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2007/12/14のBlog
[ 21:35 ]
[ カフェバグダッド ]
ミューズ・アソシエイツ社長で、ネット社会の将来などに関して活発な文筆活動を続ける梅田望夫氏は、近著「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)で、「自らの志向性を強く意識し、『好きを貫く』ことこそが競争力を生む」などとして、「『好きを貫く』新しい生き方」の可能性が、ネット社会の進展ととも広がっていると指摘している。人々の関心や好みによってネット上に形成される「志向性の共同体」が、自己実現あるいは自己充足に重心をおいた新たな職業観を後押ししている、と言っているようだ。
ことはそう簡単じゃないよなあ、と思いつつも、力づけられるモノの見方ではあった。
このカフェバグダッドも、ネットというコミュニケーション手段がなければ生まれようがなかったし、「アラブ文化の紹介」を目指していく中で、「アラブ好きという同好の士」の結節点になりたい、という志をもってやってきたからだ。
インターネット、とりわけ、ブログやソーシャルネットワークサイトの登場は、同じ志向性を持つ人々の相互認知を信じられないほど容易にした。先日、かつて関わっていたアジアに関するミニコミ誌の仲間と久しぶりに一堂に会する機会があった。回顧談でも盛り上がったが、10年前、そのミニコミ誌は、一号当たり2000部弱を郵送で発送していた。ちらしを織り込み、一部づつ手作業で封筒に詰める発送作業は10人ほどで人海戦術であった。紆余曲折をて、現在はPDF版をメール配信する形で発行を続けている。やはり、かつて紙で刊行されていたミニコミ誌「恋するアジア」も、現在は、ウェブサイトに移行した。
テクノロジーは、こうしたミニコミ的言論活動のあり方を大きく変えた。最近、たまたま神保町のアジア専門書店「アジア文庫」に行って妙な感慨にかられたが、昔、本棚にずらっと並んでいた(ような記憶がある)ミニコミ誌が、その数は減り、置いてあるものも何かくすんでいるように見えた。
ブログを利用することで、映画評や旅行記、食べ歩きなどのジャンルで、誰もが個人一人の単位で、「言論活動」をすることができるようになったことは事実だ。ネット上に、こうした一人ミニコミ誌がどんどん増えているという状況をどうとらえればいいのか。
梅田望夫氏の認識のように「志向性の共同体」の形成が容易になったというようにポジティブとらえることもできるだろう。また、ジャーナリストの佐々木俊尚氏がいうようにメディアの「フラット化」であり、マスメディアの相対化という意義づけもできるかも知れない。
ただ、ネットにおいて、人間の物理的接触の重要性が、低下しているとすれば、それをどうとらえればいいのか、などの疑問が個人的にはある。筆者のまわりには、「ブログ活動では、交流したことにならない」と考える人も少なくない。ネット社会の到来とともに提示されている「志向性の共同体」といった概念を、「現実のネット言論活動」の中で、検証していきたいと思っている。
ことはそう簡単じゃないよなあ、と思いつつも、力づけられるモノの見方ではあった。
このカフェバグダッドも、ネットというコミュニケーション手段がなければ生まれようがなかったし、「アラブ文化の紹介」を目指していく中で、「アラブ好きという同好の士」の結節点になりたい、という志をもってやってきたからだ。
インターネット、とりわけ、ブログやソーシャルネットワークサイトの登場は、同じ志向性を持つ人々の相互認知を信じられないほど容易にした。先日、かつて関わっていたアジアに関するミニコミ誌の仲間と久しぶりに一堂に会する機会があった。回顧談でも盛り上がったが、10年前、そのミニコミ誌は、一号当たり2000部弱を郵送で発送していた。ちらしを織り込み、一部づつ手作業で封筒に詰める発送作業は10人ほどで人海戦術であった。紆余曲折をて、現在はPDF版をメール配信する形で発行を続けている。やはり、かつて紙で刊行されていたミニコミ誌「恋するアジア」も、現在は、ウェブサイトに移行した。
