2月26日という日について
社会の不条理に立ち向かった勇気ある若者を想う。
この日を特別な日として考えて、これまでの人生を生きて来た。この考えと姿勢はこれから残された人生を生きて行く上でも変わらないでしょう。では何故に特別の思い入れを以って来たのか。
それを今年も2月26日に書きたいと思います。
私が若い頃に実際にこの決起に参加した人に頂いたチラシです。その人は大切に仕舞っていたこのチラシを私にくれた。非常に薄い紙にタイプで打たれたものです。この文面については下記の投稿が昨日あったので、そちらで確認してください。
明日の新聞はどの様に報じるか楽しみです
亡国マスコミがおそれる決起
http://guns-road.hp.infoseek.co.jp/geki/geki2.shtml
Posted by チヨゴリブツ切り at 2009年02月25日 20:30
さて、私がこの2・26事件に関して、いつもこの日を忘れないでいるのは、この日決起した若き青年将校達の心情が、政治運動を志すものにとっては、大切なものであると感じて来たからに他なりません。
これまで毎年取り上げているので、前に書いてある文を紹介しながらそのことに触れて行きたいと思っています。この2・26事件を取り上げると軍国主義者やファシストと言ったレッテルを貼られますが、それを恐れてこの問題の本質に触れないわけには行きません。
先ずは2006年の2月26日のブログから紹介します。
2・26事件の青年将校の心情を今に継ぐ!
祖国再興への誓いとは
今から70年前の祖国日本において、陸軍の青年将校らによる軍事クーデター事件が起きた。彼らは「昭和維新」「尊皇討奸」をスローガンに蹶起し重臣を殺害、首都の中枢部を4日間に渡って占拠した。
雪が降りしきる中、首相官邸、警視庁、朝日新聞社などが次々に襲撃された。当時の国民に大きな衝撃を与えたであろうこの事件は、首謀者達が「逆賊」とされ叛乱は鎮圧された。
後に2月26日に起きたことから「二・二六事件」と呼ばれるようになったが、この青年将校らの蹶起は国家革新を求めての行動であった。当時の我が国の社会情勢はこのブログの『反中国講座』で書いている満州問題が深刻さを増して行く頃であった。
この事件の一ヶ月後には日中戦争から日米決戦に至る戦争のきっかけにもなった「廬溝橋事件」が起きた。日本史の中ではこの事件は暗い軍国主義の幕開けとなった事件であり、戦前・戦後を通じてこれを肯定的に捉える人は皆無に等しい。
現代社会においてこの2・26事件をどのような視点で見ていけば良いのか?その意義を今日的に評価する意味があるのか?確かに民主主義や平和主義が国家の基本理念とされている中で、この暴力的手段を行使した国家革新の叫びは肯定し難いものがある。
自由があり豊かさを全ての国民が享受できている中で、このような急進的な考えは国民の理解を得られるものではないだろう。しかし、多くの国民がそのように考えている中でも、我々はこの青年将校については過去のブログにおいて、その心情に理解を示してきた。
例えば民主党の前原党首が「中国脅威論」を唱えたり、野田国対委員長が「A級戦犯存在せず」と語ったことに対して、旧社会党の横路元北海道知事が「彼らはまるで青年将校のようだ」と批判した事がある。
私はこの時、「我々《極右》は「昭和維新」を掲げて決起した青年将校を評価する」と題して次のように書いた。
そもそも昭和維新とは何であったのか?
「資本主義の富は一部に偏り、全国民に公平に分配されず、一方に黄金大名的な財閥の存在があるかと思えば、地方においてはその日の生活に困る農民、労働者があった。農民の子女は遊郭に売られ社会にはそれを糺す道理がない」
だからこそ、彼らはその不条理に憤激し毅然として起ったのである。
ここまでが紹介
>彼らはその不条理に憤激し毅然として起ったのである。
私は運動の原点はこの点にあると考えるものです。社会の不条理に立ち向かう勇気こそが何よりも大切であり、その信念こそが社会を変える力となるのです。
この決起に参加した若き兵士は東北の貧しい農家の出身者が多かったと云われています。自分達の妹や姉が遊郭に売られて行くような社会に激しい憤りを以って、社会変革の為に身を捨てる覚悟で臨んだのです。
さて、現代に視点を移しましょう。
今日、社会における不条理を感じている若者は増加しているのではないでしょうか。昨年末からの日本の状況を見れば、若い有為なる人材がいとも簡単にクビを切られ捨てられています。
その数は全国ではゆうに一万人を超えたでしょう。その多くが日本を代表する大企業で働いてきた人達です。インテリジェンスも高く勤勉な若者でした。
その若者が企業の都合で一瞬のうちに職を失い路頭に迷う結果となったのです。そして絶望の淵へと追い込まれて行った。多くの若者が自分達のこの祖国日本という国家のあり方に疑問を抱いたのではなかったか。
その疑問はやがてこの国家を変えていかねばならないという思いになって行くでしょう。日本共産党の支持率は5%を超えました。私の記憶ではこんなに支持率が伸びたことはなかったことです。
共産党に入党する若者も増加していると公表されています。左翼人民革命を誘発する状況が作り出されているのです。左翼共産党の躍進こそが、現代の不条理を糾す善であるとの考えが若者の間に広まっていることは紛れもない事実です。
失業者の増加とは、革命的共産主義者にとって、これほど最適な好餌(こうじ)はありません。構造改革が描いた未来社会の理想像は既に崩壊し、若者は資本主義そのものへの拒絶を表し始めたのです。
我々はいつまでも左翼の後塵を拝しているわけには行きません。
我々もまた疎外される若者に生きる希望を与えなければなりません。全ての若者が左に傾斜して行く訳ではない。右に関心を示す若者も存在するのです。
我々は非力な存在でしかない。しかし、かつて不条理な社会に対して決起したその若き兵士等の心情と行動を正しく評価して、それを受け継ぐだけの勇気を今表明することが出来る唯一の政治勢力です。
激情的な行動をもって、左翼共産勢力と対抗し、尚且つ支配者に対しての闘争を果敢に遂行できる最低限の能力を持つに至ったと自負しています。
最後に「極右評論」時代の呼びかけを最後に記したい。革命や維新とは、狂気では決してない。社会的な矛盾を糾そうとする純粋な行為である。私は在野にあってそういつも信じて戦ってきました。
一台のパソコンはやがて社会を変える―。
我々の先輩はかつて「一発の銃声は百万人に勝る」と言ったが、私は現在「一台のパソコンは百万人の動員に勝る」と言いたい!
どうすれば良いのか?そうした問いには、既にあなたは我々<極右>と共に戦い始めたと返答したいと思う!
明治維新とは幕府が対外的には諸外国との対応に追われ、国内においては諸藩の対策にばかり目を奪われて大切なことを忘れていたことによって、維新の動きは加速されて行った。
大切なこととは何であったか?
それは藩を捨て国の為に戦おうと決意した若き浪人(サムライ)の存在を忘れていたことにある。既に藩主の力は衰えていたのです。
今職を失った派遣社員の群れこそ、将にこの現代社会における憂国の浪人(サムライ)である。
来たれ、若者!
我々と共に社会の不条理に立ち向かおう。
輝ける祖国の未来の為に!
〜新風連ブログ〜