参考文献
年表
青梅線小作駅・傾斜のある構内から4両の貨車が暴走した
小作駅構内から流出した4両の貨車が暴走。羽村駅を通過し、福生駅の引込み線で停車中の貨車に激突した。1952年2月19日の早朝のことだった。国鉄(JRの前身)内部では職員の過失事故として処理されたものが、1年後に羽村、瑞穂、青梅の共産党員などによる鉄道妨害事件に仕立て上げられ、10人が逮捕、起訴された。
福生警察署での拷問による気弱な青年のウソの自白が証拠とされ、第1審で全員が有罪とされた。控訴、上告して無実を勝ち取るまで15年におよぶ裁判が続いた。
福生駅の引込み線の貨車に、流出貨車4両が激突した
線路上に枕木が置かれていた
4両が連結して流出したことを示す写真
ノコギリで切られた線路横の電柱
福生駅でポイントの悪戯による脱線
悪戯された福生駅のポイント
ポイントに詰められた石
事故原簿の発見を報じる読売新聞記事
国鉄の事故原簿には人為ミスとされていた
青梅事件は、地元西多摩でも忘れられつつある事件である。戦後の混乱期に多発した冤罪事件の一つであり、警察が拷問による自白を基に事件を捏造した権力犯罪であった。逮捕・起訴された10人は最高裁まで闘い全員無罪を勝ち取ったが、冤罪を晴らすためには15年の歳月を必要とした。
青梅事件と名付けられてはいるが、事件のあったとされる中心地は小作駅であり、小作事件と称されても良いと思う。しかし、青梅線の河辺、福生までの悪戯までもが一体の事件とされたために、この呼称となったようだ。
青梅事件は、次の各事件を一体のものとしつくりだされた。
10月1日 第二回妨害事件 小作・河辺駅周辺二カ所にいたずら
10月3日 第三回妨害事件 小作駅電柱切断を含む五カ所にいたずら
12月8日 第四回事件 福生駅構内で電車脱線
1952年2月19日 第五回事件 小作駅から貨車4両流出・暴走
青梅事件という権力犯罪の犠牲となった元被告の多くは世を去り、当時を語れる人は少なくなった。私は、微力ながら元被告などからヒヤリングをしていたが、元被告・野崎邦夫さんの妻・梅子さんが事件に巻き込まれた人々の人間模様を描いた小説『鉄路の証言』を出版したことで私の取材は中断した。当事者に最も近い人が書き残したものであり、それ以上の記録は私には残せないと痛感したためである。
青梅事件を知りたいと思う方は、参考に揚げた図書文献とともに、この小説を読んでいただきたい。
解説部分は、後日、充実させたい
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