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Author:【アリス】と【ドードーとら】
 
【アリス】 アリス
自閉症の世界の探検家。
2人の自閉症児・者の母。

【ドードーとら】 ドードーとら
自閉症の世界の案内役。
アスペルガー症候群の当事者。

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【おことわり】
このブログは2人の公開メール交換・公開交換日記ですので、
一般的なブログとは少し違った感じになっています。
コメント欄は2人の著者専用。
このように、明らかに違うこともあります。
ご覧いただく上で必要そうなことを トップページ に書いておきました。
人物一覧や、引用・リンクなどについても、そこにまとめてあります。

category-1:アリスの日記 時限爆弾

 山岸さんのブログが、私の周囲でも話題になっています。
 画伯タイプの保護者は、ニキさんご本人が講演されていることもそうですが、有名どころの先生方が皆さん、講演会などで、ニキさんの話を自閉症の代表者としてお話されるので、それらを根拠に「偽者だなんてありえない!」という意見が多いです。
 はかせタイプのお子さんの保護者は、「そう?うちの子はニキさんに似てるよ。本人も愛読してるし。」とか「他の当事者の○○さんのほうがうちの子には似ている。」とか「前からうちの子とは違うな〜って思ってたんだ。もしかしてうちの子ってアスペじゃないのかな〜って悩んだくらい。」などと結構意見がバラけています。

 画伯タイプのお子さんの保護者、はかせタイプのお子さんの保護者、それぞれに反応は違いますね。
両者の間には「話せていいわね。」⇔「話せても大変なのよ」、「福祉が充実していていいわね。」⇔「福祉がなくても自立できるじゃない」などといった溝があって、普段は別々に集まるのですが、両方に属する私は、両者の考え方の違いが興味深かったりします。


 もちろん、ニキさんが本物かどうかというのは、気にならないと言えば嘘になります。
けれども、それよりも気になるのは、周囲の彼女の持ち上げ方です。
なぜ、数多くいらっしゃる当事者の中で、彼女だけがあれほどクローズアップされたのでしょうか?
また、あのように持ち上げられて、彼女が周囲に誘導されたり、周囲の期待に応えるように受け答えをしたりして、本人の意図せぬところで、違った自己理解をしてしまったということは考えられないのでしょうか。
 はかせなんかはよく、相手に合わせて(あるいは誘導されて)深く考えもせずに受け答えをしては、そのセリフのせいで墓穴を掘りますから、同じようなことになっていたとしたら、彼女も被害者になりますね。
 彼女には防げなくても、自らをモニターしにくい特徴を持っている可能性を知っている関係者なら、防げたはずですから。もしかしたら、周囲がこんなに彼女ばかりを当事者として利用しなければ、山岸さんが彼女への疑問を抱くこともなく、あるいは、早めに関係者が山岸さんの質問に真摯に答えていれば(健康保険証で診察した医師なら、「僕(私)が診断しました」と宣言されればいいだけですよね)、彼女は今、このように疑われるようなことはなかったのかもしれないと思うと、誹謗中傷だとか告訴だとか脅かされている山岸さんにしろ、ニキさんにしろ、いい迷惑だな〜と思ったりしています。

 確か、山岸さんは横浜の有名なクリニックで診断されたとブログで読んだような気がするのですが(違っていたらすみません)、いきなり裁判だどうだということではなく、横浜のクリニックの先生方や、ニキさんとかかわりのある有名な先生方が本人達に代わって話し合われてはどうかと思うのですけどね。私は、積極的に理解と支援を啓発されている先生方が、なぜ、関係ある当事者に対して知らんふりされているのかがわからないでいます。

 また、彼女が本物だとして、何冊も出しておられる売れに売れた本の内容が、読者のそばにいる自閉症の人に役立ったのかどうかということも気になります。
この騒動で、ニキさんの本は、はかせの診断前に購入して読んだことを思い出し、最近、彼女の本を読み直してみたのですが、はかせには、彼女についての記述はあてはまらないことが多かったです。
 「自閉っ子、こういう風にできてます!」は、感覚に過敏や鈍感なのは、はかせも同じだけれど、エピソードは全く違っていました。「俺ルール」は、エピソードは似てるんです。でも、その後の解説とか学習の仕方が、はかせとは違うんですよね。
 自閉症は千差万別で、個々に違うのは当たり前のことなのに、はかせから自閉症というものが見えてくるまで、ニキさんとはかせの違いのようなものには、気づけていなかったんです。不思議ですね。