テクノロジーは、こうしたミニコミ的言論活動のあり方を大きく変えた。最近、たまたま神保町のアジア専門書店「アジア文庫」に行って妙な感慨にかられたが、昔、本棚にずらっと並んでいた(ような記憶がある)ミニコミ誌が、その数は減り、置いてあるものも何かくすんでいるように見えた。
ブログを利用することで、映画評や旅行記、食べ歩きなどのジャンルで、誰もが個人一人の単位で、「言論活動」をすることができるようになったことは事実だ。ネット上に、こうした一人ミニコミ誌がどんどん増えているという状況をどうとらえればいいのか。
梅田望夫氏の認識のように「志向性の共同体」の形成が容易になったというようにポジティブとらえることもできるだろう。また、ジャーナリストの佐々木俊尚氏がいうようにメディアの「フラット化」であり、マスメディアの相対化という意義づけもできるかも知れない。
ただ、ネットにおいて、人間の物理的接触の重要性が、低下しているとすれば、それをどうとらえればいいのか、などの疑問が個人的にはある。筆者のまわりには、「ブログ活動では、交流したことにならない」と考える人も少なくない。ネット社会の到来とともに提示されている「志向性の共同体」といった概念を、「現実のネット言論活動」の中で、検証していきたいと思っている。
2007/11/25のBlog
[ 17:16 ]
[ 映画・演劇(中東) ]
秋の映画祭シーズンも終わった。東京フィルメックスで鑑賞したのは、特別招待作品だったアモス・ギタイ監督(イスラエル)の「撤退」一本のみ。今思えば、ダリウシュ・メールジュイ監督の「サントゥール奏者」は見ておけばよかった。メールジュイ監督は、イラン映画史で重要な位置を占める「牛」の作者だからだ。
それはともかく。「撤退」は、ギタイ監督の国境3部作の1つだという。あとふたつは「プロミスト・ランド」と「フリー・ゾーン」。過去いずれもフィルメックスで上映された。
プロミスト・ランドに関するギタイのインタビュー
こちらは、「フリーゾーン」に関する過去の拙文
抽象的な表現への理解がにぶいので、なんとも言えないが、「撤退」では、イスラエル・パレスチナ周辺に存在する複雑な境界線が厳然と存在するのと欧州のボーダレス化の進行を対照的に示したのは、監督がこめたメッセージの1つか。
すなわち、オランダだかの列車中で偶然出会ったパレスチナ人女性とユダヤ人男性(主人公の警察将校)が抱擁とキスを交わす場面と、2005年に実際に起きたガザ地区でのイスラエル治安部隊によるユダヤ人入植者の強制排除とその構図だ。
ユダヤ人入植者とそれを毛嫌いする世俗派ユダヤ人の間の境界。さらにその外側に存在するパレスチナ人という「絵」をギタイ監督は、ジュリエット・ビノシュ演じる母と入植地で暮らす娘の関係などを通じて描いていった。
フィルメックスのコンペティション部門では、最優秀作品賞にイスラエルのラファエル・ナジャリ監督作品「テヒリーム」が選ばれたようだ。東京国際映画祭もコンペグランプリはイスラエルの「迷子の警察音楽隊」だった。折しも27日には、東部アナポリスの米海軍士官学校で中東和平会議が開かれる。
それはともかく。「撤退」は、ギタイ監督の国境3部作の1つだという。あとふたつは「プロミスト・ランド」と「フリー・ゾーン」。過去いずれもフィルメックスで上映された。
プロミスト・ランドに関するギタイのインタビュー
こちらは、「フリーゾーン」に関する過去の拙文
抽象的な表現への理解がにぶいので、なんとも言えないが、「撤退」では、イスラエル・パレスチナ周辺に存在する複雑な境界線が厳然と存在するのと欧州のボーダレス化の進行を対照的に示したのは、監督がこめたメッセージの1つか。
すなわち、オランダだかの列車中で偶然出会ったパレスチナ人女性とユダヤ人男性(主人公の警察将校)が抱擁とキスを交わす場面と、2005年に実際に起きたガザ地区でのイスラエル治安部隊によるユダヤ人入植者の強制排除とその構図だ。
ユダヤ人入植者とそれを毛嫌いする世俗派ユダヤ人の間の境界。さらにその外側に存在するパレスチナ人という「絵」をギタイ監督は、ジュリエット・ビノシュ演じる母と入植地で暮らす娘の関係などを通じて描いていった。
