麻生太郎首相の政務秘書官の村松一郎氏が昨年夏、東京都内の歯科医から私立大医学部進学を希望する息子についての相談を受け、元文部省(現文部科学省)審議官を紹介したことが毎日新聞の入手した文書などで分かった。村松氏は「入学の指導をしてやってほしいと(元審議官に)言ったのは事実だが、金のやりとりは一円もない。何が悪いのか」と説明しているが、麻生首相の側近による「口利き」が判明したことで、その是非を巡り論議を呼びそうだ。
当時、麻生氏は首相就任前で、村松氏は政策秘書だった。紹介先の元審議官は「文書はもらったが何もしていない」と話し、相談した歯科医は「何も知らない」としているものの、歯科医の妻は村松氏に「合格しました」と伝えている。
村松氏の説明などによると、東京都北区に開業し文京区に住む歯科医は、浪人中の息子が都内の私立大医学部への進学を希望していることを相談。村松氏はその件を手書きの文書にし、元文部審議官に郵送した。
村松氏は「私では分からないので『指導をお願いしたい』との趣旨で書いた。指導とは進学指導。紹介しただけで、その後(の元審議官と歯科医のやりとりが)どういう状態だったのか全く分からない」と説明。ただ、合否については「(歯科医の)奥さんから『合格しました』と聞いた」と述べた。
一方、元審議官は当初の取材に「記憶にない」と否定したが、村松氏が認めた後の取材で「手帳を調べたら(文書を示す)メモがあった」と一転。しかし、文書について村松氏から説明を受けたことは「一切ない。『送るから』と言われただけ」と話した。歯科医との接触は否定し、別の大学入試関係者への紹介などについても、当初の取材に「記憶にない」と答えた。歯科医は取材を拒否している。
村松氏は86年に麻生氏の秘書となり、94年に政策秘書、03年に総務相秘書官などを経て、麻生首相の就任と同時に昨年9月から首相秘書官。一方、元審議官は旧文部省で体育官などを務め、98年の参院選に自民党公認で当時の比例代表に立候補したが落選。麻生氏が文部政務次官を務めた88年ごろから交流があり、現在「バスケットボール女子日本リーグ機構」の専務理事で、同機構の会長は麻生首相が務めている。
◇村松氏が元審議官に送った手書き文書(A4判1枚)の内容
平成20年7月2日
○○○(元審議官の実名)様
麻生太郎事務所 村松一郎
前略
お世話になります。
さて、過日来よりお願いいたしております○○(実名)大医学部進学希望者○○(実名)君の件につき、宜しくお取り計らいの程お願い申し上げます。草々
追記、身上書等同封いたしました。
毎日新聞 2009年2月20日 2時30分(最終更新 2月20日 2時46分)