【Web】MIAU の津田氏は何にいらついているのだろう?
MIAU という組織があります。Movements for the Internet Active Users(インターネット先進ユーザーの会)なんだそうです。 主にユーザの側から著作権問題などコンテンツ利用のあり方について政策提言を行う組織なんだそうです。
その MIAU の代表者が津田大介さんという方なのですが、この方、時々、はてなブックマークのコメントについて、いらいらされることがあるようです。 Twitter で、ちょくちょく、はてブのコメントの批判をされています。例えば、今日は
http://twitter.com/tsuda/status/1242986390
このエントリが叩かれる理由がまったくわからない。はてなってすげえなあ。 勝手な被害妄想でずっとシャドーボクシングですか。そりゃネットやめられないわ。http://d.hatena.ne.jp/next4...
これから始まり、
http://twitter.com/tsuda/status/1243161737
若者論というよりむしろ環境の話で、昔は草が草として自生できる環境が多くて、 草が言葉を発することもできなかったから単に表面化することが少なくて、今は草がざっくざっく刈り取られたり燃やされたりして、 その草の言葉がネットを通じて表に出てくるようになったからなのかなと。
こんな感じに展開していきます。
正直、なににいらついているのだろう? と僕なんかは思ってしまいます。で、
http://twitter.com/tomikura/status/1243205575
津田大介氏がなににむかついているのか、今ひとつ共感できない。パンピーは黙ってろってこと?
こんなつぶやきを Twitter に流してみたところ、
http://twitter.com/tsuda/status/1243259839
@tomikura 「黙ってろ」じゃなくて「自分が主体的に決められないことの原因を外部化するな」って話です。
との丁寧なご回答をいただいたのですが、僕が知りたかったのは、 津田氏が紹介している記事の内容のことではなく、はてブのコメントにいちいち反応している津田氏のいらだちの原因は、どの辺にあるのだろう? ということでした。
僕自身、「いーじゃん。言いたいヤツは言わせとけ」という感じで、はてブとか 2ch とかの反応をチェックしたことがないので、はてブのコメントをマメにチェックし、しかも自分が関係する記事じゃないものにまで Twitter でつぶやかれている津田氏の行動は興味深く思えます。
で。
気になるのは、津田氏が Twitter の自己紹介で
「東京在住の物書きです。」
と書かれていることです。これ、変じゃありません? 変だと思うのは、僕だけなんですかねぇ?
「物書き」つまり、言論の自由があるからこその仕事をされているわけです。言論の自由が失われれば、 津田氏の今の仕事も失われるわけです。その意味で、津田氏は本来なら「言論の自由を守ること」に最も敏感でなければならない人の1人です。 ところが、そんな津田氏が、一般人が言論の自由を行使しているのを見て(少なくともはてブのコメントに対しては) 否定的な発言を繰り返されています。
やっぱり、変だと思うのです。
そういえば、既存のマスメディアの中の人に、こういう感じの人、いますよね。 自身の言論の自由は主張するのに、ネットになると途端に「規制しろ」とか言う人。
こういう人って、自身の中で論理の整合性はどう取っているのだろう?
-
自分達は生まれもっての才能がある。
-
表現するための訓練を受けた
-
主体的に考えて発言している
-
自分は実名だ!