フィルメックスのコンペティション部門では、最優秀作品賞にイスラエルのラファエル・ナジャリ監督作品「テヒリーム」が選ばれたようだ。東京国際映画祭もコンペグランプリはイスラエルの「迷子の警察音楽隊」だった。折しも27日には、東部アナポリスの米海軍士官学校で中東和平会議が開かれる。
2007/11/22のBlog
[ 20:37 ]
[ ことば・文学 ]
イラクの元計画相で現在国民議会議員のメフディ・アル・ハーフェズ氏の来日講演会に行ってきた。氏は、2004年から05年にかけてイラク暫定政府のイヤード・アラウィ首相のもとで、計画相を務めたという。アラウィ元首相は、アハマド・チャラビ氏と並び、イラクの世俗派の代表的政治家。ハーフェズ氏は、元々アラウィ氏と政治的行動をともにしてきたという。確認はしなかったが、アラウィ氏が代表を務めるフセイン政権時代の反体制派組織の流れをくむ「イラク国民合意」のメンバーだったのかも知れない。だが、本人によると「今はたもとを分かった」のだという。「政治路線の相違が理由ではない」と説明していた。
確かに、ハーフェズ氏の発言は、国会議員選挙の仕組み改正など、アラウィ氏が主張していることと、似通っている印象があった。世俗派では、あまり関係ないかも知れないが、2人はともにイスラム教シーア派でもある。
記憶に残った発言としては、
「(イラク駐留米軍の)ペトレイアス司令官がとった(地元スンニ派勢力と外国人系スンニ派武装勢力の離反を促す)作戦は非常に賢い」
「イラクの治安は改善された。これを持続させるためには、国民和解などの政治プロセスの進展が重要」(ニューヨーク・タイムズに、米側がそんなようなことを考えているとの記事が出ていた)
「(政党リスト制の)国民議会議員選挙の仕組みは変更すべき。小選挙区制を盛り込んだものは一つの考え」
イランによるイラク情勢への介入の有無についてイラク・シーア派はどう理解しているか、との問いには「人々の間でそうしたことがある、と理解されている」とあっさり、認めていた。
だが最も面白かったのは、2005年に暫定首相を退任したイヤド・アラウィ氏が今後、イラク政治の中心に復帰することはあるか?との質問に「絶対にない」と言い切ったこと。アラウィ氏はこのところ、内外マスコミにひんぱんに登場し、イラクの現マリキ政権批判を展開するなと、「倒閣運動」を展開しているだけに、今後が注目されるところだ。
ところで、メフディ氏に同行していたイラク外交官によれば、バグダッドのチグリス川に面したアブ・ナワス通りは、テロ警戒のための封鎖は解かれ、マズグーフと呼ばれる魚を焼いて食べさせるレストランの営業も始まっているという。もちろん、シーシャ(水タバコ)も。
追伸・共同通信は、こんな記事を配信したようだ。
確かに、ハーフェズ氏の発言は、国会議員選挙の仕組み改正など、アラウィ氏が主張していることと、似通っている印象があった。世俗派では、あまり関係ないかも知れないが、2人はともにイスラム教シーア派でもある。
記憶に残った発言としては、
「(イラク駐留米軍の)ペトレイアス司令官がとった(地元スンニ派勢力と外国人系スンニ派武装勢力の離反を促す)作戦は非常に賢い」
「イラクの治安は改善された。これを持続させるためには、国民和解などの政治プロセスの進展が重要」(ニューヨーク・タイムズに、米側がそんなようなことを考えているとの記事が出ていた)
「(政党リスト制の)国民議会議員選挙の仕組みは変更すべき。小選挙区制を盛り込んだものは一つの考え」
イランによるイラク情勢への介入の有無についてイラク・シーア派はどう理解しているか、との問いには「人々の間でそうしたことがある、と理解されている」とあっさり、認めていた。
だが最も面白かったのは、2005年に暫定首相を退任したイヤド・アラウィ氏が今後、イラク政治の中心に復帰することはあるか?との質問に「絶対にない」と言い切ったこと。アラウィ氏はこのところ、内外マスコミにひんぱんに登場し、イラクの現マリキ政権批判を展開するなと、「倒閣運動」を展開しているだけに、今後が注目されるところだ。
