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体外受精で念願の子を授かった20代の女性が実は別人の受精卵を移植されたらしいとわかり、人工中絶した。
あってはならないことが香川県の県立病院で起こったのは、昨秋のことである。妊娠の喜びから一転、つらい選択を迫られたカップルの苦しみはいかばかりか。知らぬ間に受精卵をほかの人に移植され、中絶されたカップルにとっても、あまりにむごい話だ。
体外受精で誕生する赤ちゃんはふえており、今や国内で1年に約2万人いる。ほぼ50人に1人の割合だ。卵子や精子をとり出す不妊治療では、こうした人為ミスの危険が常にある。急速に広まる医療に、間違いを防ぐ態勢づくりが追いついていないのではないか。
今回の事件は、そんな現実への警鐘としてとらえるべきだ。
病院によれば、このカップルの受精卵はそれまでの治療では状態が悪かったが、このときは順調に妊娠して育った。疑問を感じた医師が調べ直し、取り違えの可能性に気づいたという。
シャーレに入った受精卵を検査のために作業台に並べた際、別人のものが交じっていたらしい。シャーレのふたに識別用のシールが張ってあったが、入れ替わってしまったようだ。
同じ作業台には1人分しか載せない、担当医だけでなく何人かが確認する、シャーレの本体にもシールを張る、といった手順が守られていれば食いとめられたはずだ。
この病院には、こうした手引書が整っておらず、医師が1人で作業するのがふつうだったという。
こんな実態はおそらくここだけの話ではあるまい。体外受精の実施施設は全国に500以上もある。
妊娠前に気づいたものの、別人の受精卵を移植したり、人工授精で誤って夫以外の精子を使ったりといった事故もこれまでに明らかになっている。
100施設余りが回答した民間のアンケートでは、約半分がこうした事故の危険を身近に感じたことがあると答えたが、約8割が間違い防止のための手引書を備えていなかった。
こうしたなかで事故は起こるべくして起こった、ともいえる。
04年からは政府による不妊治療への費用助成が始まった。厚生労働省には、不妊カップルが安心して治療を受けられるようにする責任がある。
同様の事故はないか。ミスを防ぐ態勢はどうか。関係する学会とも協力して、まず実態を調べることだ。そのうえで再発防止を徹底させるべきだ。
体外受精による赤ちゃんは1978年、世界で初めて英国で生まれ、日本でも83年に第1例の出産があった。それが今ではごく当たり前の医療になった。しかし、人の手を介して新しい命を芽生えさせるという性格をもつ医療だ。緊張感を忘れてはならない。
不祥事が起きれば、原因を解明し、関係者を処分するなどして責任を明らかにする――。そんな当たり前のことが防衛省では行われていない。
昨年9月、広島県・江田島の海上自衛隊第1術科学校で、15人を相手に連続組手をやっていた隊員が、訓練途中に倒れて、死亡する事故があった。
海上自衛隊は直ちに調査と捜査を始めた。事故調査委員会は10月末、「教官の格闘の指導者としての適格性は今後調査が必要」という中間報告は出したが、最終報告はまだだ。警察に代わって捜査している海上自衛隊警務隊もまだ検察庁への送検をしていない。
事故の当事者は全員が自衛隊員で、事情聴取も容易だ。なぜこんなに時間がかかるのか。防衛省は「前例のない事故なので、いろんな角度から調べている」と説明するが、とても納得できない。
山田洋行など軍需専門商社による防衛装備品の過大請求問題も同じだ。
07年10月、守屋前事務次官の汚職事件で表面化した。防衛省は山田洋行だけでなく他の商社との契約も調査した。その結果、山田洋行で34件、約8億円。ほかの商社で17件、約6300万円の過大請求が見つかっている。
問題はその後の対応だ。山田洋行はメーカー側の見積書の偽造を認めている。有印私文書偽造、あるいは悪質な場合は詐欺罪の疑いがある行為ではないか。しかし防衛省は「調査がまだ終了していない。これまで過大請求で刑事告発した例がない。刑事事件にするかどうかは検察庁の判断すべきことだ」と、いまだ刑事告発していない。
防衛省への過大請求は、以前にも問題になったことがある。93年以降、山田洋行を含め約20社で発覚した。だが、取引停止の処分をしたものの、違約金が払われ、過払い分が弁済されれば処分を解除し、取引は元通り復活する。刑事告発もしない。これでは企業側にほとんど痛みがない。
取引を再開するのは、同じ部品などを供給できる企業が他にないことが大きな理由だという。しかし、過大請求企業には少なからぬ数の防衛省OBが再就職している。身内に甘い体質を物語っているのではないか。
刑事訴訟法は、自衛隊の警務隊のような司法警察員が犯罪を捜査したときは「速やかに事件を検察官に送致しなければならない」と規定している。また、公務員が犯罪を見つけたときは告発しなければならないという「告発義務」も定めている。防衛省の対応はその点でも問題があるのではないか。
不祥事が起きれば報告書と改革案で取り繕い、あとは人々の記憶から消えるのを待つ。そんな疑念を抱かれても仕方あるまい。「組織防衛」省と揶揄(やゆ)されないためにも、けじめはきちんとつけるべきだ。