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以前にもブログ上で書いたことがあるのだけれど... 私はInstitute for plastination(以下I.F.P)という機関へ献体登録している一人である。 献体登録者、つまり「ドナー」。 死亡したときにこの機関へ全身献体する契約になっている。 Plastination(プラスティネーション)とは何かというと...簡単にいうと、人間や動物が死亡した後、体内の水分をシリコンや樹脂に入れ替え、半永久保存できるようにすることである。 よって、プラスティネートされたボディは、標本として展示可能になる。 この機関が主催するプラスティネートされた人体+動物の標本展示イベント「Body Worlds」が現在ロスアンゼルスのCalifornia Science Centerに来ているのだが(あちこちの都市の博物館などを周っているらしい)、実は今回、ドナーを招待してのミーティングがLAで開かれるということで、私も1ヶ月ほど前に招待状を受け取っていた。 I.F.Pの本拠地はドイツであり、これまでにもドイツ内でドナーたちの集まりは開かれているようだが、アメリカでは初めて...ということで、私も参加してみることにしたのである。^^ 今日のテーマはややカタイ上、いつにもまして文章がものすごく多いのですが、 カタイ内容をなるべくわかりやすく書いたつもりなので、 興味を持たれた方は↓をクリックでぜひ続きを読んでみてください。^^; (そんなにエグい写真はないと思いますが、ダメそう...な人は見ないほうがいいかも...)
ミーティングに参加した人は...200人いないくらいだったかな。 ゲスト同伴のドナーも多いと思うので実際のドナーはこの中の3分の2くらいではないか。 ちなみに50代から60代の人が一番多いように見えた。 ドナーの実態についての説明があったのだが、現在のところドナー(もちろん現在生きている、リビング・ドナー)の数は9,000人ほど。 そのうちおよそ8,000人がドイツ国内から。 アメリカ国内では...これは予想外に低い数字だったのだが、わずか800人ほどらしい。 これまでにあちこち(主に大きな都市部)で標本展示のイベントが行われ、かなりの人気を博してきたらしいことを考えると、え?たったの800人?という感じである。 アメリカ国内だけで2,000人くらいはドナーがいるのではないか...と勝手に思っていた。 それにしてもドイツ国内だけで8,000人のドナー登録がされているとはスゴイ。 それだけI.F.Pが国民にもたらした影響は大きく、死後はここで自分の身体を活用してもらいたいと思った人が多いわけであり、アメリカの800人という人数と比較すると素直に感嘆する。 ハーゲンス博士本人に会える機会は滅多にない!...ということで、記念撮影を頼む人多し。 ミーティングそのものは、I.F.Pの歴史について、プラスティネートの方法の説明、ドイツのGubenに新しく作られた「研究所兼展示場」であるPlastinariumの情報、ドナーがハーゲンス博士に直接質問コーナー...などなど、かなり盛りだくさんの内容となっていた。 ハーゲンス博士もなかなかユーモアのセンスありといった人で、おカタイ研究者というよりも、プラスティネーションという「芸術」を愛するカワイイおじさん...といった感じ。^^ ちなみにドイツのPlastinariumには、ドナーに限り無料で入れるそうで... 実はこれまでに一度、I.F.Pからドイツにある機関の本拠地への招待状のようなものを受け取ったことがあるのだが、さすがに旅費までは賄ってくれないらしいので断念した。 でも、お金貯めて、いつか行ってみたいな...。^^; だって献体した後は遺体となって自動的にここに送られるらしいけど、せっかくだから観光なんかもしたいし、生きてるうちにね。(笑) ミーハー精神を発揮してJも一緒に写真を...って、あなたはまだドナーではないっつーに!! (右側の女性はハーゲンス博士の奥様であり、仕事上のパートナーでもあるウェイリー博士。才色兼備でカッコいい!) ドナーには本当にいろいろなタイプの人がいた。 髪を紫色に染めた20代と思しき女の子。 真面目な大学生風の男の子。 ロン毛で、バンドやってます...のような風貌の男性。 上品な初老の婦人。 夫婦で献体登録しているカップル。 なんだかやたらとハイテンションになってギャーギャー騒いでいる、見た目もエキセントリックな中年女性のグループ。(うるさいので周囲の人たちも白い目で...早くプラスティネート処理して黙らせて欲しいわ、まったく...^^;) 大半の人が無宗教だと笑って答えるであろう日本と違い、アメリカ人のほとんどが何らかの宗教を持っている。 一番多いのは予想通りキリスト教で、いわゆる敬虔なクリスチャンにとって、自分が死んだ後にその遺体がこうしてプラスティネートされ、展示されたりするようなことはやっぱり「異端」なことではないかと想像してしまう。 