ところで、メフディ氏に同行していたイラク外交官によれば、バグダッドのチグリス川に面したアブ・ナワス通りは、テロ警戒のための封鎖は解かれ、マズグーフと呼ばれる魚を焼いて食べさせるレストランの営業も始まっているという。もちろん、シーシャ(水タバコ)も。
追伸・共同通信は、こんな記事を配信したようだ。
2007/11/15のBlog
[ 21:52 ]
[ ことば・文学 ]
先日、エジプト作家連合会長で、エジプト最古の新聞、アル・アハラム紙のコラムニストでもあるムハンマド・サルマーウィ氏の来日講演会にいってきた。
面白かったのは、民主主義とイスラムの共存に関する以下の発言。
「イスラミック・デモクラシーなどというのはナンセンスだ」
「民主主義は、何も西洋が発明したものではない。バイア(忠誠の誓い)はまさに民主主義といえるもの。民主主義とは普遍的なものだ」
「西洋にも神権政治というものがあった。(ちなみに)イスラムはそうした方法をとらなかった」
「『西洋流の民主主義』という言い方は間違い。民主主義とは普遍的なもの。ムスリムは21世紀流の民主主義を取っている」
個々の発言はやや矛盾しているようにも感じられるが、サルマーウィ氏に代表されるエジプト世俗派勢力の、イスラム勢力に対して抱く脅威の大きさが感じられた。
一方で、こんな発言も。
「米ブッシュ大統領の「中東民主化」はスローガンにすぎない。エジプト議会政治はブッシュ大統領が生まれる前からの長い伝統がある」
「米軍侵攻前のイラクのほうがより民主的だった」
「米国が民主主義の手本を示しているといえるのか。中東のほうが民主主義の手本を示しうる。ブッシュ大統領が教えてくれるものは何もない」
米国などによる「押し付け」の民主主義に対する反発の強さもまたひしひしと感じられる氏の発言だった。
面白かったのは、民主主義とイスラムの共存に関する以下の発言。
「イスラミック・デモクラシーなどというのはナンセンスだ」
「民主主義は、何も西洋が発明したものではない。バイア(忠誠の誓い)はまさに民主主義といえるもの。民主主義とは普遍的なものだ」
「西洋にも神権政治というものがあった。(ちなみに)イスラムはそうした方法をとらなかった」
「『西洋流の民主主義』という言い方は間違い。民主主義とは普遍的なもの。ムスリムは21世紀流の民主主義を取っている」
個々の発言はやや矛盾しているようにも感じられるが、サルマーウィ氏に代表されるエジプト世俗派勢力の、イスラム勢力に対して抱く脅威の大きさが感じられた。
一方で、こんな発言も。
「米ブッシュ大統領の「中東民主化」はスローガンにすぎない。エジプト議会政治はブッシュ大統領が生まれる前からの長い伝統がある」
「米軍侵攻前のイラクのほうがより民主的だった」
「米国が民主主義の手本を示しているといえるのか。中東のほうが民主主義の手本を示しうる。ブッシュ大統領が教えてくれるものは何もない」
米国などによる「押し付け」の民主主義に対する反発の強さもまたひしひしと感じられる氏の発言だった。
2007/11/13のBlog
[ 04:18 ]
[ 音楽 Music ]
さらに、カウム、ワタン、ウンマの3要素のほかに、2006年夏のイスラエル軍レバノン侵攻を受けたアラブポップス音楽の潮流も紹介。シェリーンの「わが心のレバノン」には、ワタン的要素に加え、「目には目を。でも始めた者が悪いに決まっている」との歌詞から、アラブ民族主義的歌に通じるものもある、とした。
最後に、中町氏は、
カウム(アラブ民族主義)は、反イスラエル、反米的主張と表裏一体で、紛争が起きるたびに現れる。人道的主張として、常に一定の支持が得られる。
ワタン(一国ナショナリズム)は、庶民感情へのアピールが大きく、いわば「癒し系」。政府や企業の思惑を反映して、「国策」と一体化する危険がある。
ウンマ(イスラーム主義)は、国家、民族の枠を超えた連帯意識、グローバルな連帯につながる反面、宗教の枠を乗り越え、排他主義を克服するという課題もある。
と3要素の特徴をまとめた。
【発表後の質疑応答】
Q・韓国ポップスが日本で流行したように、アラブ・ポップスが日本で流行することは考えられないか?3つのメッセージを、実際に人々は意識しているのか?
