日本経済の実に40%は在日韓国朝鮮籍の力によって操られています。
すなわち外国人によって握られているのです。
しかし在日は単なる外国人ではありません
日本に永住権を持つ外国人です。
なぜ日本政府は在日韓国朝鮮籍に永住権を与えたのか考えてみなさい。
まぜ在日の生い立ちに日本政府が深く関与しているからです。
在日は自由渡航者ではありません。
日本の植民地支配により労働力として日本に強制的に連れて来られた人たちです。
韓半島では日帝の搾取により主食の米ですら奪われ生活に困り果てていました。
そこに戦争が始まり兵器生産のために労働力が必要となりました。
単純労働者として韓国朝鮮から多くの人が日本に強制的に連行されたのです。
私の叔父さんは田んぼのあぜ道を歩いているとそこにトラックがやってきて力強い二人組みの男たちに強引にトラックに乗せられ倉庫まで運ばれたそうです。
そこで日本に行くとお金が稼げると誘惑され半分脅しのなか承諾したそうです。
逃亡を恐れたのか倉庫に監禁され家には帰れませんでした。
家には妻や子供がいるのに会わせてくれと頼んでも耳を貸さず、港まで運ばれ船に乗せられたそうです。
着の身着のままとはこの状況を言います。
お金も持たず、服ももたず畑仕事の作業着だけで日本い連れて来られたそうです。
日本の下関に就くと日本側の受け入れ工場から迎えが来ておりトラックに詰め込まれ運ばれました。
工場に着くと雑魚寝部屋に入れられ不安な一夜を明かしたそうです。
翌朝から即仕事です。
製鉄工場で働かされ溶鉱炉作業場で汗だらけになり働いたそうです。
戦争中の食事は粗末で脚気になったそうです。
人間は適用能力が高いです。
やがて仕事にもなれ心の余裕が生まれました。
そこで残した家族をこちらに呼び寄せたそうです。
工場長の計らいで空き小屋に住むことができ、日本での新たな生活が始まりました。
やがて戦局が悪くなり給料は払われない、食事も1回だけで結核にかかり仕事ができなくなりました。
日本は戦争に負けたのです。
おじさんは負けたことに心の中では喜んだそうです。
これで解放されると。
日本に渡り6年の月日が経っていました。
家族も呼び寄せたし、戦争も終わったし、これから新たな時代が来ると血が騒いだそうです。
工場は米軍に摂取され操業停止状態でした。
仕事もお金もありません。
でも家族がいます。
日本で小屋のような家もあります。
おじさんは車引きをしたそうです。
リヤカで運送業を始めたそうです。
港に入る船の荷主に直接掛け合い運んだそうです。
そして朝鮮戦争が始まりに荷役として生計をたてていました。
日本に小さな家があり、家族もあり、運送業営んでなんとか生活してたそうです。
日本での生活基盤できていたのです。
多くの仲間は戦後祖国に帰りました。
日本に残った人は今の言葉で「勝ち組」です。
日本で自分お力で生活基盤が築けた人たちです。
おじさんは今では運送業の会長をしています。
ですから在日韓国朝鮮の人たちは日本での成功者です。
有能な人たちです。
ですから日本経済の40%は在日が握れているのです。
おじさんは日本で成功したのでいずれ祖国に帰り事業を始めたいと夢見ています。
ですから国籍も韓国籍のままです。
でも今ではその夢は叶いそうにありません。
日本政府の計らいで在日韓国朝鮮籍の人にも日本い永住できる権利が与えられました。
ですから在日の人に祖国に帰れと言うひとは無知です。
日本経済に立派に貢献している人に帰れとは自らの首を絞める行為と同じです。
在日が皆帰れば日本経済の半分は失います。
特に日本人の三種の娯楽と言われているパチンコ、遊戯業、飲食がなくなります。
困るのは日本です。