私の親などは、あんたは一度言い出したら聞かないから...という思いもあって私のこんな「死後の選択」をしぶしぶ受け入れているのかもしれないが、やはり100%賛成ではないということは私も十分承知している。 けれどこれは、私が自分で時間をかけて考えて、灰になってどこかに埋葬されるよりも、自分はドナーという形でこのプロジェクトに参加したい...と思って決意したことだ。 ドナーとなる決意表明したとき、ここにいる人たちの家族はどう思ったのだろう。 どういう過程を経て、献体することにしたのだろう。 別に私が一人一人にインタビューするわけではないけれど、そんなことをふと思ったりもした。 ところで...プラスティネーションの本家本元であるI.F.Pがいうには... 現在およそ20もの、「I.F.Pを真似てプラスティネーションされた人体を展示している団体」があるのだという。 「Bodies」や「Bodies Revealed」がそうで、日本で少し前にやっぱり同じように標本展示をした「人体の不思議展」というのも、同様にバッタ機関によるものなのだという。 (I.F.Pによる展示には必ずGunther Von Hagensの名前が入っている) その多くがI.F.Pの主催するBody Worldsをほぼそっくり真似て標本製作をしているらしい。 I.F.Pの関係者は、そんな団体を罵倒さえしなかったものの...かなり不快には感じているようであった。(絶対に真似してほしくなかったら、プラスティネーションの技術を最初から極秘にし、外部に流出しないようにすることもできたのではないか...とも思うけれど) I.F.Pが純粋に、生前に契約を結んで死後に約束どおり献体された遺体のみを使用するのに対し、そういったバッタ機関で標本となる遺体のほぼすべてが中国からのものであるらしい。 「うちはそんな、どこの誰ともわからない、ひょっとしたら処刑されたであろう犯罪者かもしれない身元不明の身体は使いません。生前に加工後は一般に公開することをOKとしてくれた、誇り高きドナーのものだけを、感謝と敬意を持って使用しています」 ...だそうである。 ミーティングの中で聞いたエピソードの中で、興味深いものが二つあった。 一つは、展示されている標本が、ダンスを踊っていたり、自転車に乗っていたり、とっても人間くさい、ときとしてコミカルとも思えるようなポーズを取っていることについて。 これはI.F.Pが1995年に日本で標本展示をした際に、あまりにも死体っぽいのでちょっと怖い...という意見があったことから、こんな風にポーズをつけるようになったのだとか。 つまり、それまでは直立不動の体勢を取った標本が展示されていたわけである。 なので、現在の標本たちは本当にいろんなポーズを取っていて、死んでいるのに、それはなぜか「活き活きとしている」のである。 もう一つは、以前、アメリカ国内某所の展示イベントにての出来事。 ある女性が標本を見ながらポロポロ涙を流していたのだという。 大丈夫ですか?と関係者が尋ねると、女性はいった。 「私は...これまでに3度自殺を図りました。人生に絶望して、生きていたくなかったので、死のうと思ったのです。3度とも未遂で終わったのですが、今日ここでプラスティネートされたたくさんの身体を見ながら理解しました。私自身の身体の中にも、こんなに美しい、素晴らしいものが詰まっているのだと。それを私は自らの手で消してしまおうとしていたのです。それを知った今、私はもう、自殺など考えることもしないでしょう。」 なるほど、そういう風に考える人も出てくるのだなあ...と思った。 (↓の写真はミーティングが行われた建物のまん前にあるバラ園) I.F.P側がドナー登録している人たちに感謝の気持ちと敬意を払っていることがよく感じられ、ミーティングの内容もとても興味深い、平凡な私の日常の中では珍しく有意義な一日であったように思う。^^ 開催中の展示会場への入場無料に、簡単な朝食+ランチが出されて、帰りにはハーゲンス博士のこれまでについて書かれた本(ウェイリー博士著)にCD-ROM、ジャンボサイズの絵葉書にピンバッジ(いったいどう使えというんじゃ、輪切りの胴体の標本写真がついたピンバッジなんぞ...?)...と入ったお土産袋まで貰ったしね。(笑) ゲストとしてミーティングに出席したJも帰宅後、ドナーとなることにかなり関心を示していた。 っていうか、すっかり感銘したのか、なんとPCの壁紙までもそんな標本の写真に! ...おい、いくらなんでもちょっとキモチ悪いぞ、それ!!! ^^; 私の死は30年後かもしれないし、40年後かもしれないし、はたまた20年後かもしれない。 だが、明日、来週、来月「死」が訪れることが絶対にない、とは言い切れないのではないか。 まあ、それがいつになるかはわからないけれど、ドナー登録をしている身としては、そうなった後、果たして自分の身体がどのようになるのか、正直、ほんの少し楽しみでもある。 ※バラ園より上の3枚、標本の写真はI.F.Pのサイトから拝借。 アタシ、誇り高きドナーなんだし、写真くらい借りてもいいよね、ハーゲンス博士!? ^^ ↑ちょっとカタイ内容だったけど、興味深いと思ってくれたらポチっとしてってね♥ プラスティネーションとは?日本語による説明⇒プラスティネーション解説(ウィキペディア) Body Worldオフィシャルサイト(英語)⇒Bodyworlds Plastinariumオフィシャルサイト(英語)⇒Plastinarium 最初にドナーという言葉を見たときに、臓器移植の提供者かと思いました。 私はイギリスに行ったことがあり、合計で3ヶ月程度になるのですが、 狂牛病の問題で、献血も臓器提供も出来ないと、聞いたことがあります。 そんな私でも、こちらのドナーにはなれるんでしょうね。 私は自分が死んだら、今までの私の可愛い猫達と一緒のお墓に入りたい、 なんて思っていますが、mari_caさんは、すごいです。 プラスティネート処理がどのようにすることなのか、想像も出来ませんが、 やってもらうのが恥ずかしい、とかはないですか? もっと上の高いところにmari_caさんはいらっしゃるみたいですね(^^) 私がなるなら、猫や犬と幸せそうに暮らしている(?死んでますが)ように 加工してもらいたいかな。 そんな死んだ後の話をした場所に、バラ。 この穏やかな風景を見て、人生は美しくあるはず、と思いました。 もう少し頑張らないとですね! 以前、mari_caさんがドナーとして登録している。と記事に書いていた時 てっきり臓器移植のドナーかと思っていましたが こういう形での献体ドナー登録だったのですね。。。。。 正直、ちょっとビックリしました。 私は臓器移植のドナーカードを所持しています。 子供もいないし、死後、使える臓器は全部役立てて欲しいと思っていますし、 骨になってお墓に入るよりは自然葬で葬ってもらえたら嬉しいなぁ~って思っています。 こういう形での献体がある事を初めて知って、自分が出来るかというと・・・・・ う~ん・・・・・勇気がいりますね。。。。。 たくさんのドナーの方がいらっしゃるんですね! びっくりしました☆ そして何よりナイスバディの才色兼備な奥様にびっくり。(*´∇`*) 自分の体が死後どうなるのか。。。 想像がつかないのですが 考えるきっかけになります! いろんなことが 知れて やっぱりブログはスゴイです☆ ↓シュウマイちゃん増築おめでとうございますヾ(@^▽^@)ノ そうそう♪ いっぱいサービスお願いしましゅでしゅ(=^_^=) そうすると~しぜんとオヤツが落ちてきますよぉ(*≧▽≦*)ギャハッ おとうしゃんからっ( ̄▽+ ̄*)キッラーン(笑) ワオ w(°o°;)w あ、アタシが見タノって バッタもん? 国立科学博物館のやつはホンモノだったのかもしれないけど 2度目のみなとみらいのヤツは怪しいなぁ しかし、このミーティングを見る限りやはり本家本元は きっちりしてて立派な標本に仕立ててくれそうな… というとなんて残酷な!と眉をひそめる方もいらっしゃるでしょうが 医学の歴史は“腑分け”すなわち解剖から始まったわけで 基礎科学の部分はどんなに技術がすすんでも やり続けなくてはいけないものだと思います。 今はね〜可哀想だとかいって何の愛護だかアタシにゃ ちっとも理解不能な愛護団体とかが騒ぎ立てて、 学校でもカエルの解剖やらふなの解剖なんての出来ないらしい じゃない? そりゃむやみな殺生はもちろん賛成できないけど、 イベントでの女性のように、人体の素晴らしさを目の当たりに して、いのちに対しての認識が改まるなんてことも あるわけでさー大事なことだと思うんだよね。 …しかし、実際に己をプラスティネーション化しようなどとは やっぱり想像出来ないよ、mari_caさんは偉大だわ〜 献体ドナー登録されてるんですね。 自分の死後を楽しみにできるなんて、 ちょっと、素晴らしいですね。 死後の自分を想像することができる。 今の延長で死があり、その死がそのあとにつながっていく。 展示され、誰かの心に何かが生まれ。 続いていく。 正直、私は、どうしたいのか? どうなりたいのか? まだ、分からないなぁ~。 アメリカのドナー登録者の数にびっくりしました。 800人!?それっぽっち!?って。 献体と臓器提供はまた別なのかしら。 人体の不思議展は見に行きましたが、あれはバッタもんでおおもとはこの博士だったのですね。 (そういえば、献体は死刑囚と書かれていたように思います。) お化け屋敷気分(?)でキャーキャー見る人が大部分でしたが(ワタシも)、この記事を読んで反省。 “誇り高きドナー”、本当にそう思います。 生前にこうやってミーティングを持つって、有意義ですね。 以前コメントしたときに「人体の不思議展」見たと書いたんですが・・・ バッタ機関だったんですか。ショック。 どこが本家とかってわからなくて失礼しました。 