報告3:被害の経緯

2000年4月〜
セミナリーに入学。直後に土浦のB師宅に引っ越すよう指示された。B師のスキンシップが多いことは気になった。2人きりの時でもハグをしたりキスをしなさいと言われるので、抵抗を示すとB師は「あなたを娘として愛しているのに、性的な意味で受け取るあなたはおかしい」と度々言われた。 ある時、B師に「今、私が執筆している結婚の本の資料として必要だから、あなたの性体験を全て話しなさい」と言われた。私は恥ずかしくなり困っていると、「これは主の為だから恥ずかしがらないで」と言われた。いつ頃、どこで誰と何回セックスしたか、女の絶頂感を体験した事があるかなどを詳しく質問された。このような事が2度あり、1度目はB師夫人も居る時だったので、本当に資料として必要なのだろうと思い、恥ずかしかったが答えた。
B師は、私を頻繁に部屋に呼んだ。部屋に入るとしっかりドアを閉めるように言われた。(鍵のついている牧師室の場合は必ず鍵を閉めさせた) 私の将来の事や私を弟子として育てるプランなどを話していた。この頃は私もB師を尊敬し、色々学びたいと思っていたので、自分の心を打ち明けたり、相談などもよくしていた。B師はとても優しかった。私が若い頃のB師夫人に似ている所があると言っていた。部屋を出るときには「キスをしなさい」と言われた。抵抗を感じていた。頬ならまだしも口にしろと言うので。娘がいつもB師とキスをしてるのを私は見ていたので、「日本人じゃないから感覚が違うのかな?」と思っていた。(私はためらいながらも頬にして部屋を出ていた)。

2000年夏
朝の4時〜5時頃、私が寝ている部屋に突然B師が下着姿で入ってきた。そしてベッドで寝ていた私に抱きつき「早く私に抱きつきなさい!」と言った。私は突然で何が何だかわからず動けずにいると、抱きつきながら下半身を私の下腹部にこすりつけ、耳元で「本当はセックスしたいんだぁ」と言われた。数分後、部屋を出て行った。
同じ時期のある晩(8時頃?)、機嫌の悪いB師が(理由は不明)ノックもせずに、怒った様子で勢いよく私の部屋のドアを開け入ってきた。すぐに私の顔を両手で力強く押さえつけ(立ったまま)口の中に無理やり舌を押し入れてきて乱暴に口の中をかき回された。息が苦しくなった。そして怒った様子で部屋を出て行った。恐怖で心臓がバクバクしていると私の携帯電話が鳴った。友人からだったので、何もなかったように話し、1〜2分で切った。直後に隣の部屋にいるB師から携帯に電話があった。「あなた、今の事を誰かに話したのか?」と怖い声で言われた。私は「いえ、話してないです。」と答えると、「男にはそういう時があるんだから我慢しなさい。躓きになる事は誰にも言ってはいけない」と言われた。
私は当時、B師の指示によりS出版でアルバイトをしていた。時々、B師が運転する車で帰宅していた。ある夜、B師が運転する車の助手席に座っていると、人気の無い場所で突然車を止め、「あなたが引っ越したら今までのように会えなくなくなるから」と言いいながら抱きついてきた。この時からB師の言う「娘として愛している」ということに疑問を感じるようになり、複雑な心境だったが、拒否するとB師にまた「あなたは私を信頼していない」と言われるのでできずにいた。

2000年秋頃
土浦宅を出て、別のアパートでB師夫人、B師の娘、私の3人で暮らすことになった(9月)。B師だけは土浦宅に残ったので会う機会が減った。一連の事を思い出すと不信感を持たずにはいられなかった。その事ばかりを考えてしまう時もあった。

2001年3月
忙しさとストレスで心身共に弱り、膀胱炎にもなりセミナリーを休学することを決め、東京の実家に帰った。中央チャペルの奉仕だけを続けていた。B師に会うのは月一回(中央チャペルでB師が説教する時)くらいになった。