中町・韓国ポップスと違い、政治的知識がないと、共感しにくいだろう。(1つの曲の中でも)3つの帰属意識が渾然一体となっている。実際に聞いている人は区別していないのでは。
Q・中東のアラブ、ペルシャ、トルコの三つの世界の壁は?
中町・壁は高いが、パクリ・バージョンはある。橋渡しをしたのは、イスラーム主義。宗教がないと壁を越えにくいのでは。
Q・アラブ各国に幅広く受け入れやすいカウム的曲は、興行上、有利か?カウムも含め、音楽のメッセージが現実の政治・社会に影響を与えているか?
中町・まんべんなく受け入れられるのは、カウムのはず。だが、実際の社会には、影響を与えていないようにも見える。ナセル時代のように政治的に盛り上がる、ということはありえない。昔のような民族主義ではなく、毒抜きされた民族主義。同情心を喚起するといった、あたりさわりのない主張だ。
(会場からのコメント)歌のメロディーも歌詞も、情緒的共有物である。ともすれば、関心が薄れやすい政治的な情緒、たとえば、パレスチナ問題、アラブの大義といった感情を広める効用はばかにならない。(現実を動かす)潜在的な力になるのでは。具体的にどう動くかは予見できないが、政治的な共通感情というコンテンツとして、よっぽど影響力があるのでは。
最後に、中町氏は、
カウム(アラブ民族主義)は、反イスラエル、反米的主張と表裏一体で、紛争が起きるたびに現れる。人道的主張として、常に一定の支持が得られる。
ワタン(一国ナショナリズム)は、庶民感情へのアピールが大きく、いわば「癒し系」。政府や企業の思惑を反映して、「国策」と一体化する危険がある。
ウンマ(イスラーム主義)は、国家、民族の枠を超えた連帯意識、グローバルな連帯につながる反面、宗教の枠を乗り越え、排他主義を克服するという課題もある。
と3要素の特徴をまとめた。
【発表後の質疑応答】
Q・韓国ポップスが日本で流行したように、アラブ・ポップスが日本で流行することは考えられないか?3つのメッセージを、実際に人々は意識しているのか?
中町・韓国ポップスと違い、政治的知識がないと、共感しにくいだろう。(1つの曲の中でも)3つの帰属意識が渾然一体となっている。実際に聞いている人は区別していないのでは。
Q・中東のアラブ、ペルシャ、トルコの三つの世界の壁は?
中町・壁は高いが、パクリ・バージョンはある。橋渡しをしたのは、イスラーム主義。宗教がないと壁を越えにくいのでは。
Q・アラブ各国に幅広く受け入れやすいカウム的曲は、興行上、有利か?カウムも含め、音楽のメッセージが現実の政治・社会に影響を与えているか?