あの、涙をこぼされていた婦人の気持ちなんだかわかります。 バッタ機関とはいえあの心臓だったか、毛細血管を見たときに 美しい・・・と思いました。 本当に人間は小宇宙だと思いました。 こういう展示を通して今ある生命を自分も人も大切だ と感じて精一杯生きていけたら 考案された博士も検体になられた方も本望ではないかと思います。 画像で見ているだけでも「本物」だと思うと衝撃ですね・・。 これを目の当たりにしたらさぞ感慨深いものがあることでしょう。 やっぱり直立不動より活き活きとしたポーズの方がいいです。 すごいメッセージを発してます。 見る人の心に訴えかけるものがあります。 この人たちの近親者は一目見たら誰って分かるんではないでしょうか。 宗教によって「死後」の世界観って違いますが、悲しみの多くは 「もう絶対に会えない」っていうのがあってそのことは長い間 悲しみを増幅させているのだけど、「姿」がそこにあって 楽しい姿をしてたら会ったものに「生きろよ」って メッセージを送ってくれるのかも・・・。 もうすごい昔に臓器移植ドナーになりましたが その後自分が大量の輸血をしてもらって 助かった経験があります。 (なのでもう献血等はできません) mariさんすごいです~~♪ 死後の志も考えているってすごいですね。 私は自分が死んだ後お墓でじっと過ごすより灰で自然に返してほしいと思うのですが日本では中々難しいようです。 標本の展示はほんと面白い形ですね。 一種コメディ作品かと(笑) でもじっと立ってるだけのただの標本より人間らしさを感じられてあぁ、自分たちの体だなぁって思えます。 Jさんが魅入られたのもわかる^^ mari_caさん、以前にドナーのこと書いてらしたと思うのですが、 臓器じゃなくて、人体だったんですね! 日本でも、このような展示が行われていましたよ。 中国人の体だったと思います。バッタ、だったのかなぁ・・・ ドイツ人ドナーが最も多いんですか。 宗教観の違いなのかなぁ。 といっても、ドイツ人もクリスチャンが多いのかと思ってましたけど、 カトリックとプロテスタントの違い?? 私は死後の世界には何ら興味はないので、 死んだら、臓器も役に立つのなら立てて欲しいと思ってます。 お墓なんて・・・オバケが出そうで怖いし。(笑) 冗談はさておき、こういう展示でたくさんのことを 感じたり学べたり出来るのは素晴らしいことだと思います。 mari_caさんの考え方も素晴らしいです。 とても有意義なミーティングに参加できて良かったですね。 最初にドナーという言葉を見たときに、臓器移植の提供者かと思いました。 そう思われた方は多いでしょうね。 そういうドナーと言うのもあるんですね。 私も死んだらどうせお寺で永代供養。誰もいないですからね。 それなら私もこういうドナーになりたいですね。 自分が死んだ後がわかっているのは少し安心な気もします。 日本ではないですよね?? あるのかしら? ドナーにも種類があるんですね。 死後のことはあまり考えたことがありません。 私は「死ぬ」ということを考えるとすごく怖くなるんです。 でもそろそろそんな子供みたいなこと言ってるトシではなくなり、生きてきたトシの2倍生きられるかわからなくなってきました。 mari_caさんのお話を読んでちゃんと考えるきっかけができたように思います。 死後、ただ灰になりお墓に入ると考えるよりも、人の役に立ったり、体を残すと考えるほうが自分が感じてる怖さから少し離れられるような気がしてきました。 う~~ん、難しい。 50年生きてると、これから先の人生の方が短いんだなあ なんて考えることはありますけど。 「死」を考えると恐いですね、無宗教のうえ臆病なので。 2回全身麻酔の手術を2回したことがあるので、 あんなふうに意識がなくなっていくことなのかな~なんて、 思ったりすることはありますけど。 以前「オール・アバウト・マイ・マザー」という映画を観て、 臓器移植についてかんがえたことはあります。 でも、やっぱり難しい。 もう少し考えたい問題です。 アタシとおねえもmari_caおねえちゃんの献体って、臓器やお医者さんの卵の人のための解剖のためのものだと思ってたのにゃあ! こういう献体もあるんですねー。φ(・_・。 )メモメモ 日本でもそういう展示があったけど、バッタものだったのにゃ! そういえばミイラさんも、必要があれば今の人で作って昔風に加工して売っちゃうってお話もあるよね・・・ 必要があれば犯罪者なのか、殺してまでなのかわかんないけど、命まで商売にしちゃうのってコワイよね・・・ もし、自分が亡くなったあとそこに展示されるなら、生きてるうちに一度見ときたい気持ちってなんとなくわかるのにゃあ。 面白い記事でした~♪ドナーにもいろいろあるんですね。 私もアメリカはドナーが多いのかと思っていたので、意外でした。 ところで、展示される場合は、生前の体質(筋肉質とか)や体型って 関係ないのでしょうか・・・ 使ってもらえるものなら、神経細胞まであげちゃってもいいくらいの私ですが、この体型で展示されるのは、いくら死後でも辛いなあ(^^ゞ 潔く人体ドナーに使ってください!