 はかせがアスペルガー症候群と診断される前、しゃべらない画伯の障害特性が全く理解できず、それでも「少しでも社会に適応できるように」と、なんとかスキルを身につけさせたくて、アプローチの仕方を模索し、こちらの主観で想像するしかなかった頃、ニキさんの本は、救世主という感じでした。学校の先生にも見せ、皆で「なるほど、こういうメカニズムだったのか」と喜んだものでした。
当時の私は、ティーチにもはまっていて、勉強会でカードやスケジュール、自立課題などを作成しまくっていました。そして、周囲が驚くほどに画伯は学校や家庭で適応していきました。私は有頂天でした。

 そのあとしばらくして、はかせがADHDではなくアスペルガー症候群であったことが判明し、混乱しました。私が理解していた自閉症というものと、はかせのそれは、大きく違っていたからです。
(参照: http://manyissue.blog112.fc2.com/blog-entry-10.html )
そうこうしているうちに、画伯が大爆発してしまったんですよね。

 ですから、私や周囲の人間がそうだったように、保護者や教師が、ニキさんの本やティーチ関連の本を妄信的に信じて、そばにいる当事者を無視して、安易にあてはめることに危険を感じています。
 「ニキさんの本は、自閉症のバイブルだ。」「このティーチの本はいいよ。」などと話題になったのは事実ですし、「お子さんとは違うかもしれないけど」「お子さんには合わないかもしれないけど」と警告することなく、これらの本を薦めた保護者や医療・療育・学校関係者は多かったですから・・・。
例え警告したとしても、保護者が社交辞令的に受け止めたり、その違いがどういうものかわかっていなければ、警告していないと同じなんですよね。
親は必死ですから、そのような情報があれば、躊躇無くとびついてしまうんです。
また、飛びつかないことが「こどもを大切に思っていない」というプレッシャーになって、仕方なく実践するという方もおられました。
私の場合は、乗り気になって頑張っていましたが。当時を思い出すだけで後悔の思いがこみ上げてきます。

 画伯タイプの子を持つ親は、こどものことがわからないから、わからないままに、一般的に良いとされることをしようとして、結局はこどもを追い詰めるという失敗をしがちです。
本当はわが子をよく観察して、何かしら芽生えたところを育てるときに、支援を用意してあげればいいのですが、実際は、観察の仕方(視点)がなかなかわからない、芽生えなんて見落としてしまう、時間ばかりが無駄に経過しているようで焦ってしまうなどなど、簡単なことではありません。
この観察も、「うちの子はこうだ」と思う根拠が本や講演会からということが多く、保護者はわが子を観察しているつもりでも、実は色眼鏡を通してみているということに気づけていないことが多いです。
私もそうでした。だから、こどもを観察するところを、本や講演などに頼り、「自閉症だから」という色眼鏡をかけた状態から支援がスタートしてしまい、そこから先を必死で頑張ってきました。例えば「自閉症だから、見せたらいい」と視覚的なものを提示し、「見せても意図がずれる」ということに気づけていませんでした。

 ちょうど、私と同じように頑張った数人の保護者は皆、後悔を口にしています。
あるお母さんなんかは、積極的に学校関係者へお話をしにいっています。
彼女のお子さんは、画伯よりもお話ができて、一人で買い物に行ったり、バスに乗れるほどのスキルを身につけました。その様子は、無理強いしているという感じではなく、写真の手順表を用意したり、ごほうびを用意したりして、本人も納得して取り組んでいたように見えていました。学校でも先生に「今日も嫌がらずに頑張っていました。」と褒められていました。
ところが、中学生になって大爆発をしました。「バスの練習したくなかった〜!」「学校、嫌だった〜!」と言い続けながら、家中の家具を壊し、破壊行為が止まらなくなったそうです。小学校時代の大人しい彼からは想像できないような変貌ぶりです。今は、フラッシュバックするたびに大暴れして、学校にも行けていません。「学校・・」と聞くだけで暴れるからです。彼は今、精神科にかかっています。「まさか、うちの子がこんな風になるなんて思わなかった。」と、後悔されています。