中町・まんべんなく受け入れられるのは、カウムのはず。だが、実際の社会には、影響を与えていないようにも見える。ナセル時代のように政治的に盛り上がる、ということはありえない。昔のような民族主義ではなく、毒抜きされた民族主義。同情心を喚起するといった、あたりさわりのない主張だ。
(会場からのコメント)歌のメロディーも歌詞も、情緒的共有物である。ともすれば、関心が薄れやすい政治的な情緒、たとえば、パレスチナ問題、アラブの大義といった感情を広める効用はばかにならない。(現実を動かす)潜在的な力になるのでは。具体的にどう動くかは予見できないが、政治的な共通感情というコンテンツとして、よっぽど影響力があるのでは。
2007/11/12のBlog
[ 11:48 ]
[ 音楽 Music ]
3年余り前に開いた「カフェバグダッド」最初のイベント「シーシャとエジポップの夕べ」にゲストとしてきていただいた中町信孝氏が、アラブ世界のポップス音楽の現状からアラブ民衆の国家意識を読み解こうという、ユニークな試みを続けている。ちなみに「エジポップ」とはアラブ世界のポップスのことで、中町氏の命名。
中町氏は、現在、早稲田大学アジア研究機構の助手で、アラブ中世史の専門家。ふだんは、英国やトルコなどに眠るアラブに関する文献などをあさっているようだ。したがって、「エジポップ研究」は言ってみれば、余技。その余技の研究発表があるというので、早稲田大学を訪ねた。
「ポピュラー音楽に見る現代アラブの帰属意識-民族・国家・イスラーム」とのテーマで、コメンテーターは、やはりアラブ音楽好きという小島宏・早稲田大社会科学総合学術院教授(人口学)が務めた。
中町氏は、加藤博・一橋大教授が示したエジプト人の「アイデンティティ複合モデル」を援用して、アラブ・ポップスの曲が暗示するメッセージの性質を分類していく。
すなわち、
カウム(アラブ民族主義)
ワタン(エジプトへの帰属)
ウンマ(イスラーム主義)の3要素。
まず、カウム(アラブ民族主義)については、2000年9月に勃発したパレスチナの対イスラエル蜂起(第2次インティファーダ)や、イラク戦争をきっかけに数々登場した、アラブ民族主義的アラブ・ポップスを紹介。カウムが色濃い例として、アムル・ディアブの「エルサレムは僕らの大地」や、カーズィム・アッサーヒルの「我を愛せ」を挙げた。
ワタン(エジプトへの帰属)的音楽としては、ナンシー・アジュラム(写真)の「私はエジプト人」、シェリーンの「ナイルの水を飲まなかった?」を挙げた。とりわけ、「私はエジプト人」の中に、ある「血の軽さがエジプト人」といった表現や、「ナイルの水」の中の出稼ぎ先の外国からエジプトに戻れ、とのメッセージに、エジプト愛国主義的メッセージがこめられていると指摘した。
ウンマ的音楽としては、「現代のイスラーム復興の潮流を若者らしくおしゃれに再解釈した」、「『ぷち』イスラーム主義」の傾向が顕著と指摘。具体例として、サミ・ユーセフの「先生」、WAMAの「心から」を挙げた。サミ・ユーセフは、エジプト人カリスマ説教師アムル・ハーリドと仲が良い、というエピソードを紹介しつつ、「若者が遵守しやすい厳しくないイスラームを実践している。セクシーな(シーンのある)ビデオ・クリップとも矛盾しない」と説明した。
(続く)
中町氏は、現在、早稲田大学アジア研究機構の助手で、アラブ中世史の専門家。ふだんは、英国やトルコなどに眠るアラブに関する文献などをあさっているようだ。したがって、「エジポップ研究」は言ってみれば、余技。その余技の研究発表があるというので、早稲田大学を訪ねた。
「ポピュラー音楽に見る現代アラブの帰属意識-民族・国家・イスラーム」とのテーマで、コメンテーターは、やはりアラブ音楽好きという小島宏・早稲田大社会科学総合学術院教授(人口学)が務めた。
中町氏は、加藤博・一橋大教授が示したエジプト人の「アイデンティティ複合モデル」を援用して、アラブ・ポップスの曲が暗示するメッセージの性質を分類していく。
すなわち、
カウム(アラブ民族主義)
ワタン(エジプトへの帰属)
ウンマ(イスラーム主義)の3要素。
まず、カウム(アラブ民族主義)については、2000年9月に勃発したパレスチナの対イスラエル蜂起(第2次インティファーダ)や、イラク戦争をきっかけに数々登場した、アラブ民族主義的アラブ・ポップスを紹介。カウムが色濃い例として、アムル・ディアブの「エルサレムは僕らの大地」や、カーズィム・アッサーヒルの「我を愛せ」を挙げた。