って決意されたmari_caさんは素晴らしいな~って思います。 アメリカのことだからドナーは多いのかな・・・って思っていたけど、その少なさが意外でした。 だいぶ昔に人体を冷凍してしまうカプセルの話は聞いた事がありましたけど、今はこうしてポーズをつけたりして人体標本もとっても怖いというよりもまるでひとつのアートのようですよね。 亡くなったら土に返すというのが今まで一般的でしたけど、 亡くなったら魂はもう身体から出てしまうわけだし、肉体は殻になってしまうわけですよね。 家族はその身体を見れたら・・・もしかしたらまた違う意味で嬉しいかもしれないな・・・なんてふと感じました。 ミーティングに200人もの人が来たって、関心が高いんですね~ Jさんの様にミーティング後、ドナーに関心を持った人がいるかもしれませんね。 「人体の不思議展」はニュースなどでしか見聞きしていませんが 日本人には「プラスティネーション」という言葉の前に、こういう展覧会の方がイメージ強くて(実際私がそう) ドナー提供により、こういう事が行われているという感覚があまりないかもしれませんね。 「人体の不思議展」は現在も日本で開催されているらしく、標本を直に触れることも出来るそうです。 (どこの展覧会でも直に触れることが出来るのでしょうか?) こうなってくると、「本物の人間標本」というより言葉は悪いですが「よく出来たマネキン」って感覚かも^^; 日本人は、無宗教の人が多いとはいえ火葬が一般的ですし、死後こういった標本になるというのは、抵抗ある人が多いんじゃないかな~と思います。 ★てけてんさん: プラスティーネート処理は...生きているうちにそんなことをされたらちょっと照れちゃうかもしれませんが、まあ、自分はそのときには死んじゃってますからね~。^^; 煮るなり焼くなり好きにしてくれ、って感じです。(笑) 犬や猫と一緒に楽しそうなシーンで...っていいなあ♪ リクエストを遺書として残しておければいいのに!^^ ★サクラママさん: ここの機関は臓器移植にも協力しているので、状態というか条件があう遺体からは臓器移植用に提供してるみたいです。 もちろんドナーとは生前に話し合っておくようですが。 子供がいないというのは、私の場合にもドナーとなった理由の一つだと思います。 いわゆる「墓を守ってくれる人」が将来おそらくいないと思うと、土の下に一人眠るのもなんだか寂しいなあ...と思ったりするので。^^ ★みけねこひめさん: 奥様カッコいいですよね~。 博士だし、しかもこの美貌!^^ 自分の死後のことについては、日本国外にいるから、余計に考えてしまう...というのはありますね。 日本だったらもっと、「なるようになるだろう」と思ってたかもしれませんから。^^ ★無一文字隼人さん: リンクしてあるウィキペディアに少し書いてあるのですが、ここの団体と日本での開催側とで一悶着あったようなんですよね。 まあ、バッタだからといってプラスティネーションの技術が低い...というわけではないので、見に来た人たちに与える影響は大差ないのかも...とは思います。 愛護団体には過剰に反応しすぎるものがあると私も思います。 生と死は切り離すことができないもの。 だとしたら、生と同様に死も尊重されるべきだと個人的には思うんですよね。 ★しばシマイさん: 日本国外にいて、自分の子供もいないという状況だから、こういう風に考えてきたのかもしれないと思います。 死んだ後の墓はいったいどこで、誰が訪れるのか??と考えたときに予想がつかなかったんですよ。 だから、こういう決断をしたのかもしれません。^^ ★がるまあさん: 800人って少ないですよねー。 もっといるだろうと思ってたんだけどな~。 で、それと同時にドイツ国内の8000人っていうのにびっくり。 生きてるうちにハーゲンス博士本人に会えるとは思ってなかったので(笑)そのことも含めて有意義なミーティングでした。^^ ★miyuさん: まあ、バッタとか本家本元の人たちはいってましたけど、技術的には決してものすごく劣るということはないみたいですよ。 だから、見に来た人に与える影響力に関して言えば、きっと本家と大差ないのではないかと思ったりもしました。 毛細血管の標本を見たときは私も、キレイ...と感動しましたね~。 ニセモノを作ろうったってきっと絶対にそっくりなものは作れないだろう...と思いました。^^ ★chihiさん: 直立不動だったらここまで「活き活き」してないと思うんですよね~。^^ って、死んでるのに活き活き...っていうのもオカシイですけど。(笑) 近親者は...よほど特徴がある人の標本だったら、身内とわかるかもしれません。 骨折の後に入れた人工物質が見えてる...とか。 でも、機関としてはそういった風に身元確認できるような標本を作るのは極力避けているとのことでした。 