2001年秋頃?
中央チャペルで奉仕している時、自分の信仰生活の事を考えていたら苦しくなり頭が混乱してきた。友人のCさんにこれまでの事を話した。するとCさんはチャペル担当のD師夫人と話し、D師夫人は私に「Cさんに何を話したの!彼女はパニックになってる。今すぐ撤回して嘘だと言って!お願いよ。私も7年間も信じてきた先生がそんな事したなんて信じたくない。B師夫人もそんな事を聞いては耐えられないの。B師夫人をこれ以上苦しめないで。教会を守るためにお願いよ」と涙声で懇願され、私はD師夫人の言う通りにするのが教会を守るためなんだと思い、Cさんに「B先生の事、何かの間違いだったかな」と大したことではないかのように言った。

2002年冬頃
相変わらず中央チャペルで奉仕をしていた。神様に対する信仰だけはあったので教会に通い続けていた。時々、心が苦しくなり、その原因がB師に対する不信感であると自分でわかっていたが、「人々の躓きになるから話してはいけない」と指導者であるB師にもD師夫人にも言われ、そうするのが主のためだと思い沈黙を守った。それでもどうにも苦しく、度々倒れていた。いつも私を心配してくれるCさんに「実は前に話したB師の事で、信仰生活が苦しくなるんだ」という事を話すと、CさんはカウンセラーのMさんに相談することを薦めてくれた。Mさんは私の話を疑うこともなく受け入れてくれて、私の不信感を理解してくれた。たしかこの時、B師に直接話してみたらと言われた(様な気がする)が、すぐに実行する決心がつかなかった。

2003年5月頃
D師夫人は、以前私が話したB師の件を、B師に会って話したようだった。その直後、今まで私の実家になど電話してきた事もないB師が電話をしてきてこう言った。「あなたはD師夫人に何を話したのか?D師夫人はパニックになっていた。あなたは私の愛(の行為)を意味を変えて人に話してはならない。2人きりで話をする必要がある。あなたを信じているよ」と言われた。
翌日、中央チャペルに行くと、B師が遠くから私を見たので、私は避けて事務室に行った。するとB師はすぐに私を追いかけてきて「牧師室に来なさい」と言った。牧師室に行くと他のスタッフを出て行かせ鍵を閉めた。そして私に「今まで何人の人に話したんだ」と言うので私は正直に「Cさん、D師夫人、Mさんです」と答えた。そして思い切って「先生は娘として愛していると言って体に触りますが、B師夫人に見られてはならない事をするのは間違っていると思います。」と言うと、「あなたは私の愛の行為を意味を曲げて人々に話したが、あなたと私の言うこと、皆はどっちを信じるのかなぁ・・・」と嫌な顔で言い、私が「でも、Aさん(当時セミナリー生)も私と同じ事を言っていました。それに先生は娘さんにもセックスしたいと言うのですか?」と言うとB師は「シッ!そういう事を大きな声で言うな!」と言って怒り、すごい形相で「あなたがたは私をブタ扱いするのか!」と。そしてB師は「私は今まで誰の前でもあなたのことを誉めた。しかしこれからはあなたに対する見方が変わる。私の愛の行為を被害と思っているなら謝る。ごめんなさい。もう二度としない。私は悔い改めたのだから、これ以上この事を口にするならば、それはあなたの罪だ」と言われた。

