正月、初詣で客でにぎわう東京・浅草橋の家に、佳織(30)の姿はなかった。日本とスペインの両方に拠点を置いて演奏活動する夢を、昨年から実現。この正月はスペインで過ごしたのだ。
「将来、本人がもしギターの道に進みたいと望んだ時には、その出発点をできるだけ高くしたいと思って育てました。こちらの期待に応えてくれたのだから、仕方ないですね」と昇(65)はいう。
佳織、弟の奏一(26)、そして昇と、親子3人がギタリストという音楽一家。そのスタートは、昇の人生にある。
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音楽好きな小学生時代、スポーツ熱中の中高生時代を過ごし、東北から上京。働きながら大学の予備校に通っていた時、友人のクラシックギターを聴いた。
「初めてでした。すごくきれいな音だなあと思いましたね。この道で生きてみようと、先生を探して入門したんです。すでに20歳でした」
2年後には講師になった。28歳で教室を開き、生徒の一人で小学校教師の英子(57)と、34歳で結婚した。
翌1978年、佳織が誕生。
「教室に力を注いでいた時期だったので、自然と佳織に目がいきました。ギターに熱中している時だったら、子どもの成長一つひとつにあれほどかかわることはできなかったと思います」
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教師として忙しい妻に代わり、教室の合間をぬって佳織の相手をした。
1歳前の佳織に、おつむテンテン、いないいないばあーをする。ケラケラ笑うとギターを持ってきて、目の前でジャラーン。佳織は、ほかの遊びをまねるように、ギターにも触った。
座れるようになると、ひざにのせてギターを弾かせた。昇が左手でチューリップなどのメロディーを押さえ、佳織の右手を持って一緒に弦をはじく。
「はい、音変わるよー。短調だから優しくねー。今度は長調だから元気に」
ギターは、まさにおもちゃだった。
「以前は、演奏会の1週間前からピリピリしていましたが、緊張している姿を佳織に見せてはいけないと思ううち、自然に肩の力が抜けました」
親子ともに、音楽が楽しくなっていった。(敬称略、聞き手・宮坂麻子)
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