やっぱりいろいろあるみたいですよ、「標本」として見る以上の感情がかかわってきちゃうと... ★seishiroさん: 日本での散骨って、許可を取ったりいろいろと大変だって聞いたことがあります。 その辺に適当にパラパラ...というわけでにはいかないんですね~。 標本たちはホントに活き活きしてましたね~。 直立不動だったら確かにちょっと怖いかもなあ...と思いました。^^ ★さえちんさん: あはは、丸ごと提供しちゃう予定なんですよ~。^^ でもここは臓器移植への協力もしてるので、状態がよくていろいろな条件が合えば、臓器の提供もしているそうです。 ただ、その辺も生前にあれこれドナーと細かく話しあって...ということになってるようです。 ドイツのドナーが8,000人ってやっぱりスゴイですよね。 なぜそこまでの人がドナーになる決意をしたのか、私も興味あります。 ★まさにゃんさん: お墓はオバケが出そうで怖い!(笑) 確かに怖がりの人はそういうところに自分が埋められちゃうのもちょっと困るかもしれませんね~。^^ ミーティングは予想していたより興味深い内容でした。 生きてるうちに(笑)ハーゲンス博士に会えたっていうのもなんとなく嬉しかったですね。 ミーハーなのでサインまで貰っちゃいました。(爆) ★陽菜さん: ドナーという単語は「献体登録者」程度の意味しかないので、臓器の提供も含みますが、それ以外の身体のどの部分にも使えるんです。^^ 献血する人も「ブラッドドナー」っていうんですよ。 ここの機関はアジアでのドナー募集はしてないようですが、プラスティネーション以外にも遺体って使うはずなので、リサーチしてみたら結構いろいろな機関があるんじゃないかなあ?^^ ★ふうさん: 死を怖いと思ったことはあまりないかもしれません。 人間も地球上の生物の一つであり、この世に生まれてきて、やがて死んでいく=無になる...というのは当然なのだ...と思うようになったのかもしれません。 でもそれはきっと、自分の子供がいないというのも影響してると思うんですよ。子供がいたら...また考え方も変わっていたかな~と思いますね。^^ ★hirokoさん: 私はあまり「生」にこだわりがないタイプかもしれません。 それは「生きていることが無駄だ」と思っているわけでは決してありませんが、野生の動物が生きて、やがてその一生を終えるのを見たりすると、人間も結局そういった生き物と同じであっていいと思うからかもしれません。 ★Gaviちゃん: あ、ミイラを作っちゃうエピソード、TVで見たことがある! そのときに使われた遺体も、たしか「そのために使って欲しい」と生前に希望していた献体登録者だったとか言ってたと思うよ。 そういえば、中国からの遺体を使った標本展示には、人身売買がどうのこうの...っていう問題が付きまとってるみたいだし。 モラルの点でこういうのは難しいよね、ホントに。^^ ★ルルさん: 800人って、やっぱり予想外に少ない人数ですよね。 ここの機関のドナーになりたい場合、個人でメールして、たくさんの資料等を自宅まで送ってもらい、それにいろいろ書き込んでまた送り返して...と、結構手間がかかるんです。 そのせいで、お手軽にはドナーになれないっていうのも影響してるのかなと思いました。 ★Crystalさん: 2,000人くらいいるのかと勝手に思ってたんですけどね~。 800人っていうのはあれ??って感じでしたね。 人体を冷凍して...って、マイケル・ジャクソンがそれを希望してるとかウワサがあるアレですか?! プラスティネートされた遺体はあんまり怖くないけれど、そっちはちょっと見た目が怖そう...^^; ★catwingsさん: 標本には..触れられないんじゃないかな? アクリルのケースの入っていない、むき出しのままの標本も結構あるのですが、触ろうとすると近くに立っている係の人に注意されるのでは?と思います。 ま、あんまり触れたいとも思いませんけどね...^^ 日本で現在見られるのはバッタ機関による展示みたいなので、その辺のルールはきっと違うのだと思います。 日本人は、「墓に入って、子孫に墓をキレイにしてもらったり花を添えてもらったりする」のが一般的だと思うので、確かにドナー希望者は少ないかもしれませんね。 でも、↑のコメのいくつかを見ると、そうでもないかなあ??^^ こういうドナーもあるんですね。 てっきり臓器移植のドナーの事だと思ってたので 読んでるうちにかなり「??」でしたが 納得です。 こういう機関もあるんですねえ。 日本でも公開されてたとは~~~!! 知らなかった情報不足の自分に 悔しいわあ。 う~~ん、、、、 私は死んだら静かに土に返してほしい、、、なんて思ってるもんですから、ちょっと今日のお話には距離があるかなあ。。。。 もちろん否定なんかしないし、賛同している方々はそれでいいし、、、 って感じです。 でも、こういう機関があるなんて知らなかったので、それを知っただけでも良かったです。