蜘蛛の糸 芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」では、
カンダタという地獄に落ちた罪人がかつて小さな蜘蛛を助けたということで、
お釈迦様が地獄でもがくカンダタに一本の蜘蛛の糸を垂らしてあげる。
これで地獄の苦しみから逃れられるとカンダタは糸にしがみついて登るが、
ふと下を見ると、罪人たちがどんどん後を追ってくる。
「こら、罪人ども、この蜘蛛の糸はおれのものだぞ」とわめいた瞬間、
プツリと切れてカンダタは地獄へまっさかさまに落ちた。
自分だけが助かろうとするカンダタの無慈悲な心が
地獄へ舞いもどるはめになったのだが、
カンダタの心を試されたお釈迦様の行為は慈悲の心から出たものだろうか?
心で見る 『星の王子様』の作者として有名なサン=テクジュペリは1900年に生まれ、
第二次世界大戦が終結する前の年の1944年に亡くなっている。
もともと彼は優秀なパイロットで、さまざまな飛行体験をもとに、
『星の王子様』はじめ『夜間飛行』『人間の土地』といった作品を書いた。
生地であるフランスのリヨンからモロッコの南部の町までフライトすると、
眼下にはアヴィニヨン、ローマの古代水道遺跡、スペインの古城などが見え、
その風景を、彼は「なんと整然とした、この美しい世界」とたたえた。
美しい世界が戦火によって焼失するのを自分の目で確かめたかったのか、
飛行規程をオーバーする年齢で偵察飛行に飛び立ち、帰らぬ人となった。
”心で見なければ、本当の事は見えてこない”テクジュペリの言葉である。
降る雪や 「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」という名句がある。
中村草田男の句で、なぜかしら年初めになると口をついて出る。
また、この句は本歌取りでもある。
本歌は「獺祭(だっさい)忌 明治は 遠くなりにけり」で、
短歌の革新に力をそそいだ正岡子規の生きた明治に思いをはせた句だ。
ところで、獺祭の獺(だつ)とは何かというと、カワウソのことである。
カワウソが捕まえた魚を祭りのお供えのように並べるのを獺祭と言い、
子規も詩歌をつくる際に、多くの書物を机の上に広げたのであろう。
明治は降る雪とともに遠くなってしまったが、
昭和はどんな光景とともに遠くなっていくのだろうか。
種明かし 象の鼻はなぜ長いのか?虎はなぜ黒と黄色の縦じま模様なのか?
民話にも、そうした動物たちのナゼナゼの種明かしがよく出てくる。
むかしむかし、サルとカニがいっしょに餅をついた。
つきたての餅をサルが独り占めにし、木の上に登ってしまった。
サルは、餅が欲しけりゃ、油を塗った草履をはいて登って来い、
などど悪知恵をはたらかせて、カニをいじめる。
カニも悪知恵で対抗し、餅を全部取り返し穴の中に逃げ込む。
サルが穴の中にしっぽを入れると、ハサミでチョッキーン!
サルは顔を真っ赤にし「俺の毛をやるから、どうか許して」と哀願する。
それで、サルの顔は赤く、カニの体には毛が生えるようになったとさ。
ぞうさん (ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね…)や
(しろやぎさんから おてがみついた くろやぎさんたら よまずに…)
といった童謡は多くの人の耳に残り、口ずさむことができる。
これらの詩を書いたのは、まど みちおさん。
まどさんは、児童誌に投稿した詩が北原白秋等に認められ、
童謡詩をつくりはじめたという。
処女詩集「てんぷらぴりぴり」を出版したのが59歳の時である。
まどさんの詩には「つけものの おもし」とか「はな紙」といった、
こんなものが詩になるのか?と思ってしまうものが登場する。
ありふれたものをあるがままに描く、まどさんのコトバの力はスゴイ。
負の要素 テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等いろんな広告メディアがある。
その中で語られる商品は、ほとんどがメリット(正の要素)の訴求で、
おいしいですよ、こんなに便利ですよ、とっても安いですよと、
見る人、聞く人、読む人の購買心をあおっていく。
ビールであれば清涼感、のどごし、コク、キレ、ホップのちがいなど。
ところが、これが文学となると、こうなる。
 渓流で冷やされたビールは、青春のように悲しかった。
 峰を仰いで僕は、泣き入るように飲んだ。 
中原中也の「渓流」という詩の一説で、明るさや陽気さは微塵もない。
しかし、こういうシチュエーションに心が動かされるのも言葉の力だ。
太宰治 『走れメロス』『人間失格』などの小説で知られる太宰治。
小説の構想を練っているのか、あごに手を置き憂いを帯びた瞳で、
沈思黙考しているポートレートを記憶されている方も多いだろう。
無頼派の代表的な作家で、酒とクスリと女に身をやつし・・・
というと、あまりにも自堕落なイメージがつきまとう。
自堕落ではあったが、決して虚弱ではなく、不健康だったわけでもない。
ビールも、酒も、ウィスキーもガバガバ飲んで、
悲壮感をただよわすことなく、よく笑い、よく食ったという。
身長も175センチほどあり、当時の日本人としては長身である。
健康でないと5回の自殺未遂など、とてもできはしない
落ち込んだ時 仕事も人生も、いいことばかりがいつまでも続くとはかぎらない。
めいってしまうほどいやなこと、逃げ出したくなることもたくさんある。
そうした憂いを忘れるために、酒を飲んだり、旅に出たりする。
うさばらしに特別のお金をかけなくても、満天の星空を見上げ、
宇宙の広さに比べれば、自分の悩みなんて小せえ、小せえ!
