2009-01-31 21:18:02 stanford2008の投稿

桜井淳所長から東大大学院総合文化研究科のR先生への手紙 -根源的文献としての旧約聖書と新約聖書-

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R先生



歴史をどこまで遡ったならば、本質的な議論が展開できるのか、これまで、いかなる場合にも、明確な答は、見出せませんでした。いま、神学(神学の核心は、新約聖書の核心と同じで、「イエスが主であったのは、彼が優れた言動の指導者であり奇蹟治療を行なったからではなくて、苦しみと死を通ることによって人生苦の意味を解き明かし、死に克って復活した者であったればこそなのである。哲学的に言えばSein(「在る」)の問題なのである」(犬養道子『新約聖書物語(下)』、p.35-536、新潮文庫、1980))の文献を集めています。分かりやすく言えば、新約聖書(46巻)と旧約聖書(27巻き)とその根拠となった出典資料です(それらについては、特に、聖書解釈学の研究者でもなければ、すべてに目をとおすようなことはないでしょう)。モーセ以前の世界は関係ないのでしょうか。


モーセは、紀元前約13世紀に現れた古代イスラエル人救済のための指導者(モーセは、エジプトで、ヘブライ人家族に生まれ、紆余曲折の後、ミディアンの地に住み、そこで結婚して、羊飼いをしていましたが、ある日、突然、神「ヤハウェ」(旧約聖書の「創世記」に天地創造に記されています)に遭遇し、神との契約「モーセの十戒」(①あなたには私をおいて他に神があってはならない、②あなたはいかなる像も造ってはならない、③あなたの神の名をみだりに唱えてはならない、④安息日を心にと留めこれを聖別せよ、⑤あなたの父母を敬え、⑥殺してはならない、⑦姦淫してはならない、⑧盗んではならない、⑨隣人に関して偽証してはならない、⑩隣人の家を欲してはならない)の戒めと神の使命を授かり、イスラエル人を救済するため、エジプトから約束されたパレスチナ近くのカナンへの道のりを約40年間も模索の結果、たどり着き、その後、イスラエル人は、紀元前約11世紀、イスラエル王国を築いたものの、周辺国から攻められ、紀元前721-612年に滅亡し、その後も、キリスト教誕生等、紆余曲折を経て、1948年に、パレスチナにイスラエルを建国しました)であって、旧約聖書の「モーセの五書」の著者とされており、後のユダヤ教・キリスト教(ユダヤ教が母胎となりました)・イスラム教等における最も影響力のあった預言者のひとりとされています。ユダヤ教は、特に、キリスト教誕生後に発展したとされていますが、最初から、特定の民族(ユダヤ人)のための民族宗教であり、キリスト教誕生後、中世から現代まで、影響の及ぶ範囲は、いまで言えば、イスラエルのみです。モーセに始まるユダヤ教は、歴史的に考察すれば、確かに、根源的な宗教のように受け止めることができます。


歴史的に考察して、なぜ、ユダヤ人が迫害されるのか分かりません。紀元前約13世紀には、すでに、多くのヘブライ人(ユダヤ人)は、エジプトで、奴隷として働かされていました。モーセは、神の使命を授かり、彼等を救うため、彼等を率いて、約束の地へ向かいました。現代においても、各国が、ユダヤ人への差別を続け、特に、戦争中は、ひどいものでした。私には、その歴史的根拠となる根源的な真実を見出すことができません。何が根源的な真実なのでしょうか。


「ユダがイエスを裏切ったため」というのは、根拠になっておらず、確かに、ユダは、わずか、30枚の銀貨のために、時の権力者にイエスの情報を売り、イエスの十字架刑の一因になったことは、そのとおりです。イエスをはじめ、その弟子は、全員ユダヤ人であり、ユダも誤りに気づき、権力者に30枚の銀貨を投げ返し、そして、あまりの罪の大きさに発狂してしまい、近くのいちじくの木で首を吊り、そこでけじめは、ついていたはずです。裏切行為という行為だけを永遠に罪として問うのは、不適切な解釈のように思えますが、いかがでしょうか。