maricaさんのしっかりした考え方にも刺激(?)を受けましたし、ありがとう^^> ドナーだと写真撮れるんだ~~なんて思ったらやっぱり違うのね。 アメリカで800人もいるんだ、というのが私の印象。 でも、やっぱりユダヤ系はほとんどいないでしょう。 死んだらすぐに埋葬しないといけないから。 それにドイツ人にやられるのっていやな人が多いだろうし。 全身標本はどなたも体がフィットしてるという印象。 私だと「猫の毛と猫トイレの砂で肺がこんなになりました」っていう標本になりそう・・・ってやりませんけどね。 Fameじゃないけど、”We're going to live forever"ってことでしょうか。 mari_caさん、こんにちは。 初めてききました。以前mari_caさんがブログで、「ドナー登録をしている」と書いてらっしゃいましたが、全く別の物だと思っていました。 本場のドイツでは、かなり多くの人が登録しているんですね。それに比べるとアメリカが少ないのは、知名度が低いからでしょうか?一般的には広く知られていることなんでしょうか?mari_caさんはどこでお知りになったんですか? ドナーになる決意をするには、人それぞれいろんな理由があるでしょうし、展示を見てどう感じるかも人それぞれでしょう。正直なところ、考えたこともないことなので動揺(?)していて、自分がどう感じるか想像もできないといった感じです。 おひさしぶりです。 私もドナー登録しようかとずっと考えています。 解剖とかに使われるのはちょっと抵抗がありますが、 臓器提供なら、それで助かる人がいるなら喜んでしたいなと。 この文を読んで刺激を受けました。 ちなみにうちの母親も、死んだら解剖でも何でも提供したい なんてことを言ってます。(やはり解剖は娘として抵抗ありますけど) 骨髄バンクも考えたのですが、 ネットで調べたら手術の際、提供者が死ぬ危険性もあると知って 怖くなってしまって止めたのですが…。 それにしても、標本楽しいですねー トランプしてるし(笑)ダンスも見たかった(笑) ミーティングの看板?、ちょっとエグイけど、なんかかっこいいです。 はじめましてです。 うちの長男もランディなのと、かれこれ15年前にオレンジカウンティで 生活していて現在の様子を知りたく、リンクを張らせていただきます。 たまに遊びに来ますのでよろしくお願いします。 大変興味深いお話でした 私が見て感動した「人体の不思議展」がバッタ機関だったとはちょっとショックでしたが・・・ なるほど、私が見たのは処刑された遺体の可能性もあるんですね そういう話を聞くと「死後の尊厳」というものについても考えさせられますね 献体、と聞くと私のイメージでは、医学部の学生さんなどのために解剖実習に役立ててもらう献体、というものでしたが違うのですね もちろんこのような加工をした体も十分に医学の世界に役立つものと思います 献体にも色々あるんだなぁ アメリカの献体登録数には驚きました 少ないですね 日本はどのくらいなんだろう? 私も臓器移植のドナーカードは持っておこうかしら 興味深い内容でした。 私自身も普通にお墓に入ることに抵抗があるので、アレコレ考えてしまいました。 臓器のドナーカードは以前は持っていましたが カード入れごと紛失して以来、それっきりになってます。 そのことを恥かしく思います。 「人体の不思議展」がそんな怪しい団体が主催していたとは意外でした。 ググるといろんな問題を抱えているようで・・・。 ↓「人体の不思議展」に疑問をもつ会 http://sky.geocities.jp/jbpsg355/ 本家本元のハーゲンス博士も、ドイツ国内で批判されているようですね。 博士自身も中国に人体標本製造会社を設立して、中国で活動しているとも…。 妊婦や胎児の標本については、私も考え込んでしまいました。 日本でもハーゲンス博士のDVDが発売されていることにも驚きました。 ↓人体解剖マニュアル ~一目でわかる人体の不思議~ DVD-BOX http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000GBEWVG それじゃあ、「献体」はどうなんだろうと思ったら、 例えば、大阪市立大学では登録条件に60歳以上という項目があって 現時点の私では、登録さえできないわけで・・・理由はわかりませんが。 使用目的は違うようですけども。 僕も臓器提供意思カードを持ち歩いています。 遺族に見られる顔さえ傷つけなければ好きにしてくれて構わないので。 特にセミナーや、誰かの影響というわけではないのです。 たまたま病院で配られていたカードを貰っただけで。 日本でこういったセミナーを行うと、物凄い色眼鏡で見られますよね。 実際に胡散臭いことこの上ないのが多いですし。 その辺は例によって日本が遅れていると表現すべきか。 はたまた、欧米がオカしいのかは分かりません。 クリスチャンにとってのドナー登録は、広義の博愛精神でしょうか。 