と、自分を元気づけてやることもできる。
明治生まれの女性詩人尾崎翠は、
「悲しい時には、あまり小さい動物などを眺めると
 心の毒になるからおよし」とつづった。
アリとかオタマジャクシとかは、落ち込んだ時の薬にはならない。
想起 詩・短歌・俳句など韻文から受ける感動はいろいろあるけれど、
名作に共通しているのは作品から想起されるイメージの広さかなと思う。
例えば、 (遠花火 海のかなたに ふと消えぬ)という句があるが、
一度詠んだだけで、スーッと光景が目に浮かんでくる。
遠くでパッパッパッと花火がきらめき、ふと消えてから、
ドーン、ドーンと後から音がついてくる、そんなシーンである。
では、この花火を遠くから見ているのはどんな人なのだろうか?
自分が歩んできた人生を花火になぞらえた初老の男性?
それとも、愛する人と別れたことにまだ未練を残している女性?
わずか十七文字から3時間ドラマでも生まれそうな世界がある。 
粋な別れ こちらから歌を詠めば、相手がそれにこたえて返す。
連歌や連句などは、そうした応答の文芸であり、最初の句(発句)は
いわば、あいさつにあたる。
貞享4年、秋風が立つ頃も旅に出て行く松尾芭蕉は、
送別の席に集まってくれたお弟子さんたちに、こう吟じた。
  旅人と 我が名よばれん 初しぐれ
初しぐれの中、私は旅に出ますよというあいさつである。
師匠の別れのあいさつにこたえて、弟子の一人が脇句を添えた。
  又山茶花を 宿々にして
山茶花の咲く宿に泊まり、すばらしい旅を。粋で心通う別れである。
折句 「から衣 きつつなれにし つましあれば
               はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
という歌には、「かきつばた」ということばが折り込んである。
こうした手法を折句といい、有名な「いろはにほへと…」にも、
「とかなくてしす」→「咎なくて死す」というメッセージが折りこまれ
無実の罪で死んだ柿本人麻呂のことではないかという推理もある。
折句という手法は、広告にも使われることが多い。
たとえば伊丹精肉店であれば「いい肉 たっぷり みなさまへ」とか、
それらしい言葉を伊丹にひっかけて、つなげていけばいい。
名刺の自分の名前に活用すれば、相手にすぐ覚えてもらえるかも?
明治42年 青森県生まれの作家太宰治は『人間失格』『斜陽』などの作品で有名だ。
27歳の時に出した最初の短編集が『晩年』というのもおもしろい。
本名津島修治で、津島家は青森でも有数の大地主であった。
太宰は文学の道を歩み、最期は玉川上水で山崎富栄と心中。
推理小説家松本清張は福岡県小倉の生まれで、家は貧しかった。
新聞社の広告部で意匠(デザイン)の臨時嘱託として働いた。
50歳を過ぎてから文壇にデビューし、『点と線』『砂の器』といった
社会派ミステリーの草分けとして精力的に作品を発表していく。
さて、太宰治と松本清張、共通点といえば二人とも明治42年生まれ。
若くして亡くなったせいか太宰は遠い昔の人のように思えるのだが…。
山茶花の宿 「月日は百代の過客にして…」ではじまる奥の細道を書いた松尾芭蕉は、
貞享四年江戸深川の其角邸でこんな俳句を詠んでいる。
  「旅人と 我が名よばれん 初時雨」
弟子たちが居並ぶ餞別の席での一句からは、
旅に生きた男の矜持とともに、新たな旅への胸の高まりが聞こえてくる。
それにしても、初時雨の寒々とした日に旅立つのも相当な覚悟である。
その句に対して弟子が「又山茶花を 宿々にして」と脇句をつけた。
師匠の旅は冬ざれた道を歩き進んでいくつらいものだが、
宿々ではあたたかい山茶花が迎えてくれますように、
という旅の無事を心から祈った見事な十四文字である。