実名・匿名云々は、「匿名で意見を言う人は卑怯だと思う」 を読んでいただくとして、他の3つの理由で自分の中で整合性を取っているのだとしたら、それって旧態然とした 「選民思想」となんら変わりないんじゃないの? と思ってしまいます。自分達には発言権はある。お前らには発言権はない。いやはや。
そもそも、「主体的な発言」ってなんだ。「自分の意見」と言っているものの、 実は裏を返せば特定の利害関係者の意見を代弁しているのに過ぎない人って多いですよね。むしろ、「自分の意見」とか言う人に限って、 別の誰かさんの代弁を「自分の考え」だと錯覚している手に負えない始末になっているわけで……。
違うよね。
インターネットって、情報を低コストで入手できることが本質なのではなく、 「情報を低コストで発信できること」、つまり、これまでなら出版や放送といった比較的コストがかかる手段、 従って普通の人にとっては手を出せなかったことが、インターネット(特に Webサービス)を使うことによって、 これまでに比べて情報発信をしやすくなったことにあるんじゃないの? 発信するコストが下がったから、 情報を入手するのに必要な費用も下がったのだと思います。津田氏がいみじくも言ったように、 「草の言葉が表に出てこれるようになった」 ことがインターネットがグーテンベルグの活版印刷と同じ意味で情報革命の道具になれたことなんじゃないかなぁ。
繰り返しますが、公の場で発言できるのは限られた人だった状況から、 より多くの人に発言する機会を与えるようになったのが、インターネットという技術です。言論の自由にとっては、大きな進歩だと思います。
それなのに、「物書き」として言論の自由を享受している津田氏が、 ことある毎にはてブのコメントを攻撃する。いったい、なんだ? それは単に既得権(つまり、俺様は発言を許された人、他のヤツは発言するな! )を守りたいがための行為に過ぎないんじゃないか? と思ってしまいます。つまり、津田氏の「いらだち」 の底には自分の意見とは違う意見が多いってことなんじゃないかと。そして、そんな状態を許容しているインターネット (はてブコメントを代表例として)にいらだってる。そんな感じなのではないかと思います。
でも、それって、言論の自由を今まさに享受している人が言うのは、絶対に間違っている。 自分とは異なる多様な意見の存在を認めること。少なくとも「物書き」を仕事にしているのなら、そこを出発点にしなければいけないと思う。 筒井康隆が「絶筆」したのは、まさに「多様な意見の存在を認める。でも、その意見に与するわけにはいかない」そう考えたからです。
ともあれ。
厄介なのは、こんな津田氏が代表をしているのが、最初に書いた「インターネット先進ユーザーの会」です。 インターネットの先進を進んでいると自負している人の代表が、既得権を確保しようとしているかのような言動をしているわけです。 大丈夫なんすか?
僕自身は、誰かの口をふさぐ権利を欲しいとは思いません。 僕にとっては
他人の口をふさぐ権利ではなく、 自分の耳をふさぐ自由
こちらの自由の方が大切に思えます。どのような情報に対して耳をふさぐのか。 それは情報リテラシーと言いますか、そもそものその人の教養とセンスの問題だと思います。
MIAU は政策提言と同時に啓蒙活動もしているのだそうで、その意味で MIAU が本来やらなければいけないのは、
「誰もが発言できる状況において、 どのようにすれば自分を不幸せにする情報に耳を貸さずにすむか」
こちらの方法を啓蒙することなんじゃないかと僕は思います。
と言いますか、曲がりなりにもインターネット先進ユーザーな人が、自分が不快になると分かっているのに、 こまめにはてブをチェックしに行くのって、なんだか間が抜けていると思います。
さらに言えば、パンピーを軽蔑するのは自由です。しかし、 パンピーを軽蔑していることを得意げに言って回るような人を、政策提言集団の代表にしてるっつーのは、政策実現を本気で目指しているのなら、 ちょっと考えた方がいいのでは?