僕の提供カードは、自分の死後への無関心です。 久しぶりに死生観について想いを巡らせられる内容で、 色々と考えてしまいますよ。 ★ゆきちさん: ここは臓器の提供もしているらしいので、遺体が届いたときにそういうこともするらしいです...が、本拠地はドイツなので、おそらくドイツ国内から届いた遺体からしか臓器を取り出すことは難しいのではないかと思いますけどね~。^^; 日本では、1995年に展示をしたらしいのですが、何でも開催者側と何かあったようで、それ以来は別の機関によるものが展示されてるらしいですよ。 ★ニャンママさん: 死んだ後にどうなりたいか...というのは100%個人の自由だと思います。 だから、臓器提供にさえも抵抗を感じる人の気持ちも私は理解しますしね。 ただ、大切なのは「死後の選択ができること」だと思っています。^^ ★NekoMama7さん: 写真はひょっとしたら撮ってよかったのかもしれないのですが...撮ってる人がいなかったので小心者の(?)私はどうしても撮れませんでした。^^; Going to live forever...という風に感じているドナーは確かにいると思います。 私はどっちかっていうと「こんな身体でもこんなアートな作品になるのならぜひ!」という気持ちだったんですけどね。^^; ★nyankoaさん: 数年前にLAでのExhibitionを見て、おおおおお!と思ったのがきっかけです。 いつか死んで、この辺で適当に埋葬されても、墓を守ってくれる子供もいないし、身内は日本だし...と思っていたことへの回答が得られたような気がしました。 妙な表現ですけど、気持ちが落ち着いた気さえしたんですよね。^^ ま、万人に理解されるようなことではないとは承知してますけどね。 ★enkaoさん: 臓器提供をするかしないかは個人の自由だと思いますが、それで助かる人がいるとしたら、なんとなく気分がいいですよね。^^ 死んだ後なのに気分がいいっていうのも妙ですが。(笑) 骨髄ドナーって提供者が死ぬ危険性もあるんですか?! こ、怖いかも... ミーティングの看板、一応グラフィックデザインをしてる身としては、もうちょっとちゃんとしたの作ってくれよ...と思っちゃいました。なんだか子供の工作みたいなんだもの。(笑) ★calintmiさん: こんにちは&ようこそ♪ ^^ おおおお、同じ名前だ~~! なんだか嬉しいですね~♪ だって、ランディっていう名前の猫、いそうで結構いなかったりするもので。 こちらこそどうぞよろしくお願いします! リンクもどうもありがとう!^^ ★なーネコさん: まあバッタといってもプラスティネーションの技術が極端に劣るとかそういうことはないと思うので、見にきた人に与える感動とか影響といったものに関しては、本家本元のこことあまり大差はないとは思いますよ。^^ 献体と一口にいってもホントにいろいろあるようです。 以前TVで見てびっくりしたのは、アメリカの某大学で「人間の身体は死後どのように腐敗していくか」を観察するための遺体となるための死後献体でした。 いや~びっくりした!!!^^; だって、研究所の裏庭みたいな広いところにゴロゴロ転がってるんですよ、遺体が...(爆) ★うしねこズさん: ハーゲンス博士に対するアンチ派はかなりいると思います。 まあ、100%の賛同を求めることは内容が内容だし不可能だと思うので、仕方ないと思います。 プラスティネーションという彼なりの芸術にハマってる「オタク」のような人だったのですが、やっぱり遺体を使うという点のせいで、理解できない人はできないと思いますね。 60歳以下は献体登録できないというのはなぜなんだろう? 若い人だって死ぬ可能性はあるのに...ねえ? ★スメハッチャンさん: アメリカでも宗教的な人はこういった死後の処置にものすごく嫌悪感を抱くとは思いますが、自由の国というだけあって、こういった自由があってもいい...と考える人も少なくないかもしれません。 死後への無関心...ですか。 スメハッチャンさんのようにお子さんがいらっしゃる方でもそうお考えになったりするんですね。 私の場合は、野生動物のように死を考えているかも。 つまり、生の一部として漠然とした死が存在するんであって、墓とか葬儀とか埋葬とか、死に対する大袈裟な装飾には意義を感じない...という感じで、それは確かに「無関心」とちょっと似てるかもしれません。 非常に面白いレポートでした。自分だったらどうか?と考えてしまいますがちょっとわかりません? ★おいかわさん:
日本に住んでいたら、そしてもし自分の子供なんぞがいたら、また別の結論を出していたのではないか...と思います。 今の状態だと、アメリカで死んで、しかも墓がそのまますさんでいく...という可能性も決して低くはないので、こうしたほうがまだ楽しそう(?)かな♪...と思っちゃったんですよね。^^;
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