大阪市の小児病棟に入院中の子たちとふれあう佳織(05年4月)
「よい人生を、丹念に織り上げるように」と「佳織」と名付けた。弟は「よいギタリストになってほしい」と「奏一」。
親の敷いたレールの上をきちんと歩いてきた2人。だが、一度だけ猛反発したことがある。
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普通科高校に進学した奏一(26)が、「留学したい」と言い出したのだ。
まだ高校1年。言葉も、身の回りのこともできない。昇(66)は反対した。
高校を卒業して、パリのエコール・ノルマルに留学していた佳織(30)が、国際電話をかけてきた。
「留学させるべきよ。話をするから奏一をパリに来させて。航空券も送る」
佳織は弟に、友人の妹が通っているアメリカの学校への留学を勧めたのだ。
「正直、驚きましたね。あんな勢いで言い張る佳織は初めてでした」
実は佳織も、留学で変わった。
日本にも数多くの芸大、音大があるが、当時、ギター科のある大学はほとんどなかった。留学するしかない。パリでは、多くの友だちができた。夜遅くまで語り合ううち、佳織は自分がいかに恵まれた環境で育ったかを痛感した。
ごく自然にギターの道に導かれ、費用や将来への不安もないまま歩んできた。
「同時に、父のことを何も知らないと気付いたんです」と佳織は振り返る。
昇は、過去を語らなかった。
「恵まれた音楽ファミリーのような環境だったら話したでしょうが、ほど遠い感じでしたから。あえて子どもに語らなくても……と思っていました」
帰国した佳織は毎朝、父を散歩に誘った。並んで歩く1時間の間に、昔の話を少しずつ聞き出した。
「若い頃の話などは、時代の違いを感じられてよかった」と佳織はいう。
*
佳織も奏一も恵まれすぎ。ハングリー精神が育っていないことが、昇の一番の心配だという。
「特に佳織には天性の器用さがあり、邦楽との共演や即興音楽と活動の幅を広げ、テレビやラジオのトークや文章までこなしてしまう。でも器用な故に、音楽家としても人としても、求めるものがあまりにも広がり過ぎないか、と思うんです」
(敬称略、聞き手・宮坂麻子)
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