映画 情報 新作 試写会 上映スケジュール
ようこそ!   メンバーページ
占い
2006.10.2(月)更新
【東京シネマのぞき見隊】(92)
「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?
深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
「新人監督なのに全カットの緻密な絵コンテを描いて持ってきてね〜。普通はキャメラマンの仕事だから風当たりが強くなるし…で、なかなかできないこと。あと、周囲がみーんなスポーツ紙とか週刊実話とか読んでる中で、金子監督だけは一般紙。我が道を行く──金子監督はまさにそんなタイプ」
一緒に登壇した製作スタッフの金子監督評。ちなみに日活で最も影響を受けた人物は、(当時は先輩助監督だった)那須博之監督で、日活で最も感動したのは「ウルトラセブン」の森次晃嗣が食堂でラーメンを食べる場面に遭遇した時だそう…
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
デビュー作「宇能鴻一郎の濡れて打つ」の即興コメンタリー! 金子監督の片手にはビデオのリモコン(コレで“濡れ場”シーンを自由自在に飛ばしまくり…)と、もう一方の手には古〜いノート。何かと思えば、20年以上も前の当時の製作日誌! 「えーとコレによりますと、11月9日に顔合わせで、12月1日にはシナリオの第一稿完成。でその後、21日にクランクインしてますね」恐るべし!金子監督。ちなみに同作は、製作費2000万円で70分前後の尺が通常のロマンポルノにあって、500万円&撮影期間6日&50分…という制限付きだったとか
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
「裸の女性が目の前にいるけど、何とも思わないんだよね、これが不思議と。それにロマンポルノは“天気待ち・フィルム待ち・前張り待ち”ってね」(写真左から)村石直人氏(撮影)、高橋伸行氏(製作)、芳田秀明(助監督)と金子監督とのトークは、まさに“R18”!とても書けません…。「アノ人は…ねちっこい性格だったね。嫌〜な監督だった(笑)。いや現場から離れるとイイ人なんだよ?作品はどれも面白いし…」とみなが口揃えるのは、ロマンポルノの名匠、K沼M氏。過酷な製作現場の裏話に花が咲く!
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
トーク終了後に、金子修介監督によるDVD&関連書籍のサイン即売会を実施! 昨年秋より発売元のジェネオン エンタテインメントより、150本ものロマンポルノ作品が連続リリースされている。興味がある人はココ(http://www.geneon-ent.co.jp/movie/roman/index.html)をチェック! 実はイベント取材に行くたびにDVDを購入してしまう筆者も…やっぱり↓
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
「宇能鴻一郎の濡れて打つ」(3990円/ジェネオン エンタテインメント)買っちゃいました…。それも最後の1本で、金子監督のサイン入り(もちろん自腹購入)。ちなみに王道だが、筆者のロマンポルノ初体験は「赫い髪の女」で、ベスト1は「恋人たちは濡れた」という、どちらも名匠・神代辰巳監督作品。どちらかというとコミカルな映画は好みではないはずなのに…コレは面白い! “青い三角定規”ならぬ“暗い三角定規”や、“お蝶夫人”ならぬ“お蝶サマ”といった小ネタも笑えます!
【東京シネマのぞき見隊】(92)「デスノート」の金子修介監督オススメのロマンポルノとは?深夜の歌舞伎町で開催された<ロマンポルノNIGHT>に密着!
今回は、ロマンポルノの書籍「愛の寓話」(写真/2100円/東京学参刊)発売記念イベントとして開催(全1133本の作品のデータあり、インタビューあり、貴重なポスタービジュアルあり…必読)。「ロマンポルノは単体で評価せずに、1133本全てひっくるめたプログラム・ピクチャーとして、その存在価値を考えてみてほしい」と語ってくれたのは、企画した東京学参・Pause編集部の内田達夫氏。最も好きな映画監督は名匠・小沼勝監督で、「生贄夫人」('74)「花芯の刺青 熟れた壷」('76)「さすらいの恋人 眩暈」('78)などがオススメとのこと
【金子修介 プロフィール】
1955年6月8日東京都台生まれ。東京学芸大学卒業、助監督として日活入社。助監督の職に就き、35本もの映画の現場を経験しつつ、(大学映研の先輩部員・押井守監督のツテで)TVアニメ「うる星やつら」「魔法の天使クリーミーマミ」などの脚本も手がける。監督デビュー作「宇野鴻一郎の濡れて打つ」('84)など、日活ロマンポルノ作品は全5本を担当。その後、深津絵里(当時のクレジットは水原里絵)主演の「1999年の夏休み」('88)で脚光を浴びると、「ガメラ」シリーズなど話題作を続々と輩出。近作に「あずみ2」('05)、「神の左手 悪魔の右手」('06)、「デスノート the Last name」(11月3日公開)など
>> 公式サイト
>> 「Pause」公式サイト
>> 「金子修介監督」公式サイト
>> 「新宿ロフトプラスワン」公式サイト
MovieWalkerレポート TOPへ
日活ロマンポルノを
3本以上観たことがありますか?