ワタン(エジプトへの帰属)的音楽としては、ナンシー・アジュラム(写真)の「私はエジプト人」、シェリーンの「ナイルの水を飲まなかった?」を挙げた。とりわけ、「私はエジプト人」の中に、ある「血の軽さがエジプト人」といった表現や、「ナイルの水」の中の出稼ぎ先の外国からエジプトに戻れ、とのメッセージに、エジプト愛国主義的メッセージがこめられていると指摘した。
ウンマ的音楽としては、「現代のイスラーム復興の潮流を若者らしくおしゃれに再解釈した」、「『ぷち』イスラーム主義」の傾向が顕著と指摘。具体例として、サミ・ユーセフの「先生」、WAMAの「心から」を挙げた。サミ・ユーセフは、エジプト人カリスマ説教師アムル・ハーリドと仲が良い、というエピソードを紹介しつつ、「若者が遵守しやすい厳しくないイスラームを実践している。セクシーな(シーンのある)ビデオ・クリップとも矛盾しない」と説明した。
(続く)
2007/11/10のBlog
[ 13:19 ]
[ 映画・演劇(中東) ]
2007年の秋の映画祭シーズンが始まっている。
第20回東京国際映画祭が、先月末に開かれた。
鑑賞したのは、
「ベスト・タイム」(エジプト)
「カット&ペースト」(エジプト)
「数日後」(イラン)
「婚礼の前に」(キルギス)
の4本。
「ベスト・タイム」、「カット&ペースト」は、エジプトが誇る美人女優、ハナーン・トルク主演ということで、日本国内で数少ないハナーン・ファンには待望の機会となった。コメントを書こうとしているうちに、筋は相当忘れてしまったが、この両作品とも、ハナーンという主役はいながらも、その周囲の人物も描こうという群像劇的色彩が濃い。2005年アラブ映画祭で上演された「眠れぬ夜」もそうした点で共通しており、なんとなく、既視感を感じてしまう。さらには、「ベスト・タイム」のような、「みんなでアレクサンドリア(カイロから車で3時間ほどの地中海岸の観光都市)に行く」というシーンを織り込む作品を目にすることも多い。
今回、「アジア中東パノラマ」というカテゴリーが登場するなど、中東モノが充実した背景には、国際交流基金で、アラブ映画祭を取り仕切ってきた石坂健治氏が、同基金を退職し、東京国際映画祭に移籍したことがある。
石坂氏は、河北新報のSNSサイトで、映画評論家の齋藤敦子さんとのインタビューでこのように答えている。
石坂健治氏に聞く
さて、渋谷のNHKで行われた「アジアフィルムフェスティバル」では一本も見られなかったので、次は、東京フィルメックスか。
中東関連映画で注目は、イスラエルのアモス・ギタイ監督、ジュリエット・ビノシュ主演の「撤退」あたりか。それにしても、今回のフィルメックスにはアラブ世界からの出品はない。この映画祭のカラーからすると自然かも知れないが。
第20回東京国際映画祭が、先月末に開かれた。
鑑賞したのは、
「ベスト・タイム」(エジプト)
「カット&ペースト」(エジプト)
「数日後」(イラン)
「婚礼の前に」(キルギス)
の4本。
「ベスト・タイム」、「カット&ペースト」は、エジプトが誇る美人女優、ハナーン・トルク主演ということで、日本国内で数少ないハナーン・ファンには待望の機会となった。コメントを書こうとしているうちに、筋は相当忘れてしまったが、この両作品とも、ハナーンという主役はいながらも、その周囲の人物も描こうという群像劇的色彩が濃い。2005年アラブ映画祭で上演された「眠れぬ夜」もそうした点で共通しており、なんとなく、既視感を感じてしまう。さらには、「ベスト・タイム」のような、「みんなでアレクサンドリア(カイロから車で3時間ほどの地中海岸の観光都市)に行く」というシーンを織り込む作品を目にすることも多い。
今回、「アジア中東パノラマ」というカテゴリーが登場するなど、中東モノが充実した背景には、国際交流基金で、アラブ映画祭を取り仕切ってきた石坂健治氏が、同基金を退職し、東京国際映画祭に移籍したことがある。
石坂氏は、河北新報のSNSサイトで、映画評論家の齋藤敦子さんとのインタビューでこのように答えている。
石坂健治氏に聞く
さて、渋谷のNHKで行われた「アジアフィルムフェスティバル」では一本も見られなかったので、次は、東京フィルメックスか。