2003年夏頃
その後はB師に会っても無視された。目も合わせないようだった。そして私は牧師であるB師がこれほどまでに怒るのは、もしかしたら先生は本当に悪い動機でしたわけではなかったのかもしれないとも考えるようになった。
当時、皆に尊敬されていたH宣教師の祈りのトレーニングやカウンセリングをちCさん達と一緒に受けていた。その中で、私はB師の行為に対する不信感を打ち明けた。するとH師は「それ以上話さないで。B師はあなたを愛しているよ。信頼して。その事を誰にも話さないでね」と言われた。ある日、H宣教師に呼ばれて教会に行くと、B師夫人、D師夫人とE姉もいた。4人に囲まれ、「すごく言いづらいが、実はあなたは救われていない。もう一度主イエスを受け入れる必要がある」と言われた。私は救われている確信があったので、なぜ先生達がこのようなことを言うのかと怒った。長時間の口論になりそうだったので、その場しのぎでH先生たちの言う通りにした。その中で「悔い改めの祈りをしなさい」と言われ「本当に愛してくれている人の愛を疑った事を赦してください」と祈るように言われた。そして未信者に使うトラクト(太陽と影)で信仰告白をさせられた。私はこれには先日H師に話したB師の事が関係していると思ったが、もう反論する力も無くなり黙って従った。
セミナリーに復学する意思を教務の先生に伝え、始業式当日に奉仕をしている時、始業式の式次第が配られたので見ると、生徒名の中に私の名前がなかった。忘れられたと思い教務の先生に尋ねると人がいない所で、「実はB師から、あなたに関しては名前を外すようにと言われた。もしどうしても進学したいなら、B師がOKした時、新規で入学手続きをし、入学金を再度払って入るようにという事だ」と言われた。私は切り捨てられたと思った。そして怒りを覚え、B師に「話があります」と言いに行ったが「私は忙しいから・・・」と断られた。それでも気持ちが収まらなかったので「じゃあ用が終わるまで待ちます」と言い待っていた。B師はスタッフを私の所に来させ、何の用事か聞いて来たが、「B先生はなぜ私に直接会わないのですか?一方的にセミナリーを除名された理由を聞きたい。このままでは私は先生の愛(の行為)を疑うと伝えてください」と伝言すると、スタッフはB師に伝え、すぐにB師は私を牧師室へ呼んだ。そして私の訴えを話すと「あなたは不信仰だから。それに救われてない人と間違えられる程にあなたはひどかったのでしょう!悔い改めの実を見せなさい。」と言われた。あまりにも一方的過ぎて納得がいかず、今まで頑張った分だけでも評価してほしいと思い、弟子コースの終了証を出してもらうようにお願いした。

2004年初め頃
中央チャペルでB師と担当教職者が「自分を愛せますか」という癒しのコースをすることになり、受講者限定10名のメンバーに私も入った。それまでB師は私を無視していたが、このコースに参加する事で少し話をしてくれるようになった。このコースの中で私の生い立ちや過去の傷ついた出来事などの分かち合いをしていたら涙が止まらなくなった。私の様子を見たB師は受講後、担当教職者を通して私を牧師室に呼んだ。B師は「あなたの分かち合いをもっと聞きたい」と言い、私が過去に人間関係などで傷ついていた話をすると、「あなたは父親との関係に問題がある。だから私の愛を疑ったんだね。これからは私を本当の父親だと思いなさい。私との関係が回復しなければ、あなたは結婚もできない」と言い、じゅうたんの上に横になり、B師の腕を腕枕にして横に寝るように促された。そしてこの時は私も「もしかしたら私は父親に対する心の傷があったのかも。それでB先生を疑ったならば悪い事をしたのかも」と反省するような思いになっていった。それから徐々に関係が回復していった。

2004/2月末
B師が私の心の癒しのために自分の秘書にし、そばに置きたいとの事で、高田馬場のB師宅に引っ越すように言われた。私は平日はB師の娘の食事作りなど家事全般をしていた。週末になると奉仕のためにB師がつくばから来て2〜3泊していた。B師が来ると毎日のようにマッサージを頼まれ、いつも布団が敷きっぱなしのB師の部屋に呼ばれ、1〜2時間に渡るマッサージを指示された。B師は「私は肌を触られるだけでも癒されるのだ」と言った。B師は他の人がいる場所では必ず「他の人に見られると誤解を与えるから」という理由でドアを閉めさせた。ある時は「私はあなたに恋する気持ちになっちゃった」等と言っていた。2人きりになると相変わらずスキンシップが多かったが拒む事は指導者に対する不信感を持っている顕れであり、赦されない事だという心理状態になっていた。