 日活ロマンポルノ──10〜20代の若い人であっても、日本映画好きであれば一度は目にしたことがあるはずだ。それほど、日本映画史で“伝説化”されているキーワードだと思う。
 日活ロマンポルノは、【大手映画会社・日活が、1971年より17年間に渡って1133本を生み出した和製ポルノ】…とただ簡単にひと言でまとめてしまうには、もったいない傑作・逸話が数多く残されている。何と言っても、

「監督が交通事故に会わないか…と毎日考えてた」
…と助監督が言うくらい過酷な現場。しかも、

「女優の体が完治しなかったら、僕が結婚しよう」
…と覚悟を決めた監督までいたというから、当時のポルノに懸ける意気込みたるや相当なものだったのだろう。

 ちなみに、これらのセリフは、日活ロマンポルノの製作に携わったスタッフの生の声。去る9月初旬、新宿のロフトプラスワンにて<ロマンポルノNIGHT in 歌舞伎町!>というイベントが開催されたのだが、当時を知る監督や製作スタッフが来場して生トークを敢行。思わずロマンポルノが見たくなる──そんな貴重な製作エピソード満載の内容だった。製作が中止されて20年近く経つ今でも、ミニシアターや名画座を中心にリバイバル上映が後を絶たないロマンポルノだが、3本以上見たことはありますか?
「ロマンポルノは永い青春のようでしたね
早く監督になりたい、ただその一心!
だって根っから監督向きな性格だもの(笑)」


 ロマンポルノを振り返ってそう語るのは、11月3日(祝)に「デスノート the Last name」の公開が控え、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの金子修介監督。1984年、28歳の時にロマンポルノでデビューし、全5作品を手がけた金子監督が、<ロマンポルノNIGHT in 歌舞伎町!>の特別ゲストとして来場。“爆笑スポ根”ポルノの傑作と誉れ高い、デビュー作「宇能鴻一郎の濡れて打つ」の超豪華コメンタリーを即興で見せてくれた。
 ちなみに“宇能鴻一郎”といえば、夕刊紙の連載小説で、「アタシ……なんです」という独白で進行するスタイルが大ウケした、当時は誰もが知る裏・国民作家。その宇能鴻一郎の原作を、金子監督が大胆にアレンジした映画版でも、「アタシ、細川ひろみ、高校1年生。新入部員なんですぅ」と舌ったらずな声のナレーションが入る。オープニングは、寝起き姿の主人公がいきなり着替えだす…そんなヌードシーンだ。

 「ハイ、この物語の中に織り込んだ形のタイトルバック。『いきなり冒頭から脱がす奴がおるか!』と会社からは叱られたけど(笑)、これはダスティン・ホフマン主演の『トッツィー』('82)をマネしたくてね」

 元々日活入社前には、大学(押井守監督の後輩)で8mmを撮っていたという根っからの映画青年である金子監督の口からは、次々と“ポルノ”とはかけ離れた名作映画のタイトルを挙げてゆく。

 「この幻想的な霧がかった映像は、木下恵介監督の『野菊の如き君なりき』('55)へのオマージュだよ」

 「このストップモーションは『仁義なき戦い』だなぁ」

 「この回転シーンは、クロード・ルルーシュの手持ちカメラのアレだよ」

※注:この「宇能鴻一郎の濡れて打つ」は、“Hな”超ナンセンス・ギャグ・コメディですので、念のため。ところが…

 「いやぁ今みても、なかなかきちんと撮っていますね! 日活首脳陣からも、最終的には『なかなかいい青春映画じゃないか』って」
 久しぶりに見返したという、壇上の金子監督もご満悦。あの名作テニス・アニメ「エースをねらえ!」を大胆にパロった“笑撃”シーンの連続に、場内の観客たちも笑いっぱなしだ。