 そろそろ、幼児期に早期療育が流行り始めた、画伯の年代の子達を追跡調査してみてはどうかと思ったりします。
他の障害のお子さんや他の地域はよくわかりませんが、私の住んでいる地域の自閉症の子たちは、結構2次障害がひどいような気がします。早くから診断され、療育機関に関わっていたにもかかわらず・・。
あるお母さんは、「私、あの当時は皆についていけなくて落ち込んだけど、今はよかったって思う。」とおっしゃいました。耳が痛かったですね。

 なんだか、早期療育って、いつ爆発するかわからない時限爆弾を仕込んでいるような気がします。
周囲から「これは正しい」と言われて頑張ってきたものの、その根拠のなさに気づいた瞬間に・・・、あるいは頑張ったけれど我慢の限界にきて、突然爆発するって感じでしょうか・・・。
周囲の無理解からくる爆発って、未診断だけでなく、診断後の療育にもあてはまるんだな〜と、改めて思います。

 だから、何かをする前に、「はたしてこれは、本当に根拠のあるのものだろうか。」「わが子に負担をかけないだろうか。」とじっくり考えるといいのではないかと思います。
根拠については、おそらくほとんどのことが、説明できないことだったりするのではないかと思います。
「社会に適応できるために」なんて、ダントツ1位ではないでしょうか・・・。(^_^;)

 反面教師がここにいます。同じような失敗をせずにすむお母さんが増えるとうれしいです。
自分では、なかなか気づけないのです。誰かが指摘してくれても、なかなか認められないのです。
とてもつらい葛藤が起こるでしょう。
そして、その葛藤から開放されて、自分の失敗に気づいた後は、より大きな後悔と懺悔の気持ちが待っています。
時には爆発に加担した人への恨みごとも言いたくなります。

 それでも、立ち上がって生きていくしかないのです。
覚悟・・・できていますか?


*********************

 ということで、この文章を書いていくうちに、私もドードーとらさんを利用していたことに気づいてしまいました。私を大目に見てくれる、優しい彼をこのまま苦しめるわけにはいきません。
そろそろ、このブログも閉め時かな〜と思っています。
どう方向転換すればいいか、思いつかないままなので、仕方ないですね。

3月すぎるまで、しばらくは残しておきます。
ぜひ、それまで、「ドードーとらの日記」や「ドードーとらからアリスへ」のカテゴリーをクリックして何度も読み直してください。
彼の文章は時に乱暴に見える部分もあるかもしれませんが、それは、周囲がお上品を装いつつもえげつないことをしているからです。それに対する当然の反応です。
自閉症でない方は、つい反応して感情の土俵に持ち込まないように気をつけながら、踏ん張って冷静に読み直していただければ、とても参考になるのではないかと思います。

長らくのご愛読(でもないか)、本当にありがとうございました。<(_ _)>

*********************

タグ : アスペルガー症候群 自閉症 療育

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【コメントのコーナー】  ※ 2人の著者専用です。理由⇒ トップページ

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/15 02:27 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 アリスさんの解釈によると、俺はアリスさんに苦しめられていたんだそうで。初耳過ぎて驚いています。
 そうやって、何かあるとすぐ思考が突っ走って、短絡的に結論を出したがる。悪い癖ですな。

 俺は「(今の)アリスさんにがっかりしている」と言ったのであって、「アリスさんに苦しめられている」と言った覚えはありませんよ。そんなこと、思ったこともない。

 俺がアリスさんにがっかりしているのは、俺の勘違いや身勝手さによるものなのか、それとも本当にアリスさんが何か間違いをしたのか。アリスさんに間違いがあったとしたら、一体何なのか。
 この辺り、アリスさんの分析はどうなってるんですか。

「俺はあんたにがっかりしたよ」
「あっそう。がっかりさせちゃったのね。やめたければやめてもいいのよ」

 これじゃ話になんねーっつーの。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/15 08:51 [ 編集 ] #mQop/nM.

