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社説:カンボジア 特別法廷で大虐殺にけじめを

 ポル・ポト政権時代のカンボジア大虐殺を裁く特別法廷が開廷した。政権崩壊から30年が過ぎ、最高指導者だった元首相は既に死亡した。遅きに失した感はあるが、170万人と言われる自国民を犠牲にした異様な惨劇の責任を明確にし、けじめをつけてほしい。

 日本にとっても重要な裁判である。カンボジア和平に日本は深く関与した。国連平和維持活動(PKO)では邦人2人が死亡した。特別法廷は国連の協力を得てカンボジア政府が国内で開く。費用の約4割を日本が負担し、上級審では日本人判事も参加する。和平貢献の仕上げとも言えよう。深い関心をもって見守りたい。

 ベトナム戦争終結と同じ75年4月に親米政権を倒しカンボジアを支配したポト派は、79年のベトナム軍侵攻で失権するまで、極端な革命路線をとった。貧農層を核とする共産国家を造ろうと、旧体制の指導層や知識人、都市住民、少数民族などを敵視した。拷問と処刑、集団虐殺、強制労働による衰弱死などが全土に広がり、当時の国民の4人に1人が死んだとされる。

 これほどの悲劇にしては訴追対象がイエン・サリ元副首相ら元政権幹部など5人にすぎない。人数は若干増える可能性はあるが、末端の殺害責任者らの罪は問われない。肉親を殺された遺族たちは、誰とも知れない加害者らとの共存を続ける。不条理である。怒りの声が少なくない。

 だが現政府を率いるフン・セン首相は、元ポル・ポト派も取り込んで内戦終結を図った経緯がある。国連との交渉では極力、処罰の範囲を狭めようとした。

 時が流れ、今の若者に虐殺の直接的な記憶はない。07年まで4年連続10%以上の経済成長を記録し、豊かな人々も現れた。歴史の清算としての断罪は象徴的範囲にとどめて混乱を避け、未来に進もうという声もまた少なくない。

 だが、特別法廷での真相究明は厳正に進めねばならない。これは必須だ。

 他にも留意すべき点がある。責任追及が遅れた理由の一つは、ポト派が密林の武装勢力として20年も命脈を保ったことだ。東西冷戦に中国とソ連、ベトナムの対立が複雑にからみ、もともとポト派と関係が深い中国ばかりか米国も同派を外交的に一時支援した。

 また米国は、ベトナム戦争の過程でカンボジア領内にも猛爆撃を加えた。クラスター爆弾も多用し、悲惨な人的・物的被害と長期にわたる後遺症を残した。

 これらについてフン・セン首相は、中国や米国も特別法廷で裁くべしと主張したことがある。国連との交渉における駆け引きではあったが、カンボジア国民の痛憤を代弁していたのも事実だ。結果的に大国の利己的行為は断罪されないが、大虐殺とともに歴史に刻まれるべきであろう。

毎日新聞 2009年2月21日 東京朝刊

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