 ところで、そんなトークの間で私が気になったのは、「ボクがこだわったのは」「ボクが演出的に優れていると思うのは」…という金子監督の主観的な口ぶり。よくロマンポルノは、生粋の映画人が“ロマン”の部分に懸けたプログラム・ピクチャーと言われるが、それは決められた女優の起用と予算、そして規定の濡れ場を盛り込みさえすれば、撮りたいものが試せる場だったから。自分のありったけを60分足らずの尺に詰め込んだという、当時の意気込みが、金子監督の口ぶりからも窺える。
 「当時、8mm映画を撮っていた大森一樹さんや石井聰互さんらが脚光を浴びだして、撮影所からでなくても映画監督への道が切り開かれ始めた時代だったんですね。ボクも高校・大学と8mmを撮っていたから迷いましたが、日活の撮影所はやっぱり特別な場所だった。映画監督になりたい一心で、助監督の職に応募したんです。でもね、そもそもボクは助監督には向いてないんですよ。監督の望むものを提供しなければならない助監督の立場にいて、『なんで他人のために…』ってずっと考えてるタイプですから(笑)」

 2名の助監督職に対して、200名以上の応募があったという狭き門を通過して、6年かかってデビューまで辿り着いた金子監督。自分の撮りたい想いを爆発させたんですね…って、それにしても!

 「え〜っと、この濡れ場は見せなくてもいっか♪それはDVDで見てくださいね♪そうそう、それよりココがね…」

…とロマンポルノ必見の濡れ場シーンをすっ飛ばして、自分のギャグポイントを説明する金子監督。それ、マイペース過ぎです…
「韓流ブームって騒がれてるけど
ロマンポルノの二番煎じだよね」
“日活 活動屋”のプライド爆発!


 「言い方が悪く聞こえるかもしれないけど、僕はロマンポルノを踏み台にしてここまで来た。ロマンポルノは製作スパンが短いし、すぐ撮ってすぐ見せられた。お客さんの反応がすぐ分かるって意味では、非常に勉強になったんです」

──ロマンポルノとは? 司会者にそう聞かれて答えた金子監督。
 2000万円前後の低予算で、10日間程度の撮影日数という厳しい条件下ではあったものの、斜陽化していた当時の映画界で“最後の砦”といわれたロマンポルノでは、「映画を撮りたい」そんなエネルギーに満ちていたという。

 「ロマンポルノの現場はね、監督が若くて、技術スタッフは年長者が多かった。バジェット(予算)がないから無茶していたけど、それでもみんなが監督にヤンチャさせてやろうっていう空気だった」
 当時の現場を知る日活製作スタッフがそう語るように、ロマンポルノが伝説化されている理由のひとつは、映画人の知恵とプライドと情熱…そういった財産が蓄積した“撮影所”で製作された映画だったから。そして最大の理由は、17年間ひとつの会社が、ポルノというジャンルをやってやってやりつくしたコトにほかならない。
 「いま韓流ブームって騒がれてるけどさ、み〜んなロマンポルノでやってたことの二番煎じだと思うんだ」──製作スタッフが壇上で何気なくこぼしたこの言葉。“日活 活動屋”の並々ならぬプライドを感じないだろうか? 現在、初DVD化作品を多数含む<日活名作ロマンシリーズ>(ジェネオン エンタテインメント)が発売中なので、ぜひ1本でも多くのロマンポルノを観て、そして知ってほしいと願う。そう、少なくとも3本以上を…。

──最後に、金子修介監督に聞きました!
 「一番好きなロマンポルノを、あえて1作品挙げるとしたら?」
金子監督「自作でもいいの?」
──え〜と…できれば他作でお願いします
金子監督「じゃあ『天使のはらわた 赤い教室』('89)だね」
──そのココロは?
金子監督「これぞ、哀しいロマンポルノ!」

取材・文/戸田美穂(ワークス・エム・ブロス)


(C)KADOKAWA X MEDIA ALL RIGHTS RESERVED.