中東関連映画で注目は、イスラエルのアモス・ギタイ監督、ジュリエット・ビノシュ主演の「撤退」あたりか。それにしても、今回のフィルメックスにはアラブ世界からの出品はない。この映画祭のカラーからすると自然かも知れないが。
2007/10/22のBlog
[ 09:48 ]
[ 水タバコ・イン・東京 ]
2007/10/10のBlog
[ 13:22 ]
[ 水タバコ・イン・アジア ]
【バリ島水タバコカフェ】
ハイマ(Khaima)
Jalan laksmana Kerobokan
0361-742-3925
バリ島は、ヒンズー教が多数派だとはいえ、インドネシア全体ではイスラム教徒が大多数を占めているわけだし、歴史的にもインド洋などを介したアラブ世界との交流が盛んだったわけだから、そこそこ水タバコはあるだろう、と思って、この島に初上陸した。
ハイマ(Khaima)
Jalan laksmana Kerobokan
0361-742-3925
バリ島は、ヒンズー教が多数派だとはいえ、インドネシア全体ではイスラム教徒が大多数を占めているわけだし、歴史的にもインド洋などを介したアラブ世界との交流が盛んだったわけだから、そこそこ水タバコはあるだろう、と思って、この島に初上陸した。
だが、そんなこともなかった。それなりにリサーチして、発見した水タバコを提供する店は、スミニャックにあるこの「ハイマ」と、リッツ・カールトンホテル内のバーだけだった。
「ハイマ」は、バリの青山通りとも称される「オベロイ通り」沿いにある。アラビア語でテントを意味する店名の通り、通りにせり出すような天幕が目につく。モロッコ料理店で、たいていの客は、タジン、クスクスなどのモロッコ料理をめあてにやってくるが、店の奥にはカフェスペースも設けられており、水タバコめあての客もちらほらいた。価格は、一回30000インドネシア・ルピアだったような気がする。
「ハイマ」は、バリの青山通りとも称される「オベロイ通り」沿いにある。アラビア語でテントを意味する店名の通り、通りにせり出すような天幕が目につく。モロッコ料理店で、たいていの客は、タジン、クスクスなどのモロッコ料理をめあてにやってくるが、店の奥にはカフェスペースも設けられており、水タバコめあての客もちらほらいた。価格は、一回30000インドネシア・ルピアだったような気がする。
2007/08/27のBlog
[ 18:55 ]
【札幌水タバコカフェシリーズ】
パラスモ(札幌市中央区南5条西6丁目第5桂和ビル6階 電話:011-552-3313)
札幌随一の歓楽街、「すすきの」のはずれの雑居ビルの中にある。「パラスモ」という店名は、「パラダイス・オブ・スモーク」の略だ、と店長の松野隆氏(写真)が説明してくれた。今年3月に開店したばかりで、名実ともに、日本最北のシーシャ・バーということになる。午後9時から翌朝6時までの営業ということで、ネットで拾った住所だけを頼りに、ようやく店のドアを開けたのは、午後9時ごろだったが、松野氏はまだ開店準備中。水タバコを準備してもらいながら、札幌の水タバコ事情を聞いた。店にやって来るのは、水タバコ目的と酒目的が半々程度だというが、水タバコ目当ての常連客も「結構いる」とのこと。中東などへの旅行で体験して、ハマった人が多いようだ。
すでに、北海道新聞にもカラー写真で紹介されるなど、札幌での知名度は、徐々にあがっているようだ。値段は1200円。
パラスモ(札幌市中央区南5条西6丁目第5桂和ビル6階 電話:011-552-3313)
札幌随一の歓楽街、「すすきの」のはずれの雑居ビルの中にある。「パラスモ」という店名は、「パラダイス・オブ・スモーク」の略だ、と店長の松野隆氏(写真)が説明してくれた。今年3月に開店したばかりで、名実ともに、日本最北のシーシャ・バーということになる。午後9時から翌朝6時までの営業ということで、ネットで拾った住所だけを頼りに、ようやく店のドアを開けたのは、午後9時ごろだったが、松野氏はまだ開店準備中。水タバコを準備してもらいながら、札幌の水タバコ事情を聞いた。店にやって来るのは、水タバコ目的と酒目的が半々程度だというが、水タバコ目当ての常連客も「結構いる」とのこと。中東などへの旅行で体験して、ハマった人が多いようだ。
すでに、北海道新聞にもカラー写真で紹介されるなど、札幌での知名度は、徐々にあがっているようだ。値段は1200円。