桜井淳

2009-01-30 20:35:39 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-低偏差値大学での"原子力ルネッサンス"に限りなく懐疑的-

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【講演要旨】かつて、日本の主力大学である旧7帝大と東工大には、すべて原子力関連学科が設置されていましたが、いまやこれらの大学は、東工大と東大の専門職を除くと、すべて原子力の看板を外すしているものの、最近、"原子力ルネッサンス"とかで、新たに原子力の看板を掲げるようになった大学が出現していますが、いずれも偏差値が50にも満たない感心しない大学ばかりで、原子力界では、日本の主力原子炉メーカの海外展開や近い将来の国内のリプレースなどで原子力技術者の不足が予想されるそうで、それを見越してのことだそうですが、桜井淳所長は、これら大学の卒業生の多くと仕事をしたことがありましたが、大多数が使い物にならなかったそうで(偏差値だけで人を判断するのには、慎重でなければならないのですが、桜井所長の長年の経験でも出身大学(大学院ではなく学部)の偏差値とその人物の能力は、見事に対応しているそうで、これは動かしがたい歴然たる事実だそうで、これほど分かりやすい指標はないそうです)、ある時はM大大学院の修了者の書いたリジェクトされた英文論文の修正を指導した時に支離滅裂な内容に昏倒しそうになったそうですが(専門教育以前の問題だそうで、あのような粗悪品を忙しい原子力学会の査読委員に読ませるのは業務妨害の犯罪だそうです)、旧7帝大が再び原子力の看板を掲げる日が来ない限り日本の高等教育での"原子力ルネッサンス"はニセものだそうです。

