番組のサブタイトル「戦国のゲルニカ」について
今回の番組は、大坂の陣(夏の陣および冬の陣)を、被害者となった民衆の視点で捉えたものです。番組の中で、合戦の様子を克明に描いた「大坂夏の陣図屏風」を重要な史料として紹介していますが、民衆の悲劇を記録したこの屏風が、同じく民衆の戦争被害をテーマにしたパブロ・ピカソの絵画「ゲルニカ」を連想させるため、今回の番組ではサブタイトルを「戦国のゲルニカ」としました。「戦国のゲルニカ」とも呼べる「大坂夏の陣図屏風」を検証しながら、大坂夏の陣で民衆の惨劇がなぜ起きたのかを解き明かしていく番組だという意図を、このサブタイトルで表現しました。
「おおさかじょう」の漢字表記について 「大阪城」or「大坂城」
現在の「おおさかじょう」は「こざとへん」の「阪」を使った「大阪城」と表記されていますが、明治維新までは「つちへん」の「坂」を使った「大阪城」と表記されていました。番組ではこうした事実にのっとり、現在の「おおさかじょう」を指す場合は「大阪城」と表記し、明治維新以前の「おおさかじょう」を指す場合は「大坂城」と表記しました。
「おおさかのじん」の漢字表記について 「大坂の陣」or「大阪の陣」
「おおさかじょう」の表記の原則にのっとり、慶長19年〜20年の出来事ですので「大坂の陣」と「つちへん」の大坂を用いました。また、教科書などで「大坂の役」という呼称を使用する場合もありますが、今回は「国史大辞典」(吉川弘文館)の記述に基づき、「大坂の陣」で統一しました。
「大坂夏の陣図屏風」について
「大坂夏の陣図屏風」には、番組中に紹介した重要文化財のもの(大阪城天守閣蔵・通称「黒田屏風」)以外にも数種類が存在しますが、今回は民衆の悲劇に着目した番組の性質上、重要文化財のもののみを取り上げて紹介しました。
また、番組中で紹介した「大坂夏の陣図屏風」の映像で、アップのカットは実物を撮影したもので、屏風の全体を映したルーズのカットは、複製(レプリカ)を撮影したものです。これは、「重要文化財」である屏風の撮影に際して制約があったためです。
なお、実物は大阪城天守閣に所蔵されており、年間、数週間は展示されています。それ以外の期間は、複製が展示されています。
実物の展示期間など屏風の展示に関する詳細は、大阪城天守閣に直接お問い合わせください。
方広寺の鐘「国家安康」について
大坂冬の陣開戦のきっかけとなった鐘の文字「国家安康」。同じ鐘に刻まれた「君臣豊楽」の文字も、豊臣家が栄えることを望んだものだと家康が指摘し、結果的に開戦のきっかけとなるのですが、今回の番組では、家康を呪ったものだという指摘がより明確に現れている「国家安康」のみを紹介しました。
この鐘がある「方広寺」(京都市東山区)へは、市バス「博物館・三十三間堂前」下車北に徒歩5分。
または京阪電鉄「七条駅」下車、北東に徒歩10分。
通常9:00〜16:00まで拝観可能(季節によって変更の可能性がありますので、詳細は観光情報などで確認してください。)
大坂城の広さ、地下鉄の駅が、たてよこに3つ入るという表現について
大坂の陣開戦直前の大坂城は、本丸や二の丸、三の丸といった従来の城郭本体に加え、城下町も含んだ領域を堀や土塀で囲み、城の一部としていました。その広さを表現するため、現在の地下鉄の路線図を簡略化して大坂城のCG上に表示しました。南北の路線は地下鉄・谷町線。駅は北から天満橋、谷町四丁目、谷町六丁目の3駅。また、東西の路線は地下鉄・長堀鶴見緑地線。駅は西から松屋町、谷町六丁目、玉造の3駅を表示しました。なお、長堀鶴見緑地線は玉造から先が北へ曲がり、森ノ宮駅へとつながっていますが、番組では、大坂城の広さを分かりやすく表すために、玉造から先の路線は省略しました。
竹流金(たけながしきん)について
大坂の陣に際して豊臣方は、浪人や農民を雇い入れ、戦力の増強を行いました。その時に用いたと考えられるのが、「竹流金(たけながしきん)」と呼ばれる臨時の貨幣です。溶かした金を鋳型に流し込み、刻印するだけという簡単な工程で造ることができました。
竹流金の実物は、造幣局の中にある「造幣博物館」(大阪市北区)で一般公開されています。
入館は無料ですが、団体での見学には予約が必要です。
「造幣博物館」の見学時間:午前9時から午後4時45分(入館は午後4時まで)
月曜日〜金曜日(祝日及び年末年始は除きます。このほか、都合により臨時休館する場合があります。)
○JR環状線「桜の宮」駅(西口改札)又は「京橋」駅(北口改札)下車徒歩15分
○JR東西線「大阪天満宮」駅(2番出口)下車徒歩10分
○地下鉄谷町・京阪本線「天満橋」駅(北出口)下車徒歩15分
○地下鉄谷町・堺筋線「南森町」駅(東改札を出て3番または4番出口)下車徒歩15分
○市バス「桜の宮橋」停留所下車すぐ
※地図など詳細は、造幣局のホームページをご参照ください。
http://www.mint.go.jp/plant/visit_museum_h.html
大坂冬の陣の講和成立について
講和成立に関して、豊臣・徳川両家の会談が合意に至り、誓書が交換されるまでという各段階の、どの時点で大坂冬の陣が終結したとするかについては様々な解釈があります。今回は番組のゲストである渡辺武さん(大阪城天守閣元館長)の指導により、家康が攻撃停止命令を出した、慶長19(1614)年12月20日を大坂冬の陣が終結した日としました。
大坂の陣に巻き込まれた女性「お菊」について
大坂の陣に巻き込まれた「お菊」のエピソードは、お菊が生まれ育ったとされる大阪府阪南市の周辺で語り継がれています。
またお菊の物語は、「お菊の手鞠唄(てまりうた)」としてこの地方に伝わっていますが、その歌詞やメロディーは数種類あり、それぞれ少しずつ異なっています。「お菊は豊臣秀次の娘である」とする説や、「お菊は密書を運んだが、それを川で落とした」など、様々な伝承がありますが、今回はそれらの一部を取り上げ、簡略化して紹介することとしました。
○お菊の手毬唄「波有手(ぼうで)で一番 六兵衛の子 六兵衛の娘は お菊とて 山口喜内(きない)に嫁に行て 行てから七日も経たぬ間に」
番組中で紹介したこの歌詞は、「お菊の手毬唄」のごく一部です。歌詞はこの後、お菊が密書を川で落としたエピソードや、お菊が徳川方に捕らえられる様子などと、続いていきます。
昭和5年に発行された「西鳥取村誌」には、全ての歌詞および楽譜が掲載されています。
○お菊の像 大阪府阪南市にある「法福寺」にお菊の像が祀られています。像は江戸時代中期に一度消失し、その後、江戸時代後期に新たに造られました。
法福寺へは、南海本線「鳥取ノ荘駅」下車、徒歩2分。
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