コメントくださったのですね。ありがとうございます。

がっかりさせたことの真相については、ドードーとらさんの言動から、そうかな・・ということまでは想像できても、その中身については、正直、わからないです。なので、「どうがっかりされましたか?」と逆にお聞きしたいくらいです。

それと、そのことでこのブログをやめようかと相談した際は、ドードーとらさんが、「いつでも辞められるから、様子を見る」とおっしゃってくださったので、そのつもりでした。

今回、閉じようと思ったのは、私自身がドードーとらさんを持ち上げ、ドードーとらさんの自己理解(この言い方が正しいのかどうかわかりませんが)を邪魔しているのではないかと、恐れたからです。この日記に書いている支援者の方と同じようなひどいことをしているのではないかと思ったからです。

ドードーとらさんも、よくご存知の通り、【そうやって、何かあるとすぐ思考が突っ走って、短絡的に結論を出したがる。悪い癖ですな。】←のような性格の私ですから・・・。

私としては、今、私たち二人の間で何が起こっているのか、探求できるのなら、少しでも明らかにしたいですね。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/15 19:19 [ 編集 ] #OJXynvZQ

> 私としては、今、私たち二人の間で何が起こっているのか、探求できるのなら、少しでも明らかにしたいですね。

 そうですよ。
 すれ違いや衝突が起こったときに、そのこと自体を分析して探求していく。そのプロセスもまたブログ上に公開して人に見せていく。
 これは、このブログの当初からのコンセプトです。だからこそわざわざ、二人で一つのブログを共同制作するというスタイルをとっている。

 で、当然のことながら、がっかりしたと言っているのは俺なんだから、何にがっかりしたか先に言う責務は俺の側にあります。
 けれども、俺が先に言っちゃうと、アリスさんは分析をサボるんだ。今までずっとサボってきたじゃないですか。分析は全部俺の仕事みたいになっちゃってね。アリスさんは俺の言うことをうんうんって聞いてるだけ。それじゃそもそものコンセプトから逸れていってしまいます。
 だから俺は、今回、アリスさんが先にやってくれるまでじっと待っていた。それでもアリスさん自身の分析を先に述べるつもりはないらしい。そんなことをするくらいならブログをやめると。こうなるとこっちも静観してはいられないんで、先にやってみろと促したわけです。
 俺に言われるまでやり始めないのは、アリスさんが「少しでも明らかにしたい」と本当に思っているかどうかは疑わしい、ということになりますね。俺の側から見れば。
 言ってることわかりますか?

   ★

 で、俺の考えは後でまとめて書くとして、

> 私自身がドードーとらさんを持ち上げ、ドードーとらさんの自己理解(この言い方が正しいのかどうかわかりませんが)を邪魔しているのではないか

というアリスさんの考えは、合ってるか違ってるかという以前に、考えとして成り立っているのかという問題があるんではないでしょうか。
 えっと、「アリスさんが、俺を持ち上げることによって、自己分析・自己理解などというめんどくさいことをしないで済ませたい欲求を実現しようとしている」ということならば、合ってるか違ってるかは別として、考えとして破綻はしてないし、飛躍もそうはしてないと思われます。
 しかし、「アリスさんが俺を持ち上げることによって、俺の自己理解が邪魔される」というのは、前半と後半の間に突拍子もない飛躍がありませんかね。

 まあ、ぶっちゃけ言わしてもらえば、もし俺がそうしようと思うならば、俺が俺をより自己理解しようとするのを止められる人間なんて、どこにもいません。
 別に俺に限った話じゃない。ある人がその人自身をより理解しようとすることを、誰か別の人が邪魔できるなどと考えるのは、傲慢に過ぎるのではないかと思います。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/15 23:43 [ 編集 ] #mQop/nM.