2009-01-30 20:17:03 stanford2008の投稿

桜井淳所長の目論む未臨界研究のパラダイム転換(4)-沈没中の原子力機構Oへの警告-

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桜井淳所長は、日本原子力学会の「未臨界実験データ評価」研究専門委員会と「最適モンテカルロ計算法」研究専門委員会の主査を務めてきましたが、還暦も過ぎた今となっては、これらの表層の形而下の実学を扱う分野からは身を引いて、これからは、これら実学をはじめとする森羅万象をより高次の次元から支配している虚学(桜井所長は超実学と定義しています)の分野、わかりやすくいえば、哲学、そして、神学の奥義を究め、虚学の視点から全学問分野を俯瞰する最高の境地にまで到達したいそうで(原子力界や鉄道界に棲息する理工学の実学しか知らない人たちのほとんどは、これら虚学を実体のない蜃気楼のように思っているのでしょうが、それはお釈迦様の掌中にいることに気付いていない孫悟空のようなもので、何もわかっていないそうです)、今年の4月からは東大大学院人文社会科学系研究科で宗教学の研究をすることになったそうですが、これら二つの委員会の運営は、今後、原子力機構Oに託したい旨をOに伝達したそうですが、Oは数年前まで国の他の規制機関に所属しており、当時その機関は、耐震設計審査指針改訂とそれを適用した初めての安全審査と既設原子力施設の耐震安全バックチェック、北陸電力志賀原発の民事訴訟の陸電の敗訴(それと同時に国の耐震安全審査の瑕疵を裁判所は認定しました)、BWRの臨界隠しの不祥事、新潟県中越沖地震などへの対応に忙殺されていた時期で、その心労と、そして元々本人の適性として役所がまったく向いていなかったのか(桜井所長は、Oは融通のきかない純然たる研究者と見ているそうですが、旧原研や旧動燃では、研究者は、役所へ数年間出向に出されることがあって研究を中断させられるそうですが、これは内部では"服役"などと呼んでいるそうですが、一方で役所は、自身ではゼネラリストは育成しても専門性をもった人材の育成を怠り、監督下の研究機関から有無を言わせず人材を引き抜いては、実は研究の邪魔をしているそうで、現在も燃焼度クレジット研究者Kが役所に引き抜かれ燃焼度クレジット研究はその進展を阻害されていますが、モンテカルロコードMVPが世界戦略でロスアラモス国立研のMCNPに敗れたのは、MVPがMCNPと世界覇権を争っていた最中にMVP開発の中心人物のTが役所に数年間引き抜かれたことが原因だそうですが、"服役"で研究が妨害されても優秀な研究者は、研究成果を挙げている一方で、服役を免除されていても査読付論文もろくに書けない出来の悪い研究者も多くいて、このような研究者は厳しく査定をしなければならないそうです)それらが原因で、Oは心身が衰弱したのか、役所から放逐された後に研究専門委員会で会ったときにはまるで亡霊のように憔悴し切っており、また、その間の不始末が原因で(その内容については守秘義務もあるので桜井所長はまったく知らないそうです)、原子力機構でも閑職と呼んでもよい部署で地中深くに廃棄物のように埋設されているそうですが(逆に、桜井所長と兄弟のような関係にあったFは、役所での出向を無難にこなしたことで幹部の高い評価を得ることに成功し、現在原子力機構の幹部を務めているそうです)、この部署には、かつて東海村JCOの臨界事故に関連して桜井所長を社会的に抹殺しようと企てたYK(桜井所長からの返り討ちにあって、その後この部署に異動になったそうですが、桜井所長に攻撃を仕掛ける人間は必ずこのような末路に陥るそうで、桜井所長を誹謗中傷している輩は覚悟しておいたほうがいいそうです)、桜井所長の珠玉の投稿論文の哲学が理解できずデタラメの査読をしたM(故人)等々が配属されていて掃き溜めとなっているそうですが、当然この部署の歴代のトップは内部昇格者ではなく他部門の部長クラスが横すべりで異動してくるのですが(そのうちのひとりYSは、モンテカルロ第一世代のパイオニアであるにもかかわらず、桜井所長に頭を下げてモンテカルロセミナーを受講しに来たそうです)、Oはこのまま埋設処分されるにはまだ若く、アインシュタインが特殊相対性理論の論文を発表したときの所属は、大学でも研究機関でもなく仕事がなく仕方なく勤めていた特許局の役人だったことも考えると、Oは二つの委員会の運営は困難といって難色を示して乗り気ではないそうですが、Oが埋設処分から再浮上できる唯一の方法は、これら委員会をうまくとりまとめて未臨界研究とモンテカルロ研究を先導することだそうで、Oにそのことを警告しておきたいそうです。


2009-01-29 13:38:22 stanford2008の投稿

桜井淳所長の最近の講演内容-独立行政法人日本原子力研究開発機構設置の政治的目的-

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【講演要旨】日本の原子力開発には、その歴史的なミクロ分析をしてみると、いたるところに、行政側による"奇妙な仕掛け"がしてあり、ひとつは、表面的には、自主技術を掲げているものの、行政側にその気がまったくなく、官僚的で形式的な組織と人材配置は、なされているだけで、まったく形骸化された政策・組織・業務が遂行されてきており、普通に業務をこなせば、たとえ、どのような不祥事が生じたとしても、日本独自の技術で構成される商業炉に結び付くような動力炉の技術的な信頼性が証明できても当然と受け止められるものと推察されますが、現実は、それとは大きな隔たりがあり、その反面、米国からの導入技術に全面的な信頼と改良による経済性・信頼性向上計画を推進し、さらに、もうひとつの"奇妙な仕掛け"として、日本を代表するふたつの公的原子力機関の取り扱いについては、ふたつの組織(日本原子力研究所(原研と略)と核燃料サイクル開発機構(サイクル機構と略、それは、国産動力炉開発を目的に特殊法人原子燃料公社を改組して動力炉・核燃料開発事業団(動燃と略)とし、さらに、1997年に発生した核燃料再処理施設附属施設の火災・爆発事故の社会的責任のひとつとして核燃料サイクル開発機構となりましたが、後者の一連の組織名には、行政的に大きな意味が意図され、隠されており、それは、組織名に決して「研究」という名称を掲げさせなかったことであり、それが許されたのは原研のみで、これまでの通算産業省やそれを引き継いだ経済産業省の業務にも、決して、研究という名称は、絶対に許されておらず、「整備」とか「実証試験」というような曖昧な名称が当てられていました))の創設日からちょうど半世紀経った日をふたつの組織を統合した独立行政法人日本原子力研究開発機構(原子力機構と略)の創設日とし、その政治的目的は、すでに1990年代半ばには、曲がりなりにもその創設目的を達して(ウラン精錬関連施設、ウラン濃縮遠心分離器試験実証施設、核燃料再処理施設、新型転換炉原型炉「ふげん」、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(まだ、不要になったわけではないが、近い将来、廃炉も視野に入れた明確な方針は、示す必要があります))、行政側ですら後片付けという取り扱いに困っていた動燃の20-30年をかけての施設解体(核燃料再処理施設や「ふげん」については、被ばくを少なくして、作業をしやすくするために、少なくとも約10年放射能減衰させ、そのほかの原子力施設についても、同様の判断をしなければなりません)・人員整理等に置かれていること、すなわち、新規業務の拡大ではなく、不必要になった施設の処分を確実にタイムスケジュールに乗せることくらいは、関係者にとっては、当然過ぎるほど当然な解釈の仕方であり、結論です。

