アスペルガー症候群 これが本当の話

アスペルガー症候群を知らないくせに診断を与える無知な心理士

論文上の「ニキリンコ」は特定出来ない。そのニキリンコが流したガセネタを糺すブログ

「ニキリンコ」
商売のため、出版社花風社の浅見淳子上智大准教授の浅見昇吾が作り上げた自閉症キャラ

アスペキャラの「泉流星」「ジョン」も同様 2008年10月ブログ参照

2009年2月18日(水)

このブログの主題は2009年1月17日の【直観像】【ニキリンコ】にあります。お仲間に是非こんな話があると電話を入れて下さい。


人の視線がどうだろうが、気にも留めない「私」
何か意図があるだろうが、どうしようもない「さかい」
どうしようもないのに、対人恐怖症ブログを書く「えびす」
現在も悩み考え続けている「クロム」

これらの違いはどこから来るのだろうか。
初めは家庭環境を考えた。
我が家は、外の世界より過酷だったから、外での虐めなんかどーって事無かったからな。
じゃあ、我が家が心の広い暖かい家庭だったらどうか。
俺は変わったか?多分このままだ。では何処に違いがあるんだ?

あえて言えば、クロムより私の方が「自閉症が重い」と言うべきか。
対人としての対応を考える、或いは対処しようとする、というのはより定形発達に近い思考回路であるからだ。

さらに考えると、積極奇異群のサンプルのような私と、かなり受動型の要素を持ち合わせたえびすと言えるだろうか。

ただ、この辺はまだまだ長い考察と裏付けとディスカッションを必要とする所だ。

ふーんと思う人も思わない人もリンクの最後の行をポチットね。

作成者 Chip : 2009年2月18日(水) 06:55 [ コメント : 9]

コメント

視線や目配せはどうせ読めないのは経験的にわかっていますので、自分には関係ないことにしています。
が、実際は関係大有りらしく、後で多大な不利益を被ることが多いです。
それでもやはり正確に読むことは出来ないので、自分には関係ないことにしています。
この堂々巡り。
今のところ、ほとんど学習・習得出来ていません。

投稿者 笛  : 2009年2月18日(水) 20:16

笛は「さかい」の上だな。

投稿者 Chip  : 2009年2月19日(木) 10:47

不毛な努力を続ける理由はただひとつ「誰も助けてくれないから」
しかしそれもそろそろ限界が近づいてきたようです(´ω`)
というかもう自分の中で「あっ無駄なんだ」と知っちゃったらもう
踏ん張りが利かなくなったというかやる気なくなったというかw

投稿者 櫻澤ゑびす  : 2009年2月19日(木) 10:57

最近、その逆があることをおそわりました。

こちらの視線を読まれているということです。
何も意図せず、ただ面白そうだったり、興味深かったり、という素朴な関心から人や物を見ていたり、
その逆で面白そうでは無いという理由で見なかったりするのですが、
視線を読むことにたけている定型発達の人々は、その視線に「裏」を読もうとするらしいです。
こちらは何も裏がないのですが、あちらは自分であればそうであると仮定される「裏」を創作し、勝手に誤解するか、
何も読み取れない場合には不気味がったり、侮れない奴とか思い込むようです。

こちらは意図的でも「裏」があるわけでもないので、どうすることも出来ませんから、やはり関係ないことにします。
が、実際は関係大有りらしく、後で多大な不利益を被ることが多いです。

投稿者 笛  : 2009年2月19日(木) 20:22

指さしの記事以降を読んで、初めて視線に意図があることを知りました。
数か月前に幼稚園の園長先生から「『卵畑さんは目さえ合わせてくれない。感じが悪い』と悪評が立っている」と聞きました。
自分が相手の方を見ていたにも関わらず、目を合わせていなかったとは初耳でした。
それ以降、とりあえずなんとか目は合わせた方が良さそうだと思ったものの、どうすれば合うのかわからず、偶然合ったと思われる成功例が数回。
ここ2、3日、視線に意図があることを確かめようと相手の目線を追ってみるも、一瞬で切り替わるので追えない。

そもそもコミュニケーションの土俵にさえ上がっていなかったのだ、と気付きました。
そして、上がろうとしたものの、どうやら足が届かないようです。。。

投稿者 卵畑 [URL]  : 2009年2月19日(木) 21:20

人の視線や目配せの意味も見たら分かるとは自分では思っていて、自分でもある程度できるとは思っています。
しかし、そもそも人の顔を見て話す事が少ないので、きっと受け取っていないのでしょう。
逆に、見ない事によって自分への悪意に気づかなくて、かえって幸せって事もあるので、「分かんなきゃ分かんないでいいや〜」と思っています。

当たり障りの無い話だと顔を見て話できますが、思考を必要とする話になると顔を見なかったり目を閉じて話をしています。
目を閉じて話をする時は、一応不審がられない様、額に手をやって考えるポーズで話してます。

投稿者 さるたこ  : 2009年2月20日(金) 02:06

目線を合わせなくて誤解されるのは構わない。しかし目線を合わせ過ぎて誤解されることもあるんだ。
妻はホームレスのおじさんにナンパされた。相手が勘違いしてストーカーになることだって考えられる。
「視線を合わせない」ではなくて、「適切な」視線の使い方が出来ないが正しいんだな。

投稿者 Chip  : 2009年2月20日(金) 06:57

Chip氏の奥様のような経験、あります。
身に覚えのない人につきまとわれたり、しつこくされたり…は、それほど珍しいことではありません。

自分の視線に問題があったと考えられるわけですか。
それなら、これも多大な不利益のひとつです…子供の頃の学校や成人してからの仕事関係のことだけじゃないのですね…

投稿者 笛  : 2009年2月20日(金) 08:47

「目を合わせる」
会話中は相手の目元を見ながら話を聞け!そして話せ!と教育されましたんで、いかに自然な眼差しを相手に注げるか
についてはあらゆる人の仕草を研究しました。それで何とかあまり不自然さを感じさせない程度には対応できるように
なったかな??と思ったら、それに注力するあまり相手が何を話してたのか内容を全然聞いてない orz
物には限度がありますねえ。最近は話をするときは紙とペンを用意していかにも「メモ取りますよ!」という態度で、
相手の顔を見ずに対応しています。こちらの方が聞き逃しがなくてよっぽど効果的。

投稿者 櫻澤ゑびす  : 2009年2月20日(金) 16:09

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