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「ヒットメーカー阿久悠物語」 熱気で育てたアイドル (1/2ページ)
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昭和歌謡史に偉大な足跡を刻んだ作詞家で作家、阿久悠さんの1周忌にあたる8月1日、日本テレビ開局55年記念番組「ヒットメーカー阿久悠物語」が放送される。歌謡曲が最も華やかだった時代の知られざる人間模様を描く。独自の解釈で阿久さんの人生にアプローチし、脚本も担当した金子修介監督に話を聞いた。(松本明子)
「ガメラ」シリーズ、「DEATH NOTE」などで知られる金子監督と、阿久作品の“出会い”は高校時代にさかのぼる。
「初めて知ったのは『ピンポンパン体操』。それから好きな歌手が出てくると、必ず阿久さんにたどりついた」
世に送り出した歌は5000曲以上。昭和46年には「また逢う日まで」で1回目の日本レコード大賞を受賞している。
「尾崎紀世彦さんにはそのあと『さよならをもう一度』という歌があって、2つとも映画の題名なんですよね。僕なりの勝手な解釈で、きっと映画から取っていると言い張っているんです」
映画監督ならではの目線で阿久さんに近づいていく。
阿久さんの画期的なアイデアを取り入れ、その後の歌謡界に大きな影響を与えたのがオーディション番組「スター誕生」(昭和46年スタート)だ。ドラマはここから生まれた花の中3トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の秘話、日本中に旋風を巻き起こしたピンク・レディーの運命など、当時の懐かしい映像を織り交ぜながらドキュメンタリー風に描いていく。金子監督が“スタ誕”の原点とみているのが敗戦体験。
「8歳で終戦。軍人になるつもりでいたから、常識を覆された。それは後々の人生まで引きずった。“スタ誕”という番組ができたのも原点は終戦体験かと。プラカードが上がった人が天国で、上がらなかったら地獄。素人にこんな厳しいことはない。常識を覆したんです」