あいたたた・・

確かに私はズボラでさぼり症なので、なんとなくズキっときましたが。
まあ、そこはやりすごすことにして・・・。

「アリスさんが、俺を持ち上げることによって、自己分析・自己理解などというめんどくさいことをしないで済ませたい欲求を実現しようとしている」
→これは、確かに当たっていますね。面倒くさいという自覚はありませんでしたが。利用していたと思います。ドードーとらさんから見た私たちというのは、今まで気づけませんでしたし、とても新鮮でした。そして、自分で見つけれたかどうかは疑問です。

ここで私が言いたかったのは、私はつい、ドードーとらさんの書き込みを見て、「この書き方は誤解されるんじゃないか」などと勘ぐっては、ドードーとらさんを守りたくなってしまうので、そのことでドードーとらさんを知らず知らずに特別な存在のように位置づけてしまっている可能性があるということ、

また、

私がドードーとらさんに「それって○○ってことじゃないですか?」みたいな問いかけをしたときに、ドードーとらさんが「ん〜、そう・・かも」みたいな返事をされたことがあったのを思い出して、変に誘導してしまっているかもしれないと思ったこと・・・

という感じのことなのですが。


それと、さぼっているといわれた部分ですが・・・。
これって、例えばどういう場面だろう。
もしかして、私が行き止まりだと感じている部分なのかな・・・。

なんていうか、ある部分まで行くと、進もうとしても後退してしまうんですよ。これは、かなり前から感じていることなんですけどね。
コメントでもよく書いていますよね。
私はここに異質な壁を感じるんですよね。
だから、お互いに進めないところなのではないかと思っていたのですが。
私の限界かな〜とも。そこから先は傍観して聞いたり知ったりするしかできないって感じです。
ドードーとらさんは、そのように感じたことはないですか?

お互いに進めば進むほど、離れていく感じがするので、とどまっているって感じです。そちらに行く方法が見つからず、傍観していたら、どこかに入り口が見えてくるだろうかと思いながら待っている感じです。

で、がっかりされたのかと思っていたのですが・・・。
もしかして、「どうしてこの入り口から入ってこないんだ?」みたいな感じでがっかりされているのなら、その入り口を教えてほしいと思ったのですが。

それと、
「別に俺に限った話じゃない。ある人がその人自身をより理解しようとすることを、誰か別の人が邪魔できるなどと考えるのは、傲慢に過ぎるのではないかと思います。」
→ここですが、私は邪魔はありうると思うんですよね。自己理解の手助けが出来るように邪魔もできると。
そして、自閉症の人たちが周囲の反応によって自己評価が低くなるというのも、自己理解の邪魔をしているように思うのですが。

もしかして、「自己理解」の認識が違うのかなぁ・・・。

と、こういう私の考えを聞くと、混乱しません?
法則が逆みたいな感じがして・・・。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/17 09:51 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 別に混乱なんてしやしませんよ。アリスさんが混乱しているのはよくわかるけど。

 ややこしくややこしく考えるのも悪い癖です。俺はそんな難しいことは言ってない。ただ分析しろって言ってるだけなんだから。
 二人のこれまでのやり取りは、メールにせよブログにせよ残っているんだから、よく読み返せば、自分が今まで何をやってきたかわかんないのかな。
 しっかりしてくださいよ。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/17 22:45 [ 編集 ] #mQop/nM.

すみません。

なんか、怒られておりますが、妙にうれしかったりして・・・。

ドードーとらさんは、混乱しないんだ。
私はね、最初からずっと混乱しっぱなしですよ。
なぜ、ドードーとらさんは、軸がぶれないんだろ?うらやましいです。

だからね、いつも、ついていこうとしている自分を感じています。
追いつけないって感じで。さぼっているわけではないんですよ。
今なら、最初の頃のブログの話に少しはついていけそうな気がします。

だから、対等に相手になれないことを、申し訳なく感じている自分がいたりするのです。

私、はかせのことを学校に説明するときのリストに、「会話が成立していて、話が通じているように見えても、実は通じていなかったということがよくあります。」という項目があるんだけど、同じことを言いたいです。

ドードーとらさんが思うほどに、私はわかっていないような気がするのですが。なんかね、「このくらいわかりなさい」って言われても、さっぱりわからなくて、どうしてドードーとらさんが、私がわかると思っているのかがわからないのです。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/18 16:20 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 いや、さぼってるね。そうやって「うらやましい」とか言って俺を持ち上げとけば自分自身を分析しなくてもいいと、あるいは他の人が自分を分析するのを回避できると、アリスさんはまだ思ってる。

 わからない。話についてこれない。対等に相手になれない。
 俺はそういうことを責めようとかって思ってるわけじゃない。もっと初歩的で単純なことなんだけどな。
 さっさと自分がやってきたことを分析してください。できないはずがないでしょう? メールやブログって形で事実がそのまま残っているわけだから。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/18 23:58 [ 編集 ] #mQop/nM.