余計なお世話でしょうけれど。
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コメント
別に僕は誰かの口を塞ぐ権利が欲しいなんて思ってませんよ。実際、そういう問題意識で、MIAUも青少年ネット規制法に反対してきました。
ただ、現状、ネット関連の法制、言論規制がどのようにできていくか、関係省庁やら業者やらに近い立場で活動していると、本当に今ネットの言論というのが微妙な立場になっているということが伝わってきます。特に昨年末から今年にかけて、ネットの言論を規制するための「判例」になってしまう、厳しめの判決が複数出て、かつスマイリーキクチのブログのコメント欄に事実無根の書き込みをしたという人たちが複数大量に摘発されるという事件が起きたことで、実際に政策を決定する行政や警察関連の委員会などで、ものすごい勢いでネットの言論が規制する方向にお膳立てができてしまっている状況なんです。
端的に言えば、僕はそういう状況の中、自分の言論を守る意味でも、ネットの言論を守る意味でもそのような「過度な規制」は反対という立場です。
ですが、一部のネットの言論の中(それははてなブックマークのコメントも含まれます。もちろん、すべてとは言いませんが)で、一部、あなたの言葉を借りれば「誰かを不幸せにする情報」が書き込まれていることは事実であり、それに対して現状の規制が進むと、書かれた側が耳を貸さないという選択ではなく、警察に訴えることで、書き込んだ側に対して何らかのペナルティが下されるということになりかねない、事態は徐々に緊迫した状態になりつつあるわけです。
理想でいえば、民間レベル、それこそ「耳を貸さない」レベルで物事が解決すればいいですが、現状そうならなくなっているのが昨年末から今年にかけての状況です。そうなったときに、これ以上事態を悪化させないためには、結局のところネットの書き込みをする側が「自重」するしかないわけです。
最終的にはネットの名誉毀損はどこまでならOKなのか、というガイドライン的なものができていくのでしょう。そのときに、批判する自由も含めて、できるだけ厳しいものにはなるべきではないというのが僕の考え方です。ただ、今のネットの言論状況では、そうしたガイドラインはどうしても厳しめに作られてしまうだろうな、というのが僕の正直な今の感覚でもあります。
そんな状況において「誰もが発言できる状況において、どのようにすれば自分を不幸せにする情報に耳を貸さずにすむか」 という問題提起は意味をなさないと僕は思っています。あまりにも情報発信側にメリットをおきすぎているからです。発信側と受け手側でバランスをとる必要があり、どこにそのラインを置くか、ということがここ3年ぐらい(これは総務省もガイドラインとして示しています)のネットの社会的言論状況で判断されるわけで、僕がはてブを含む一部のネットの言論状況にいらだっているとするなら、そういうこともあるんだと思います。
インターネットによって、草の根の声が出てきたことや、それがもたらす価値の大きさは十分に僕も理解しているつもりです。僕自身、従来のマスメディアだけでなく、ネットでもいろいろなチャンネルを使って情報発信しているわけですし。上から目線で一般人は黙ってろ?そんな馬鹿な。もっともっと一般人が情報発信して、古くさいメディアの悪い部分を駆逐していってくれ、とも思ってますよ。
ただ、そのときに今のネットの状況は理想的な部分だけを実現しているわけではない、ということは事実ですよね? それをどうとらえて、どうネットの良い部分を殺さずに伸ばしていくか。それを考えて僕は活動しているつもりです。
そういうことも含めた細かいニュアンスはtwitterの140字では、なかなか表現できません。できれば、今まで僕が書いてきたことや、活動してきたことまで含めて、総合的にご判断いただければ幸いです。
投稿: 津田 | 2009年2月25日 (水) 01時59分
このエントリの後半はちょっと筋違いかなと思います。ネット上の何かに対する批判を「言論の自由を妨げる!」と主張するのは飛躍し過ぎかなぁ~と考えます。
「他人の口をふさぐ権利ではなく、自分の耳をふさぐ自由」
これは完全に同意です。僕もはてブなどで非表示ユーザー機能は重宝してます。ただ自分個人だけ非表示にしても他の人が不快なのは変わらない、というのが津田さんの考えだと思います。
例えば僕がnewsingを愛してるとしたら、腐乱死体さんみたいなユーザーはマジ消えて欲しいと思います。自分だけ非表示にしたからって解決する問題じゃないんです。newsing運営も建前的には「言論の自由」があるからID停止できないけど、本音はどっかいってほしいんじゃないでしょうか?
…と、newsingをインターネットに置き換えたのが今の津田さんの心境じゃないでしょうか?
「誰もが発言できる状況において、どのようにすれば自分を不幸せにする情報に耳を貸さずにすむか」
これは理想です。しかし官公庁との戦いを考えると、彼らは「ほら、こんな所に不適切情報があるじゃないか!」と探してくるので、この方法を広めてもあまり意味が無いと思います。
とはいえ、はてながはてブコメントを「不適切コメント」として削除するような事はありえないので、このまま官公庁のネット規制が進んで裁判所も厳しくなり、自由に発言できるけどすぐ逮捕されちゃうよって世界が落としどころかな、と考えてます。
投稿: tera | 2009年2月25日 (水) 08時03分