Hatena::Diary

Ryosuke kikuchi Photograph

2000-02-20

<暴言>

日本版エスクァイアが休刊。

TUTAYAが親会社で、グループとしての経営は悪くなかったはずなのに、

簡単な損得勘定で潰してしまったのだなーと。

結局出版文化とか理念の低さ、文化度の低さをやっぱりこの国はどんどんこれからも露呈していくのだろうかね。

というよりも現実空間にしかいない人にとって、文化とか思想なんてどうでもいいというドライさかもね。

とりあえず今後一切TUTAYAにお金は使いません。


なんというか、個人的にはインディペンデント、もしくは俗にいうアングラといったような世界へのシンパも高い分、

最近増々思ってしまうのだけれど、良質な王道、良質な正統、逆のベクトルで、地上で戦えるインディペンデント、

もしくは地上で通用するオルタナといったものを、この国では最後まで作り上げることができなかったのではないだろうかと思ってしまう。


この状況は00年代半ば以降顕著になった気がしていて、それはオルタナ/サブ的なものをある部分でかなり先鋭化したという面白さもあるけれど、

(動力源は主流に対する失望/憎悪あたりか?)それらは対抗となる主流が無い中で、宙ブラリンの様相を伴って、

なんだか狭いコミュニティー内の言語にしかなっていなくないか?という状況も00年代後半には見えてきてしまった気がする。

(もちろん地上で戦える人もまだまだいるけれど)


そして最近最も恐ろしいのは、亜流に制覇されたある種のクリエイター業界では、若い世代が、

亜流の中でも単純商業化してしまった(芸能界/バラエティー的なもの?)ものを王道と勘違いしながら、

気がついたらかなり低い精度や思考に支配されてものを作っていたりもする。

欧米視点からそれらをキッチュに見つめながら楽しむ輩もいるのもわかりやすい事実の一つだと思うけれど、

主流が斜め見でしか楽しめないってどうなの?とは思ってしまう。


知らないことの怖さというよりも、インターネット環境の影響も含めて、わかったつもりが一番怖い。

教育とか、広い範囲でコミットするとか、そういったことに自覚的にならないと、多分後5年後には

この国には、どうでもいいハイプと、圧倒的に閉ざされたコミュニティーの点在が見られるだけになるかもしれない。

それってもしかすると、現実もある種Web化するってことに近いかも。まあwebだと棒にあたる確率も本当は高いのだから、

結局は人次第なんだろうけれど。


なんだか動物化している?脳みそが外部にくっついた動物。増えすぎてあんまり万歳できない。

身体性って、失われたとか言う前に、脳みそを前提にしないとなのかも。


脳みその進ませ方に、反発するネイチャー、もしくはチルは、結局あまりわからなかったのかもしれない。

先に進みながらも、おこがましいけれど、それでもチルやネイチャーを利用していくとか

そういう発想の方が自分には近いのかも。だってもともと身体能力を低下させたヒト科にとって、

やっぱり基本的に自然は敵だしね。敵と戯れる。敵を愛するみたいな・・・・・。


別に時代は変わっていくし、昔は良かったなんていう話もつまらないけれど、

先日五木田智央さんのアトリエにお邪魔する機会があって、なんであの人の画がピンとくるのかの理由がちょっとわかった気がして。


言葉足らずすぎだけれども、なんというか感覚も更新されるし、時代性や世代論だって全く影響がないわけじゃないけれど、

ちゃんとモノを作っている人には、輪郭じゃなくて中身がある気がした。時代は輪郭の部分には反映するけれど、

最終的に高まっちゃえば、輪郭は消えちゃう。タイムリーであってタイムレスみたいな?あんまりまとめられない・・・。


さんざん書き散らしたけれど、別に徒労感とか諦めとかそんなのは仕方が無いので、

それでもなんとか可能であれば自分の国が良い状態だといいなー

そういえばスタジオボイスがリニューアルするらしいけれど、

ここももしかしたら・・・・・と思うと不安だ。

結局発信してくれる人達を守るって考え方も購買層がもたなきゃなのかも。

情報がノーマネーだと思いすぎている節が世の中にあるけれど、

単純説明情報と付加価値情報は別物だと自覚していかないと・・・・

結局本もARTも売れないまま。


<お知らせ>

春、もしくは初夏に色々考えながら写真家何人かのオムニバスZINEを発行します。

詳細が決まって来たらまた追って書きます。


来週から日本離れてますので、携帯つながりません。