ちょっと、いくつか質問させてくださいね。

まず、このドードーとらさんがおっしゃった「持ち上げる」は、私が上の方のコメントで使った「持ち上げる」とは、使い方が違いますが、そこはわかってもらえています?
私は、誰とでもそうですが、雰囲気がとんがってきたと感じたときに、柔らかくしようと思って、こういう言葉の使い方をしますが、これが何かからの回避行為になるのですね?

ドードーとらさんには、私を見ていて、さぼっていると思われる、確信めいたものがあるのですね?

私は自閉症の世界を知りたいと思って、ドードーとらさんとやりとりしているわけですが、分析するのは、自閉症についてではなく、二人のやりとりについてなのですね?

なんというか、ドードーとらさんからは、簡単なことでも、私からは難しいかもしれないとは思っていただけないですか?

私のこと、とぼけた人間に見えて仕方がないですか?
私としては大真面目なのですが・・・。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/19 02:38 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 お答えします。

> まず、このドードーとらさんがおっしゃった「持ち上げる」は、私が上の方のコメントで使った「持ち上げる」とは、使い方が違いますが、そこはわかってもらえています?

 使い方が違うんじゃないんですけどね。
 アリスさんが最初に使った「持ち上げる」の使い方が間違ってて、それは本当は「かつぐ」と言うんだ。俺のほうでかつがれそうになるとかわしてきたから、より厳密には「かつごうとする」だけど。
 俺が使ったほうが「持ち上げる」の使い方としては正しくて、ま、どっちにせよ、「持ち上げる」も「かつぐ」も両方やるでしょ。アリスさんは。で、俺にとってはどっちもうざい。

> これが何かからの回避行為になるのですね?

 そうです。

> ドードーとらさんには、私を見ていて、さぼっていると思われる、確信めいたものがあるのですね?

 そうです。人をかついだり持ち上げたり、あるいは自分を卑下したり道化を演じたりしてまで積極的に回避し続けてるんだから、それは「さぼる」と言っていいでしょう。

> 私は自閉症の世界を知りたいと思って、ドードーとらさんとやりとりしているわけですが、分析するのは、自閉症についてではなく、二人のやりとりについてなのですね?

 そうなんですが、特に、二人のやりとりの中でアリスさん自身が何をやってきたかを分析してください。

> なんというか、ドードーとらさんからは、簡単なことでも、私からは難しいかもしれないとは思っていただけないですか?

 そうだろうなと思ってるけど、取り組む前から難しい難しくないの話をされてもね。

> 私のこと、とぼけた人間に見えて仕方がないですか?

 別に。
 そうやってこっちが言ってないような方向に自分を貶めて人格の問題に持ち込んでまでさぼろうとするんだから、性質が悪いね。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/19 09:02 [ 編集 ] #mQop/nM.

えっと、弁解めいておりますが・・・。
「うざい」とか「たちが悪い」とか読むと、そのように反応してしまうのですよ。そこをあえてスルーしないといけないのです。私の場合は、ですが。
できれば、ドードーとらさんも、そこは条件反射的なものだとスルーしていただけるとうれしいのですが。

ブログの振り返りですが・・・、
私がドードーとらさんを見つけたとき、「私の中でぼんやりとしていたものをクリアに表現している人」だったのです。

ブログをはじめてからは、いきなり自我とか知らない世界の話になって、ドードーとらさんの日記やコメントを理解するところから始めないといけなかったですし、理解までいけずに頓挫したものも多いです。
このあたりは、少し理解が進んだように思っています。

早いうちに、行き詰まりのパターンが見えてきたのと、他の方や有名な方を巻き込んでブログが進むようになってからは、「ドードーとらさんを守らなきゃ」って感じになっちゃって、前に座って向かい合っていたはずが、ドードーとらさんの背後に立つようになってしまったんですよね。

