千葉県野島崎沖で海上自衛隊のイージス艦「あたご」とマグロはえ縄漁船「清徳丸」(新勝浦市漁協所属)が衝突し、清徳丸船長の吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)が犠牲になった事故から、19日で1年を迎えた。清徳丸の母港・千葉県勝浦市の川津港では早朝、僚船6隻が出港、父子を悼み、海に花やお茶をささげた。【柳澤一男】
事故の際、清徳丸のそばにいた「金平丸」の市原義次船長(55)は「『天国で何しているの』と語りかけたい」と話し、菊の花束と日本酒を持って船に乗り込んだ。
岸壁には午前4時半ごろ、親族の女性(76)らが線香と茶が入った急須を手に訪れた。女性は「何年たっても忘れない」と唱えながら手を合わせた。
市内の吉清さん方では一周忌法要が営まれた。参列した海上自衛隊横須賀地方総監の半田謙次郎海将は「海難審判の裁決を重く受け止めている。改めてご冥福を祈り、ご遺族にお悔やみを申し上げたい」と語った。
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「1年たっても時間が癒やしてくれることはなかった」。治夫さん父子の自宅で、治夫さんの妹美恵子さん(53)は「悲しみは変わらない」と話した。
残された治夫さんの妻幸子さん(53)が心配と、千葉県茂原市から転居し、一緒に暮らしてきた。事故後は、川津港で魚の水揚げの仕事を手伝うようになった。「兄たちがどんな気持ちでどのような仕事をしていたのか知りたかった」と話す。
吉清さんと家族ぐるみの付き合いをしていた漁業、渡辺清志さん(52)は事故の2日前、治夫さんと最後に会った。仕掛けを通す船の部品を交換したいと話したら、「うちにいいのがある」と付け替えてくれた。その部品は健在だ。清志さんは「先日も横須賀港で米軍のイージス艦とプレジャーボートの接触事故が起きた。2人の死を無駄にしないで」と話した。
08年2月19日、千葉県野島崎沖で海自イージス艦「あたご」が、漁船「清徳丸」と衝突、漁船の2人が死亡した。今年1月の海難審判では、主因があたご側にあったことを認め、所属する第3護衛隊(旧第63護衛隊)に安全航行を指導徹底するよう勧告する裁決が出された。海自組織への勧告は初。衝突時と交代前に当直士官だった3佐2人が業務上過失致死容疑などで書類送検されており、横浜地検が近く刑事処分を決める見通し。
毎日新聞 2009年2月19日 11時45分(最終更新 2月19日 15時06分)