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2005-11-18

ナベツネが「暴力団の町」と言った本当の訳

 今年の5月、渡辺恒雄・読売新聞グル-プ本社代表取締役会長が政府の財政制度等審議会財政制度分科会の合同部会で、「福岡県の○○郡は暴力団の町で、かつては1000人あたり200人も生活保護に認定された」と発言した事があった。この発言について、麻生渡福岡県知事は「本県について誤ったイメ-ジを与えることになり、誠に遺憾。怒り千万」と渡辺氏を激しく批判したが、実はこの渡辺氏の発言は事実に基づいて言っている事は間違いない。
 渡辺氏が名指ししたのは、田川郡大任町である。ここは過去に町長が執務室で暴力団員に射殺された経緯(これも、合同部会で発言していた)があり、さらに町議会議長も同じ筑豊の飯塚市で何者かに銃撃されて負傷、その後、姿をくらまして議長を辞任するという騒ぎもあった。後にこの元議長は覚醒剤所持が発覚して指名手配され、しばらくして逮捕された。また、今年に入ってからは永原譲二町長が理事長を務めていた(現在の理事長は町長の長女)道路側溝製造業・九州環境企業組合火炎瓶が投げ込まれたり、町内に事務所を構える暴力団は、土地所有者に無断で事務所を建てた上、玄関に代紋を取り付けるなど渡辺氏の言う「暴力団の町」を裏付けるような事件が数々出てきているのである。
 さらに、大任町は個人情報保護条例はあるものの、情報公開条例や政治倫理条例といった類は未制定である。裏を返せば、町の有力者が公然と不正を働き、その疑惑が出たとしても「個人の問題だから保護しなければならない。うちは公開はできませんよ」という事で片付けられる恐れもある。本当に「治外法権」、「無法地帯」と言ってもおかしくない有様である。 
ではなぜ、渡辺氏がこのような発言に至ったのだろうか?それは2年前に隣の川崎町で起こった騒ぎに発端がある。同町の事業に絡む裏金問題を報じた読売新聞西部本社の記者に対して同町議会は証人として百条委員会での証言を求め、資料として入手した秘密文書の入手経緯を脅しまがいで問い質したのである。当然、記者は「取材源の秘匿」を理由に証言を拒否したが、日本新聞協会編集委員会はこの「犯人捜し」とも取れるやり方に「報道の自由、知る権利を侵しかねない不当なもの」という見解を発表している。渡辺氏は恐らく自分のところの記者が「辱めを受けた」この時の一件を根に持ち、お返しとばかりにこの「暴力団の町」発言につながっていったのではないだろうかと考える。
(ちなみに川崎町では、政時喜久美元町議が町内の川に違法に屋形船を浮かべ、すし店を営業していたという事件を起こして逮捕された。政時は昨年、最高裁で詐欺罪が確定して町議を失職したばかりで、続けざまの犯罪に町民から怒りの声が上がったのは言うまでもない。しかも、この政時は次の町長選に立候補する可能性があるというから、本当にどうかしているとしか言えない)
 いずれにせよ、渡辺氏が田川地区を敵に回した事は確かであり、これがきっかけで地元のある筋が渡辺氏の生命を脅かしているという噂もある。渡辺氏もある意味、とんだところで「パンドラの箱」を開けてしまった感もあるのだが・・・。

(追記)渡辺氏と言えば、かつて「わたしの死亡記事」(文芸春秋社)で自分の最期を「カラスよけの仕掛けを準備中に屋根から落ちて死亡」と書いていた。どうせ、ろくな死に方をしないと自覚しているようなので、いっその事、その筋の方々たちに身体を蜂の巣にされた方が渡辺氏のためにはいいと思うのだが。


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