で、そのうちに、外野が気になって最初の頃のようにドードーとらさんに集中できなくなって、あっち側の視点(感じ方?)、こっち側の視点ってウロウロしているうちにややこしくなってきて、私が知りたいと思っていることを、他の人たちも知りたいと思ってくれたらいいのにってなってきて、説教めいた日記が増えて・・・。
私の視点に気づいてほしい・・。知りたいと思ってほしい。っていうのが優先順序の上に来てしまっているんですよね。

行き詰まりについては、なじみがある感覚なので、あきらめが早くなったというのはありますね。それが、ドードーとらさんから見れば「さぼる」になるのかと思ったりしていますが、どうでしょうか?
ただね、もがいてどうなるものでもないというか、新しい何かが必要だと感じています。その何かがわからないままですけどね。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/21 10:17 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 うーん、それだけ? もう一歩深く分析できませんか?

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/21 13:07 [ 編集 ] #mQop/nM.

ここですよ。

ドードーとらさんは、「単純に考えるように」とおっしゃり、そして、今度は「もう1歩深く」とおっしゃるわけです。

私の側からしたら、単純なことは広く浅くであり、深いことは複雑なんですよ。

だから、わからなくなるのです。
なんていうのかな〜、考える道筋が違うって感じでしょうか・・・。

なので、どう分析したらいいか、とっかかりのようなヒントをいただけるとありがたいのですが、そうすると、私にとっての回答みたいになってしまうんですよね。
おそらく・・・。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/21 14:51 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 んじゃ何も考えなくていいんで、事実をよく見てください。ヒントはこれ以上出しようがないですね。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/21 20:29 [ 編集 ] #mQop/nM.

事実ですか?
これまた、解釈の難しい言葉ですね。

私の解釈した事実としては、ドードーとらさんと私のやりとりは、だいたい同じようなところで行き詰ってしまう。

ドードーとらさんが書き込まなくなると、私としてはつまらない。

ドードーとらさんが、書き込むと、やはり、同じ感じで話が展開していかない。(責められているわけではないけれど、私が申し訳ない感じになってしまう。)

その他には・・・

たまに第3者が介入すると、私の立ち位置が移動してしまう。
(定型受けするような書き方でかばおうとする)

といった感じでしょうか。

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/22 19:40 [ 編集 ] #OJXynvZQ

 だみだこりゃ。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/23 00:36 [ 編集 ] #mQop/nM.

なんか、コントみたいになってきましたね。

そういえば、はかせが私たち家族や先生、友達など、周囲に合わせようと真剣に会話すると、今回の私たちの会話と立場が逆のやりとりになって、「もういい」と言われて終わることが多いです。

ドードーとらさんと出会った頃に、メールのやりとりの中で、「逆から見たら同じだね」みたいな会話をしたのを思い出します。

よそものの立場になって会話すると、相手の意図を理解できないことが申し訳ないし、どう頑張っても上手くいかなくて、息子達の世界を垣間見たような気分になります。

おそらく、ここ↓
http://manyissue.blog112.fc2.com/blog-entry-207.html
のやりとりが限界なんですよね。
ここ以上は進めないんですよ。
どうしたらいいですかね・・・。

責めているわけではないでしょうが、私としては、なんだか申し訳ないですね。
ドードーとらさんは、今回のやりとりで、私の限界を確認できましたか?

過去のブログを見てきて、ドードーとらさんは私のことがわかっていて、ピタっと黙ってしまわれて、私はよくわからないままに、叱られた子供のようにそこであきらめてしまう・・ってパターンに見えるのですが、ドードーとらさんからは、どのようなパターンに見えるのでしょう?

ドードーとら ドードーとら のコメント ◆◇◆ 2009/02/24 23:22 [ 編集 ] #OJXynvZQ

> なんか、コントみたいになってきましたね。

 あんたが言うなって感じですけど。

 あーあ、これだから嫌んなっちゃうんだよな。

アリス アリス のコメント ◆◇◆ 2009/02/25 08:03 [ 編集 ] #mQop/nM.

コメントは、それだけですか?

私はドードーとらさんが、なぜ、こういう書き方をメールではなく、あえて読者の目に触れる形でされるのかがわからずにいます。
全員ではないでしょうが、かなりの確率で定型の人の心証を悪くするのはわかって書いておられるでしょうから。

返事、必要ないですよ。
これは、ドードーとらさんにというよりも、私が読者に対して書きたかっただけですから。

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