2004年春頃
B師はよく「あなたは献身者としてこの群れに来た。つまり主任牧師である私に神が与えてくれた魂だ。一生涯同労者として働くことになる」とか「神のために働くためには私とひとつになることが大切だ。私との関係が最も重要だ」と言っていた。またある時には「ひとつになるために一番いい方法はセックスだが、もちろん夫婦以外でするのは悪。でもひとつになるという面では最短にできる最も良い方法。私は通常はそこまではしないが。究極的には地上での肉のことは天に行ったら関係ないんだよ」などと話していた。不思議に思ったが、もうこの頃私はB師を疑うのをやめようと決心していたので、批判せずに聞いていた。
B師の部屋で上半身のマッサージをしていた時、B師が私のスカートの下に手を入れてきた。とっさに「やめてくださいよ」と言うと、「私はいつもあなたが本当に私を信頼しているのか試しているのだ」と言った。そう言われると段々抵抗してはいけないという心境になっていった。ある時は「服を全部脱ぎなさい」と言われ、私が驚くとB師は「冗談ですよ。あなたは真面目だから・・・」と言ったり、「(これらの行為を)私が性欲でしている訳ではない証拠に触ってみなさい」と言い、私の手をB師の股間に持って行き触らせた。そんな風に常に言われたり、触られていたのですが、ひどい時は下着の中にも手を入れてきた。さすがに抵抗すると「あなたはこんなに愛してもまだ私を信頼できないのか」と怒られた。また、ある晩11時ごろ、私がシャワーを浴びて出てくると、浴室の前でB師がコップを手にして私を待っていて「これを全部飲んで私の部屋に来なさい」と言った。B師は私がアルコールを飲めないのを知っているのに、コップに入っていたのは玉子酒だった。体調も悪くとても飲めないのでそのまま寝た。翌朝、B師は「夕べは私の部屋に来なかったね」と囁いていた。また、ある土曜日の昼間、リビングのソファーでワインを飲んでいたB師が私の口にワインを口移ししようとした。私が避けたのでワインがこぼれたら不機嫌な顔をしていた。

2004/6/1〜
私の結婚が決まり、秘書をおろされた。結婚式の準備の為にも実家に帰るよう指示された。突然すぎるので理由を尋ねると、B師は「あなたがこれ以上2人の主人に仕えるのを見るのは辛い」とメールして来た。それからはB師との距離ができた。たまに会うとハグやキスはあったが、7月に結婚してからはたまに信仰生活の相談をするくらいしか会わなくなった。翌年には水戸に派遣され、B師に会うことは年に数回程度になった。

2006年春
高田馬場の中央チャペルの担当になり、奉仕のために教会内ので共同生活を始めた。この半年間の間、伝道師をしていた主人はたくさんの仕事を任され、当時中央チャペル担任牧師からいじめや脅迫を受け、うつ状態になりどんどん悪化していった。

2006年9月
つくばに引っ越してくるように指示され、S出版の建物に住みながら、0歳の娘同伴で出版のアルバイトをした。

2006年10月末
主人は精神的な病気になり、4ヶ月弱精神病院に入院した。その頃、B師から「これからは教育館の私の秘書室で仕事をしなさい」と言われた。主人が入院し、一人で子育てや子連れで仕事をしている私を気遣い、自分の目の届くところに置きたいとの事だった。

2007年1月
保育所に空きが出たので娘の入所が決まると同時に、これからは会計の仕事をするようにと指示があり、出勤先が台湾チャペル(現B師宅)の1階になった。しばらくするとB師が2階の自分の寝室からベットを運んできて、私の会計机の横にベッドを配置し、箪笥やピアノで仕切り、そこを寝室にし始めた。しばらくはそこで仕事をしていたが、A夫人が気にしたようで私の机は別の部屋に移された。B師は「会計は妻の仕事だからあなたに任せた。妻は財布を持つのだ」とよく言っていた。私がなぜ妻なのか?意味不明だった。

