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西川家の田植え!会席料理30人分のてんやわんや!
 私が地域の力を実感したのは、熊本に嫁いで最初の試練となった西川家の「田植え」の時でした。私の夫は新婚当時、銀行マンだったので、私自身、嫁いだ先で田植えをしなければ ならないことなど考えてもいませんでした。東京の一般的なサラリーマン家庭に育った私には想像もできない世界でした。当時、すでにほとんどの農家が田植えを田植え機でする時代 でした。しかし、我が家の田植えはいわばセレモニーのようなもので、まだ親戚や地域の方々が集まって、手伝って頂きながらの「人」の手によるものでした。初め ての田植えの一週間ほど前の日に、「奥さん、どうします?」等と段取りを聞かれて、大変困ったことを今も覚えています。西川家の田植えには毎年、30人位の人達が 集まってくれました。私自身は、田んぼに出ることはありませんでしたが、最も大変だったのは集まって下さった方々全員に御膳の会席料理を振舞うことでした。お膳を運ぶ お刺身、煮物、酢の物、焼き物等々・・・30人以上もの料理を二の膳まで出すのです。10人程度の女性陣が手分けをして、てんやわんやの一日でした。当時、西 川家には輪島塗の御膳が50脚もありました。田植えの時だけではなく、法事などの冠婚葬祭の時にも御膳が必需品だったのです。田植えの後の 宴会は毎年、盛大で賑やかなものでした。地域になじんでいない私には苦労の多い経験ではありましたが、その苦労によって私自身<地域>に溶け込むことができたのだと思います。 近所付き合いが希薄な東京で生まれ育った私には、本当に貴重な経験でした。
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母親たちの力が結集!「夜の懇談会」!
 私は今、多くの方々に支えられ、<地域>の代表として国会に送り出して頂いていますが、国会議員・西川京子はこれまでも、<地域>によって育てられ、そして、鍛えられて 誕生したのだと考えています。田植えの話をしましたが、それ以外にも、子どもが学校に通い出すと、私はPTA や婦人会活動にも前向きに参加していきました。確かに人付き合い や会合、行事の企画や実施などは煩わしいことばかりです。でも逆に、そこから得られる人間同士の信頼関係、そして自分自身の成長は、他のどこからも得ることができない貴重 なものでした。一人では決して出来ないことが、仲間と共に知恵を出し合い<地域力>をもってすれば必ずや実現できます。又、予想もしなかったような問題が起きた場合にも、 柔軟に対応できるのです。
 私がPTA活動をしている頃、その学校のPTAの役員会は、父親ばかりの役員で占められていました。私はまず、学級委員にはなるべく母親の参加を 呼びかけ、同時に地区委員には父親に積極的になっていただくようにお願いして、男女半々ぐらいになる様にPTA組織をつくりました。通常、PTAの会合は必ず夜で、学校側か らは校長と教頭だけの参加でしたが、私達は是非、一般の先生方と語り合いの場を持ちたいと思いました。そこで先生方と親たちによる「夜の懇談会」を企画しました。全校生徒 が300人程度の学校でしたが、その日の会には、殆どの先生方が参加してくれました。夜に会合を設定しましたので、母親達は勿論、父親達も多く出席し、学年ごとに先生と親が グループに分かれ、結局夜が更けるまで様々な意見が交わされました。この結果、それまでは見えなかった学校の問題が浮き彫りとなり、先生方にとっても親の希望や不安がよく 理解できたと好評でした。母親達が集って知恵を出し合うことで引き出せた<地域力>でした。
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<地域力>が日本を変える!
 かつて日本には、隣近所が互いに助け合う文化がありました。子どもが外で遊んでいても、近所のおじちゃん、おばちゃんがよく声をかけてくれました。<地域>のみんなが子 ども達を見守っていました。又、お隣り同士で味噌や醤油の貸し借りがあったり、夫婦喧嘩を仲裁したり・・・<地域>での生活がお互い、繋がり合っていました。しかし、今は どうでしょう?隣りに住んでいる人とすら会話しなくなっています。子ども達同士が仲良く公園で遊んでいる風景も少なくなりました。支持者と握手
 最近、多くの世代でヒットした映画「ALWAYS〜三丁目の夕日」や「東京タワー〜オカンとボクと、時々オトン」等では、隣近所の人々の生き生きとした強い結びつきが描かれ、観る人の郷愁を誘います。このような昭和30〜40年代への回帰ブームが起き るのはどうしてでしょう?私達の中にどこか、今の生活スタイルに対する寂しさがあるからではないでしょうか?しかし、昔を懐かしがっているだけでは何も始まりません。今だからこそ、若い方もお年 寄りも、男の人も女の人も、すべての人が何かひとつでも<地域>の為にできることを探すべきではないでしょうか。どんなに小さなことでも良いのです。きっと何かが・・・変わり始める筈です。
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忘れられない飛竜頭(ひろす)の味!
 先に田植えの時の話をしましたが、私の嫁いだ地域では、田植えだけでなく法事の時も多くの方々が集まるので、御近所の主婦パワーによる「にわか割烹料亭」が行われていま した。そのときいただいた精進料理の一品「飛竜頭(ひろす)」の味が、私は今も忘れられません。東京で言えば「がんもどき」。豆腐を絞ったものに10種類以上もの具を細かく 刻んでいれ、それを揚げたものを御椀の中に汁を張って出す、津奈木町の精進料理にはつきものの料理でした。これが本当に・・・美味しかった・・・。近所に名料理人?の奥さ んがおられて、私も随分、真似て作ってはみましたが、なかなかこの味は出せませんでした。私は今でも、この「飛竜頭(ひろす)」の味が、<地域力>の象徴の様に思えてなり ません。津奈木町にずっと昔から受け継がれてきた郷土の味。決して、珍しい食材を使う訳でも、手の込んだ調理をする訳でもありません。地元でとれる素朴な食材を使い、 どの家庭でも出来るようなシンプルな調理法で作るだけです。唯、調理場には15人位の地元の主婦達が作業を分担し、丁寧に、そして丹精をこめて作る料理でした。主婦がそれ ぞれの持ち場でおしゃべりをしながら見る間に様々な手料理を作っていくのです。見事なチームワークでした。いわば互助制度であり、楽しい社交の場でした。無論、宴席はとい えば、この「飛竜頭(ひろす)」を食べながら、いつも夜遅くまで盛り上がっていたものでした。この人々の「繋がり」が地域の力を強固なものにしていくのではないでしょうか? 私にはそう思えてなりません。今は、職場に働きに行く人が大勢を占めてきていますので、こういう形の付き合いができなくなってしまいました。みんなが忙しさの中に素朴なふれ あいの場を失くしてしまっている現実があります。政治の場において、一時的な派手なパフォーマンスを繰り広げても<地域>の活性化には、決してつながりません。もっと足元 のことが大切だと思うからです。たとえ地道であっても、私は自然でいて素朴な<地域>の姿を、今後も探していきたいと思います。今、北九州市では地域の市民センターを中心 として、様々なボランティア活動やスポーツ活動を通じて、大都市部の中の地域力の維持・再生に多くの方々が参加してくださり、奮闘中です。この動きをさらに広げて強いもの としていきたいですね。
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