◎受精卵取り違え 「命」への畏敬が感じられぬ
作業台に二つのシャーレを置き、誤ってふたを入れ違えた。受精卵の取り違え事故を起
こした香川県立中央病院の説明は、女性が中絶を余儀なくされる衝撃的な事故にもかかわらず、まるで理科室の実験ミスを聞いているような軽い印象が否めない。
同病院では二重チェックの仕組みも取り違えを防ぐマニュアルもなかったという。体外
受精は生命誕生にかかわる最も厳粛な医療行為であるはずなのに、「命」への畏敬も感じられぬずさんな管理体制にあ然とさせられる。
体外受精で生まれる子はほぼ五十人に一人となり、ごく当たり前の医療になった。その
一方で、性の営みと生殖が切り離され、本来は体内でなされる受精に医療の手が加わることで、人為ミスの潜在的な可能性も生じている。
担当医は千例近い実績を持つベテランだが、一つの作業で一つの検体を扱うという基本
動作を怠っていた。人の誕生につながる受精卵を扱うことへの謙虚さや緊張感が、経験による慣れや技術の過信によって薄れてはいないか。これは決して一人の医師、一施設に限らない問題である。
石川県は国内初の不妊治療専門医院が開設された経緯もあり、体外受精が普及している
。各施設はマニュアルも含め、ミス防止策を点検してほしい。国も安全管理を個々の施設に委ねず、明確な基準とそれを徹底させる体制を整える必要がある。
受精卵の移植ミスは石川県内の施設で一九九五年に起きていたことが二〇〇〇年に判明
している。妊娠に至らなかったものの、日本産科婦人科学会はこれを機に受精卵の厳重な確認や識別を登録施設に通知した。だが、民間不妊治療施設の昨年の全国調査では、事故を「身近に感じたことがある」と回答した施設は49%に上っている。ミスは起こりうるという前提に立ち、各施設が「ヒヤリ情報」を共有できる仕組みもいる。
不妊の夫婦は十組に一組とも言われる。体外受精などの不妊治療は、子どもがほしいと
願う夫婦の希望の光でもある。医療現場はそうした一人一人の切実な思いを受け止め、技術に心を通わせることを忘れないでほしい。
◎農業人材の確保 「食農教育」と一体で推進
石川県は新年度に「農業人材政策室」を新設するなどして農業の担い手確保に一段と力
を入れる。不況の深刻化に伴い、雇用の受け皿として農業への期待がかつてないほど高まっている。農産物の地産地消も広がるなど、後継者難の農業に追い風が吹き始めたいま、当面の雇用対策としてだけでなく、農業を「未来ある有望産業」と位置づけ、学校教育と一体となって農業人の育成に努めてもらいたい。児童・生徒の職業教育の中で農業をもう一度見直す必要もあると思われる。
学校教育の現場では、社会科の教科書だけでなく学校田や学校農園の作業体験、農家と
の交流を通して農業への理解と関心を深める教育が行われている。二〇〇五年には食育基本法が制定され、食育の中で農業、食料生産の重要性が説かれるようにもなった。
ただ、食育は文字通り健全な食生活の実現や食を通した人間形成に重きが置かれ、食と
農業を合わせた「食農教育」という言い方が当初ほど聞かれなくなったのが気になる。農業はまだまだ「家業」のイメージが強く、現状では非農家の家庭から農業の良き理解者や応援者は増えても、就農者はなかなか出てこない。今後の小中高教育では「職業としての農業」の観点からの啓発がもっと重視されてよいのではないか。
また、産業構造の変化で農業系の専門高校が全国的に減ったのはやむを得ないにしろ、
カリキュラムの見直しなどでテコ入れを図りたい。県教委は高校再編で今春新設する「能登高校」に、農林水産業の一次産業から食品加工の二次産業、さらに商業・サービスの三次産業までを横断的に学べる「地域創造科」を設置する。新たな産業政策として推進される「農商工連携」に通じる実験的な職業教育として注視したい。
県は農業人材政策室のほか、農業人材育成推進会議なども設け、県民全体が農業を応援
する態勢をめざしているが、県民の間で農業支援の機運を高めていくには、農業を地域の基幹産業として復活させるという自治体の強い意思がまず必要であろう。