2009-01-28 21:59:03 stanford2008の投稿

最近読んだ市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東京大学出版会、2004)の感想

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私(桜井淳)は、これまで、英文の聖書や日本語の聖書の解説書を読んだことはあるものの、決して一般的ではない「ユダヤ教」(世界宗教ではなくて、いまのイスラエル地域に限定して発展した宗教であり、モーセは、イスラエルの民をエジプトからイスラエルに導き、旧約聖書の時代を経て、キリスト教誕生の母胎となっていました)の論文集や解説書を読んだことは、一度もなく、すべて、初めてずくしの連続であり、そうなった原因は、2009年1月15日、神学の研究を志して、東大本郷キャンパス法文二号館の中にある東大大学院人文社会科学系研究科のH先生を訪問した時から始まり、本書を読んだことは、ついに、研究の具体的な第一歩を記すことになったに等しく、大変感激すると共に、見慣れない用語が出現し、難解ではあるものの、絶望的なほど分からなくはなく、それどころか、ユダヤ教の特徴と体系、歴史的発展と停滞、研究の着目点と研究の基本的手法が手に取るようによく分かり、求めていたこれほどよい的確な教科書が早い段階に手に入り、一気に読み進み、今後の方針を定めることができたことは、まさに、奇跡的な出来事であって、いま、深い癒しと安心感に浸っていますが、本書の内容と目的は、以下のように示すことができ、


目次

はじめに

イスラエル・パレスチナ地図

地中海周辺地図

序「我らのラビ・モーセ」に倣いて

第1章ユダヤ教の正統性

第2章タルムードと自治社会

第3章自由と戒律

第4章偶像崇拝との闘い

第5章神への愛

第6章罪と赦し

第7章神秘の力

第8章自治の終焉

第9章聖書解釈の行方

第10章聖書と現代

おわりに

初出一覧


「本書の目的は、キリスト教出現以後に発展するユダヤ教の、とりわけ、ミシュナ、タルムード(普通名詞としては学習の意、引用者)という法律議論を聖典の中心にすえたユダヤ人の精神構造と思惟方法の研究である」(p.4)、ここに収録してある10編の論文は、市川先生が、イスラエルのエルサレムにあるヘブライ大学大学院に3年間留学(東大大学院人文社会科学系研究科博士課程休学期間)していた頃の研究への視点であって、論点は広範囲に及び、単にユダヤ教の体系や歴史のみならず、キリスト教や法華経等の他の宗教との比較をとおし、ユダヤ教の特徴と本質に導き入れており、また、各部に挿入された写真から、イスラエルの今昔の歴史的遺跡によって、生活の中に入り込んでいる宗教の深さが理解できるように感じ、ただ、一度だけでなく、何度も繰り返し熟読吟味することにより、確実に何かをつかめそうに感じています。

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