でした。それは並の人間にはできない速さです。ところが、悟りを開いても、誰も見向きもしないため、釈迦は、苦行を続けていた5名の仲間に、自身の説(狭義には仏教哲学ですが、広義には哲学)を話してみました。すると、5名の仲間は、すごく感激して、弟子にしてくれと頼んできました。それが釈迦の説法の始まりでした。釈迦は、自信を得て、それ以後、インダス河の流域のあちらこちらで説法を繰り返しました。釈迦は、一時期、立派なお寺で生活しておりましたが、そこでの安定した生活にも満足せず、乞食をしながら、露命をつないで布教し、説法の旅を続けていたというのが釈迦の人生でした(いまでもまだ正確なことは、分かっておりませんが、約80歳で亡くなっているとされています)。釈迦の悟りと説法の過程を認識し、私は、いささか僭越ですが、自身の学術セミナーも釈迦の説法と同じような発展の過程をたどっていると感じたものです。最初は頭の中の世界、つぎに、周りの何人かの研究者に聞いていただき、小さな小さなセミナーを開催して、話してみる。それを繰り返す。すると、よいうわさが流れ、ひとが集まるようになってくる。学術セミナーのレクチャ内容を充実させ、募集人員も多くする。学術セミナーは、ひとつだけでなく、ひとつひとつ増やして、同様の試行錯誤をくり返す。そして、いまでは、連続5時間半の12種の学術セミナーを開催するに至り、セミナーで組み上げたオリジナルな概念は、日本原子力学会論文誌や関係国際会議、日本原子力学会研究専門委員会等の成果報告書、大学生用教科書等の形で発表してきており、全部で約20編になります。最初はただひとりなのです。私は、物事の本質を悟るために、積極的に苦行をくり返し、十分に耐えることができました。



桜井淳

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
powered by Ameba by CyberAgent