2007年春〜夏
会計の報告や相談でB師の部屋をたずねると、ドアに鍵をかけるように度々言われた。B師はいつもソファーに座っていて、私が行くと「もっと近くに寄りなさい」と隣にぴったりと座らされた。私は会計の仕事の話をしたいのに、B師はテレビを見たままで私の太ももを撫でたりした。ある時はキスをするように言われ、頬にすると「そうじゃなくて」と口にキスをしてきた。舌を入れようとしてきたので口を堅く閉じていると「舌を入れなさい」と言われた。本当に気持ち悪かった。段々エスカレートしているように思えた。「それはできませんよ」と言うと、「何で?あなたは私のものなのに」と言われた。またある時は「XX(私の娘)がどんなおっぱいを吸っているのか知りたいんだ」と言って、横に座った私のシャツの胸元に手を入れ、ブラジャーの中を触られた。またある時はB師がシャツの上から私の両乳首を押し「これは誰のものかな?」などと言った。そのようにいつも触っているのに「私はこれでもあなたのご主人に遠慮しているのだよ」と言っていた。その頃、主人の病気治療のために北海道の施設で生活してみようかという案があり、B師に相談したが、「彼一人で行かせてあなたは私の元で働きなさい。彼がいないなら私と一緒にここで住めばいいから」と言われた。あまりに平安が無く、その話は断った。同時期に、私が過労で血尿が出続けていた時、休みたいと相談しに行くと「あなたがこれ以上重荷を背負ったら教会のために働けなくなる。ご主人の精神的な病気も90%は遺伝するだろうし、XXも中学生位になったら発病するかもわからない。そうなったらどうする?卵管を結ぶ手術(不妊手術)をしなさい。費用は私が助ける。そのように主のために生涯を捧げている女性は多い。内緒ですぐに実行しようね。教会員の産婦人科医に電話しなさい。」と言われた。(その先生の電話番号がわからず、しないで済み、その晩、主に祈ったらこの件についてB師はその後何も言って来なかった。)

2007年秋頃
台湾チャペルの1階のキッチンに居たらB師がやってきて私を抱きしめた。そして「あぁ〜私はあなたを見ると我慢できないんだぁ」「もっと強く私に抱きつきなさい」と言っている時、姉妹が突然入ってきた。B師は焦ってパッと私から離れてごまかした。この時姉妹は気付いた様子だったので、B師がいなくなってから「B先生、ふたりきりになるといつもああなんだよね」と言うと、「やっぱりね。そうだと思ったよ。先生焦ってたよね。」「B師は部屋に行くとかぎ閉めさせる」と姉妹が言っていた。

2007年12月
会計をやめてB師が始めた会社の社長になるように指示された。成果をあげるまでは無給で働くように言われ、その月からぴったりと給料が止められた。娘を保育所に預けられる時間帯はめいっぱい仕事をしているのに「あなたは何もしていない。中途半端だ」などと言われた。この頃からB師に対し、やっぱり(あらゆる面で)おかしいと思い始め、その都度B師に直訴しに行ったが、B師は私をうるさいと煙たがるようになり、「これからは秘書を通さなければあなたの話は聞かない」と言われた。

2008年1月
正月休みが明け、B師に牧師室に仕事の話で呼ばれたとき、「あなたは正月も休んだのか。よく休めるな。土日も休まず働け!」と言われ、口論になった。私はB師が「起業時の社長は、まずは現場でスタッフと一緒に働くものだ」と言うので、鉄くず、不用品回収の現場で男子5人と共に重労働をし始めていた。まだ3日目だったがすでに体中が筋肉痛で辛かった。多いときは900キロ分の鉄を流れ作業でトラックに積んだりした。B師が人の労苦も省みずに指示ばかり出し、自分の機嫌が悪いのを秘書や私に当り散らしていたのに腹が立ち、「先生はひどすぎます!私は目いっぱい頑張っているのでこれ以上はできません。精神病患者を抱え、子育てしながら男の仕事をするのがどれだけ大変だと思っているのですか?先生も仕事の現場に行けばきっとわかるでしょ!」と怒って泣きながら部屋を出た。私はそれ以来B師と2人きりで話はしていない。

※この後、私は日曜日以外は教会に行かなくなり、他の献身者ともB師ともかかわらなくなった。その頃、先に教会をはなれていたCさんとのやりとりのなかで、自分がマインドコントロールされていたことに気付き、やめることを決意、2008年5月初めにメールで「献身者を辞め、主人の病気の回復のためにも教会を離れます。私は先生の奴隷でも所有物でもありません」と意志表明した。 その後、脅しとしか思えない内容のメールが何通か来た。 このようななか、エペソ5:10〜14のみことばが示された。それで、マインドコントロールを受けていない人々に真相を話し、事実を明るみに出し始めた。

2008年12月26日

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