【 蛸 グ ラ フ 】
八方手詰まり。
 



ドラゴンエイジPure誌掲載の読みきり作品「シンデレラシューズ」の全頁解説第13回です。


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これ以上ないほどに、果てしなくネタばれなので
必ず本編を読んだあとで読みすすめてください。
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■p52(p198)

靴べらの意匠はカドゥケウスを参考にして貰いました。
これは欧米で商業関連や医療施設で使われる意匠で、錬金術では重要な意味をもつヘルメスの杖です。
性転換は社会とか人間の意識をひっくり返す概念という意味では、なんとなく自分は錬金術の神秘思想を連想するものがあります。
実際の当事者にはそんなロマンチックな問題ではないんでしょうけども。

アマリが手に持っている本のタイトルは"The Fountain of Salmacis"。
ギリシャ神話の男と女が一つの体となるヘルマプロディートスのエピソードを性転換手術になぞらえています。


最上段の病院のコマは、試験的に遠隔地のアシスタントにネット経由で指示を出して描いて貰ったんですが
正直、効率的は悪かったです・・・。

背景を描いて貰うには、
対象物の指定、時間(光源位置、種類)、天候、カメラレンズ(パースのかかり具合)の指示は最低限必要なわけですが
実際問題それだけじゃ不足で、参考資料をスキャンしたり世界観と演出を踏まえたニュアンスなどを伝える手間なんかを考えると
仕事場に来て貰った方が圧倒的に効率がいいと感じました。
ちょっとした疑問も電話やらスカイプ使う手間無しにその都度答えることができますし、そういう場面は結構多いです。
ネット経由の問題はある程度予想はしていたんですが、想像以上に隔靴掻痒でした。

”ネットアシスタント”が有効なのは
肌とか服のパーツとか何番を貼るか予め決まっている基本的なトーンワークとかマスク切り位な気がします。

また、アメコミとかは既にそうなっちゃってますが
工場のラインのように分業化・機械作業化をすすめていいものか漠然とした不安もあります。
作り手が顔をつきあわせてウンウン唸った方が血の通った作品ができやすいという経験則があるんで、
デジタルやネットで便利になってもそこは変わらないんじゃないかと思うからです。
自分は人付き合いが面倒でイヤでマンガ家を選んだのに、こういう結論は皮肉な感じですけど。

紙と鉛筆があれば誰でも個人で作品が作れるのがマンガメディアのすばらしさなんですが
商業マンガに求められているクオリティ(絵もストーリーも)はどんどん高くなってるので
独りの作業で量産の負担に応えるのは難しくなってるように思います。
無論ジャンルや作風とかにもよるんですが、
商業作家はアシスタントとの共同作業をどう運用して効率を上げるか、
というのは作画・作話技術と同じ比重で重要になってくるかもしれないなあ、とぼんやり思いました。



■p53(p199)

ここら辺になるとロレンゾはほとんど女の子として描いてます。
アマリの性転換の直接描写も含めて性別解釈が揺らぐ試みを今作では意図してやっています。
物語の中では、中性的な一人称”わたし”で通しているアマリや、一人称なし・性別不詳描写なロレンゾとかがそうですが
オス誇張されたアマリの父でいたっても、この後の書斎のシーンで解釈が揺らぐような描写を入れています。

そんなことにどんな意味があんの?と言われると
ステレオタイプな男/女描写を物語の進行中に越境したら面白そうだ
(”性はグラデーションである”、性を不定なものとして描写に取り入れたらどうなるのか?)
という直感とか興味からなので、これで作品がよくなる根拠も理由もまったくないです。


■p54(p200)

「わたしの おっぱい見る?」
この台詞といい、ロレンゾのリアクションといい
わずかな匙加減でギャグになってしまうシーンなので、難しかったです。

前にも触れたとおり、男性からみた女性のシンボルとして
豊かな乳房をあげるのが一番しっくり来るだろうと考えてこのシーンに繋がりました。

もっと無難に、女装癖のある可愛い男の子のお話で通しても良かったんですが
それだけで終わるには、シンデレラになれなかった人間のもがきや願望の強さを表現できないと思い
無茶となるのは承知の上で手術の展開を入れることにしました。

アマリは今の環境を捨て、自由を選んだ訳ですが
本人含め回りにも及ぼす当然あるべき多大な影響に触れないでは、キャラクターの血肉やお話のリアリティを勝ち得ないと考えました。
答え(テーマ)というのは普遍的なほうがキャラに共感しやすくなるので、変に奇を衒わず王道で平凡であっていいのですが
傷つき泥まみれになりながらもその答えを掴もうとする経過こそもっとも人間的と言えるもので、
そこを省いてしまってはドラマ足りうるはずはありません。


■p55(p201)

「これで正真正銘の化け物 分かって貰うなんて無理よね」

かなり逡巡して決めた台詞です。
性転換者を化け物呼ばわりしていることに、不快に感じたり傷ついたと感じる人もいるかもしれませんが
キャラクターの心の底にわだかまるものをこそぎ落として出てきた言葉として、この作品にどうしても必要な台詞でした。

女性になるために自分の体にメスを入れる、という行動描写は
シンデレラの靴を履く為に踵を削った継母の娘をそのままに模しています。
その決断に対して受け手がそれぞれに感じるであろう、
グロテスクさ、悲壮、意思の強さ、理想への気高さ、滑稽な愚行など
さまざまなものをできるだけ率直に織り込むべきだと考えました。

正直に言って僕自身、性転換者の手記などを読んだものの、手術に至るその動機・心情を完全に共感できるところまでいきませんでした。
性転換者の心情を理解できればもっと深い描写ができると思うのですが、
しかし、だからといって”良く分からない人たち”の価値観を無責任に肯定することは、返って物語の力を損なうと思います。

宗教や政治信条など性転換に限らず、お互いの価値観を共有できないことは特別なことではありません。
自らが信じる価値をぶつけ合いながら、時に折り合いながら世界が回っています。
”シンデレラの靴を真摯に求める姿”は、誰もが経験する理想や夢への憧憬、努力、挫折、諦念などを照らし合わせることができる、
人々の立場や価値観の違いを越えて共感しうるものだと思います。(その普遍性を含む故におとぎ話として広く語り続けられているのしょう)

p51でも触れましたが、上記の考えからシンデレラの靴を求める人々の前向きさやたくましさを軸として、できるだけ多くの人が共感できる物語になるよう注意しました。
これは商業娯楽作品としての基本的な心構えでしかなく、その意味ではこの漫画は正統的なジェンダーについて考えた作品ではありませんが、
性とはなんだろうと考えるきっかけになれば身に余る作者冥利です。


■p56(p202)

「どうか 嫌いにならないで

自らの決断に自信を持っているわけではなく大きな不安を抱えていることを示しています。

最初の馬車のシーンでも分かるように、ロレンゾはアマリの決断に賛成する考えではありませんが
ここからアマリを男女の規範を超えて一人の人間として受け止め、支えることを決意します。





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